美オヤジを誘って囲われて救われる話
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二人が交際を始めてから、三ヶ月目に入った。
ヴィクトルは幸せの真っ只中にいながらも、悶々とした悩みもある。
そんな彼は今、本社のオフィスで将来の幹部候補を面接中だ。
相手は二十代後半の真面目な青年で、経営コンサルタントの実務経験もあった。
「――うん。経歴もテストの結果も申し分ない。とくにマネージャーとして事業再生プロジェクトを成功させたという点が素晴らしいな。君はすでに信頼に値する結果を出しているね」
「ありがとうございます」
机の向かい側にゆったり座る若者の瞳は柔和ながら、揺るぎない信念と自信がうかがえる。
こういう物怖じしないタイプは昔の自分を見ているようで、ヴィクトルも心が踊った。
「この業界のことはもう知ってると思うけど、チームワークはもちろんとして、その土台となるプレイヤー能力と働きが最も重要視される。うちは役員達が在学中に仲間同士で起業しているから、堅苦しくない会社だけれど、クライアントへの成果を第一に精力的に働いてもらう面はあると思うよ。君はそのへん大丈夫かな?」
親しみやすい話し方ながらも、はっきりと社の方針を提示すると、彼も確固たる表情で頷いた。
「はい。そのつもりで応募しています。この国の風土として休憩時間を長く取る傾向が高いと思いますが、それはかえって仕事のパフォーマンスをさげると思うので。その点御社の個人を尊重する柔軟な働き方に、僕はとても惹かれました」
「ははっ、そうか。俺も同じ考えだよ」
若者のしっかりした主張にヴィクトルは上機嫌に相槌を打ったが、ふと心に引っかかりも感じた。
すると相手はこんなことも明かし始める。
「ですが、その。実は僕は、数ヶ月前に結婚したばかりの新婚で」
「そうなのかい? それはおめでとう!」
「ありがとうございます。それでも配偶者とワークライフバランスを常に話し合っていますし、問題はないと思います」
そこまで話してくれた彼にヴィクトルは素直に感心した。幹部候補なため採用されれば公私ともに関わることも増えるだろう彼の、真摯な人間性に触れた気がした。
「君は偉いなぁ。けどあまり無理しないでくれ。実は俺もしばらく前に彼女が出来てね。自分が新婚だったらきっと早く帰りたくなるよ。⋯まあもちろん君の働きには期待しているから、ちゃんと家族とも向き合って頑張ってね。仕事も大事だけど基盤は自分の生活なんだからさ」
理解を超えた共感を示してにこりと告げると、若者は驚いたようだが表情が年相応に明るくなる。
「はい、頑張ります! ヴィクトルさんもお幸せに」
「ふふっ、いいなその言葉。言っとくけど採用しても周りに言いふらさないでくれよ」
「言いません」
こうして笑いあった二人の面接は朗らかに終わった。ヴィクトルの直感と実感のとおり、役員による最終選考を通過した彼の採用は決まった。
朝の面接を終え、ヴィクトルはオフィスを出て開放的な廊下を歩いていく。モダンな本社ビルには役員共通の秘書が何人かおり、自分の担当の女性のデスク前を通りかかった。
彼女は年上のベテランで愛嬌のあるふくよかな秘書だ。
「ヴィクトル、お疲れ様です。次の役員会なんですが、社長の到着が少し遅れるようですよ」
「本当かい、わかったありがとう」
「それと、もうすぐお父様のお誕生日でしたね。こちらで送っておきましょうか?」
「そうだね。じゃあいつもと同じように適当に見繕って――」
立ち止まり、顎に手をやって考えていたスーツ姿の彼だが、ふと思いとどまった。
「いや。やっぱり今年は自分で選ぼう。ありがとうね」
「そうですか? わかりました」
彼女は微笑みを浮かべて了解する。なんとなく、瞳の細め方に見抜かれている気がした。長い付き合いである自分の変化を。
重要な仕事の配分は自ら決めるが、最近はゆとりある働き方に変えたことを秘書は気づいているだろう。
少し気まずさを覚えながらも、ヴィクトルは社長室へ向かう。ここは最も広い部屋で、格調高い書斎机のスペースとは別に、応接間がありソファが対面式で並んでいる。
そのまた向こうに長い会議テーブルが置かれ、ヴィクトルは定位置に着席した。役員は他に四人いるが一番乗りだ。
足を組んでテーブルに片手を置き、部屋を見つめていると、さっきの面接のことを思い出した。
「新婚か。⋯⋯幸せそうでうらやましい限りだ」
それは前の自分なら単なるぼやきだっただろうが、今は本音がにじんでいる。
そう、あなたと出会う前のヴィクトルならば、あんなことを応募者に打ち明けられても「そうか」としか思わなかったはずだ。
しかし今はどうだろう。
世界の色は変わり、輝きさえ放っているように映るのだ。
自分にもそんな未来が訪れてくれるだろうか。
考えれば考えるほど、幸福感と焦りが拮抗し始める。
「はあ、名無しちゃん。君に言ってしまいそうになる。君はどんな顔をするだろうか⋯⋯」
まるで憂いに満ちた表情でスマホの画面を映し、ヴィクトルはあなたの写真を見つめた。
自分に向けてくれる笑顔を見るだけで、切なく深い愛情が湧きあがってくる。
そのとき、会議室の扉が無造作に開けられた。
ヴィクトルは顔つきを変えずスマホを閉じると、相手を見上げる。
「おお、お前早いな。さすが仕事人間のヴィクトル様だ」
「黙れよ。お前も似たようなもんだろう」
大げさなため息を吐き、互いに不敵な笑みを交わした。
この役員の濃い金髪男はマックスといい、他のメンバーと同じく大学時代のボート部の一員だ。
スーツの上からでも分かるほどの筋骨たくましいマッチョな男で、筋トレ中毒でもある。
取締役兼営業部長として有能で仕事もおそろしく出来るが、いまだこの年でSNSに自撮りの上半身を乗せるのが趣味なほど、ナンパ好きで軽薄なタイプだった。
「そういや聞いたんだけどな」
「誰に何をだ」
「クリスだよ。あのお喋りなお調子者」
それはお前もだろうと思いつつ、ヴィクトルの顔色は落ち着かなくなる。
「ヴィクトル、お前最近夜にお店のほうに行ってないみたいじゃねえか。女でも出来たのか? めっずらしいこともあるもんだ」
からかうようにどすっと近くの席に座られ、彼は閉口する。
しかし同時に彼女の存在がバレてないのだと安心した。
それは、マックスはヴィクトルとは違う方向のモテ男だが、あなたの存在をこの男にだけは知らせたくないという彼の繊細で貴重な男心だった。
「くそっ、あの坊っちゃんも代わりに俺を誘えばいいのによ。こっちだって稼いでるし金払いはいいぞ?」
「ははっ。そう言ってやれよ。彼は嫌がるかもしれないけどな」
屈託なく笑ったヴィクトルに納得のいかない同僚の目が向けられる。自分にとってはただの社交場としての使い方だったが、この男は本気まじりで女性を口説こうとするから話が合わない。
二人で仕事と関係のない軽口を叩いていた頃、新たな人物が扉から入ってきた。
禁欲的な空気さえ漂う、黒髪を後ろにきっちり流したスマートな男だ。彼は会計士で財務部長でもあるエリオという。
黒縁眼鏡も似合っているし、冷めた顔つきも中々に美男子である。
しかしヴィクトルはこの唯一ボート部ではない在学中の友人とウマが合い、気に入っていた。
「やあエリオ。おはよう」
「おはようヴィクトル。もう幹部候補の面接が終わったらしいな」
「そうなんだよ。人事部長のあいつが出張でね、代わりに任されたというわけさ」
「どうだったんだ?」
「文句なしの逸材だな。芯はしっかりしてるが素直なところもあって、俺は気に入ったよ。皆にも好かれそうだ」
二人が会話している間もマックスは場所を大きく取って座り、興味なさそうにスマホを見ている。
「ところでどうにかしてくれないか、この男。40にもなって君みたいな落ち着きがまるでないんだよ」
「またかい。どうせ二人ともくだらない話をしてたんだろう。俺に振られても困るよ」
メンバーの中でも抜きん出てお堅い会計士だが、笑い合う男二人をよそに彼はとんでもないことを口にした。
「ヴィクトル、彼女が出来たんだって? どんな子なんだ?」
「⋯⋯えっ? いきなり何を言い出すんだ。たった今くだらない話はやめろと言ったの誰だよ」
「君にとってくだらない話なのか?」
動揺したところを鋭く切り込む眼鏡の男に、ヴィクトルは喉仏を大きく動かす。全くそうではないが、この状況は想定外だった。
「彼女だぁ!? おいほんとかよお前、どんな子? なぁどんな子だ?」
「うるさいな。お前には絶対に教えるか」
「なんでだよ! おいエリオ、お前誰からそんな話聞いたんだ」
「社長だよ。詳しくは言ってなかったけどな」
彼は立ち上がり、向こうにあるカフェメーカーで呑気にコーヒーを入れている。
戻ってきて着席する間も、ヴィクトルは気が気ではなかった。
社長とはヴィクトルと最も親しい間柄の、いわば親友である。高校の時から同じクラスで、彼もまた大柄で暑苦しいマッチョだが中身はいい奴だった。
「あのな、君達。ここがどこだか分かってるか? 俺達の立場もだ。社員二百人以上を束ねる、責任ある取締役の我々が仕事中に恋愛話にうつつを抜かせるなど――」
「急にどうしたお前。そんなに言いたくないのかよ。ふっ、俺の情報力で探ってやるから覚悟しとけよ」
不穏に笑うマックスは多忙を極める仕事の時と同じく火がついた様子で、ヴィクトルは恨みがましくエリオを見やるしかなかった。
「そんな目で見ないでくれ、ヴィクトル。俺はただ関心がわいただけだ。君は俺と同じ、一生独身タイプだと思ってたからな」
「⋯⋯まあな。俺もそう思ってたよ。だから互いに親近感があったんだろうな、エリオ」
微笑んで許しそうになったが、ため息に変わる。自分だってまだ独身のままの可能性もあるのだ。うまくいかなければ。
でもヴィクトルは、あなたとの関係を絶対に諦めたくはなかったし、そのつもりもなかった。
三人はしばらく会議室にいたが、皆忙しい身だ。中々社長が現れないことにしびれを切らしたときのこと。
コンコンと扉が鳴らされ、また別の若い男が現れた。横分けの品のある金髪に小綺麗なスーツ姿のクリスである。
「お三方。すみませんねえ。社長は時間内に来れないようです。役員会は午後に変更になりますので、業務にお戻りください」
「あぁ? なんでだよクリス。お前の兄貴に何かあったのか?」
マックスが立ち上がり不服そうに言うと、クリスは申し訳なさそうに微笑んだ。彼は実は、社長であるフロリアンの実の弟なのだ。
「ええ、実は双子が両方熱を出してしまったようで。夫婦で病院にお世話になっているようですよ」
「あぁ、そうだったのか。それは大変だ。じゃあ午後にしよう」
ヴィクトルは同情的な視線で他の二人にも促す。皆会議室からバラけていくが、マックスはこうこぼした。
「はぁ、社長となっても自ら家のことをやんなきゃいけねえんだな。結婚ってやつは大変だ」
「当たり前だろう、お前はどんな時代に生きてるんだよ。子供や家族が大切であることに立場は関係ないだろ?」
たしなめるヴィクトルに彼はふん、と肩をすくめる。
「お前はよくそう言うけどな。独身だからってこれまで通り仕事を一身に背負ってると、その可愛い彼女と結婚できなくなるぞ? くくっ」
背丈の変わらぬ嫌味な男の台詞に、苦虫を噛み潰したくなる。
こんな短い時間で自分の思惑が悪友にも見透かされてしまったようだった。
ヴィクトルは廊下を渡り仕事に戻ろうとする。
しかし後ろから、また自分の部下がついてきた。
彼はプロジェクトマネージャーの立場で、若いながらもリーダーとしての力を多方面に発揮する男だ。
国際事業を統括するヴィクトルは、仕事の上では彼をかなり信頼している。
それは若い時から知る、友人の弟という縁もあった。
だから以前は夜の店に連れて行ってやったりもしてたのだが。
「クリス。よくも彼女のことを社長に言ってくれたな」
「え。その話ってもう随分前の話じゃないですか?」
「さっきエリオが知ってたぞ。想像できるか? 俺はまるで中学生に戻ったかのように発汗しそうな気分だったよ」
疲弊した愚痴をこぼすと、クリスは横で楽しそうに笑っていた。
「面白いですね、モテモテの色男のヴィクトルがそんな目に合うとは。でも安心してくださいよ、どんな人かは兄貴にしか言ってないですから。あの人もエリオにしか話してないですよ」
「だから今マックスにも知られたんだがな。⋯⋯あぁもういいさ。仕方ない。どのみち皆には紹介することになるかもしれないしな」
開き直って告げるとクリスの瞳が輝く。
「本当ですか? では名無しさんを今年のクリスマス会に誘うんですね? 楽しみですね〜! あなたが公式の場にパートナーを連れてるとこなんて見たことありませんし! もうすぐですよ、ヴィクトル!」
「いやちょっと待て。俺はそんなこと一言も言ってない。こんなガツガツしたコンサルタントの連中に囲まれたら、怖いだろう? 名無しちゃんは健気で優しい女性なんだから」
「⋯⋯あっはあ、そうですか。なんですかその気が緩んだ過保護な表情は。クライアントに見せられませんよ。⋯⋯あなた、随分キちゃってますねぇ」
面白がるのか引いてるのか分からない部下の声は、ヴィクトルには届いていなかった。
あなたのことをすでに知った者と、あなたについて話すのは不思議と気分が高揚する。
もう随分前から、自分は年甲斐もなく浮かれているのだ。
しかし同時に、色んな念がうずまきそうな職場のクリスマスパーティーに誘うなどということは、まだ到底考えられなかった。
ヴィクトルは幸せの真っ只中にいながらも、悶々とした悩みもある。
そんな彼は今、本社のオフィスで将来の幹部候補を面接中だ。
相手は二十代後半の真面目な青年で、経営コンサルタントの実務経験もあった。
「――うん。経歴もテストの結果も申し分ない。とくにマネージャーとして事業再生プロジェクトを成功させたという点が素晴らしいな。君はすでに信頼に値する結果を出しているね」
「ありがとうございます」
机の向かい側にゆったり座る若者の瞳は柔和ながら、揺るぎない信念と自信がうかがえる。
こういう物怖じしないタイプは昔の自分を見ているようで、ヴィクトルも心が踊った。
「この業界のことはもう知ってると思うけど、チームワークはもちろんとして、その土台となるプレイヤー能力と働きが最も重要視される。うちは役員達が在学中に仲間同士で起業しているから、堅苦しくない会社だけれど、クライアントへの成果を第一に精力的に働いてもらう面はあると思うよ。君はそのへん大丈夫かな?」
親しみやすい話し方ながらも、はっきりと社の方針を提示すると、彼も確固たる表情で頷いた。
「はい。そのつもりで応募しています。この国の風土として休憩時間を長く取る傾向が高いと思いますが、それはかえって仕事のパフォーマンスをさげると思うので。その点御社の個人を尊重する柔軟な働き方に、僕はとても惹かれました」
「ははっ、そうか。俺も同じ考えだよ」
若者のしっかりした主張にヴィクトルは上機嫌に相槌を打ったが、ふと心に引っかかりも感じた。
すると相手はこんなことも明かし始める。
「ですが、その。実は僕は、数ヶ月前に結婚したばかりの新婚で」
「そうなのかい? それはおめでとう!」
「ありがとうございます。それでも配偶者とワークライフバランスを常に話し合っていますし、問題はないと思います」
そこまで話してくれた彼にヴィクトルは素直に感心した。幹部候補なため採用されれば公私ともに関わることも増えるだろう彼の、真摯な人間性に触れた気がした。
「君は偉いなぁ。けどあまり無理しないでくれ。実は俺もしばらく前に彼女が出来てね。自分が新婚だったらきっと早く帰りたくなるよ。⋯まあもちろん君の働きには期待しているから、ちゃんと家族とも向き合って頑張ってね。仕事も大事だけど基盤は自分の生活なんだからさ」
理解を超えた共感を示してにこりと告げると、若者は驚いたようだが表情が年相応に明るくなる。
「はい、頑張ります! ヴィクトルさんもお幸せに」
「ふふっ、いいなその言葉。言っとくけど採用しても周りに言いふらさないでくれよ」
「言いません」
こうして笑いあった二人の面接は朗らかに終わった。ヴィクトルの直感と実感のとおり、役員による最終選考を通過した彼の採用は決まった。
朝の面接を終え、ヴィクトルはオフィスを出て開放的な廊下を歩いていく。モダンな本社ビルには役員共通の秘書が何人かおり、自分の担当の女性のデスク前を通りかかった。
彼女は年上のベテランで愛嬌のあるふくよかな秘書だ。
「ヴィクトル、お疲れ様です。次の役員会なんですが、社長の到着が少し遅れるようですよ」
「本当かい、わかったありがとう」
「それと、もうすぐお父様のお誕生日でしたね。こちらで送っておきましょうか?」
「そうだね。じゃあいつもと同じように適当に見繕って――」
立ち止まり、顎に手をやって考えていたスーツ姿の彼だが、ふと思いとどまった。
「いや。やっぱり今年は自分で選ぼう。ありがとうね」
「そうですか? わかりました」
彼女は微笑みを浮かべて了解する。なんとなく、瞳の細め方に見抜かれている気がした。長い付き合いである自分の変化を。
重要な仕事の配分は自ら決めるが、最近はゆとりある働き方に変えたことを秘書は気づいているだろう。
少し気まずさを覚えながらも、ヴィクトルは社長室へ向かう。ここは最も広い部屋で、格調高い書斎机のスペースとは別に、応接間がありソファが対面式で並んでいる。
そのまた向こうに長い会議テーブルが置かれ、ヴィクトルは定位置に着席した。役員は他に四人いるが一番乗りだ。
足を組んでテーブルに片手を置き、部屋を見つめていると、さっきの面接のことを思い出した。
「新婚か。⋯⋯幸せそうでうらやましい限りだ」
それは前の自分なら単なるぼやきだっただろうが、今は本音がにじんでいる。
そう、あなたと出会う前のヴィクトルならば、あんなことを応募者に打ち明けられても「そうか」としか思わなかったはずだ。
しかし今はどうだろう。
世界の色は変わり、輝きさえ放っているように映るのだ。
自分にもそんな未来が訪れてくれるだろうか。
考えれば考えるほど、幸福感と焦りが拮抗し始める。
「はあ、名無しちゃん。君に言ってしまいそうになる。君はどんな顔をするだろうか⋯⋯」
まるで憂いに満ちた表情でスマホの画面を映し、ヴィクトルはあなたの写真を見つめた。
自分に向けてくれる笑顔を見るだけで、切なく深い愛情が湧きあがってくる。
そのとき、会議室の扉が無造作に開けられた。
ヴィクトルは顔つきを変えずスマホを閉じると、相手を見上げる。
「おお、お前早いな。さすが仕事人間のヴィクトル様だ」
「黙れよ。お前も似たようなもんだろう」
大げさなため息を吐き、互いに不敵な笑みを交わした。
この役員の濃い金髪男はマックスといい、他のメンバーと同じく大学時代のボート部の一員だ。
スーツの上からでも分かるほどの筋骨たくましいマッチョな男で、筋トレ中毒でもある。
取締役兼営業部長として有能で仕事もおそろしく出来るが、いまだこの年でSNSに自撮りの上半身を乗せるのが趣味なほど、ナンパ好きで軽薄なタイプだった。
「そういや聞いたんだけどな」
「誰に何をだ」
「クリスだよ。あのお喋りなお調子者」
それはお前もだろうと思いつつ、ヴィクトルの顔色は落ち着かなくなる。
「ヴィクトル、お前最近夜にお店のほうに行ってないみたいじゃねえか。女でも出来たのか? めっずらしいこともあるもんだ」
からかうようにどすっと近くの席に座られ、彼は閉口する。
しかし同時に彼女の存在がバレてないのだと安心した。
それは、マックスはヴィクトルとは違う方向のモテ男だが、あなたの存在をこの男にだけは知らせたくないという彼の繊細で貴重な男心だった。
「くそっ、あの坊っちゃんも代わりに俺を誘えばいいのによ。こっちだって稼いでるし金払いはいいぞ?」
「ははっ。そう言ってやれよ。彼は嫌がるかもしれないけどな」
屈託なく笑ったヴィクトルに納得のいかない同僚の目が向けられる。自分にとってはただの社交場としての使い方だったが、この男は本気まじりで女性を口説こうとするから話が合わない。
二人で仕事と関係のない軽口を叩いていた頃、新たな人物が扉から入ってきた。
禁欲的な空気さえ漂う、黒髪を後ろにきっちり流したスマートな男だ。彼は会計士で財務部長でもあるエリオという。
黒縁眼鏡も似合っているし、冷めた顔つきも中々に美男子である。
しかしヴィクトルはこの唯一ボート部ではない在学中の友人とウマが合い、気に入っていた。
「やあエリオ。おはよう」
「おはようヴィクトル。もう幹部候補の面接が終わったらしいな」
「そうなんだよ。人事部長のあいつが出張でね、代わりに任されたというわけさ」
「どうだったんだ?」
「文句なしの逸材だな。芯はしっかりしてるが素直なところもあって、俺は気に入ったよ。皆にも好かれそうだ」
二人が会話している間もマックスは場所を大きく取って座り、興味なさそうにスマホを見ている。
「ところでどうにかしてくれないか、この男。40にもなって君みたいな落ち着きがまるでないんだよ」
「またかい。どうせ二人ともくだらない話をしてたんだろう。俺に振られても困るよ」
メンバーの中でも抜きん出てお堅い会計士だが、笑い合う男二人をよそに彼はとんでもないことを口にした。
「ヴィクトル、彼女が出来たんだって? どんな子なんだ?」
「⋯⋯えっ? いきなり何を言い出すんだ。たった今くだらない話はやめろと言ったの誰だよ」
「君にとってくだらない話なのか?」
動揺したところを鋭く切り込む眼鏡の男に、ヴィクトルは喉仏を大きく動かす。全くそうではないが、この状況は想定外だった。
「彼女だぁ!? おいほんとかよお前、どんな子? なぁどんな子だ?」
「うるさいな。お前には絶対に教えるか」
「なんでだよ! おいエリオ、お前誰からそんな話聞いたんだ」
「社長だよ。詳しくは言ってなかったけどな」
彼は立ち上がり、向こうにあるカフェメーカーで呑気にコーヒーを入れている。
戻ってきて着席する間も、ヴィクトルは気が気ではなかった。
社長とはヴィクトルと最も親しい間柄の、いわば親友である。高校の時から同じクラスで、彼もまた大柄で暑苦しいマッチョだが中身はいい奴だった。
「あのな、君達。ここがどこだか分かってるか? 俺達の立場もだ。社員二百人以上を束ねる、責任ある取締役の我々が仕事中に恋愛話にうつつを抜かせるなど――」
「急にどうしたお前。そんなに言いたくないのかよ。ふっ、俺の情報力で探ってやるから覚悟しとけよ」
不穏に笑うマックスは多忙を極める仕事の時と同じく火がついた様子で、ヴィクトルは恨みがましくエリオを見やるしかなかった。
「そんな目で見ないでくれ、ヴィクトル。俺はただ関心がわいただけだ。君は俺と同じ、一生独身タイプだと思ってたからな」
「⋯⋯まあな。俺もそう思ってたよ。だから互いに親近感があったんだろうな、エリオ」
微笑んで許しそうになったが、ため息に変わる。自分だってまだ独身のままの可能性もあるのだ。うまくいかなければ。
でもヴィクトルは、あなたとの関係を絶対に諦めたくはなかったし、そのつもりもなかった。
三人はしばらく会議室にいたが、皆忙しい身だ。中々社長が現れないことにしびれを切らしたときのこと。
コンコンと扉が鳴らされ、また別の若い男が現れた。横分けの品のある金髪に小綺麗なスーツ姿のクリスである。
「お三方。すみませんねえ。社長は時間内に来れないようです。役員会は午後に変更になりますので、業務にお戻りください」
「あぁ? なんでだよクリス。お前の兄貴に何かあったのか?」
マックスが立ち上がり不服そうに言うと、クリスは申し訳なさそうに微笑んだ。彼は実は、社長であるフロリアンの実の弟なのだ。
「ええ、実は双子が両方熱を出してしまったようで。夫婦で病院にお世話になっているようですよ」
「あぁ、そうだったのか。それは大変だ。じゃあ午後にしよう」
ヴィクトルは同情的な視線で他の二人にも促す。皆会議室からバラけていくが、マックスはこうこぼした。
「はぁ、社長となっても自ら家のことをやんなきゃいけねえんだな。結婚ってやつは大変だ」
「当たり前だろう、お前はどんな時代に生きてるんだよ。子供や家族が大切であることに立場は関係ないだろ?」
たしなめるヴィクトルに彼はふん、と肩をすくめる。
「お前はよくそう言うけどな。独身だからってこれまで通り仕事を一身に背負ってると、その可愛い彼女と結婚できなくなるぞ? くくっ」
背丈の変わらぬ嫌味な男の台詞に、苦虫を噛み潰したくなる。
こんな短い時間で自分の思惑が悪友にも見透かされてしまったようだった。
ヴィクトルは廊下を渡り仕事に戻ろうとする。
しかし後ろから、また自分の部下がついてきた。
彼はプロジェクトマネージャーの立場で、若いながらもリーダーとしての力を多方面に発揮する男だ。
国際事業を統括するヴィクトルは、仕事の上では彼をかなり信頼している。
それは若い時から知る、友人の弟という縁もあった。
だから以前は夜の店に連れて行ってやったりもしてたのだが。
「クリス。よくも彼女のことを社長に言ってくれたな」
「え。その話ってもう随分前の話じゃないですか?」
「さっきエリオが知ってたぞ。想像できるか? 俺はまるで中学生に戻ったかのように発汗しそうな気分だったよ」
疲弊した愚痴をこぼすと、クリスは横で楽しそうに笑っていた。
「面白いですね、モテモテの色男のヴィクトルがそんな目に合うとは。でも安心してくださいよ、どんな人かは兄貴にしか言ってないですから。あの人もエリオにしか話してないですよ」
「だから今マックスにも知られたんだがな。⋯⋯あぁもういいさ。仕方ない。どのみち皆には紹介することになるかもしれないしな」
開き直って告げるとクリスの瞳が輝く。
「本当ですか? では名無しさんを今年のクリスマス会に誘うんですね? 楽しみですね〜! あなたが公式の場にパートナーを連れてるとこなんて見たことありませんし! もうすぐですよ、ヴィクトル!」
「いやちょっと待て。俺はそんなこと一言も言ってない。こんなガツガツしたコンサルタントの連中に囲まれたら、怖いだろう? 名無しちゃんは健気で優しい女性なんだから」
「⋯⋯あっはあ、そうですか。なんですかその気が緩んだ過保護な表情は。クライアントに見せられませんよ。⋯⋯あなた、随分キちゃってますねぇ」
面白がるのか引いてるのか分からない部下の声は、ヴィクトルには届いていなかった。
あなたのことをすでに知った者と、あなたについて話すのは不思議と気分が高揚する。
もう随分前から、自分は年甲斐もなく浮かれているのだ。
しかし同時に、色んな念がうずまきそうな職場のクリスマスパーティーに誘うなどということは、まだ到底考えられなかった。
