死の恋
生きている意味ってなんだろう。
教師になれば何か分かるんじゃないかなと思っていたけど、自分の質問はそんな簡単なもんじゃなくて。常に浮遊状態のように今まで生きていた。
ー物心がついた頃からお母さんは居なかった。お母さんは逃げたらしい。お父さんは壁を蹴ったり物を壊して逃げたお母さんを罵倒した。そして私まで......。
私の家は貧乏でまともなご飯が無くて。服も親戚のお下がりを貰っていた。
あの時は何故、親戚は私を助けてくれなかったのだろうと思ったが、今思えば親戚も自分達の生活を守るのに必死だったのだろう。自分がその場を乗り切ろうと必死のように、みんなもきっと。
それでも少しは、誰かが私に対する心配の言葉をかけては良いんじゃないかとは思った。言葉はタダなのに。それほどまでの価値の無い人間なのだろうか。
ー八歳の頃になるとお父さんの暴力は次第に性的な方へ行った。私自身、背が高く発育が良かったせいもあり、お尻や胸を触られるようになった。
その時の私は泣きながらも我慢していた。昔からお父さんと一緒に過ごしている為か、若干洗脳されていたのだろう。これぐらい大丈夫、それより捨てないでの方が気持ちが大きかった。
だけどどうしても許せない事が起きた。あれはクリスマスの時。クリスマスだからって勿論ケーキは無く、夜食にたくあんをボリボリ食べていたら急にお父さんが帰ってきていきなり私を押し倒した。
酷く酒くさいのと、脂肪の汗が私の体に付着した。お父さん、いやその物体は私のパンツを剥ごうとした。
私は咄嗟に暴れ、物体から抜け出そうとしたが物体にビンタをされてしまい脳みそが揺れた。
それでもはやく抜けたくてどうしたら良いのかと思いついたのが、床に落ちていたビール瓶で物体の頭を叩き割ったことだ。
物体は頭から血を流し倒れたが、まだ生きていた。私はすぐ様キッチンへ行き包丁を持ち、物体の腹を刺しまくった。どれぐらい刺したのかは分からないが、全身血まみれになるぐらいまでは刺した気がする。
ーその後の記憶は消えていた。私はいつの間にか入院していて、奴は誰かに殺されたとなっていたらしい。どうやら私は意識無く、本能的に、自然と隠蔽工作をしていた。
幸い八歳の少女のため、まさかお父さんを殺せないだろうと警察は断言をした。
それから一ヶ月後。私はお父さんの方の親戚と暮らす事になった。親戚は割と歓迎ムードだったが初めから引き取ってくれていたらこんな事にはならなかったのに。大人は狡いなと思った。
お父さんを殺した事に関しては、正直なところ衝動的であまり記憶に無かった。
それほどずっと憎んでいたのだろう。ずっと我慢していたのだろう。頑張ったな私はと、ベッドの中で静かに泣いた事があった。
ー中学生になると勉強を本格的にし始めた。なぜなら国語の先生になりたかったのだ。
親の居ない訳ありの子が教師になる事はとても難儀ではあったが、私は諦めなかった。
どうして国語の先生か。それは感情が欲しかったから。
私は感情が欠けているのだろう。きちんと笑えないのだ。いつもロボットのようなぎこちない笑い方で嫌われやすかった。
なんでいつも笑うのを作ってるの?って、ある友達に言われて気づいた。
作っている?その時はよく分からなかったが。そうか、多分愛情を知らないから笑う事が分からないのだと、図書室の本で学んだ。
本というのは素晴らしい。頭の良い人達が作り出した本には、大人から学べないことばかりが書かれていた。時に一日十冊以上読破したこともある。
それからかな。国語の先生になりたいと思った。国語を知れば、欠如した心が何かで埋まるんじゃないか、きちんと笑えるようになれるんじゃないかと思った。
ーでも足りなかった。国語の先生になっても何も変わらなかった。
生徒にからかわれ、嫌われ虐められる。私はずっとこのまま、居なくても良い無価値な人間なんだろうか。それなら一層死んでしまった方が良いのかもしれない。
その気持ちを打ち消したのが、高橋優斗君だった。初めて会った時、なんて悲しい目をしているのだろうと思った。
今まで辛そうにしてきた生徒を見てきたが所詮フリなだけで、実はそんなに悩んでない子達ばかりだった。
でも高橋君は違っていた。自分からしんどいです、辛いですと言ってないのに、この世の地獄を見てきたような顔をしていた。私の直感がそう言った。
だから家庭状況が心配で、つい夜中に高橋君の家に訪問したのだ。やってはいけない行為だが、高橋君の力になりたかった。
ー多分いやきっと、本当に辛い子を助けて自分の罪をはらしたかったのだろう。助けたら自分は救われ、罪も無くなり、完成されない心のパズルのピースが産まれるのじゃないのか。
これは恋の好きじゃない。貴方は私の救世主だから好きなの。
だから、ね。最後まで私を主役にさせて。
人生は素敵だと笑って言わせてください。
教師になれば何か分かるんじゃないかなと思っていたけど、自分の質問はそんな簡単なもんじゃなくて。常に浮遊状態のように今まで生きていた。
ー物心がついた頃からお母さんは居なかった。お母さんは逃げたらしい。お父さんは壁を蹴ったり物を壊して逃げたお母さんを罵倒した。そして私まで......。
私の家は貧乏でまともなご飯が無くて。服も親戚のお下がりを貰っていた。
あの時は何故、親戚は私を助けてくれなかったのだろうと思ったが、今思えば親戚も自分達の生活を守るのに必死だったのだろう。自分がその場を乗り切ろうと必死のように、みんなもきっと。
それでも少しは、誰かが私に対する心配の言葉をかけては良いんじゃないかとは思った。言葉はタダなのに。それほどまでの価値の無い人間なのだろうか。
ー八歳の頃になるとお父さんの暴力は次第に性的な方へ行った。私自身、背が高く発育が良かったせいもあり、お尻や胸を触られるようになった。
その時の私は泣きながらも我慢していた。昔からお父さんと一緒に過ごしている為か、若干洗脳されていたのだろう。これぐらい大丈夫、それより捨てないでの方が気持ちが大きかった。
だけどどうしても許せない事が起きた。あれはクリスマスの時。クリスマスだからって勿論ケーキは無く、夜食にたくあんをボリボリ食べていたら急にお父さんが帰ってきていきなり私を押し倒した。
酷く酒くさいのと、脂肪の汗が私の体に付着した。お父さん、いやその物体は私のパンツを剥ごうとした。
私は咄嗟に暴れ、物体から抜け出そうとしたが物体にビンタをされてしまい脳みそが揺れた。
それでもはやく抜けたくてどうしたら良いのかと思いついたのが、床に落ちていたビール瓶で物体の頭を叩き割ったことだ。
物体は頭から血を流し倒れたが、まだ生きていた。私はすぐ様キッチンへ行き包丁を持ち、物体の腹を刺しまくった。どれぐらい刺したのかは分からないが、全身血まみれになるぐらいまでは刺した気がする。
ーその後の記憶は消えていた。私はいつの間にか入院していて、奴は誰かに殺されたとなっていたらしい。どうやら私は意識無く、本能的に、自然と隠蔽工作をしていた。
幸い八歳の少女のため、まさかお父さんを殺せないだろうと警察は断言をした。
それから一ヶ月後。私はお父さんの方の親戚と暮らす事になった。親戚は割と歓迎ムードだったが初めから引き取ってくれていたらこんな事にはならなかったのに。大人は狡いなと思った。
お父さんを殺した事に関しては、正直なところ衝動的であまり記憶に無かった。
それほどずっと憎んでいたのだろう。ずっと我慢していたのだろう。頑張ったな私はと、ベッドの中で静かに泣いた事があった。
ー中学生になると勉強を本格的にし始めた。なぜなら国語の先生になりたかったのだ。
親の居ない訳ありの子が教師になる事はとても難儀ではあったが、私は諦めなかった。
どうして国語の先生か。それは感情が欲しかったから。
私は感情が欠けているのだろう。きちんと笑えないのだ。いつもロボットのようなぎこちない笑い方で嫌われやすかった。
なんでいつも笑うのを作ってるの?って、ある友達に言われて気づいた。
作っている?その時はよく分からなかったが。そうか、多分愛情を知らないから笑う事が分からないのだと、図書室の本で学んだ。
本というのは素晴らしい。頭の良い人達が作り出した本には、大人から学べないことばかりが書かれていた。時に一日十冊以上読破したこともある。
それからかな。国語の先生になりたいと思った。国語を知れば、欠如した心が何かで埋まるんじゃないか、きちんと笑えるようになれるんじゃないかと思った。
ーでも足りなかった。国語の先生になっても何も変わらなかった。
生徒にからかわれ、嫌われ虐められる。私はずっとこのまま、居なくても良い無価値な人間なんだろうか。それなら一層死んでしまった方が良いのかもしれない。
その気持ちを打ち消したのが、高橋優斗君だった。初めて会った時、なんて悲しい目をしているのだろうと思った。
今まで辛そうにしてきた生徒を見てきたが所詮フリなだけで、実はそんなに悩んでない子達ばかりだった。
でも高橋君は違っていた。自分からしんどいです、辛いですと言ってないのに、この世の地獄を見てきたような顔をしていた。私の直感がそう言った。
だから家庭状況が心配で、つい夜中に高橋君の家に訪問したのだ。やってはいけない行為だが、高橋君の力になりたかった。
ー多分いやきっと、本当に辛い子を助けて自分の罪をはらしたかったのだろう。助けたら自分は救われ、罪も無くなり、完成されない心のパズルのピースが産まれるのじゃないのか。
これは恋の好きじゃない。貴方は私の救世主だから好きなの。
だから、ね。最後まで私を主役にさせて。
人生は素敵だと笑って言わせてください。