美オヤジを誘って囲われて救われる話
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ヴィクトルと交際を始めて半年が過ぎた。
今日はそんな二人にとって、ひとつの節目といえる出来事が待っている。
「あれ、早く着きすぎちゃったかな」
あなたは金曜の仕事終わり、駅の中央ホールで彼と待ち合わせをしていた。
吹き抜けの空間へ入っていくと、柱の前に人目をひく長身の男が立っている。
彼は紺のスーツに身を包み、シャツとネクタイをきゅっと締めて、まるでモデルのようだ。
「えっ……ヴィクトル? 髪、切ったの!?」
だがあなたがまず仰天したのは、こちらに気づき途端に柔らかい笑みを浮かべた彼の、短くなった黒髪だった。
「おっ名無しちゃん! うん、切ってみたんだ。どうかな、変?」
照れた様子で顔を傾けられ、あなたは勢いよく首を振って、瞳を輝かせた。
「ううん、すっごい素敵……!! こんなに短いの初めて見たよ、耳と首が見えてる! ウェーブもなくなってるよ!」
「ふふ、すごい興奮してるね。気に入った?」
「もちろん! 長めも大好きだけど、短めもセクシーさが増してるねえ」
「そうかい? 俺としては男らしさを目指したんだけどな」
もうすでに男としての魅力をふんだんに発揮している男性が、顎を触って意味深につぶやく。
でもあなたは分かっていた。
今回髪を切ったのは、こうして恋人を喜ばせるためだけではないのだ。
それから、イルミネーションの灯る夜の通りに出た。
二人で目的地のレストランまで歩いていく間、あなたは隣をちらっと見上げる。
「ヴィクトル、気合い入ってるね。ちょっと緊張してる?」
「うん、それはしてるよ。君のお母さんとその親友の女性にお会いできるんだからね。でも大丈夫、同時にすごく楽しみなんだ」
にこっと笑いかけられ、こちらも興奮気味にうなづく。
そうなのだ。今日は誰もが待ちに待った、彼と自分の家族を初めて対面させる日だった。
「大丈夫だよ、皆も楽しみにしてくれてるし、年上の女性二人組で会う前は怖いかもしれないけど、二人とも優しいからね! それに私のほうが心配、うちの家族、ヴィクトルが大丈夫かなって」
言葉に矛盾があるかもしれないが、紹介する自分も結構ドキドキしていた。
なるべくなら彼に良く思われたいからだ。
「名無しちゃん。君のご家族なら、絶対に素晴らしい人達に決まってるよ。俺のことは何も心配しないでね」
「そ、そうかな。まだ分からないよ。ぶっとんでるかもしれないし…」
「そうなの? それは逆に楽しみだな」
くすくすと笑う彼の気分を、少しでもほぐせたならよかったかもしれない。
都市中心部の大通りに面したレストランは、ギリシャ料理の名店だ。
白い洞窟を模した店内は、エーゲ海の風景画や植物に彩られ、落ち着いた雰囲気ながら、酒や料理を楽しむ人々でにぎわっている。
あなたとヴィクトルは予約席に通され、テーブルクロスに食器類がセットされた場に並んで座っていた。
「はあ……なんか結構いい店だな。二人ともこんなお店知ってるんだ……あっ、来た!」
そわそわ落ち着かずに周囲を見渡していると、入り口から二人の美女が優雅に歩いてくる。
あなたは思わず目を見張った。
「あっ、もう来てる! ハロー、二人とも~。お待たせしちゃった?」
黒髪にエレガントなパーマをかけ、往年の女優のようなコート姿で母がにこやかに現れる。
そしてその隣には、仲良く親友のイリスが連れ添い、長い巻き髪に妖艶な笑みで、ブティックに立つときよりも目立っていた。
「名無しちゃん、こんばんは~。やだあ、いつにも増して美しいわね。私たちも負けないわよ、ふふふ」
「いやもう勝ってるよイリスさん! どこのスターかと思ったよ」
あなたが驚きおののいていると、空気が一気に緩み、笑い声が生まれた。
ヴィクトルもスマートに立ちあがって二人を迎える。
そんな三人の初対面を、あなたは隣からドギマギと見守った。
「はじめまして、ヴィクトル・ヘイズと申します。今日はお会いできてとても嬉しいです。エレーネさん、イリスさん」
「私達もよ、ヴィクトル! 今日は来て頂いてありがとうね。ずっとこの機会を待ってたものねえ。四人で楽しく乾杯しましょ」
「はい…! ありがとうございます。とっても素敵なお店ですね。初めて来ました」
「あらそう~、ここね、すっごい美味しくてうちらのお気に入りなの。きっと二人も気に入るわよ」
イリスがウインクするとあなた達は喜んだ。
すでにいい雰囲気が出来上がっていて、出だしは完璧だと胸が高鳴っていく。
乾杯のスパークリングワインを頼み、四人は温かな笑顔でグラスを合わせた。
目の前に座る女性二人は、まったく威圧感などなく、とくに母は最初から友好ムードだ。
「ふふふ、ほんっとに嬉しくって。やっと名無しちゃんのヴィクトルに会えたんだもの。この子、いっつものろけがすごいのよ。ものすごく素敵な人で皆気に入るにきまってる、ヴィクトル最高! みたいな感じでね」
「そうなんですか? それはすごく、照れますね。名無しちゃん…」
「ちょっお母さん、それ速攻でばらさなくてよくない? まあ事実だけど」
すでにテンションの高い母に暴露されたが、否定はしない。
「それに今日の会も皆の都合上先週決まって、結構急だったのにごめんなさいね。大丈夫だったかしら、忙しいのよね」
「全然大丈夫ですよ、一番大事な約束なので。僕もずっと待ち望んでいましたから」
ヴィクトルがにこりと答えてくれて、感謝の気持ちが湧く。
「もう優しいヴィクトル~! 普段は二人で会う時間はあるの? 大丈夫?」
「ちょっとイリス、その質問すでに小姑感出ちゃってるから。今時はそんなこと聞くものじゃないのよ」
「いいでしょうこんぐらい」
「ええ、平気ですよ。名無しさんと会う時間は優先して取っています。そのあたりも心配いらないと思います。もちろん忙しい時期は、自分ももっと頑張るつもりです。会いたいので」
ヴィクトルがはっきり穏やかに告げると、二人は一瞬驚いた様子で瞬きをしていた。
母のエレーネは真剣な表情に変わり、静かに喉を鳴らす。
「あ、あらそう……そんなに会いたい? 名無しに?」
じっと見定めるような視線に、ヴィクトルは一呼吸おいてこう答えた。
「はい。何よりも大事にしています、そこは」
「……ふふ、そうなんだ。あなたいい男だわ。10歳年下の立派な大人の男性だけど、素直なとこすごくいいと思う! じゃあ飲もうかヴィクトル、名無し大好き連盟組むわよ!」
「はい! エレーネさん!」
「いやちょっと、なにそれ! イリスさん、この二人のテンションおかしくないっ?」
「普通でしょ。ていうかずるい、私も組むわよ! ほら名無しちゃんも!」
本人なのに加入させられ混乱したが、四人はこうしてかなり早い段階で打ち解けていった。
自分としても、予想外ながら嬉しい流れである。
その後、コース料理が続々と運ばれてきて、海鮮料理から串焼きまで、皆は美味しく舌鼓を打った。
母達はヴィクトルに対する興味が尽きず、話題はどんどん膨らんでいく。
「えっ、あそこの大学出てるの? 優秀じゃない~入るの難しいわよ、ねえエレーネ」
「うん。出るのもむずいわよ」
「いえいえ、スポーツ推薦もあったので」
「そっちのほうがすごいんだけど。ボート部だったのよね? 花形だわーすごい! 全国大会いつもテレビで見てたもの」
ヴィクトルが高校から大学時代まで熱中したボートクラブの話になり、イリスは感心していた。
そんな彼女が思い出したように自分の彼の話をする。
「そういえばさ、うちの人も名無しちゃんの彼と同い年って言ったじゃない?」
「そうだね。ニコラスさん元気?」
「元気よ~今日はキャンプ行ってる。でもさ、”名無しちゃんももうお嫁に行く年か~”なんて勝手に感慨深くなってたわよ」
「あらそうなの? 一回しか会ったことないのに」
母の鋭い突っ込みが飛ぶが、あなたはその一度のことを鮮烈に覚えていた。
「いやでも面白かったんだよお母さん。私とお父さんと、イリスさんとニコラスさんでプール行ったじゃん」
「そうなのかい?」
その話に隣から興味深げに聞いてきたのはヴィクトルだ。あなたは微笑みながら頷く。
「うん。十歳ぐらいの時かな。ニコラスさんがふざけてプールに飛び込んだらお父さんがすっごい怒ってさ。イリスさんも一緒になって謝って」
「ほんとそれよ。ステファンさんっていつも温厚なのに怒ったらすごい怖いのよね。ニコラスもビクビクしてずっとご機嫌取るようについて回ってたけど、その後は”もう俺はだめだ、嫌われた”なんて絶望しちゃって。それからはあの人の前では大人しいのなんのって」
イリスの口ぶりは少し大げさに感じたが、あなたは子供の頃の話として面白おかしく話したつもりだった。
しかしヴィクトルは、目を見開いて固まってしまったようだ。
「あっ! 別にただの笑い話であってお父さん怖くないからね! 怒らなければ」
「そうよ。脅かさないでよ名無し。ニコラス君がバカなだけだったんだから。ステファンは真面目なのよ」
「ちょっと、若気の至りってやつなんだから許してやってよ。バカなのは事実だけど」
好き勝手言う女達の掛け合いに、ヴィクトルも神妙に聞き入っている。
「なんというか、すごく勉強になる話ですね。俺も気をつけないとな」
「ははは! あなたは大丈夫よ、大人なんだから。それとも若気の至りとかあったの?」
母が悪戯っぽい眼差しで際どいことを聞くと、あなたはハラハラする。
「そんなのあるの? ヴィクトル」
「うーん、ないとは言えないな。今思えば馬鹿だろうっていうのは、三回連続でバンジージャンプしたことぐらいかな。渓谷の川の上で。なんか楽しくなっちゃってね」
彼は苦笑いしながら、とんでもないことを明かした。
女性達の驚きと悲鳴が一気にテーブルを揺らす。
「ねえちょっと! それかなりやばいよ、クレイジーだよ!」
「やっぱりそう思う? はは、体育会系の男達なんてそんなもんだよ名無しちゃん。ちなみに忘年会にいた奴ら、全員飛んだからね」
くすくすと思い出し笑いをする様子に今度はあなたが引いているが、また彼の知らない一面を垣間見た瞬間だった。
「あっはっはっは! あなた結構キテるわね、なんで男って飛びたがるのかしら。いいじゃない、ニコラスにも引かないかも!」
「引きませんよ、話は合いそうな気はするな。同い年の男同士」
「ふふふっ、名無し、なんかヴィクトルのイメージ変わってきたわ。でも名無しはバンジーなんか絶対できないよね?」
「出来るわけないでしょっ!」
焦るあなたに、また皆がどっと笑う。
爆弾発言から違った意味で皆を虜にさせるヴィクトルが、やっぱりさすがだと思った。
でも飛びすぎは心配だしもうやらないでほしい。
こんな風におかしな方向へ行ってしまいがちな食事の時間は、あっという間に過ぎていった。
女性陣二人は「ちょっとお手洗いに行ってくるわ」と一緒に席を立ち、あなたとヴィクトルは二人になる。
「ふぅ。すごい盛り上がりだったね。あの二人マシンガントークでごめんね。ヴィクトル、疲れてない?」
「全然。楽しいよ。俺も緊張してるのバレてない?」
「ええっ、まったくだよ!」
あなたは驚いて、大胆にも彼の胸元に手をぴたりと置いてみた。するとドクドクいっていた。
「わあっ、本当だね」
「でしょ? 恥ずかしいな」
彼も今は緊張がとけたのだろうか。
そのはにかむ笑顔を、ふと抱きしめたくなる。
母達はまだ帰って来なそうなので、代わりに彼の手をぎゅっと握った。
「大丈夫だよ、ヴィクトル最高!だよ」
「はは。嬉しいな、さっきのそれも。俺は密かにガッツポーズしてたからね」
「ふふふ」
そっと手を握り返されて、つかの間の二人きりの休憩時間、あなたも彼の隣でほっと一息つけていた。
それから母達がゆったり上機嫌に戻ってくる。
「ねえねえ、今イリスと話してたんだけど。もうそろそろ食事も終わっちゃうけど、まだちょっと遊びたくない?」
デザートが来そうな頃合いに、母が茶目っ気たっぷりに提案してきたので、あなたは嬉しくなった。
確かに皆の気持ちの高まりは途切れないし、二時間だけでは足りない気がする。
「いいね、ヴィクトルはどう?」
「うん、もちろん。まだまだこの四人でお話したいよね」
心から楽しんでいる表情でそう言ってくれたため、皆も乗り気で二次会へ行くことに決まった。
そして支度をしてレストランから出るとき、こんな場面が見られた。
母が先にお会計に行き、あとを追おうとしたヴィクトルはイリスに声をかけられる。
「いいのいいの。今日は私達の招待だからね、一緒にご馳走させて」
「えっ、いいんですか。でも僕もとても楽しませていただきました」
「嬉しいわーそう言ってくれて。けど今夜はまだこれからよ! 二人とも、カラオケバーなんてどうっ?」
それまでヴィクトルと一緒に恐縮して「ごちそうさま」とお辞儀していたあなたも、彼女の一言に衝撃を受けて顔を上げる。
「……えっ? カラオケバー? ちょ、むりむりむり! 私歌えないよ! 絶対無理!」
「ふふふ、知ってるわよ。別に雰囲気楽しむだけでいいんだから。ねえヴィクトルは行ったことある?」
「ありますよ」
「ええ! そうなのヴィクトル!」
「うん。ライブ感あって楽しいと思うよ。大丈夫、一緒に座って見てようか、名無しちゃん」
彼ににこっと微笑まれれば、もう行くしかない。
ヴィクトルはなんでも経験あってすごいなぁ……。
そんなふうに遠い目になりながらも、戻って来た笑顔の母も加わり、元気な大人達に連れられて、あなたは二次会へと足を運んだ。
――そこでちょっとした波乱があるとも知らずに。
今日はそんな二人にとって、ひとつの節目といえる出来事が待っている。
「あれ、早く着きすぎちゃったかな」
あなたは金曜の仕事終わり、駅の中央ホールで彼と待ち合わせをしていた。
吹き抜けの空間へ入っていくと、柱の前に人目をひく長身の男が立っている。
彼は紺のスーツに身を包み、シャツとネクタイをきゅっと締めて、まるでモデルのようだ。
「えっ……ヴィクトル? 髪、切ったの!?」
だがあなたがまず仰天したのは、こちらに気づき途端に柔らかい笑みを浮かべた彼の、短くなった黒髪だった。
「おっ名無しちゃん! うん、切ってみたんだ。どうかな、変?」
照れた様子で顔を傾けられ、あなたは勢いよく首を振って、瞳を輝かせた。
「ううん、すっごい素敵……!! こんなに短いの初めて見たよ、耳と首が見えてる! ウェーブもなくなってるよ!」
「ふふ、すごい興奮してるね。気に入った?」
「もちろん! 長めも大好きだけど、短めもセクシーさが増してるねえ」
「そうかい? 俺としては男らしさを目指したんだけどな」
もうすでに男としての魅力をふんだんに発揮している男性が、顎を触って意味深につぶやく。
でもあなたは分かっていた。
今回髪を切ったのは、こうして恋人を喜ばせるためだけではないのだ。
それから、イルミネーションの灯る夜の通りに出た。
二人で目的地のレストランまで歩いていく間、あなたは隣をちらっと見上げる。
「ヴィクトル、気合い入ってるね。ちょっと緊張してる?」
「うん、それはしてるよ。君のお母さんとその親友の女性にお会いできるんだからね。でも大丈夫、同時にすごく楽しみなんだ」
にこっと笑いかけられ、こちらも興奮気味にうなづく。
そうなのだ。今日は誰もが待ちに待った、彼と自分の家族を初めて対面させる日だった。
「大丈夫だよ、皆も楽しみにしてくれてるし、年上の女性二人組で会う前は怖いかもしれないけど、二人とも優しいからね! それに私のほうが心配、うちの家族、ヴィクトルが大丈夫かなって」
言葉に矛盾があるかもしれないが、紹介する自分も結構ドキドキしていた。
なるべくなら彼に良く思われたいからだ。
「名無しちゃん。君のご家族なら、絶対に素晴らしい人達に決まってるよ。俺のことは何も心配しないでね」
「そ、そうかな。まだ分からないよ。ぶっとんでるかもしれないし…」
「そうなの? それは逆に楽しみだな」
くすくすと笑う彼の気分を、少しでもほぐせたならよかったかもしれない。
都市中心部の大通りに面したレストランは、ギリシャ料理の名店だ。
白い洞窟を模した店内は、エーゲ海の風景画や植物に彩られ、落ち着いた雰囲気ながら、酒や料理を楽しむ人々でにぎわっている。
あなたとヴィクトルは予約席に通され、テーブルクロスに食器類がセットされた場に並んで座っていた。
「はあ……なんか結構いい店だな。二人ともこんなお店知ってるんだ……あっ、来た!」
そわそわ落ち着かずに周囲を見渡していると、入り口から二人の美女が優雅に歩いてくる。
あなたは思わず目を見張った。
「あっ、もう来てる! ハロー、二人とも~。お待たせしちゃった?」
黒髪にエレガントなパーマをかけ、往年の女優のようなコート姿で母がにこやかに現れる。
そしてその隣には、仲良く親友のイリスが連れ添い、長い巻き髪に妖艶な笑みで、ブティックに立つときよりも目立っていた。
「名無しちゃん、こんばんは~。やだあ、いつにも増して美しいわね。私たちも負けないわよ、ふふふ」
「いやもう勝ってるよイリスさん! どこのスターかと思ったよ」
あなたが驚きおののいていると、空気が一気に緩み、笑い声が生まれた。
ヴィクトルもスマートに立ちあがって二人を迎える。
そんな三人の初対面を、あなたは隣からドギマギと見守った。
「はじめまして、ヴィクトル・ヘイズと申します。今日はお会いできてとても嬉しいです。エレーネさん、イリスさん」
「私達もよ、ヴィクトル! 今日は来て頂いてありがとうね。ずっとこの機会を待ってたものねえ。四人で楽しく乾杯しましょ」
「はい…! ありがとうございます。とっても素敵なお店ですね。初めて来ました」
「あらそう~、ここね、すっごい美味しくてうちらのお気に入りなの。きっと二人も気に入るわよ」
イリスがウインクするとあなた達は喜んだ。
すでにいい雰囲気が出来上がっていて、出だしは完璧だと胸が高鳴っていく。
乾杯のスパークリングワインを頼み、四人は温かな笑顔でグラスを合わせた。
目の前に座る女性二人は、まったく威圧感などなく、とくに母は最初から友好ムードだ。
「ふふふ、ほんっとに嬉しくって。やっと名無しちゃんのヴィクトルに会えたんだもの。この子、いっつものろけがすごいのよ。ものすごく素敵な人で皆気に入るにきまってる、ヴィクトル最高! みたいな感じでね」
「そうなんですか? それはすごく、照れますね。名無しちゃん…」
「ちょっお母さん、それ速攻でばらさなくてよくない? まあ事実だけど」
すでにテンションの高い母に暴露されたが、否定はしない。
「それに今日の会も皆の都合上先週決まって、結構急だったのにごめんなさいね。大丈夫だったかしら、忙しいのよね」
「全然大丈夫ですよ、一番大事な約束なので。僕もずっと待ち望んでいましたから」
ヴィクトルがにこりと答えてくれて、感謝の気持ちが湧く。
「もう優しいヴィクトル~! 普段は二人で会う時間はあるの? 大丈夫?」
「ちょっとイリス、その質問すでに小姑感出ちゃってるから。今時はそんなこと聞くものじゃないのよ」
「いいでしょうこんぐらい」
「ええ、平気ですよ。名無しさんと会う時間は優先して取っています。そのあたりも心配いらないと思います。もちろん忙しい時期は、自分ももっと頑張るつもりです。会いたいので」
ヴィクトルがはっきり穏やかに告げると、二人は一瞬驚いた様子で瞬きをしていた。
母のエレーネは真剣な表情に変わり、静かに喉を鳴らす。
「あ、あらそう……そんなに会いたい? 名無しに?」
じっと見定めるような視線に、ヴィクトルは一呼吸おいてこう答えた。
「はい。何よりも大事にしています、そこは」
「……ふふ、そうなんだ。あなたいい男だわ。10歳年下の立派な大人の男性だけど、素直なとこすごくいいと思う! じゃあ飲もうかヴィクトル、名無し大好き連盟組むわよ!」
「はい! エレーネさん!」
「いやちょっと、なにそれ! イリスさん、この二人のテンションおかしくないっ?」
「普通でしょ。ていうかずるい、私も組むわよ! ほら名無しちゃんも!」
本人なのに加入させられ混乱したが、四人はこうしてかなり早い段階で打ち解けていった。
自分としても、予想外ながら嬉しい流れである。
その後、コース料理が続々と運ばれてきて、海鮮料理から串焼きまで、皆は美味しく舌鼓を打った。
母達はヴィクトルに対する興味が尽きず、話題はどんどん膨らんでいく。
「えっ、あそこの大学出てるの? 優秀じゃない~入るの難しいわよ、ねえエレーネ」
「うん。出るのもむずいわよ」
「いえいえ、スポーツ推薦もあったので」
「そっちのほうがすごいんだけど。ボート部だったのよね? 花形だわーすごい! 全国大会いつもテレビで見てたもの」
ヴィクトルが高校から大学時代まで熱中したボートクラブの話になり、イリスは感心していた。
そんな彼女が思い出したように自分の彼の話をする。
「そういえばさ、うちの人も名無しちゃんの彼と同い年って言ったじゃない?」
「そうだね。ニコラスさん元気?」
「元気よ~今日はキャンプ行ってる。でもさ、”名無しちゃんももうお嫁に行く年か~”なんて勝手に感慨深くなってたわよ」
「あらそうなの? 一回しか会ったことないのに」
母の鋭い突っ込みが飛ぶが、あなたはその一度のことを鮮烈に覚えていた。
「いやでも面白かったんだよお母さん。私とお父さんと、イリスさんとニコラスさんでプール行ったじゃん」
「そうなのかい?」
その話に隣から興味深げに聞いてきたのはヴィクトルだ。あなたは微笑みながら頷く。
「うん。十歳ぐらいの時かな。ニコラスさんがふざけてプールに飛び込んだらお父さんがすっごい怒ってさ。イリスさんも一緒になって謝って」
「ほんとそれよ。ステファンさんっていつも温厚なのに怒ったらすごい怖いのよね。ニコラスもビクビクしてずっとご機嫌取るようについて回ってたけど、その後は”もう俺はだめだ、嫌われた”なんて絶望しちゃって。それからはあの人の前では大人しいのなんのって」
イリスの口ぶりは少し大げさに感じたが、あなたは子供の頃の話として面白おかしく話したつもりだった。
しかしヴィクトルは、目を見開いて固まってしまったようだ。
「あっ! 別にただの笑い話であってお父さん怖くないからね! 怒らなければ」
「そうよ。脅かさないでよ名無し。ニコラス君がバカなだけだったんだから。ステファンは真面目なのよ」
「ちょっと、若気の至りってやつなんだから許してやってよ。バカなのは事実だけど」
好き勝手言う女達の掛け合いに、ヴィクトルも神妙に聞き入っている。
「なんというか、すごく勉強になる話ですね。俺も気をつけないとな」
「ははは! あなたは大丈夫よ、大人なんだから。それとも若気の至りとかあったの?」
母が悪戯っぽい眼差しで際どいことを聞くと、あなたはハラハラする。
「そんなのあるの? ヴィクトル」
「うーん、ないとは言えないな。今思えば馬鹿だろうっていうのは、三回連続でバンジージャンプしたことぐらいかな。渓谷の川の上で。なんか楽しくなっちゃってね」
彼は苦笑いしながら、とんでもないことを明かした。
女性達の驚きと悲鳴が一気にテーブルを揺らす。
「ねえちょっと! それかなりやばいよ、クレイジーだよ!」
「やっぱりそう思う? はは、体育会系の男達なんてそんなもんだよ名無しちゃん。ちなみに忘年会にいた奴ら、全員飛んだからね」
くすくすと思い出し笑いをする様子に今度はあなたが引いているが、また彼の知らない一面を垣間見た瞬間だった。
「あっはっはっは! あなた結構キテるわね、なんで男って飛びたがるのかしら。いいじゃない、ニコラスにも引かないかも!」
「引きませんよ、話は合いそうな気はするな。同い年の男同士」
「ふふふっ、名無し、なんかヴィクトルのイメージ変わってきたわ。でも名無しはバンジーなんか絶対できないよね?」
「出来るわけないでしょっ!」
焦るあなたに、また皆がどっと笑う。
爆弾発言から違った意味で皆を虜にさせるヴィクトルが、やっぱりさすがだと思った。
でも飛びすぎは心配だしもうやらないでほしい。
こんな風におかしな方向へ行ってしまいがちな食事の時間は、あっという間に過ぎていった。
女性陣二人は「ちょっとお手洗いに行ってくるわ」と一緒に席を立ち、あなたとヴィクトルは二人になる。
「ふぅ。すごい盛り上がりだったね。あの二人マシンガントークでごめんね。ヴィクトル、疲れてない?」
「全然。楽しいよ。俺も緊張してるのバレてない?」
「ええっ、まったくだよ!」
あなたは驚いて、大胆にも彼の胸元に手をぴたりと置いてみた。するとドクドクいっていた。
「わあっ、本当だね」
「でしょ? 恥ずかしいな」
彼も今は緊張がとけたのだろうか。
そのはにかむ笑顔を、ふと抱きしめたくなる。
母達はまだ帰って来なそうなので、代わりに彼の手をぎゅっと握った。
「大丈夫だよ、ヴィクトル最高!だよ」
「はは。嬉しいな、さっきのそれも。俺は密かにガッツポーズしてたからね」
「ふふふ」
そっと手を握り返されて、つかの間の二人きりの休憩時間、あなたも彼の隣でほっと一息つけていた。
それから母達がゆったり上機嫌に戻ってくる。
「ねえねえ、今イリスと話してたんだけど。もうそろそろ食事も終わっちゃうけど、まだちょっと遊びたくない?」
デザートが来そうな頃合いに、母が茶目っ気たっぷりに提案してきたので、あなたは嬉しくなった。
確かに皆の気持ちの高まりは途切れないし、二時間だけでは足りない気がする。
「いいね、ヴィクトルはどう?」
「うん、もちろん。まだまだこの四人でお話したいよね」
心から楽しんでいる表情でそう言ってくれたため、皆も乗り気で二次会へ行くことに決まった。
そして支度をしてレストランから出るとき、こんな場面が見られた。
母が先にお会計に行き、あとを追おうとしたヴィクトルはイリスに声をかけられる。
「いいのいいの。今日は私達の招待だからね、一緒にご馳走させて」
「えっ、いいんですか。でも僕もとても楽しませていただきました」
「嬉しいわーそう言ってくれて。けど今夜はまだこれからよ! 二人とも、カラオケバーなんてどうっ?」
それまでヴィクトルと一緒に恐縮して「ごちそうさま」とお辞儀していたあなたも、彼女の一言に衝撃を受けて顔を上げる。
「……えっ? カラオケバー? ちょ、むりむりむり! 私歌えないよ! 絶対無理!」
「ふふふ、知ってるわよ。別に雰囲気楽しむだけでいいんだから。ねえヴィクトルは行ったことある?」
「ありますよ」
「ええ! そうなのヴィクトル!」
「うん。ライブ感あって楽しいと思うよ。大丈夫、一緒に座って見てようか、名無しちゃん」
彼ににこっと微笑まれれば、もう行くしかない。
ヴィクトルはなんでも経験あってすごいなぁ……。
そんなふうに遠い目になりながらも、戻って来た笑顔の母も加わり、元気な大人達に連れられて、あなたは二次会へと足を運んだ。
――そこでちょっとした波乱があるとも知らずに。
