変容
『焦がれる黒』
この世で起きる、ありとあらゆる出来事は原因と結果でつながっている。それは人間界では因果、魔界では縁 という言葉で表していた。
原因と結果のつながりは自然と理解できるものが大半だ。目で見てわかるもの、耳に聞こえてわかるもの。つまり起こる現象は、身体の感覚で確かめられる。
古来より人間も魔物も、自然に起こる現象を知覚して、知り得たことから様々な技術を生み出してきた。ただ、人間にはなく魔物に備わる生来の力である魔力の有無が、技術の在り方を違えている。
人間の技術は知識に集約され、自然の物質を物理的に加工するが、魔物の魔力は術として具現され、自然の現象を超越して作用する。
人間は手で、魔物は心で世界を変える。
人間界の技術の一つ、錬金術は、卑金属を貴金属へと変容させる賢者の石を精製するものだ。清麿の知識にある錬金術では、材料となる物質を密閉したフラスコに入れて、錬金炉と呼ばれる特殊な装置にかける。やがて、乾留による黒化 、蒸留による白化 、結合による赤化 の反応を経て、大いなる業は完成する。
そして意外にもというか案の定というか、魔界にもこれと非常によく似通った技術があって、魔力と術をつなぐ縁 を精製する。
縁とは、魔力と術の反応を高める触媒としての働きを持つ物質であり、元となる物質に術者の魔力を込めてつくられる。その精製を魔界では錬金術というのだ。
鷲の尾羽根、巻き貝、ガラス片、小枝、木の葉、錆びたコイン、小石など、扉の術式のための縁はガッシュが人間界で拾ってきた「お土産」が材料となる。
その全てを収めた一抱えほどの大きな球体の密閉容器が炉にかけられ、術者であるガッシュの魔力を注ぎ込む。
精製は7日ごとに40週かかる。その工程はある種の儀式のように決められており、一つとして違えてはならない。違えれば元の材料から損なわれ、やり直すこともかなわない。故に作業は慎重に行われ、どれだけ順調でも280日より短くなることはない。
「まさか錬金術なんてものを、実際にこの目で見ることになるとは思わなかったな」
清麿は、目の前でガッシュが行う精製の作業と照らし合わせて、錬金術について解説した魔界の書物を捲っていく。
「縁になる材料は術によって異なるし、物質を構成している元素だってそれぞれ違う。当然さまざまな化学反応が起こるはずが、錬金術の工程はすべて同一か。……どういう理屈でそうなるんだ」
「元が何であれ同じ縁となるのだ。故にそういうことになっておるの」
「うーん、魔力による作用だろうけど、質量保存の法則から外れてるんだよな。となると核反応か、素粒子の生成あるいは消滅か?」
「と言われても……人間界とは違うからの」
たゆまず積み重ねた鍛錬により、魔力を自在に操る腕前は魔界屈指となり、術に使う縁の精製も出来るようになったのだぞ、と清麿に向かって胸を張るガッシュだが、その理由やら法則やらの説明はさっぱり不得手で、肩をすくめて苦笑する。
それは清麿もわかっている。これはガッシュへの問いというより、ただ思い付いたことを口にしているだけだ。
一緒に作業がしたい、とガッシュに頼まれて工房にいるが、魔力のない清麿がすることは何もない。好奇心の向くままに起こる事象をただ見守っている。
縁を精製する錬金術の作業は、いわゆるルーティンワークだ。厳密に定められている手順を、とにかく繰り返し延々と続けていく。炉の加熱や容器の冷却を行うにも魔力を使うのは、やはり魔界の技術らしく、清麿には物珍しく感じられる。
薄暗い地下の工房で、炉の明かりだけがガッシュを照らす。熱せられたフラスコの中で、バチンと大きな火花が上がり、琥珀の瞳が瞬いて、清麿も思いがけない音と光に目を見開いた。同時に目が合い、ふと交わされる。細くなったガッシュの瞳から、良い反応が得られたらしいと、清麿は読み取った。
形を、少しだけ変えて今に重なる面影を、清麿は懐かしく思い出す。いつも何かが足りなくて、急き立てるような焦りに似たものを抱えていた。それは魔界に来てから消えていたが。
ガッシュが持ち帰ったお土産は、言うなれば人間界の思い出だ。それが砕かれ、粉々の欠片となって黒く焦がされ、さらに形を崩される。破壊は再生の為に。懐かしく思い出を振り返るのは、これから先へ向かうためだ。
透明なガラスの容器の中で、縁の材料は全て黒く小さな炭のようになり、時に火花を散らしたり、時に炎を上げたりと、ガッシュの魔力に反応する。それを眺めてわかってきたのは、縁に込められるのは魔力だけではないということ。
「こうして話していて手元が狂うとか、ないか?」
「うぬ、大丈夫だ。むしろ縁をつくるときには、術によって何がしたいかを考えるものだからの」
「へえ」
「手順さえ違えなければ、何を話すもよい。そう、……心に、」
両手をフラスコにかざしたまま、ガッシュが何か思い浮かべて呟いた。
「心にうつりゆくよしなし事を、」
眉が寄せられたのは、そのあとが出てこないのか。聞き覚えのある文句だな、と清麿が続ける。
「そこはかとなく書きつくれば」
「あやしうこそ物ぐるおしけれ、と。うぬ、そういう具合なのだ」
世界をつなぐ扉には、ガッシュが寄せる多種多様な思いがいる。それは清麿と会話することで心に浮かぶものであるらしい。
「今のは俺が中学で習った古文の一節か。よく覚えてたな」
「ふふ、何となくの。確たる記憶ではなかったが」
「そういえば、教授のところの人間界の資料、お前の覚え書きが大半なんだろ」
「あ……、うぬ、人間界でのことを忘れたくなくての。どうにか覚えていたいと、……教授殿には、手伝ってもらっておったのだ」
「それが壁を埋め尽くすほどな。驚いたよ。まあ、最後まで人間界にいたし当然か」
何でもないようなことを、ふたりで話しているだけで、これをガッシュは共同作業と言う。どことなく清麿には気恥ずかしいものがあるが、それが縁に込められていくからには、確かにその通りなのだろう。
正直、ガッシュはただその作業の話し相手が欲しかっただけかもしれないが、清麿もふたりだけで過ごす時間を無意味とは思っていない。
交わす言葉の他にガッシュが何を考え感じているか、その一つ一つは清麿にはわからない。だが、その様々な思いと連動して縁が反応しているのは理解できた。だから見飽きず、目が離せない。
「さて、今日はここまでかの」
ガッシュが炉の火を落とすと、部屋の影が濃くなった。
「もういいのか」
「うぬ。私の魔力を炉に満たしてあるからの。縁にこれが染み入り、次に注げるようになるまでには時がかかるのだ」
即位前とはいえガッシュは既に魔界の王で、見習いの時期も過ぎつつあり、平日は王の務めが忙しい。ガッシュと清麿が揃って工房へこもるのは休日の午後に限られる。これから毎週、その貴重な休みの一日はこうして縁の為に費やされる。
次からはこれも工房に持ち込む必要はなさそうだと、清麿は錬金術の書物を脇に抱える。ここにいる間、ずっと手持ち無沙汰で困る、なんてことにはならない。
工房を出るとき、灯りを持ったガッシュが空いたもう片方の手を差し出した。心なしか嬉しそうに手を繋いできた無邪気さは、幼い頃と変わらない。
だが親なしの子に会った後、願いをかけたいと手を取られたときから、清麿の中で何かが引っ掛かっている。
ようやくガッシュの成長した姿は見慣れてきたが、その変わり様に清麿の方が戸惑い、気持ちの掴みどころがなくなっている。それなら、ガッシュは本当に変わらないのか、と。
だが今更、清麿のガッシュへの思いなど、変わるはずもない。それを問いかけるのもな、と清麿はひとり答えの出ない問いを終わらせた。
この世で起きる、ありとあらゆる出来事は原因と結果でつながっている。それは人間界では因果、魔界では
原因と結果のつながりは自然と理解できるものが大半だ。目で見てわかるもの、耳に聞こえてわかるもの。つまり起こる現象は、身体の感覚で確かめられる。
古来より人間も魔物も、自然に起こる現象を知覚して、知り得たことから様々な技術を生み出してきた。ただ、人間にはなく魔物に備わる生来の力である魔力の有無が、技術の在り方を違えている。
人間の技術は知識に集約され、自然の物質を物理的に加工するが、魔物の魔力は術として具現され、自然の現象を超越して作用する。
人間は手で、魔物は心で世界を変える。
人間界の技術の一つ、錬金術は、卑金属を貴金属へと変容させる賢者の石を精製するものだ。清麿の知識にある錬金術では、材料となる物質を密閉したフラスコに入れて、錬金炉と呼ばれる特殊な装置にかける。やがて、乾留による
そして意外にもというか案の定というか、魔界にもこれと非常によく似通った技術があって、魔力と術をつなぐ
縁とは、魔力と術の反応を高める触媒としての働きを持つ物質であり、元となる物質に術者の魔力を込めてつくられる。その精製を魔界では錬金術というのだ。
鷲の尾羽根、巻き貝、ガラス片、小枝、木の葉、錆びたコイン、小石など、扉の術式のための縁はガッシュが人間界で拾ってきた「お土産」が材料となる。
その全てを収めた一抱えほどの大きな球体の密閉容器が炉にかけられ、術者であるガッシュの魔力を注ぎ込む。
精製は7日ごとに40週かかる。その工程はある種の儀式のように決められており、一つとして違えてはならない。違えれば元の材料から損なわれ、やり直すこともかなわない。故に作業は慎重に行われ、どれだけ順調でも280日より短くなることはない。
「まさか錬金術なんてものを、実際にこの目で見ることになるとは思わなかったな」
清麿は、目の前でガッシュが行う精製の作業と照らし合わせて、錬金術について解説した魔界の書物を捲っていく。
「縁になる材料は術によって異なるし、物質を構成している元素だってそれぞれ違う。当然さまざまな化学反応が起こるはずが、錬金術の工程はすべて同一か。……どういう理屈でそうなるんだ」
「元が何であれ同じ縁となるのだ。故にそういうことになっておるの」
「うーん、魔力による作用だろうけど、質量保存の法則から外れてるんだよな。となると核反応か、素粒子の生成あるいは消滅か?」
「と言われても……人間界とは違うからの」
たゆまず積み重ねた鍛錬により、魔力を自在に操る腕前は魔界屈指となり、術に使う縁の精製も出来るようになったのだぞ、と清麿に向かって胸を張るガッシュだが、その理由やら法則やらの説明はさっぱり不得手で、肩をすくめて苦笑する。
それは清麿もわかっている。これはガッシュへの問いというより、ただ思い付いたことを口にしているだけだ。
一緒に作業がしたい、とガッシュに頼まれて工房にいるが、魔力のない清麿がすることは何もない。好奇心の向くままに起こる事象をただ見守っている。
縁を精製する錬金術の作業は、いわゆるルーティンワークだ。厳密に定められている手順を、とにかく繰り返し延々と続けていく。炉の加熱や容器の冷却を行うにも魔力を使うのは、やはり魔界の技術らしく、清麿には物珍しく感じられる。
薄暗い地下の工房で、炉の明かりだけがガッシュを照らす。熱せられたフラスコの中で、バチンと大きな火花が上がり、琥珀の瞳が瞬いて、清麿も思いがけない音と光に目を見開いた。同時に目が合い、ふと交わされる。細くなったガッシュの瞳から、良い反応が得られたらしいと、清麿は読み取った。
形を、少しだけ変えて今に重なる面影を、清麿は懐かしく思い出す。いつも何かが足りなくて、急き立てるような焦りに似たものを抱えていた。それは魔界に来てから消えていたが。
ガッシュが持ち帰ったお土産は、言うなれば人間界の思い出だ。それが砕かれ、粉々の欠片となって黒く焦がされ、さらに形を崩される。破壊は再生の為に。懐かしく思い出を振り返るのは、これから先へ向かうためだ。
透明なガラスの容器の中で、縁の材料は全て黒く小さな炭のようになり、時に火花を散らしたり、時に炎を上げたりと、ガッシュの魔力に反応する。それを眺めてわかってきたのは、縁に込められるのは魔力だけではないということ。
「こうして話していて手元が狂うとか、ないか?」
「うぬ、大丈夫だ。むしろ縁をつくるときには、術によって何がしたいかを考えるものだからの」
「へえ」
「手順さえ違えなければ、何を話すもよい。そう、……心に、」
両手をフラスコにかざしたまま、ガッシュが何か思い浮かべて呟いた。
「心にうつりゆくよしなし事を、」
眉が寄せられたのは、そのあとが出てこないのか。聞き覚えのある文句だな、と清麿が続ける。
「そこはかとなく書きつくれば」
「あやしうこそ物ぐるおしけれ、と。うぬ、そういう具合なのだ」
世界をつなぐ扉には、ガッシュが寄せる多種多様な思いがいる。それは清麿と会話することで心に浮かぶものであるらしい。
「今のは俺が中学で習った古文の一節か。よく覚えてたな」
「ふふ、何となくの。確たる記憶ではなかったが」
「そういえば、教授のところの人間界の資料、お前の覚え書きが大半なんだろ」
「あ……、うぬ、人間界でのことを忘れたくなくての。どうにか覚えていたいと、……教授殿には、手伝ってもらっておったのだ」
「それが壁を埋め尽くすほどな。驚いたよ。まあ、最後まで人間界にいたし当然か」
何でもないようなことを、ふたりで話しているだけで、これをガッシュは共同作業と言う。どことなく清麿には気恥ずかしいものがあるが、それが縁に込められていくからには、確かにその通りなのだろう。
正直、ガッシュはただその作業の話し相手が欲しかっただけかもしれないが、清麿もふたりだけで過ごす時間を無意味とは思っていない。
交わす言葉の他にガッシュが何を考え感じているか、その一つ一つは清麿にはわからない。だが、その様々な思いと連動して縁が反応しているのは理解できた。だから見飽きず、目が離せない。
「さて、今日はここまでかの」
ガッシュが炉の火を落とすと、部屋の影が濃くなった。
「もういいのか」
「うぬ。私の魔力を炉に満たしてあるからの。縁にこれが染み入り、次に注げるようになるまでには時がかかるのだ」
即位前とはいえガッシュは既に魔界の王で、見習いの時期も過ぎつつあり、平日は王の務めが忙しい。ガッシュと清麿が揃って工房へこもるのは休日の午後に限られる。これから毎週、その貴重な休みの一日はこうして縁の為に費やされる。
次からはこれも工房に持ち込む必要はなさそうだと、清麿は錬金術の書物を脇に抱える。ここにいる間、ずっと手持ち無沙汰で困る、なんてことにはならない。
工房を出るとき、灯りを持ったガッシュが空いたもう片方の手を差し出した。心なしか嬉しそうに手を繋いできた無邪気さは、幼い頃と変わらない。
だが親なしの子に会った後、願いをかけたいと手を取られたときから、清麿の中で何かが引っ掛かっている。
ようやくガッシュの成長した姿は見慣れてきたが、その変わり様に清麿の方が戸惑い、気持ちの掴みどころがなくなっている。それなら、ガッシュは本当に変わらないのか、と。
だが今更、清麿のガッシュへの思いなど、変わるはずもない。それを問いかけるのもな、と清麿はひとり答えの出ない問いを終わらせた。
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