巨体の人外に助けられて世話される話
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夕食を食べてからも、その日はずっと一人で考え込んでいた。
守護者が最初に接触してきた時は、ゼイランが来訪する前で「彼の言うことを聞くな」と言った。
そして今回も「彼からの加護を受け取るな」と止めにきた。
つまり、守護者はゼイランを妨害している。
だが同時に、彼が二人に良くしてくれていることについては、反対はせず受け入れている。
「……考えれば考えるほど、意味不明だわ……」
難しい顔で居間にへたり込んでいると、風呂上がりのルドガーが腰にタオルを巻いた姿でやって来た。
「あ、おかえりルドガー。気持ちよかった?」
「全然だ。なぜ今日は一緒に入らない?」
「ごめん、ちょっと頭が煮詰まってて」
膝をついた彼の納得いかない表情が、じっと近づく。
そんなまっすぐに澄んだ金の瞳を見ていると、いつも蘇る。
あの夜の庭園で求婚してくれた彼の瞳に、小さな自分が映っている光景が。
そしてそんな時には、どんなに頑なな心も、彼には開いていいような気がしてくるのだ。
「……ごめんルドガー。大変なことになっちゃったかもしれない……」
「なんだ? 全部俺に言え。すぐに解決してやる」
頼もしい彼の腹はもう決まっていて、あなたは感情がこみあげるのをこらえた。
「守護者がね、騎士団に来て初めて、今日また声をかけてきたの。それで加護の話になって……自分が授けるからゼイラン様のを断れって」
「……なんだと?」
彼は顔色を一変させ、黙り込んだ。
逆にその間が怖い。
これまでも守護者が応援してくれてるのは話していたが、今回はすべて洗いざらい教えた。
もし彼や皆に迷惑をかけてしまったら、取り返しがつかないと思ったからだ。
「乗り込んできたらどうしよう。怖くなってきたよ」
「……名無し! ここにいれば大丈夫だ。そいつの意図は掴めないが、騎士団に手出しできないのは本当だろう。それに、お前を奪うことが目的なら、小屋にいるときが好機だったはずだ。でも奴はそうしなかった」
険しい面持ちで推測され、あなたも頷く。
相手が危害を与える様子はないが、それでも自身への執着は感じた。
「あの不思議な強制力って……魔術師なのかな。それとも魔女とか」
「……え? そいつは女なのか」
認めると彼は驚いていたが、あなたにとっては普通に彼女と話すことに慣れてしまっていて、言い忘れていた。
「魔女ならば厄介だ。お前の頭に直接語りかける霊的な動きもしやすいだろう。だが、コントロールしようという素振りは感じられない。お前に変わった挙動があれば、俺が気づかないはずがないからな……」
ルドガーが理性的に推理し始め、あなたは落ち着かなくなってくる。
「私、おかしくなってないよね? 周りの人とかルドガーに変なことしたら、止めてよね」
「分かってる、そんな不安そうな顔をするな。……あぁ、やはり許せん。お前をこんなふうに悩ませて。何が守護者なんだ……!」
彼はあなたを抱きしめ、離さないように力を込めた。
そうすると自然に、鼓動が落ち着いていく。
さっきまで言うべきか迷っていたけれど、今は心の淀みは減ってきた気がした。
「名無し、ミザロが言ったように、一度ここの先生に診てもらおうか」
「ええ! 大丈夫なの? 私、反逆罪で捕まったりしない?」
「しないさ。それにあの先生は、俺も世話になっている方だ。信頼できるし、悪いようにはしないはずだ」
そう述べるルドガーが、ミザロに変わり、直接診察の予約を取ってくれることになった。
あなたの体を調べれば、何か手がかりが掴めるかもしれない。
そんな希望を胸に、二人は後日、騎士団本部一階に向かった。
奥まった廊下の先には医療室がある。
ルドガーが扉を開けると、窓から薄紫色の明るい光が差し込み、並ぶ寝台のカーテンがそよいでいた。
白い家具で統一され、医療棚や器具が整理されている。
すると別室から一人の大柄な男性が出てきた。
「先生、名無しを連れてきたぞ」
「やあルドガー、それにお連れさんだね。よろしく名無しさん。私は医術師のフォロロットゥールだよ。フォロで構わない」
「こんにちは、フォロ先生。今日はよろしくお願いします!」
白衣から太く逞しい腕が伸び、彼にがっちり握手をされた。
この医術師は想像とまったく違った。
短く整えられた白髪は老齢の男性であるが、体はルドガーと同じく屈強で、首が痛くなるほど背が大きい。
聞けば元軍医だといい、以前はゼイランの軍で働いていたそうだ。
彼の書斎机の前に、ルドガーと横並びに座った。
「――ということは、ルドガーのことを知っていたんですか?」
「うん、知ってはいたけれど、初めて会ったのは彼が三年前にここに来た時だね。最初は無鉄砲で怪我も多くて、私が診ることが多かった。でも今はすっかり出番も減ってしまったよな」
明るく笑う医術師に、ルドガーも懐かし気に頷いている。
「ルドガーはどうして騎士団に来たの?」
「任務ではチームワークが必要だったから、多少は協調性を学べと主人に言われたのさ。俺は嫌だったが、仕方なくな。これでも前よりはマシになっただろう? 先生」
「そうだな。名無しさん、ルドガーは騎士と仲が悪いと思われがちだけど、騎士たちは本当は皆助かってるんだよ、とくに難しい任務ではね」
「えぇっすごいルドガー、やるじゃん!」
「ふっ。俺を褒めてくれるのはお前と先生ぐらいだ。あとゼイラン様もだな」
結構いるじゃないと突っ込むと、先生は大口で笑っていた。
「そんな彼が、こうしてパートナーを連れてくるようになったのは、とても感慨深いものだよ。よかったな、ルドガー」
腕をぐっと結んで、年長者の柔らかな顔つきで言われ、二人は照れる。
こうして話をして、すっかり気分も温まってきた。あれだけ緊張していた心が、いつの間にかほぐれていったようだ。
「よし、ではそろそろ名無しさんを診てみようか。検査着に着替えたら、私を呼んでくれ。大丈夫、15分ぐらいで終わるよ」
あなたは同意し、前に小屋でゲアト医師に診てもらった時のように準備をした。
ルドガーは少しそわそわした様子だったが、あなたに「心配いらないぞ」と声をかけ、大人しく診察室で待っていた。
検査中は、服をはだけさせ寝台に寝転がり、目を閉じているだけだ。
窓を閉め切った真っ暗な部屋で、フォロは手を体の上に掲げ、宙の一点を見つめて調べている。
「大丈夫かい、何かあったら遠慮なく言っていいからね」
「はい、わかりました」
実際、リラックスしすぎて眠りそうだった。
あっという間に検査は終わり、服に着替えて診察室に戻る。
フォロ医師は別室に消えて、ルドガーと二人、ドキドキしながら書斎机の前で待っていた。
しばらくして彼は書類を抱え戻ってくる。
「じゃあまず、結果から伝えようか。名無しさんの体にはとくに異常は見つからなかった。私が知る限りの、ごく普通の人間の種族だね。ただ、微量の魔力に関しては、こちらの世界に来たときに――分かりやすく言えば、歪んだトンネルのような場所を通ったときの後遺症で、魔力が備わることがあるんだ。きっとそのせいだと思うんだが、断定は難しい」
まず普通の人間だと言われて安心はしたものの、あなたはルドガーをちらっと見てみる。
彼は自分よりも話がよく分かったようだ。
「つまり、名無しはやはり人間界のどこかから、魔界の森に迷い込んだということか? おかしな魔族に転生させられたとかではないのか、先生」
「うん……それはな、正直、可能性がないとは言えない。けれど転生させたのだとしたら、今の弱まった状態にとどめておくのは無理があるだろう」
……転生? なんのことだろうか。
もしかして、守護者がやったのだろうか。
あなたは二人の言葉が耳に入ってこず、頭がぐるぐるしてしまう。
ルドガーは守護者のことについては何も言わなかった。
まだ不確定の状況で、今日は純粋に医療目的で、あなたの体を調べることを優先したのだ。
「それで、薬も持ってきてもらったね。君は今これを毎日体に塗っているんだったね?」
「はい、ルドガーにも手伝ってもらってます」
持参した瘴気から守るクリームを、医術師も見てくれたようだった。
ゲアト医師から正しい配合を教わり、自ら製作してくれているルドガーにはいつも感謝でいっぱいだ。
だが彼は、その話題に懸念を浮かべた。
「何かあるのか、先生。また間違っていたか?」
「いや、これは完璧な塗り薬だよ、ルドガー。君の頑張りもだし、ゲアト医師の素晴らしい薬液レシピだ。だがひとつ、私から提案したいことがあってね」
彼はなんと、このクリームをいったん使うのをやめてみてはどうかと言った。
「えええ! それって大丈夫なんですか? また私動けなくなっちゃうかも!」
あの体が重苦しく自由の効かない日々を思い出し、トラウマになっていたあなたは恐怖に陥る。
しかし医術経験が何百年もあるというベテラン医術師は、まったく落ち着いている様子だ。
「俺も心配だ。どうしてそんなことを言うんだ?」
「これは仮説なんだが……魔力量に変化があるかもしれない。瘴気を抑える薬は、人間にとって薬効があり必要なものだ。だがそれを使うことによって、魔界への順応をもしかしたら遅らせている可能性もある」
段々とルドガーの瞳が揺れていく。
「じゃあ、もし薬を止めて魔力が増えてきたら……」
そこで黙ったルドガーに、医術師は頷いた。
「君の懸念を晴らすためにも、やってみる価値はあると思うがね」
どういうことだろう。
もし魔力が増えてきたら、自分は魔族なのか?
よく分からない。けれど、そのときあなたに降って来た考えは――。
人間より魔族だったほうが、彼と同じ世界で幸せに生きられるのかもしれない、というものだった。
そんな小さな期待が、胸に灯り始めていく。
自分の過去や由来は謎だが、魔族になれば、皆の重荷にもならずに、あの守護者とも渡り合えるかもしれないと考えたのだ。
「やりましょう、先生。ルドガーも。私、とてもやる気が出てきましたよ」
「……名無し? さっき、お前怖がっていなかったか?」
「怖いけど、大丈夫だよきっと。ルドガーもついててくれるでしょう? あとフォロ先生も」
ごくっと喉をならし、鬼気迫る勢いで確かめると、二人は真剣に頷いてくれた。
こうしてあなたは、予期せぬ方向転換へ足を踏み入れるのだった。
診察のメインは終わったが、医術師フォロロットゥールは最後に書類を数枚渡してくれた。
「こっちの診断書は詳しく説明してあるもので、自分用に保管したり、他の医術師に見せる時に使うといい。そしてもう一枚は、もっと簡潔に書いてあるものだよ。もし必要なら上官やゼイラン様に提出することもできる。医術師の私が勝手に情報を誰かに渡すことはないから、安心してね」
「あ……ありがとうございます! 何から何まで…!」
しっかりと準備してくれた彼に、あなたは深く感謝する。
最初は不安だったけれど、ここに来てよかった。
騎士団に常駐しているフォロ医師は、あなたのことを注意深く見守り、定期的に診察をすると約束してくれた。
彼と別れ、廊下に出て、ルドガーと手を繋いで歩く。
「よかった……本当に優しい人だったね」
「ああ、先生は信用できるから、安心していいぞ、名無し」
微笑みを浮かべて勇気づけてくれるルドガーだが、彼のほうが瞳が曇っている。
やはり心配が尽きないのだ。これからのことが。
それに守護者のことも、検査では気づかれなかった。
あなたが読むには難しい、医術用語が並ぶ書類をルドガーが見てくれたが、守護者については何も書かれてなかったそうだ。
「だが、本当によかった。今のお前は元気だ。異常はないんだからな」
「そうだよ、元気満々でしょう?」
「ああ。でもこれから俺はもっと早く帰ってくるぞ。お前の状態をチェックしないとな」
やる気に満ちたルドガーに、あなたは目を丸くする。
仕事があるのに、大丈夫なのだろうか。
そう思ったけれど、今のあなたは彼の心に寄り添い、二人で乗り切ろうとしていた。
守護者が最初に接触してきた時は、ゼイランが来訪する前で「彼の言うことを聞くな」と言った。
そして今回も「彼からの加護を受け取るな」と止めにきた。
つまり、守護者はゼイランを妨害している。
だが同時に、彼が二人に良くしてくれていることについては、反対はせず受け入れている。
「……考えれば考えるほど、意味不明だわ……」
難しい顔で居間にへたり込んでいると、風呂上がりのルドガーが腰にタオルを巻いた姿でやって来た。
「あ、おかえりルドガー。気持ちよかった?」
「全然だ。なぜ今日は一緒に入らない?」
「ごめん、ちょっと頭が煮詰まってて」
膝をついた彼の納得いかない表情が、じっと近づく。
そんなまっすぐに澄んだ金の瞳を見ていると、いつも蘇る。
あの夜の庭園で求婚してくれた彼の瞳に、小さな自分が映っている光景が。
そしてそんな時には、どんなに頑なな心も、彼には開いていいような気がしてくるのだ。
「……ごめんルドガー。大変なことになっちゃったかもしれない……」
「なんだ? 全部俺に言え。すぐに解決してやる」
頼もしい彼の腹はもう決まっていて、あなたは感情がこみあげるのをこらえた。
「守護者がね、騎士団に来て初めて、今日また声をかけてきたの。それで加護の話になって……自分が授けるからゼイラン様のを断れって」
「……なんだと?」
彼は顔色を一変させ、黙り込んだ。
逆にその間が怖い。
これまでも守護者が応援してくれてるのは話していたが、今回はすべて洗いざらい教えた。
もし彼や皆に迷惑をかけてしまったら、取り返しがつかないと思ったからだ。
「乗り込んできたらどうしよう。怖くなってきたよ」
「……名無し! ここにいれば大丈夫だ。そいつの意図は掴めないが、騎士団に手出しできないのは本当だろう。それに、お前を奪うことが目的なら、小屋にいるときが好機だったはずだ。でも奴はそうしなかった」
険しい面持ちで推測され、あなたも頷く。
相手が危害を与える様子はないが、それでも自身への執着は感じた。
「あの不思議な強制力って……魔術師なのかな。それとも魔女とか」
「……え? そいつは女なのか」
認めると彼は驚いていたが、あなたにとっては普通に彼女と話すことに慣れてしまっていて、言い忘れていた。
「魔女ならば厄介だ。お前の頭に直接語りかける霊的な動きもしやすいだろう。だが、コントロールしようという素振りは感じられない。お前に変わった挙動があれば、俺が気づかないはずがないからな……」
ルドガーが理性的に推理し始め、あなたは落ち着かなくなってくる。
「私、おかしくなってないよね? 周りの人とかルドガーに変なことしたら、止めてよね」
「分かってる、そんな不安そうな顔をするな。……あぁ、やはり許せん。お前をこんなふうに悩ませて。何が守護者なんだ……!」
彼はあなたを抱きしめ、離さないように力を込めた。
そうすると自然に、鼓動が落ち着いていく。
さっきまで言うべきか迷っていたけれど、今は心の淀みは減ってきた気がした。
「名無し、ミザロが言ったように、一度ここの先生に診てもらおうか」
「ええ! 大丈夫なの? 私、反逆罪で捕まったりしない?」
「しないさ。それにあの先生は、俺も世話になっている方だ。信頼できるし、悪いようにはしないはずだ」
そう述べるルドガーが、ミザロに変わり、直接診察の予約を取ってくれることになった。
あなたの体を調べれば、何か手がかりが掴めるかもしれない。
そんな希望を胸に、二人は後日、騎士団本部一階に向かった。
奥まった廊下の先には医療室がある。
ルドガーが扉を開けると、窓から薄紫色の明るい光が差し込み、並ぶ寝台のカーテンがそよいでいた。
白い家具で統一され、医療棚や器具が整理されている。
すると別室から一人の大柄な男性が出てきた。
「先生、名無しを連れてきたぞ」
「やあルドガー、それにお連れさんだね。よろしく名無しさん。私は医術師のフォロロットゥールだよ。フォロで構わない」
「こんにちは、フォロ先生。今日はよろしくお願いします!」
白衣から太く逞しい腕が伸び、彼にがっちり握手をされた。
この医術師は想像とまったく違った。
短く整えられた白髪は老齢の男性であるが、体はルドガーと同じく屈強で、首が痛くなるほど背が大きい。
聞けば元軍医だといい、以前はゼイランの軍で働いていたそうだ。
彼の書斎机の前に、ルドガーと横並びに座った。
「――ということは、ルドガーのことを知っていたんですか?」
「うん、知ってはいたけれど、初めて会ったのは彼が三年前にここに来た時だね。最初は無鉄砲で怪我も多くて、私が診ることが多かった。でも今はすっかり出番も減ってしまったよな」
明るく笑う医術師に、ルドガーも懐かし気に頷いている。
「ルドガーはどうして騎士団に来たの?」
「任務ではチームワークが必要だったから、多少は協調性を学べと主人に言われたのさ。俺は嫌だったが、仕方なくな。これでも前よりはマシになっただろう? 先生」
「そうだな。名無しさん、ルドガーは騎士と仲が悪いと思われがちだけど、騎士たちは本当は皆助かってるんだよ、とくに難しい任務ではね」
「えぇっすごいルドガー、やるじゃん!」
「ふっ。俺を褒めてくれるのはお前と先生ぐらいだ。あとゼイラン様もだな」
結構いるじゃないと突っ込むと、先生は大口で笑っていた。
「そんな彼が、こうしてパートナーを連れてくるようになったのは、とても感慨深いものだよ。よかったな、ルドガー」
腕をぐっと結んで、年長者の柔らかな顔つきで言われ、二人は照れる。
こうして話をして、すっかり気分も温まってきた。あれだけ緊張していた心が、いつの間にかほぐれていったようだ。
「よし、ではそろそろ名無しさんを診てみようか。検査着に着替えたら、私を呼んでくれ。大丈夫、15分ぐらいで終わるよ」
あなたは同意し、前に小屋でゲアト医師に診てもらった時のように準備をした。
ルドガーは少しそわそわした様子だったが、あなたに「心配いらないぞ」と声をかけ、大人しく診察室で待っていた。
検査中は、服をはだけさせ寝台に寝転がり、目を閉じているだけだ。
窓を閉め切った真っ暗な部屋で、フォロは手を体の上に掲げ、宙の一点を見つめて調べている。
「大丈夫かい、何かあったら遠慮なく言っていいからね」
「はい、わかりました」
実際、リラックスしすぎて眠りそうだった。
あっという間に検査は終わり、服に着替えて診察室に戻る。
フォロ医師は別室に消えて、ルドガーと二人、ドキドキしながら書斎机の前で待っていた。
しばらくして彼は書類を抱え戻ってくる。
「じゃあまず、結果から伝えようか。名無しさんの体にはとくに異常は見つからなかった。私が知る限りの、ごく普通の人間の種族だね。ただ、微量の魔力に関しては、こちらの世界に来たときに――分かりやすく言えば、歪んだトンネルのような場所を通ったときの後遺症で、魔力が備わることがあるんだ。きっとそのせいだと思うんだが、断定は難しい」
まず普通の人間だと言われて安心はしたものの、あなたはルドガーをちらっと見てみる。
彼は自分よりも話がよく分かったようだ。
「つまり、名無しはやはり人間界のどこかから、魔界の森に迷い込んだということか? おかしな魔族に転生させられたとかではないのか、先生」
「うん……それはな、正直、可能性がないとは言えない。けれど転生させたのだとしたら、今の弱まった状態にとどめておくのは無理があるだろう」
……転生? なんのことだろうか。
もしかして、守護者がやったのだろうか。
あなたは二人の言葉が耳に入ってこず、頭がぐるぐるしてしまう。
ルドガーは守護者のことについては何も言わなかった。
まだ不確定の状況で、今日は純粋に医療目的で、あなたの体を調べることを優先したのだ。
「それで、薬も持ってきてもらったね。君は今これを毎日体に塗っているんだったね?」
「はい、ルドガーにも手伝ってもらってます」
持参した瘴気から守るクリームを、医術師も見てくれたようだった。
ゲアト医師から正しい配合を教わり、自ら製作してくれているルドガーにはいつも感謝でいっぱいだ。
だが彼は、その話題に懸念を浮かべた。
「何かあるのか、先生。また間違っていたか?」
「いや、これは完璧な塗り薬だよ、ルドガー。君の頑張りもだし、ゲアト医師の素晴らしい薬液レシピだ。だがひとつ、私から提案したいことがあってね」
彼はなんと、このクリームをいったん使うのをやめてみてはどうかと言った。
「えええ! それって大丈夫なんですか? また私動けなくなっちゃうかも!」
あの体が重苦しく自由の効かない日々を思い出し、トラウマになっていたあなたは恐怖に陥る。
しかし医術経験が何百年もあるというベテラン医術師は、まったく落ち着いている様子だ。
「俺も心配だ。どうしてそんなことを言うんだ?」
「これは仮説なんだが……魔力量に変化があるかもしれない。瘴気を抑える薬は、人間にとって薬効があり必要なものだ。だがそれを使うことによって、魔界への順応をもしかしたら遅らせている可能性もある」
段々とルドガーの瞳が揺れていく。
「じゃあ、もし薬を止めて魔力が増えてきたら……」
そこで黙ったルドガーに、医術師は頷いた。
「君の懸念を晴らすためにも、やってみる価値はあると思うがね」
どういうことだろう。
もし魔力が増えてきたら、自分は魔族なのか?
よく分からない。けれど、そのときあなたに降って来た考えは――。
人間より魔族だったほうが、彼と同じ世界で幸せに生きられるのかもしれない、というものだった。
そんな小さな期待が、胸に灯り始めていく。
自分の過去や由来は謎だが、魔族になれば、皆の重荷にもならずに、あの守護者とも渡り合えるかもしれないと考えたのだ。
「やりましょう、先生。ルドガーも。私、とてもやる気が出てきましたよ」
「……名無し? さっき、お前怖がっていなかったか?」
「怖いけど、大丈夫だよきっと。ルドガーもついててくれるでしょう? あとフォロ先生も」
ごくっと喉をならし、鬼気迫る勢いで確かめると、二人は真剣に頷いてくれた。
こうしてあなたは、予期せぬ方向転換へ足を踏み入れるのだった。
診察のメインは終わったが、医術師フォロロットゥールは最後に書類を数枚渡してくれた。
「こっちの診断書は詳しく説明してあるもので、自分用に保管したり、他の医術師に見せる時に使うといい。そしてもう一枚は、もっと簡潔に書いてあるものだよ。もし必要なら上官やゼイラン様に提出することもできる。医術師の私が勝手に情報を誰かに渡すことはないから、安心してね」
「あ……ありがとうございます! 何から何まで…!」
しっかりと準備してくれた彼に、あなたは深く感謝する。
最初は不安だったけれど、ここに来てよかった。
騎士団に常駐しているフォロ医師は、あなたのことを注意深く見守り、定期的に診察をすると約束してくれた。
彼と別れ、廊下に出て、ルドガーと手を繋いで歩く。
「よかった……本当に優しい人だったね」
「ああ、先生は信用できるから、安心していいぞ、名無し」
微笑みを浮かべて勇気づけてくれるルドガーだが、彼のほうが瞳が曇っている。
やはり心配が尽きないのだ。これからのことが。
それに守護者のことも、検査では気づかれなかった。
あなたが読むには難しい、医術用語が並ぶ書類をルドガーが見てくれたが、守護者については何も書かれてなかったそうだ。
「だが、本当によかった。今のお前は元気だ。異常はないんだからな」
「そうだよ、元気満々でしょう?」
「ああ。でもこれから俺はもっと早く帰ってくるぞ。お前の状態をチェックしないとな」
やる気に満ちたルドガーに、あなたは目を丸くする。
仕事があるのに、大丈夫なのだろうか。
そう思ったけれど、今のあなたは彼の心に寄り添い、二人で乗り切ろうとしていた。
