術式

 ――魔界と人間界。
 それは互いに同じ形をした別の世界。世界の違いは、そこにいるのが魔物か人間か、それだけで。
 千年に一度、二つの世界は神の試練の為につながるが、これまで魔物が人間界に行くことがあっても、人間が魔界に来たことはない。

 その人間界と魔界の境を越えて、初めてやって来たのが清麿だ。

 魔界の王ガッシュは、清麿を「王佐」に求めた。それは魔界の官職ではなく、ただ赤い本に「人間を魔界に移す」とその役目らしきものが記されているだけの存在。
 ガッシュによって「王と共に魔界と人間界をつなげ、人間を魔界に招く者」と定められた「王佐」だが、その実態は依然として不明のまま。
 赤い本は、果たすべき使命を示すのみで、その為の力も導きも与えはしない。
 それでも清麿は、人間界と魔界をつなぐ。



 魔界に来た清麿は、ガッシュの私邸の客人となった。

 ゼオンに「存在は公にはしない」と言われ、ティオとモモンを案内役と護衛につけられて、魔界史上初の人間であることを意識し、緊張していたのも初めだけ。
 年越しと新年の祝いが一段落する頃には、私邸での暮らしにも慣れて、すっかりと落ち着いた。

 初めにガッシュが「私の家」と言ったように、私邸というのは王と王族の完全に私的な住居だ。そこでは私人としての生活が何より優先されている。
 ガッシュとゼオン、そして清麿のほかには、仕えている魔物達が7名のみという私邸は、こぢんまりとしていて居心地がいい。
 元は先の王の侍従だった執事のジェイドが、私邸でガッシュとゼオンに仕えることになった際に王城から引き抜いてきた彼らは有能で、清麿がここで寛いで過ごせるよう、さりげなく気遣ってくれた。
 
 この私邸を訪れることが許されているのも、ガッシュの親しい友達に限られていて、ティオとモモンのほか、キャンチョメとウマゴン、コルル、パティとピョンコなど。彼らは、清麿のことを知らされると、それぞれに魔界を案内したいと言い出した。
 なりゆきで護衛と案内役が増えて、ゼオンが少し顔をしかめたが、彼らは嬉々として城下の街の様々な所へ清麿を連れて行った。

 近隣の産物が集まる市場や商店で買い物をしたり、工房を覗いて見事な職人技を見せてもらったり。
 そうして彼らと見てまわった街の様子からすると、魔界は人間界よりだいぶゆっくりと文明を進めてきたようで、寒さに耐える石造りの家並みや白い息を吐く馬に引かせた荷車が行き交う大通りなどは、産業革命以前を彷彿とさせる。
 いまだ牛馬や風水車などを動力源の基本としている魔界だが、人間界にはないものがある。
 それは魔力と、魔力で動く##RUBY#絡繰#からくり##だ。魔物が生まれ持つ魔力は、単に一つのエネルギーとして働くほかに、術によって動く道具を作り出す。絡繰は、魔物を象ってつくられる道具で、魔力で作られ、術によって動く。しかも絡繰は道具でありながら、時に魔物へ生まれ変わる。
 不可思議な魔力の性質が有り得ないものを作り出す。そんな魔物にとっての魔力は、ある意味では、人間にとっての科学技術に相当する。

 清麿は、城下の街を見てまわるのと合わせ、ティオとモモンに頼んで王立図書館から本を借りて魔界の地理と歴史についても調べている。
 文明が発生する自然の条件、主に気候の変動と地理については魔界でも同じで、中緯度の大河流域には古くからの都市があり、それらの都市の発達や交易の経路、東西の交流などは、清麿の知る歴史と少し重なる。また千年に一度の人間界との関わりも、魔界にかなりの影響を残していた。
 つまり、二つの世界の主だった都市は、呼び名は違っても同じような所にあるし、文化や生活の様式にも似通ったものがあるということだ。
 
『魔界の王都は新大陸にある。新大陸の五大湖と海を結ぶ川に浮かぶ大きな島。その島がそのまま一つの町、王都だ。
 島の北側の流れは細く、南側には急流があり、船はそこを遡ることはできない。北東の大海から内陸の五大湖へ向かう船の荷は、この町で陸に揚げられて急流を越えた湖に降ろされる。
 この古くからの交易地を治めていたのが雷のベルの一族。そしてガッシュの父にあたる先の王が、即位に際して都を移し、さらに発展させたのがこの王都だ。
 王城が築かれているのは、島の中程から辺りを見渡せる、なだらかな丘。丘の麓から川の岸辺までは城下と呼ばれる街が広がっている。
 そこは人間界で「王の山」と呼ばれている。』

 清麿はそこまで書いて、手を止めた。もうすぐガッシュが帰ってくる頃合いだ。
 清麿は部屋に鍵をかけていない。元々そういう習慣がほとんどなかったのと、帰ってきたガッシュが外套を脱ぐやいなや直ちに顔を出すこともある。

「清麿、ただいまなのだ」
「お帰り。ガッシュ」
1/9ページ
スキ