美オヤジを誘って囲われて救われる話
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12月の半ば、ヴィクトルはオフィスで電話をしていた。相手は彼が若い頃にプロジェクトを担当した他国の企業幹部だ。
会社との取引が終了しても個人的な付き合いを続けており、こうして年末には挨拶を交わしている。
「――そうなんですよ。僕もついに大切なパートナーを見つけましてね。とっても可愛らしい方ですよ。ええ、もちろん。また休暇のときにぜひ遊びに行きます。奥様にもよろしくお伝えください。はい、では良いクリスマスを」
にこやかに相槌を打ちながら、爽やかな気分で通話を終える。
たとえ仕事中でも、いまや婚約者となったあなたについて話すとき、彼の胸には不思議なくらい穏やかで幸せな気分をもたらした。
ガラス窓の高層ビルを背に立っていた彼は、広いデスク前に腰を落ち着ける。
背もたれに深く座ったあと、写真立てを見つめた。
あなたの誕生日旅行の際、二人で雪山をバックに撮った思い出の写真だ。
ヴィクトルの変化は大きく、こんなふうに恋人や家族の写真をオフィスに置くタイプではなかった。どちらかといえば、公私の境界をはっきり分ける男である。
しかし今、彼は格式張った高級デスクの引き出しを開け、ガラスボウルに入った焼き菓子を取り出す。
それを目の前に堂々と置いて、幸せそうに目を細めている。
「ああ、珈琲を入れ直さないとな」
そう言って立ち上がろうとしたが、ちょうど同じタイミングでドアが無造作に叩かれた。
ヴィクトルはわずかに眉をひそめ、容器をまた棚にしまおうとした。
しかし外からかっちりスーツの筋肉質な金髪男が入ってきた。珈琲入りの袋を抱えて。
「よお! 休憩しようぜ。最近お前外に出てこねえじゃねえか――あれ? なんだそれ、クッキーか?」
一番見つかりたくない相手に見つかり、ヴィクトルはあからさまな顔をする。
「マックス。ドアを叩くと同時に入ってきたら意味ないだろう。俺が着替えていたらどうするんだ?」
「どうもしねえよ気持ちわりぃ。つうか何隠してんだよ、それまさか名無しちゃんが作ったのか?」
彼はからかうような声音で近づいてきて、珈琲をデスクに無理やり置くとガラス容器を覗き込んだ。
「うおっ、すげえ。美味そう〜。一口くれよ」
「あっやめろっ」
二人とも40になる男なのだが、この時期に見る家庭のクリスマスクッキーは童心を蘇らせる。
「うまっ! 誰だよこれ作ったの!」
「名無しちゃんだ! おいほんとにやめろ、これは俺達の婚約の証なんだぞ!」
「何を言ってるんだお前は」
悪友でもある同僚は良い音を出しながらクッキーをむさぼる。
ヴィクトルは脱力してその光景を眺めた。
クッキーは何種類もあり、あなたが丹精込めて焼いてプレゼントしたものである。
自身もこの間初めてケーキを彼女に贈ったが、これほど精巧で味わい深い菓子を焼いてくれたあなたに、彼は尊敬と感謝の念が絶えなかった。
しかもこれは、勝手に自分があなたからの「婚約の証」だと決めた特別なものなのだ。
彼女は「大事な人への冬の贈り物だよ。ヴィクトルのはすごい張り切っちゃったけど」と笑っていたが。
「それをお前……ありえないぞ。いつか地獄に落ちるだろうよ」
「やめろよクリスマス前に、縁起でもねえな。まだこんなにあるんだからいいじゃねえか」
「これは仕事中に食べるんだよ。家に同じぐらいある」
「はぁ? 作りすぎだろ、実家のお袋かよ! まあでもわかるぜ、すぐなくなるもんな、このペースじゃ」
「もう食うな!」
まるで大人に思えないやり取りだが、二人の攻防は続いた。
しかしヴィクトルの悪夢はここからだった。
時刻はちょうど午後三時頃で、本社にいる幹部らはなぜか手の空いたタイミングが重なったのか、国際事業部長のヴィクトルの部屋に集まってきた。
「――ヴィクトル、入るよ? ねえねえ最近結婚したんだって? どんな人?」
間違ったことを言いながら現れたのは、彼らの中では小柄で細身の男だ。
柔らかな茶髪に童顔な顔立ちの彼はミロといい、人事部長を兼任している取締役の一人でもある。
「おっ、何食べてんの? 俺もちょうだいよ」
「ちょっ、おいお前までやめろ」
すでに開けられていたガラス容器に手を伸ばし、ぱくっと口に入れられてヴィクトルはもう諦めた。
彼もすぐに表情を明るくし「うーん美味しいなぁ〜」と感動している。
大学時代のボート部の面々は、毎日のトレーニング後によく皆で食事をしたり、果物や甘いものも食べたりするのが日課だったため、懐かしい光景だ。
「一人2枚までにしてくれ頼む」
「もう食べちゃったよ、あとこれだけ」
小柄なミロはチームの先頭ポジションで、様々な指示を行う試合中は人が変わったかと思えるぐらい牽引力を発揮する人物だった。
その時の名残なのかヴィクトルはあまり強く言えないのだ。
そのあと、また一人、二人と幹部がやって来た。
会計を担う財務部長のエリオ、そして強面で寡黙な法務部長のアンドレイだ。
彼は体格が社長のフロリアンと同じぐらいよく、肉厚で長身である。格闘技の選手と見間違えるほどだった。
「どうして皆して俺の部屋に集まってくるんだ!? どこでこのクッキーのことを聞きつけた!」
「ヴィクトル、どうしたんだい。俺達はただ婚約祝いの言葉を伝えようとしただけだが」
「お前たち、何か食ってるのか。……クッキーか。どれ」
二人も近寄ってきて、デスク周りを大きな男達が囲んだ。
でかい手のひらが伸びてきて、あっという間に容器の中が減っていく。
恋人の焼き菓子が美味いと褒められ気に入られるのは誇らしく、嬉しいことだ。
きっとあなたも喜んでくれることだろう。
しかしそれよりもヴィクトルは、自分の大切な取り分がみるみるなくなっていく事にショックを隠せなかった。
「もういい……好きにしろ。俺はまだ家にあるから」
「よっしゃ! おいお前ら、全部食っていいってよ!」
「やめとけよマックス、さすがに俺もそこまで厚かましくないって。ねえエリオ。あ、ほんとは一人2枚までだって」
「君はもうそれ以上食べてないか? ミロ」
「だって美味しいじゃないか。うちはもう作らないしさ」
ミロが淋しげに家庭のことをもらしながらまた一つ嬉しそうに味わっている。
寡黙なアンドレイも黙々と食していた。
この中ではミロだけが家庭持ちで、他には社長のフロリアンもだ。その他は皆独身である。
ヴィクトルは急にいたたまれない気持ちになった。普段は飄々として簡単には本心も見せない彼だが、昔からの仲間に対しては熱いところがある。
「……仕方ないな。なんだか俺もお前達が可哀想になってきたよ。さあ思う存分食え。きっと名無しちゃんも許してくれるだろう」
「オイお前今俺らを憐れんだな? 言っとくけどお前もまだ独身だからな? つうかな、結婚なんて墓場なんだよ! ミロを見ろ、ミロを!」
「なんだよ俺だって幸せだよ。ただちょっと子供の手がかかって二人のゆとりがないだけから。俺の奥さんだって優しいぞ、いつも昼のサンドイッチ詰めてくれるんだから。まあ家事はほぼ俺担当だけどな〜」
そんな惚気を聞いたヴィクトルもエリオも「十分幸せだ」と頷いていた。
そして最後に意外な人物が部屋に現れる。
「ヴィクトル、失礼します」
「ああ、君か。どうぞ」
小柄でふくよかな女性秘書だ。年齢は彼より一回りほど上で、長年の付き合いがある。
「あら珍しい。皆さんお揃いで」
彼女は幹部の面々に驚きながらも、手短にこれからの予定を伝えた。
「君も一緒にどうだい? スザンヌ」
「いいんですか」
「もちろん。君は俺たちの大事な仕事仲間だからね」
甘いもの好きな彼女は菓子の飾りを褒めたあと、一枚を美味しそうに頬張った。星型の白いシナモンクッキーだ。
「美味しいわぁ。ヴィクトルは幸せですね。こんなに素敵なものをプレゼントしてもらえて。お話聞かせて頂いただけですけど、名無しさんのお人柄が出てる気がします。丁寧で色とりどり、味もスパイスがしっかり効いてきて」
両者に面識はないが、ヴィクトルはすでにあなたの話をしていた。彼も彼女の夫をよく知っているし、婚約をしたということは、これから長い付き合いになるだろうからだ。
「そうだろう? ああ、君のように味わいを分かち合える人がいてくれて嬉しいよ」
ヴィクトルは彼女の微笑みと全てに共感できるコメントに救われた。
ほぼ食べ尽くされたクッキーに寂しさは湧いたものの、きっとあなたなら喜んでくれるだろうと信じたのだった。
ーーー
次の予定が終わり、ヴィクトルは夕方にもまだ社内にいた。
一人で廊下を歩いていて、先ほど皆とした会話を反芻する。
彼らが気になるのは婚約者となったあなたのことで、長年独身で仕事人間だったヴィクトルが関心を持たれるのは自然なことだった。
そしてヴィクトルがなにより最近驚いたのは、あなたが会社のクリスマスパーティーに参加したいと言ったことだ。
婚約を経たことと、これまでのやり取りから彼女の心境が変化したのだろうか。
当然無理をしてるのではという心配もあり、ヴィクトルは気遣ったが、あなたが前向きな気持ちを教えてくれたため、今は二人一緒に公の場に出ることをある意味高揚した気分で待っている。
(だが、あいつらに会わせて大丈夫だろうか。あの男くさい威圧感と押しの強さに、引かれそうだよな……)
彼はビジネスマンらしい颯爽とした佇まいの中でも、時折立ち止まりそんなことを考えたりした。
その時だ。突然後ろから甲高い声で話しかけられたのは。
「部長。ちょっとよろしいですか?」
突き当りに窓がある誰もいない廊下で振り向くと、女性社員が立っていた。オフィス向けの淡色の清楚なワンピースを着て、両手を前に紙袋を下げている。
彼女は確か営業部のミーガン・ホランドだ。この間の週末に、ケーキ店で他の女性社員と一緒にいた人物だと思い出す。
メイクもセミロングの黒髪もきちんと整えられ、頬には薄紅を浮かべていた。
「やあ、大丈夫だよ。どうしたんだい」
ヴィクトルは微笑み正面を向く。
彼女はクリスマスやパーティーに関する世間話をしたあと、紙袋からあるものを取り出した。
「あの、これ……部長に渡したくて。クリスマスクッキーを焼いたんです。よかったら受け取っていただけませんか?」
女性らしい声音で少し恥じらいながら、差し出されたのは美しくラッピングされた箱入りの焼き菓子だった。完成度も非常に高く、見るからに美味しそうだ。
社内とはいえ二人きりの状態で頬を赤らめ、上目遣いで見上げられれば舞い上がらない男はそういない。
しかしヴィクトルはそれをじっと見つめたあと、苦笑した。
「ごめんね。社員からの個人的な贈り物は受け取らないことにしてるんだ。申し訳ないけど」
柔らかな表情でそう断ると、彼女は一瞬だけ驚きに眉をしかめた。
「いえ、でも季節的な贈り物ですから。深い意味はないんです」
「そうなのかい? じゃあ俺だけってわけではないのかな」
「あっ……! ヴィクトルだけです……他の人にはもちろん渡しませんよ」
彼女は恥ずかしそうに下を向き、初めて彼の名を呼んだ。
下の名を呼び合うのは会社でもある程度の付き合いがある者同士だけだ。
ヴィクトルは軽く顎を触り、表情は穏やかなままで口を開く。
「それは困るねえ。君と俺は部門が違うし、直接の上司と部下の関係でもないから。悪いけれど社内規則をもう一度確認してほしい。でも気持ちは嬉しかったよ、ありがとうね」
そう言って彼は軽やかに会話を終わらせた。
彼女は口をつぐんでその場に立っていたが、彼が去ろうとするとスーツの背に声をかける。
「部長!」
「なんだい?」
「もしかして、他の女性からの贈り物なんてもらったら、彼女さんが嫉妬しちゃうからですか? でも、とっても優しそうな方に見えましたけど」
ミーガンはにこりと笑顔を浮かべ、そう尋ねた。
ヴィクトルはあなたの話題が出たことで、完全に意識を変える。
彼女に振り向いて考える素振りをしたあと、彼も極上の笑みを浮かべた。
「そうだなぁ。そんな姿も見れたら嬉しいけど、考えたら駄目だよな。彼女を困らせたらかわいそうだ。興味深い意見ありがとう、ホランド君」
愛想よく微笑んだ彼は後ろ手にひらひらと手を振る。
残されたのは悔しそうに立ち尽くす若い女性社員の姿だった。
それからヴィクトルは自分のオフィスへ戻る前に、彼女より先に営業部の階へと階段を下りていく。
廊下の角を曲がり歩みを進めると、ちょうどトイレへ入っていく金髪の男を見つけた。
ヴィクトルは彼に続いて中へ入った。
用を足し始めているその筋肉質なスーツ男の横に並び、無遠慮に話しかけた。
「おいマックス」
「あぁッ! なんだよお前かよ! なんでこの階にいるんだよ!」
大げさに驚いた同僚を見るヴィクトルは不機嫌な顔つきだ。
彼はさっき起きたことを簡潔に伝えた。面倒を避けるためというよりは、注意喚起の意図である。
「え、あいつが? へえ、お前のことが好きだったのか」
「さあな。お前の直属の部下だろう? きちんと指導をしておけよ。俺は世代の離れた部署も異なる幹部だぞ」
つまり普段ほぼ話したこともなければ、社内での間接的な接点もない社員である。
「可哀想に、もらってやれよそんぐらい」
「いいや。俺は昔からこうしてきたんだ」
「そうかよ、見た目に反してお堅い奴だよな。でもよヴィクトル。……あいつ、結構可愛くね?」
いやらしい目つきで顔を近づけられ、彼はうんざりした。
それから鏡の前に移り、ニヤニヤした顔の男と仏頂面の男が並ぶ。
「お前、女性社員をそういう目で見るんじゃない」
「見てねえって。ここにいる女なんてごめんだよ、男に勝とうとする奴ばっか」
舌に指を入れて下品に吐くポーズをする男に、ヴィクトルは呆れた眼差しを向けた。
「とにかくな、お前の頑固な精神はテコでも動かないって俺らはよく知っている。安心しろ、誰も浮気なんて疑わねえって」
「なんの話だ? 俺には何の問題もない。勝手に変な妄想をするな。そして面白がって周りに言いふらすなよ」
「しねえよ! ガキか俺は。営業は信用が命なんだぞ」
ヴィクトルは確かにこんなくだらない中学生のような会話になってしまったことを後悔する。
しかし彼の見立てに反して、この先何も起こらないということもまたないのであった。
会社との取引が終了しても個人的な付き合いを続けており、こうして年末には挨拶を交わしている。
「――そうなんですよ。僕もついに大切なパートナーを見つけましてね。とっても可愛らしい方ですよ。ええ、もちろん。また休暇のときにぜひ遊びに行きます。奥様にもよろしくお伝えください。はい、では良いクリスマスを」
にこやかに相槌を打ちながら、爽やかな気分で通話を終える。
たとえ仕事中でも、いまや婚約者となったあなたについて話すとき、彼の胸には不思議なくらい穏やかで幸せな気分をもたらした。
ガラス窓の高層ビルを背に立っていた彼は、広いデスク前に腰を落ち着ける。
背もたれに深く座ったあと、写真立てを見つめた。
あなたの誕生日旅行の際、二人で雪山をバックに撮った思い出の写真だ。
ヴィクトルの変化は大きく、こんなふうに恋人や家族の写真をオフィスに置くタイプではなかった。どちらかといえば、公私の境界をはっきり分ける男である。
しかし今、彼は格式張った高級デスクの引き出しを開け、ガラスボウルに入った焼き菓子を取り出す。
それを目の前に堂々と置いて、幸せそうに目を細めている。
「ああ、珈琲を入れ直さないとな」
そう言って立ち上がろうとしたが、ちょうど同じタイミングでドアが無造作に叩かれた。
ヴィクトルはわずかに眉をひそめ、容器をまた棚にしまおうとした。
しかし外からかっちりスーツの筋肉質な金髪男が入ってきた。珈琲入りの袋を抱えて。
「よお! 休憩しようぜ。最近お前外に出てこねえじゃねえか――あれ? なんだそれ、クッキーか?」
一番見つかりたくない相手に見つかり、ヴィクトルはあからさまな顔をする。
「マックス。ドアを叩くと同時に入ってきたら意味ないだろう。俺が着替えていたらどうするんだ?」
「どうもしねえよ気持ちわりぃ。つうか何隠してんだよ、それまさか名無しちゃんが作ったのか?」
彼はからかうような声音で近づいてきて、珈琲をデスクに無理やり置くとガラス容器を覗き込んだ。
「うおっ、すげえ。美味そう〜。一口くれよ」
「あっやめろっ」
二人とも40になる男なのだが、この時期に見る家庭のクリスマスクッキーは童心を蘇らせる。
「うまっ! 誰だよこれ作ったの!」
「名無しちゃんだ! おいほんとにやめろ、これは俺達の婚約の証なんだぞ!」
「何を言ってるんだお前は」
悪友でもある同僚は良い音を出しながらクッキーをむさぼる。
ヴィクトルは脱力してその光景を眺めた。
クッキーは何種類もあり、あなたが丹精込めて焼いてプレゼントしたものである。
自身もこの間初めてケーキを彼女に贈ったが、これほど精巧で味わい深い菓子を焼いてくれたあなたに、彼は尊敬と感謝の念が絶えなかった。
しかもこれは、勝手に自分があなたからの「婚約の証」だと決めた特別なものなのだ。
彼女は「大事な人への冬の贈り物だよ。ヴィクトルのはすごい張り切っちゃったけど」と笑っていたが。
「それをお前……ありえないぞ。いつか地獄に落ちるだろうよ」
「やめろよクリスマス前に、縁起でもねえな。まだこんなにあるんだからいいじゃねえか」
「これは仕事中に食べるんだよ。家に同じぐらいある」
「はぁ? 作りすぎだろ、実家のお袋かよ! まあでもわかるぜ、すぐなくなるもんな、このペースじゃ」
「もう食うな!」
まるで大人に思えないやり取りだが、二人の攻防は続いた。
しかしヴィクトルの悪夢はここからだった。
時刻はちょうど午後三時頃で、本社にいる幹部らはなぜか手の空いたタイミングが重なったのか、国際事業部長のヴィクトルの部屋に集まってきた。
「――ヴィクトル、入るよ? ねえねえ最近結婚したんだって? どんな人?」
間違ったことを言いながら現れたのは、彼らの中では小柄で細身の男だ。
柔らかな茶髪に童顔な顔立ちの彼はミロといい、人事部長を兼任している取締役の一人でもある。
「おっ、何食べてんの? 俺もちょうだいよ」
「ちょっ、おいお前までやめろ」
すでに開けられていたガラス容器に手を伸ばし、ぱくっと口に入れられてヴィクトルはもう諦めた。
彼もすぐに表情を明るくし「うーん美味しいなぁ〜」と感動している。
大学時代のボート部の面々は、毎日のトレーニング後によく皆で食事をしたり、果物や甘いものも食べたりするのが日課だったため、懐かしい光景だ。
「一人2枚までにしてくれ頼む」
「もう食べちゃったよ、あとこれだけ」
小柄なミロはチームの先頭ポジションで、様々な指示を行う試合中は人が変わったかと思えるぐらい牽引力を発揮する人物だった。
その時の名残なのかヴィクトルはあまり強く言えないのだ。
そのあと、また一人、二人と幹部がやって来た。
会計を担う財務部長のエリオ、そして強面で寡黙な法務部長のアンドレイだ。
彼は体格が社長のフロリアンと同じぐらいよく、肉厚で長身である。格闘技の選手と見間違えるほどだった。
「どうして皆して俺の部屋に集まってくるんだ!? どこでこのクッキーのことを聞きつけた!」
「ヴィクトル、どうしたんだい。俺達はただ婚約祝いの言葉を伝えようとしただけだが」
「お前たち、何か食ってるのか。……クッキーか。どれ」
二人も近寄ってきて、デスク周りを大きな男達が囲んだ。
でかい手のひらが伸びてきて、あっという間に容器の中が減っていく。
恋人の焼き菓子が美味いと褒められ気に入られるのは誇らしく、嬉しいことだ。
きっとあなたも喜んでくれることだろう。
しかしそれよりもヴィクトルは、自分の大切な取り分がみるみるなくなっていく事にショックを隠せなかった。
「もういい……好きにしろ。俺はまだ家にあるから」
「よっしゃ! おいお前ら、全部食っていいってよ!」
「やめとけよマックス、さすがに俺もそこまで厚かましくないって。ねえエリオ。あ、ほんとは一人2枚までだって」
「君はもうそれ以上食べてないか? ミロ」
「だって美味しいじゃないか。うちはもう作らないしさ」
ミロが淋しげに家庭のことをもらしながらまた一つ嬉しそうに味わっている。
寡黙なアンドレイも黙々と食していた。
この中ではミロだけが家庭持ちで、他には社長のフロリアンもだ。その他は皆独身である。
ヴィクトルは急にいたたまれない気持ちになった。普段は飄々として簡単には本心も見せない彼だが、昔からの仲間に対しては熱いところがある。
「……仕方ないな。なんだか俺もお前達が可哀想になってきたよ。さあ思う存分食え。きっと名無しちゃんも許してくれるだろう」
「オイお前今俺らを憐れんだな? 言っとくけどお前もまだ独身だからな? つうかな、結婚なんて墓場なんだよ! ミロを見ろ、ミロを!」
「なんだよ俺だって幸せだよ。ただちょっと子供の手がかかって二人のゆとりがないだけから。俺の奥さんだって優しいぞ、いつも昼のサンドイッチ詰めてくれるんだから。まあ家事はほぼ俺担当だけどな〜」
そんな惚気を聞いたヴィクトルもエリオも「十分幸せだ」と頷いていた。
そして最後に意外な人物が部屋に現れる。
「ヴィクトル、失礼します」
「ああ、君か。どうぞ」
小柄でふくよかな女性秘書だ。年齢は彼より一回りほど上で、長年の付き合いがある。
「あら珍しい。皆さんお揃いで」
彼女は幹部の面々に驚きながらも、手短にこれからの予定を伝えた。
「君も一緒にどうだい? スザンヌ」
「いいんですか」
「もちろん。君は俺たちの大事な仕事仲間だからね」
甘いもの好きな彼女は菓子の飾りを褒めたあと、一枚を美味しそうに頬張った。星型の白いシナモンクッキーだ。
「美味しいわぁ。ヴィクトルは幸せですね。こんなに素敵なものをプレゼントしてもらえて。お話聞かせて頂いただけですけど、名無しさんのお人柄が出てる気がします。丁寧で色とりどり、味もスパイスがしっかり効いてきて」
両者に面識はないが、ヴィクトルはすでにあなたの話をしていた。彼も彼女の夫をよく知っているし、婚約をしたということは、これから長い付き合いになるだろうからだ。
「そうだろう? ああ、君のように味わいを分かち合える人がいてくれて嬉しいよ」
ヴィクトルは彼女の微笑みと全てに共感できるコメントに救われた。
ほぼ食べ尽くされたクッキーに寂しさは湧いたものの、きっとあなたなら喜んでくれるだろうと信じたのだった。
ーーー
次の予定が終わり、ヴィクトルは夕方にもまだ社内にいた。
一人で廊下を歩いていて、先ほど皆とした会話を反芻する。
彼らが気になるのは婚約者となったあなたのことで、長年独身で仕事人間だったヴィクトルが関心を持たれるのは自然なことだった。
そしてヴィクトルがなにより最近驚いたのは、あなたが会社のクリスマスパーティーに参加したいと言ったことだ。
婚約を経たことと、これまでのやり取りから彼女の心境が変化したのだろうか。
当然無理をしてるのではという心配もあり、ヴィクトルは気遣ったが、あなたが前向きな気持ちを教えてくれたため、今は二人一緒に公の場に出ることをある意味高揚した気分で待っている。
(だが、あいつらに会わせて大丈夫だろうか。あの男くさい威圧感と押しの強さに、引かれそうだよな……)
彼はビジネスマンらしい颯爽とした佇まいの中でも、時折立ち止まりそんなことを考えたりした。
その時だ。突然後ろから甲高い声で話しかけられたのは。
「部長。ちょっとよろしいですか?」
突き当りに窓がある誰もいない廊下で振り向くと、女性社員が立っていた。オフィス向けの淡色の清楚なワンピースを着て、両手を前に紙袋を下げている。
彼女は確か営業部のミーガン・ホランドだ。この間の週末に、ケーキ店で他の女性社員と一緒にいた人物だと思い出す。
メイクもセミロングの黒髪もきちんと整えられ、頬には薄紅を浮かべていた。
「やあ、大丈夫だよ。どうしたんだい」
ヴィクトルは微笑み正面を向く。
彼女はクリスマスやパーティーに関する世間話をしたあと、紙袋からあるものを取り出した。
「あの、これ……部長に渡したくて。クリスマスクッキーを焼いたんです。よかったら受け取っていただけませんか?」
女性らしい声音で少し恥じらいながら、差し出されたのは美しくラッピングされた箱入りの焼き菓子だった。完成度も非常に高く、見るからに美味しそうだ。
社内とはいえ二人きりの状態で頬を赤らめ、上目遣いで見上げられれば舞い上がらない男はそういない。
しかしヴィクトルはそれをじっと見つめたあと、苦笑した。
「ごめんね。社員からの個人的な贈り物は受け取らないことにしてるんだ。申し訳ないけど」
柔らかな表情でそう断ると、彼女は一瞬だけ驚きに眉をしかめた。
「いえ、でも季節的な贈り物ですから。深い意味はないんです」
「そうなのかい? じゃあ俺だけってわけではないのかな」
「あっ……! ヴィクトルだけです……他の人にはもちろん渡しませんよ」
彼女は恥ずかしそうに下を向き、初めて彼の名を呼んだ。
下の名を呼び合うのは会社でもある程度の付き合いがある者同士だけだ。
ヴィクトルは軽く顎を触り、表情は穏やかなままで口を開く。
「それは困るねえ。君と俺は部門が違うし、直接の上司と部下の関係でもないから。悪いけれど社内規則をもう一度確認してほしい。でも気持ちは嬉しかったよ、ありがとうね」
そう言って彼は軽やかに会話を終わらせた。
彼女は口をつぐんでその場に立っていたが、彼が去ろうとするとスーツの背に声をかける。
「部長!」
「なんだい?」
「もしかして、他の女性からの贈り物なんてもらったら、彼女さんが嫉妬しちゃうからですか? でも、とっても優しそうな方に見えましたけど」
ミーガンはにこりと笑顔を浮かべ、そう尋ねた。
ヴィクトルはあなたの話題が出たことで、完全に意識を変える。
彼女に振り向いて考える素振りをしたあと、彼も極上の笑みを浮かべた。
「そうだなぁ。そんな姿も見れたら嬉しいけど、考えたら駄目だよな。彼女を困らせたらかわいそうだ。興味深い意見ありがとう、ホランド君」
愛想よく微笑んだ彼は後ろ手にひらひらと手を振る。
残されたのは悔しそうに立ち尽くす若い女性社員の姿だった。
それからヴィクトルは自分のオフィスへ戻る前に、彼女より先に営業部の階へと階段を下りていく。
廊下の角を曲がり歩みを進めると、ちょうどトイレへ入っていく金髪の男を見つけた。
ヴィクトルは彼に続いて中へ入った。
用を足し始めているその筋肉質なスーツ男の横に並び、無遠慮に話しかけた。
「おいマックス」
「あぁッ! なんだよお前かよ! なんでこの階にいるんだよ!」
大げさに驚いた同僚を見るヴィクトルは不機嫌な顔つきだ。
彼はさっき起きたことを簡潔に伝えた。面倒を避けるためというよりは、注意喚起の意図である。
「え、あいつが? へえ、お前のことが好きだったのか」
「さあな。お前の直属の部下だろう? きちんと指導をしておけよ。俺は世代の離れた部署も異なる幹部だぞ」
つまり普段ほぼ話したこともなければ、社内での間接的な接点もない社員である。
「可哀想に、もらってやれよそんぐらい」
「いいや。俺は昔からこうしてきたんだ」
「そうかよ、見た目に反してお堅い奴だよな。でもよヴィクトル。……あいつ、結構可愛くね?」
いやらしい目つきで顔を近づけられ、彼はうんざりした。
それから鏡の前に移り、ニヤニヤした顔の男と仏頂面の男が並ぶ。
「お前、女性社員をそういう目で見るんじゃない」
「見てねえって。ここにいる女なんてごめんだよ、男に勝とうとする奴ばっか」
舌に指を入れて下品に吐くポーズをする男に、ヴィクトルは呆れた眼差しを向けた。
「とにかくな、お前の頑固な精神はテコでも動かないって俺らはよく知っている。安心しろ、誰も浮気なんて疑わねえって」
「なんの話だ? 俺には何の問題もない。勝手に変な妄想をするな。そして面白がって周りに言いふらすなよ」
「しねえよ! ガキか俺は。営業は信用が命なんだぞ」
ヴィクトルは確かにこんなくだらない中学生のような会話になってしまったことを後悔する。
しかし彼の見立てに反して、この先何も起こらないということもまたないのであった。
