美オヤジを誘って囲われて救われる話
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クリスが玄関扉を開けると、そこにはピザの箱を抱えた大柄な男が立っていた。
同じ黄金色の髪をもつ屈強な体つきの男は、目を丸くしたまま固まっている。
「やあ兄貴! どう、僕変わっただろう!?」
「え……? おま、お前どうした、そんな急にあか抜けて!!」
「フフフ、名無しさんの魔法で僕は生まれ変わったのさ。さあ入りなよ、皆兄貴のことを待ってるよ」
美しくスタイリングされた髪と服装で、優雅にリビングに呼び込む。
二人目の客というのは、クリスの兄のフロリアンだったのだ。
にぎやかに入ってきた年の差の兄弟を、あなたとヴィクトルは立ち上がって迎えた。
フロリアンは白シャツにスラックスという休日の装いで、明るく手を上げて挨拶してきた。
「おお名無しさん! 元気だったかい? 会えて嬉しいよ!」
「私もです、こんにちはフロリアンさん! クリスマスぶりですね」
二人はがっちりと握手し再会を喜ぶ。
「忘年会での楽しそうな様子を皆から聞いてね。もう俺は悔しくて悔しくて。あいつら七人分の自慢が毎日この耳に呪詛のように流れ込んできて――」
「えええ、そんなに! かわいそう!」
「いや名無しちゃん、兄弟そろって大げさなやつらだからね。フロリアン、だから今日は四人で過ごせてよかっただろ?」
「ほんとそうだなヴィクトル! 名無しさん、うちのクリスが世話になったね。君は本当に凄いな。さっき弟が出てきたとき、あまりのハンサムぶりに一瞬家間違えたかと思っちゃったよ」
大口で笑うフロリアンに褒められ、あなたは嬉しさでいっぱいになる。
彼の人懐っこい笑顔で、緊張は瞬く間にほぐれていった。
「ていうかお前、特大ピザ三枚も買ってきたのか? 俺半分ぐらいしか食えないぞ」
「一枚は俺が食うんだよ。さあ皆、熱々だぞ! お腹すいただろう、早く食おう!」
「わーい!」
あなたとクリスは一緒になって喜び、揃って広い食卓についた。
なんだか空気感がさっきと変わり、大きな体のフロリアンを中心にして温まってくる。
彼は経営コンサルティング会社の社長なのだが、今日は完全に友人と家族の集まりのような雰囲気で、ゆったりくつろいでいた。
「美味しい~ピザ大好き!」
さっきまで集中モードだったこともあり、空腹に押されたあなたはぱくぱくと口に運ぶ。
三人の微笑ましい視線にも気づかないほどだ。
「嬉しいなあ。名無しさん結構食べるね。実は俺はね、いつも皆から買いすぎだって文句言われるんだ。でも多いほうがいいよね? 少ないより。だって喧嘩になっちゃうだろ?」
「そうですね。残ったらレンジすればいいし」
「そうそう! あ、ピザはオーブンのほうが美味いよ」
「そんなこと誰でも知ってるよ兄貴」
「こいつはピザにうるさいんだよクリス」
流れるような掛け合いに、あなたは食べながら吹き出しそうになる。
まじまじと男性三人を見ていると、久しぶりに集まったはずなのに、その空気は少しも変わっていないように感じた。
そんな中、あなたはふとヴィクトルの皿を見やった。するとピザはたくさん平らげたのだが、端にちょこんとキノコが残っている。
「え? なんか残ってるよヴィクトル」
「あ、ああ……ちょっと好きじゃなくて。これ」
彼が珍しく瞳をさっと逸らしたため、あなたは思わず顔を近づけた。
「そうなのっ? キノコ嫌いって知らなかったよ! 今まで普通に食べてたよねっ?」
「うん。食べれるよ。でもこのピザ屋のこの味が嫌なんだ」
彼はわずかに笑いをにじませながらも、真面目な顔で言い切った。あなたは初めて知る彼の情報に衝撃を受ける。
兄弟は黙って様子を見ていたが、太い腕を組んだフロリアンがおもむろに口を開いた。
「情けねえなぁ、そんぐらい食べろよヴィクトル」
「……ああ? お前の罠だろ、俺がこれ嫌いって知っててなんで入れるんだ! 彼女の前で格好悪い姿を晒したかったのか?」
「なんで俺がそんなことするんだ、さすがにもう食べれるんじゃないかと思って偶然入っちゃっただけだろう!」
「いやちょっと、喧嘩はやめてくださいよ。恥ずかしいでしょう40の大人が。しかもなんですかその幼稚な口論」
綺麗に食事を続けるクリスから冷静なツッコミが飛び、あなたはあたふたした。余計なことを言ったかもしれないと。
でももちろん二人は本気で喧嘩してるわけでなく、軽口の範囲である。
でもそんなことを知らないあなたは急いでキノコをフォークに刺し口に入れた。
「ま、まあまあ。もうなくなっちゃったよ。別に責めてないから私。びっくりしちゃっただけで。はいやめましょうね~二人とも」
そう言ってもぐもぐしていると、突然目の前の男三人は大きな声で笑いだした。その波のような声量にびくっとする。
「名無しちゃん、食べてくれたの? ごめんありがとう。いや本気で言い争ったわけじゃないからね、怖かった? ごめんね。……お前のせいだぞフロリアン!」
「なんだとっ? お前が好き嫌いあるのが悪いんだろ! 名無しさんが優しい女性でよかったな、食い物の好き嫌いはな、結婚生活において地味に蓄積していくんだよ! 俺の有益なアドバイスだぞ、よく聞いとけ!」
「だから普通のキノコは食べれるって言ってんだろ! お前は昔から好き嫌いにうるさすぎるんだよッ」
二人が生き生きとまた言い合いをしている。
そんな姿を前に、あなたはクリスをちらっと見た。彼は呆れ半分な顔で肩をすくめたが、あなたに申し訳なさそうに笑った。
「どうですか名無しさん。幻滅したのでは? これが25年来の男の親友同士の本当の姿です」
「あはは……いえいえ、幻滅なんてしませんよ。すごく面白いです。ヴィクトルのこんな姿初めて見ましたけど」
眺めていると、くすりと笑ってしまいながらも、どこか嬉しい気持ちになってくる。
どんな場面でも新しい彼の姿を見られることは、あなたにとって喜びに違いないのだ。
「でもあれですね。なんだかフロリアンさんって、やっぱりお父さんみたいだなぁ」
何気なく微笑みもらした言葉に、一瞬リビングがぴたったと止まり、静まり返った。
「えっ……? お父さん……?」
驚愕的な眼差しでテーブルごしに振り向いてきたのはフロリアンだ。
あなたはすぐに口を覆い失言を悟る。
「あっ!! 違います違います、温かい雰囲気とか皆をまとめる感じとか、いいなぁと思って口走っちゃっただけで! まったくそういう意味では!」
「いいじゃないですか名無しさん、だって本当にこの人お父さんですから」
くすくす楽しそうにクリスが笑ってくれるが、あなたの背には汗がだらりと流れる。
だがそんな空気を吹き飛ばすように、ヴィクトルの快活な笑い声が響き渡った。
「あっはっはっは! お父さんか、確かにな!」
「……おい。なんだその嬉しそうな顔は。名無しさん、一般的にってことだよね? 俺がもう男として終わったとかそういう意味じゃないよね?」
「もちろん違いますよ!! フロリアンさんはとても素敵で立派な恰好いい男性です、ねえヴィクトル!」
藁にもすがる思いで隣を見やると、彼は柔らかな顔つきで頷いてくれている。
「そうだよ。お前は俺が知る中でもっとも男らしい男の中の男だ、フロリアン。安心しろよ、……くくっ」
「なんか腹立つなお前。根に持ってるのか? ……まあいいか。ははっ、お父さんっていう言葉はな、褒め言葉だから。お前にはまだ足りない受容と包容力の塊ってことだ、わかったかヴィクトル」
「お前こそ引きずってるじゃないか。俺の親父みたいなこと言うなよ、まったく」
呆れたふうのヴィクトルだが、すぐに二人の間の空気はいつもの軽さを取り戻し、失敗したと思ったあなたも胸をなでおろした。
「はぁやばいやばい。気をつけないと」
こっそり息をついて落ち着くと、場の雰囲気を切り替えるように珈琲タイムを提案した。
そうして皆でソファへ移動する流れになった。
その後もわいわい会話が弾み、軽やかな冗談が飛び交う。
そんな中、クリスが突然あなたの近くにやって来た。
「名無しさん、今日は僕のコーディネートをこれだけ助けていただき、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません。あなたにお礼がしたいので、どうぞなんなりと」
「えええっ、全然大丈夫ですよ、私も心から楽しんじゃいましたし、とっても勉強になったので。何よりクリスさんが喜んでくれてとても嬉しいです。どうぞ気にしないでください」
すっかり外見に自信を持ってくれたクリスだが、変わらぬ丁寧さにあなたも同じように返す。
しかし彼はじっとあなたのことを見つめ、首を振った。
「いいえそんなわけにはいきませんよ。見てください今日の僕を。これだけ変わったのはあなたのおかげですからね」
「いやいや、クリスさんの生まれ持った存在感のおかげですよ。⋯あっそうだ、じゃあ今度カフェモカおごってください! 私好きなんです」
「そんなことでいいんですか、もちろんですよ。ではひとまずあなたのカフェモカは僕が担当しましょう。飲みたいときはいつでも呼んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
そんな二人のほのぼのとしたやり取りだが、実はすぐ近くでヴィクトルが体を傾けてじっと眺めていた。
彼の表情は普通だが、様子を見ていたフロリアンはどこか口元がわずかに動いている。
「ん? なんでしょうかヴィクトル。僕のことが気になりますか」
「いいや君じゃない。気にするな」
「おかしいですねえ。まさかこのイケメンに生まれ変わった僕のことが……あなたの脅威に映ってるんですか!?」
急に胸を張りだしてわざとらしく目を剥いた弟分の姿に、ヴィクトルは白けた顔をしていた。
「ははっ、どうして俺が君にそんなことを?」
「だって今日はやけにあなたの視線をひしひしと感じるんですよね。フフフ……これが男からの羨望の眼差し、モテるというやつなのか!」
「おい。お前の弟ちょっと調子乗りすぎじゃないか」
「乗らせてやれよ。お前相手にいい気になれる奴なんてそうそういないぞ」
フロリアンがさらりと答えると、顔を合わせた大人二人は、やがてくつくつと笑い出す。
近くで聞いていたあなたはどんな反応をしていいか分からず、照れながらヴィクトルに寄り添った。
「そうなの? ヴィクトル。ちょっと面白くなかったの?」
「うん? ちょびっとね。まあ君達が仲良くなるのは嬉しいよ。でも首はちゃんと掴んでおかないとな」
冗談ぽく言うヴィクトルにあなたの表情は驚きつつも緩んでいく。
彼の瞳は優しく、ともすると指先が伸びてきて頬をなでられそうな雰囲気だったが。
「あのー、仲良さそうなところちょっといいですか」
「なんだよまだ何かあるのか。もういいだろう今日は。楽しかったよな、クリス」
「ちょっと! 勝手に締めないでくださいよ! まだ名無しさんに見せたいものがあるんです」
「ああ?」
面倒くさそうに素を表すヴィクトルの前で、クリスはあなたにスマホを取り出してみせた。
「実は出張のとき、彼の写真をいろいろと撮ったんです。どうぞご覧ください」
「ええーっ!! ヴィクトルがいっぱいだ!! 格好いい~っ!」
あなたはすぐさま興奮して画面に前のめりになり、黄色い声を上げる。
するとヴィクトルは余裕のはずだった顔をさっと赤らめた。
「ちょっ、君そんなことをしていたのか?」
「ええ、同期のケイトから聞きましてね、名無しさんがあなたの写真をたいそう喜んでいたと。だから僕も送ろうかなって」
のほほんと告げる部下に対し、ヴィクトルは反応に困ったが、嬉しそうに写真に瞳を細めるあなたを見ていると、まあいいかという気になってくる。
「名無しちゃん、ほんとにこんなの良いの? ただ俺が何か食べたりぼうっとしたり、仕事してるシーンだよ」
「それがいいんだよ! 全部素敵だなあ〜っ。二人のときの写真と全然表情違うね。もっとクールな顔立ちっていうか」
「そりゃそうさ。君と一緒にいるのに、澄ました表情でいられるはずないでしょう。すぐにデレっとしちゃうよ、情けないけど」
人の目があるにも関わらず、二人は肩を寄せて親密に話している。
ヴィクトルの空気が一瞬で変わったのは、誰の目から見ても明らかだった。
そしてそれは、正面でゆったりと座るこの親友の瞳にも興味深く映っている。
隣に戻ってきたクリスも、その様子をしばらく一緒に見ていた。
「あいつ変わったよな」
「そうだね。よかったよね」
「ああ。幸せの真っ只中って顔してるよな。ずっと見ててもたぶん気づかないぞ」
兄の真面目な解説にクリスは肩をすくめて笑った。
身近な二人に密かに祝われていることも知らず、ヴィクトルはあなたに嬉しそうに寄り添っていた。
同じ黄金色の髪をもつ屈強な体つきの男は、目を丸くしたまま固まっている。
「やあ兄貴! どう、僕変わっただろう!?」
「え……? おま、お前どうした、そんな急にあか抜けて!!」
「フフフ、名無しさんの魔法で僕は生まれ変わったのさ。さあ入りなよ、皆兄貴のことを待ってるよ」
美しくスタイリングされた髪と服装で、優雅にリビングに呼び込む。
二人目の客というのは、クリスの兄のフロリアンだったのだ。
にぎやかに入ってきた年の差の兄弟を、あなたとヴィクトルは立ち上がって迎えた。
フロリアンは白シャツにスラックスという休日の装いで、明るく手を上げて挨拶してきた。
「おお名無しさん! 元気だったかい? 会えて嬉しいよ!」
「私もです、こんにちはフロリアンさん! クリスマスぶりですね」
二人はがっちりと握手し再会を喜ぶ。
「忘年会での楽しそうな様子を皆から聞いてね。もう俺は悔しくて悔しくて。あいつら七人分の自慢が毎日この耳に呪詛のように流れ込んできて――」
「えええ、そんなに! かわいそう!」
「いや名無しちゃん、兄弟そろって大げさなやつらだからね。フロリアン、だから今日は四人で過ごせてよかっただろ?」
「ほんとそうだなヴィクトル! 名無しさん、うちのクリスが世話になったね。君は本当に凄いな。さっき弟が出てきたとき、あまりのハンサムぶりに一瞬家間違えたかと思っちゃったよ」
大口で笑うフロリアンに褒められ、あなたは嬉しさでいっぱいになる。
彼の人懐っこい笑顔で、緊張は瞬く間にほぐれていった。
「ていうかお前、特大ピザ三枚も買ってきたのか? 俺半分ぐらいしか食えないぞ」
「一枚は俺が食うんだよ。さあ皆、熱々だぞ! お腹すいただろう、早く食おう!」
「わーい!」
あなたとクリスは一緒になって喜び、揃って広い食卓についた。
なんだか空気感がさっきと変わり、大きな体のフロリアンを中心にして温まってくる。
彼は経営コンサルティング会社の社長なのだが、今日は完全に友人と家族の集まりのような雰囲気で、ゆったりくつろいでいた。
「美味しい~ピザ大好き!」
さっきまで集中モードだったこともあり、空腹に押されたあなたはぱくぱくと口に運ぶ。
三人の微笑ましい視線にも気づかないほどだ。
「嬉しいなあ。名無しさん結構食べるね。実は俺はね、いつも皆から買いすぎだって文句言われるんだ。でも多いほうがいいよね? 少ないより。だって喧嘩になっちゃうだろ?」
「そうですね。残ったらレンジすればいいし」
「そうそう! あ、ピザはオーブンのほうが美味いよ」
「そんなこと誰でも知ってるよ兄貴」
「こいつはピザにうるさいんだよクリス」
流れるような掛け合いに、あなたは食べながら吹き出しそうになる。
まじまじと男性三人を見ていると、久しぶりに集まったはずなのに、その空気は少しも変わっていないように感じた。
そんな中、あなたはふとヴィクトルの皿を見やった。するとピザはたくさん平らげたのだが、端にちょこんとキノコが残っている。
「え? なんか残ってるよヴィクトル」
「あ、ああ……ちょっと好きじゃなくて。これ」
彼が珍しく瞳をさっと逸らしたため、あなたは思わず顔を近づけた。
「そうなのっ? キノコ嫌いって知らなかったよ! 今まで普通に食べてたよねっ?」
「うん。食べれるよ。でもこのピザ屋のこの味が嫌なんだ」
彼はわずかに笑いをにじませながらも、真面目な顔で言い切った。あなたは初めて知る彼の情報に衝撃を受ける。
兄弟は黙って様子を見ていたが、太い腕を組んだフロリアンがおもむろに口を開いた。
「情けねえなぁ、そんぐらい食べろよヴィクトル」
「……ああ? お前の罠だろ、俺がこれ嫌いって知っててなんで入れるんだ! 彼女の前で格好悪い姿を晒したかったのか?」
「なんで俺がそんなことするんだ、さすがにもう食べれるんじゃないかと思って偶然入っちゃっただけだろう!」
「いやちょっと、喧嘩はやめてくださいよ。恥ずかしいでしょう40の大人が。しかもなんですかその幼稚な口論」
綺麗に食事を続けるクリスから冷静なツッコミが飛び、あなたはあたふたした。余計なことを言ったかもしれないと。
でももちろん二人は本気で喧嘩してるわけでなく、軽口の範囲である。
でもそんなことを知らないあなたは急いでキノコをフォークに刺し口に入れた。
「ま、まあまあ。もうなくなっちゃったよ。別に責めてないから私。びっくりしちゃっただけで。はいやめましょうね~二人とも」
そう言ってもぐもぐしていると、突然目の前の男三人は大きな声で笑いだした。その波のような声量にびくっとする。
「名無しちゃん、食べてくれたの? ごめんありがとう。いや本気で言い争ったわけじゃないからね、怖かった? ごめんね。……お前のせいだぞフロリアン!」
「なんだとっ? お前が好き嫌いあるのが悪いんだろ! 名無しさんが優しい女性でよかったな、食い物の好き嫌いはな、結婚生活において地味に蓄積していくんだよ! 俺の有益なアドバイスだぞ、よく聞いとけ!」
「だから普通のキノコは食べれるって言ってんだろ! お前は昔から好き嫌いにうるさすぎるんだよッ」
二人が生き生きとまた言い合いをしている。
そんな姿を前に、あなたはクリスをちらっと見た。彼は呆れ半分な顔で肩をすくめたが、あなたに申し訳なさそうに笑った。
「どうですか名無しさん。幻滅したのでは? これが25年来の男の親友同士の本当の姿です」
「あはは……いえいえ、幻滅なんてしませんよ。すごく面白いです。ヴィクトルのこんな姿初めて見ましたけど」
眺めていると、くすりと笑ってしまいながらも、どこか嬉しい気持ちになってくる。
どんな場面でも新しい彼の姿を見られることは、あなたにとって喜びに違いないのだ。
「でもあれですね。なんだかフロリアンさんって、やっぱりお父さんみたいだなぁ」
何気なく微笑みもらした言葉に、一瞬リビングがぴたったと止まり、静まり返った。
「えっ……? お父さん……?」
驚愕的な眼差しでテーブルごしに振り向いてきたのはフロリアンだ。
あなたはすぐに口を覆い失言を悟る。
「あっ!! 違います違います、温かい雰囲気とか皆をまとめる感じとか、いいなぁと思って口走っちゃっただけで! まったくそういう意味では!」
「いいじゃないですか名無しさん、だって本当にこの人お父さんですから」
くすくす楽しそうにクリスが笑ってくれるが、あなたの背には汗がだらりと流れる。
だがそんな空気を吹き飛ばすように、ヴィクトルの快活な笑い声が響き渡った。
「あっはっはっは! お父さんか、確かにな!」
「……おい。なんだその嬉しそうな顔は。名無しさん、一般的にってことだよね? 俺がもう男として終わったとかそういう意味じゃないよね?」
「もちろん違いますよ!! フロリアンさんはとても素敵で立派な恰好いい男性です、ねえヴィクトル!」
藁にもすがる思いで隣を見やると、彼は柔らかな顔つきで頷いてくれている。
「そうだよ。お前は俺が知る中でもっとも男らしい男の中の男だ、フロリアン。安心しろよ、……くくっ」
「なんか腹立つなお前。根に持ってるのか? ……まあいいか。ははっ、お父さんっていう言葉はな、褒め言葉だから。お前にはまだ足りない受容と包容力の塊ってことだ、わかったかヴィクトル」
「お前こそ引きずってるじゃないか。俺の親父みたいなこと言うなよ、まったく」
呆れたふうのヴィクトルだが、すぐに二人の間の空気はいつもの軽さを取り戻し、失敗したと思ったあなたも胸をなでおろした。
「はぁやばいやばい。気をつけないと」
こっそり息をついて落ち着くと、場の雰囲気を切り替えるように珈琲タイムを提案した。
そうして皆でソファへ移動する流れになった。
その後もわいわい会話が弾み、軽やかな冗談が飛び交う。
そんな中、クリスが突然あなたの近くにやって来た。
「名無しさん、今日は僕のコーディネートをこれだけ助けていただき、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません。あなたにお礼がしたいので、どうぞなんなりと」
「えええっ、全然大丈夫ですよ、私も心から楽しんじゃいましたし、とっても勉強になったので。何よりクリスさんが喜んでくれてとても嬉しいです。どうぞ気にしないでください」
すっかり外見に自信を持ってくれたクリスだが、変わらぬ丁寧さにあなたも同じように返す。
しかし彼はじっとあなたのことを見つめ、首を振った。
「いいえそんなわけにはいきませんよ。見てください今日の僕を。これだけ変わったのはあなたのおかげですからね」
「いやいや、クリスさんの生まれ持った存在感のおかげですよ。⋯あっそうだ、じゃあ今度カフェモカおごってください! 私好きなんです」
「そんなことでいいんですか、もちろんですよ。ではひとまずあなたのカフェモカは僕が担当しましょう。飲みたいときはいつでも呼んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
そんな二人のほのぼのとしたやり取りだが、実はすぐ近くでヴィクトルが体を傾けてじっと眺めていた。
彼の表情は普通だが、様子を見ていたフロリアンはどこか口元がわずかに動いている。
「ん? なんでしょうかヴィクトル。僕のことが気になりますか」
「いいや君じゃない。気にするな」
「おかしいですねえ。まさかこのイケメンに生まれ変わった僕のことが……あなたの脅威に映ってるんですか!?」
急に胸を張りだしてわざとらしく目を剥いた弟分の姿に、ヴィクトルは白けた顔をしていた。
「ははっ、どうして俺が君にそんなことを?」
「だって今日はやけにあなたの視線をひしひしと感じるんですよね。フフフ……これが男からの羨望の眼差し、モテるというやつなのか!」
「おい。お前の弟ちょっと調子乗りすぎじゃないか」
「乗らせてやれよ。お前相手にいい気になれる奴なんてそうそういないぞ」
フロリアンがさらりと答えると、顔を合わせた大人二人は、やがてくつくつと笑い出す。
近くで聞いていたあなたはどんな反応をしていいか分からず、照れながらヴィクトルに寄り添った。
「そうなの? ヴィクトル。ちょっと面白くなかったの?」
「うん? ちょびっとね。まあ君達が仲良くなるのは嬉しいよ。でも首はちゃんと掴んでおかないとな」
冗談ぽく言うヴィクトルにあなたの表情は驚きつつも緩んでいく。
彼の瞳は優しく、ともすると指先が伸びてきて頬をなでられそうな雰囲気だったが。
「あのー、仲良さそうなところちょっといいですか」
「なんだよまだ何かあるのか。もういいだろう今日は。楽しかったよな、クリス」
「ちょっと! 勝手に締めないでくださいよ! まだ名無しさんに見せたいものがあるんです」
「ああ?」
面倒くさそうに素を表すヴィクトルの前で、クリスはあなたにスマホを取り出してみせた。
「実は出張のとき、彼の写真をいろいろと撮ったんです。どうぞご覧ください」
「ええーっ!! ヴィクトルがいっぱいだ!! 格好いい~っ!」
あなたはすぐさま興奮して画面に前のめりになり、黄色い声を上げる。
するとヴィクトルは余裕のはずだった顔をさっと赤らめた。
「ちょっ、君そんなことをしていたのか?」
「ええ、同期のケイトから聞きましてね、名無しさんがあなたの写真をたいそう喜んでいたと。だから僕も送ろうかなって」
のほほんと告げる部下に対し、ヴィクトルは反応に困ったが、嬉しそうに写真に瞳を細めるあなたを見ていると、まあいいかという気になってくる。
「名無しちゃん、ほんとにこんなの良いの? ただ俺が何か食べたりぼうっとしたり、仕事してるシーンだよ」
「それがいいんだよ! 全部素敵だなあ〜っ。二人のときの写真と全然表情違うね。もっとクールな顔立ちっていうか」
「そりゃそうさ。君と一緒にいるのに、澄ました表情でいられるはずないでしょう。すぐにデレっとしちゃうよ、情けないけど」
人の目があるにも関わらず、二人は肩を寄せて親密に話している。
ヴィクトルの空気が一瞬で変わったのは、誰の目から見ても明らかだった。
そしてそれは、正面でゆったりと座るこの親友の瞳にも興味深く映っている。
隣に戻ってきたクリスも、その様子をしばらく一緒に見ていた。
「あいつ変わったよな」
「そうだね。よかったよね」
「ああ。幸せの真っ只中って顔してるよな。ずっと見ててもたぶん気づかないぞ」
兄の真面目な解説にクリスは肩をすくめて笑った。
身近な二人に密かに祝われていることも知らず、ヴィクトルはあなたに嬉しそうに寄り添っていた。
