美オヤジを誘って囲われて救われる話
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ヴィクトルと好きという気持ちを交わして、思いが通じ合った気がした。
だからといって、この関係がどうなるかということは、あなたにはまだ想像できていなかった。
「名無しちゃん。本当に一人で大丈夫? 何かあったらすぐに電話して」
「うん、わかった。なるべく早く戻るね」
今は夜の八時で、自宅アパートの近くにいる。今日は元彼マティアスが不在のため、必要な荷物を運び出そうとしていたのだ。
道路脇に黒い乗用車を停めてくれたヴィクトルに礼を言い、降りようとした。するとそっと手を握られる。
「待って」
「えっ?」
振り向こうすると彼が運転席から身を乗り出し、あなたの頬にちゅっとキスをする。
「っ!! ⋯⋯あっ⋯⋯こんな外でっ」
「ごめん。車の中だからいいでしょ? ⋯⋯気をつけてね。俺がいるから大丈夫だよ」
「⋯⋯あ、ありがとう。ヴィクトル」
あなたは頬を染め、照れて目を泳がせる。
緊張していた自分を案じてくれた彼の温かい思いを感じ取る。
外も暗い車内とはいえ、どちらのドキドキなのか分からなくなってきた。
あなたは思いきって、素早くヴィクトルをハグする。
一瞬驚いたような彼に、「行ってきます」と照れながら告げて急いで車から降りていった。
古いが風格漂う外観のアパートへ入り、階段をのぼる。
今やまったく状況が変わったとはいえ、ここへ来るとこの間の絶望感が蘇った。
だが部屋へ向かうと誰もおらず、瞬間的にほっとする。
「よかった。早く済ませないと」
何をするか前もって決めていたあなたは、トランクに服や靴、必要品を詰めていく。
このアパートはほとんどの家具が備え付けで、引っ越す場合もそこまで大変ではない。
数年世話になった老齢の大家さんにも、すでに連絡をし退去を伝えてある。今月分の家賃は支払い、これまでも支払いに不備のないあなたへの信用から、彼は事情を理解してくれた。
元々ここに住んでいたため賃貸名義は自分だ。同棲を始めた当初、元彼は同居人として契約し、家賃は少し上乗せになった。
マティアスは大学生でアルバイトのため、食費を担当し家賃と光熱費はあなたが払ってきた。
しかし今回のことを踏まえ、大家さんはもし彼が出ていかないなら彼に家賃請求をすると言っていた。
契約がどうなるかは、あとは両者の問題となるのだ。
「はあ、はあ⋯⋯」
作業をしていてだんだん息が上がってくる。
時間を確認すると、三十分近く経過していた。そろそろ戻らないとヴィクトルも心配するだろう。
トランクを閉め終わり、あなたはリビングから廊下に向かおうとした。
そのときだった。男性の人影が現れたのは。
キャップを被った金髪の、一見細身の男だ。
彼は硬直するあなたを見てきょとんとしたが、すぐに薄ら笑いを浮かべた。
「あれ、お前戻ってきたんだ。よかったー。やっぱな、思ったとおりだわ。まあ飲み会つまんねえから帰ってきただけなんだけど」
ラッキーだという軽い雰囲気で向かってきて、あなたは体が強張り息をのむ。
彼の視線が手元のトランクに向かい、怪訝な顔つきをしたことで、余計に鼓動がうるさくなった。
しかし、もう動揺して泣き出すつもりはない。
ここを出ていくことは決まっているからだ。
「マティアス。私、もうここには戻らないから」
「まだそんなこと言ってんのかよ。なあ、こんなのただの喧嘩だろ? お前が怒って出てっただけじゃねえかよ。⋯⋯分かったよ、俺が悪かったから。マジで行くなって」
彼は殊勝な態度に変わり、反省した顔つきで近くに来る。
あなたはその光景に慣れているため、もう何も思わなかった。
「私はもう別れたつもり。もう怒られたり責められたりするのが嫌なの。⋯⋯私も悪いところはあったよ。でも、つまらない女とか言われて黙ってられないから」
「だからさ、謝ってるだろ? そんなの本気じゃねえって。⋯⋯あー、あの女なら遊びだからさ。お前が気にすることないから、な?」
へらへらと笑ってマティアスはあなたの頭に手を伸ばそうとした。
反射的に後ずさると、彼は煩わしそうに眉を寄せる。
今まで暴力的なことは一度もない。マティアスは明るく、人を笑わせるのが好きな優しい人間だった。
でも一緒に生活する中で、こちらに甘えて利用してくるような言動が目立つようになり、いつしか二人でいても嫌な思いをすることが多くなった。
その原因は、少なからず自分にもあると思っていた。
なぜなら、ずっとうまく性行為ができずに、きっと彼のプライドも傷つけたし、フラストレーションをためさせてしまったからだ。
「⋯⋯もう好きじゃないの。別れて」
あなたはこうなったことに対する罪悪感がいまだ消えぬ中、瞳を伏せる。
するとマティアスは、あなたを抱きしめようとした。
「やめて⋯⋯!」
「やめねえよ。冗談だろ? 俺たちが別れるとか、そんな馬鹿なこと――」
あなたが捕まえてくる腕から逃げようとした時、アパートのベルが大きく鳴った。
二人はしんと静まり、マティアスは舌打ちをして玄関へ向かう。
一方で、心臓がばくばくとしていた。もしかして、彼が様子を見に来たのかもしれない。
急いでマティアスを追うと、すでに二人は玄関先で対峙していた。
「はい? どなたですか。悪いんですが、今立て込んでるんですよ」
「こんばんは。君が彼女の前の彼氏かな? マティアス君だったよね」
ヴィクトルの低く上品な声が届き、元彼の「⋯⋯ああ? あんた誰だよ」という明らかに苛立った声が響く。
あなたはこんな状況をまったく望んでなかったが、ヴィクトルがちらりとこちらを見て、安心させるように微笑んでくれたから、体の力が抜けそうになった。
「俺はヴィクトル・ヘイズっていうんだ。名無しちゃんの知り合いだよ。ちょっと話してもいいかな」
「知り合いだ⋯⋯?」
明らかに何かを感じ取ったマティアスは、ヴィクトルに答えずに廊下を戻ってきて、あなたをじろじろと見やる。
「⋯⋯はははっ。お前、マジで? まさかこのおっさんと一緒にいたの? うそだろ。お前もやることやってんだな!」
彼は目の前でひときしり爆笑したあと、あなたを不愉快そうに睨みつけた。
「そういうことかよ。お前男いたんだろ。だから急に別れるとか言って出てったわけ。全然気づかなかったわ」
「違う! 彼と出会ったのはあなたと別れたあとだから!」
「どっちでもいいわ。そんで俺のことは捨てるわけ? 最低だな」
マティアスはあなたの前へ立って、わざと傷ついた風な哀愁を漂わせた。しかし彼の視線は後ろに立つ、長身のスーツ男に強く向けられる。
ヴィクトルは感情的にならぬように戒めていたつもりだったが、この若者は早々にその誓いを破らせた。
「彼女と出会ったのは家を出た後だというのは、本当さ。君とは別れたんだから、何しようと自由だろ?」
「だから俺は別れてねえんだよ、口出すなおっさん!」
「いいや、悪いが出すよ。俺はな、お前のせいでまだ彼女にお付き合いを申し込めてないんだ。早く消えてくれないか?」
ヴィクトルは距離を詰め、威圧的にマティアスを見下ろした。彼の黒い瞳は静かに怒りをたたえ、決して逃さないという意思をこめている。
その異様な佇まいに、マティアスは一瞬言葉が引っ込んだようだった。
「⋯⋯なっ⋯⋯⋯⋯あのさ。あんた何言ってんの? いくつだよおっさん。ははは、相当金持ってそうだけどさ。若い女に本気になって恥ずかしくねえのか? 俺等の恋愛に首つっこまないでくれない?」
マティアスがこめかみに血管を浮き上がらせながら凄むと、ヴィクトルは腕を組み、深くため息を吐いた。
「お前みたいなやつに自己紹介なんかしたくないんだけどな、仕方がない。確かに俺は多少の金があるだけの、そこらへんにいるビジネスマンさ。彼女のような心の綺麗な女性に出会えたのは奇跡だといえる」
彼は話す内に、自らの胸に秘めた思いの丈を表していった。
「こんな年の男が本気になってみっともないのは、それはそうだろうよ。だがな、俺の気持ちは嘘じゃない。名無しちゃんを大切にしたいし、出会って短い期間だろうが好きだという気持ちは本物だ。⋯⋯だからこそ、一度好きになった女性を平気で傷つける甘ったれのお前みたいな若造には絶対に渡したくない。近づけたくないんだよ」
ヴィクトルは紳士的な大人の表情を剥ぎ取り、ただただ熱い男の眼差しでマティアスに食らいついた。
あなたの心に、彼の真っ直ぐな気持ちが突き刺さる。
「⋯⋯ヴィクトル」
「ごめんね、名無しちゃん。好き勝手なこと言って。でも俺は君を一人にするつもりはないよ」
そう優しく微笑んだ彼のスーツの襟元が、いきなりマティアスに掴まれた。
「てめえ⋯⋯ッ」
激昂した元彼が殴りかかろうとした瞬間に、あなたはその背中を必死に止める。
「やめて! お願い、彼には何もしないで。⋯⋯マティアス、もう終わりだよ。私達終わったの⋯⋯」
「なんで⋯⋯? 俺ら三年も一緒にいたよな? 浮気したことなら、謝るって。本気じゃねえから⋯⋯許してくれよ、名無し⋯⋯」
彼は手を止めて、弱々しい声であなたに振り返った。
ようやくあなたの強固な気持ちを動かせないと悟ったのか、頭をうなだれる。
「ううん。それは関係ない。私の気持ちは、とっくに冷めてたんだ」
「⋯⋯はっ。この男が本当に好きなのか? やめとけよ⋯⋯お前に本気になるわけねえじゃん。ぜってえただの遊び人だよ、こんなやつ⋯⋯」
ヴィクトルはその言葉に表情をかなり険しくさせたが、じっと耐えていた。あなたが毅然とした態度でマティアスを見つめていたからだ。
「私とヴィクトルのことは、あなたに関係ないから」
「⋯⋯へえ。⋯⋯でもさ、残念だったな、おっさん。こいつセックス出来ないでしょ? それでもいいんだ」
薄ら笑いで言われた台詞に、あなたは顔を羞恥で染める。自然と手が震えてきた。
それはもう過去の話であったが、長年苦しんできた問題で、元彼の口から出たことにより、体が動かなくなった。
「お前さ、一発ぶん殴ってもいい?」
ヴィクトルは激怒していた。呼気を荒くしてマティアスの胸ぐらを掴む。
相手は馬鹿にしたように無抵抗だったが、あなたは彼の腕を握ってやめさせた。
「もういいの。行こう、ヴィクトル」
「でも名無しちゃん――」
あなたはヴィクトルの手を引いて、トランクをもって部屋を出ていこうとする。
自分が性の問題を克服したことは、元彼には告げなくていい。きっと彼のプライドはもっと折れるだろうし、自分は惨めに思われたままでいいと思った。
彼を痛めつけるのが目的ではなく、ただ決別したいのだ。
元彼に激しい怒りをにじませながらも、あなたを気遣い、一緒に出ていこうとしてくれたヴィクトルを見やる。
「ごめんね、ヴィクトル」
「いいや。君がそれでいいなら、俺は構わないよ」
彼こそが、自分を長い苦しみから救ってくれた人なのに、黙っていてくれた。
自分のせいで元彼にあんなふうに思われてもだ。
「⋯⋯どうせ別れんだろ、長くは続かねえよ。俺のとこ戻ってきても遅えから、後悔すんなよ!」
奥からそんなことを吐き出す元彼に、とうとうヴィクトルは我慢の限界がきて踵を返す。
あなたが止める前に、彼はマティアスの胸ぐらを再び掴み引っ張り上げた。
後ろ姿しか見えなかったが、彼は怒りをこめてこう言った。
「情けないんだろ? お前じゃ幸せに出来なかったからな。でもな、自分の未熟を彼女のせいにするな。彼女はもうお前のもとには戻らねえよ。二度と近づくんじゃないぞ。妙な真似したら俺が追いかけ回してやるからな、クソガキ」
ヴィクトルの地を這うような低音が届き、あなたは喉をごくりと鳴らす。
彼はいつも上品かつ飄々とした雰囲気だが、温和な彼の激しく湧き上がった怒りが垣間見えた。
マティアスは怯んだのか、何も言えず体を解放される。
戻ってきたヴィクトルは、まだ硬い表情ながら、荷物をもってあなたの手をひく。
そうして二人は、ようやくこのアパートを立ち去った。
外の肌寒い空気の中、ヴィクトルの手のひらだけが温かく灯してくれていた。
だからといって、この関係がどうなるかということは、あなたにはまだ想像できていなかった。
「名無しちゃん。本当に一人で大丈夫? 何かあったらすぐに電話して」
「うん、わかった。なるべく早く戻るね」
今は夜の八時で、自宅アパートの近くにいる。今日は元彼マティアスが不在のため、必要な荷物を運び出そうとしていたのだ。
道路脇に黒い乗用車を停めてくれたヴィクトルに礼を言い、降りようとした。するとそっと手を握られる。
「待って」
「えっ?」
振り向こうすると彼が運転席から身を乗り出し、あなたの頬にちゅっとキスをする。
「っ!! ⋯⋯あっ⋯⋯こんな外でっ」
「ごめん。車の中だからいいでしょ? ⋯⋯気をつけてね。俺がいるから大丈夫だよ」
「⋯⋯あ、ありがとう。ヴィクトル」
あなたは頬を染め、照れて目を泳がせる。
緊張していた自分を案じてくれた彼の温かい思いを感じ取る。
外も暗い車内とはいえ、どちらのドキドキなのか分からなくなってきた。
あなたは思いきって、素早くヴィクトルをハグする。
一瞬驚いたような彼に、「行ってきます」と照れながら告げて急いで車から降りていった。
古いが風格漂う外観のアパートへ入り、階段をのぼる。
今やまったく状況が変わったとはいえ、ここへ来るとこの間の絶望感が蘇った。
だが部屋へ向かうと誰もおらず、瞬間的にほっとする。
「よかった。早く済ませないと」
何をするか前もって決めていたあなたは、トランクに服や靴、必要品を詰めていく。
このアパートはほとんどの家具が備え付けで、引っ越す場合もそこまで大変ではない。
数年世話になった老齢の大家さんにも、すでに連絡をし退去を伝えてある。今月分の家賃は支払い、これまでも支払いに不備のないあなたへの信用から、彼は事情を理解してくれた。
元々ここに住んでいたため賃貸名義は自分だ。同棲を始めた当初、元彼は同居人として契約し、家賃は少し上乗せになった。
マティアスは大学生でアルバイトのため、食費を担当し家賃と光熱費はあなたが払ってきた。
しかし今回のことを踏まえ、大家さんはもし彼が出ていかないなら彼に家賃請求をすると言っていた。
契約がどうなるかは、あとは両者の問題となるのだ。
「はあ、はあ⋯⋯」
作業をしていてだんだん息が上がってくる。
時間を確認すると、三十分近く経過していた。そろそろ戻らないとヴィクトルも心配するだろう。
トランクを閉め終わり、あなたはリビングから廊下に向かおうとした。
そのときだった。男性の人影が現れたのは。
キャップを被った金髪の、一見細身の男だ。
彼は硬直するあなたを見てきょとんとしたが、すぐに薄ら笑いを浮かべた。
「あれ、お前戻ってきたんだ。よかったー。やっぱな、思ったとおりだわ。まあ飲み会つまんねえから帰ってきただけなんだけど」
ラッキーだという軽い雰囲気で向かってきて、あなたは体が強張り息をのむ。
彼の視線が手元のトランクに向かい、怪訝な顔つきをしたことで、余計に鼓動がうるさくなった。
しかし、もう動揺して泣き出すつもりはない。
ここを出ていくことは決まっているからだ。
「マティアス。私、もうここには戻らないから」
「まだそんなこと言ってんのかよ。なあ、こんなのただの喧嘩だろ? お前が怒って出てっただけじゃねえかよ。⋯⋯分かったよ、俺が悪かったから。マジで行くなって」
彼は殊勝な態度に変わり、反省した顔つきで近くに来る。
あなたはその光景に慣れているため、もう何も思わなかった。
「私はもう別れたつもり。もう怒られたり責められたりするのが嫌なの。⋯⋯私も悪いところはあったよ。でも、つまらない女とか言われて黙ってられないから」
「だからさ、謝ってるだろ? そんなの本気じゃねえって。⋯⋯あー、あの女なら遊びだからさ。お前が気にすることないから、な?」
へらへらと笑ってマティアスはあなたの頭に手を伸ばそうとした。
反射的に後ずさると、彼は煩わしそうに眉を寄せる。
今まで暴力的なことは一度もない。マティアスは明るく、人を笑わせるのが好きな優しい人間だった。
でも一緒に生活する中で、こちらに甘えて利用してくるような言動が目立つようになり、いつしか二人でいても嫌な思いをすることが多くなった。
その原因は、少なからず自分にもあると思っていた。
なぜなら、ずっとうまく性行為ができずに、きっと彼のプライドも傷つけたし、フラストレーションをためさせてしまったからだ。
「⋯⋯もう好きじゃないの。別れて」
あなたはこうなったことに対する罪悪感がいまだ消えぬ中、瞳を伏せる。
するとマティアスは、あなたを抱きしめようとした。
「やめて⋯⋯!」
「やめねえよ。冗談だろ? 俺たちが別れるとか、そんな馬鹿なこと――」
あなたが捕まえてくる腕から逃げようとした時、アパートのベルが大きく鳴った。
二人はしんと静まり、マティアスは舌打ちをして玄関へ向かう。
一方で、心臓がばくばくとしていた。もしかして、彼が様子を見に来たのかもしれない。
急いでマティアスを追うと、すでに二人は玄関先で対峙していた。
「はい? どなたですか。悪いんですが、今立て込んでるんですよ」
「こんばんは。君が彼女の前の彼氏かな? マティアス君だったよね」
ヴィクトルの低く上品な声が届き、元彼の「⋯⋯ああ? あんた誰だよ」という明らかに苛立った声が響く。
あなたはこんな状況をまったく望んでなかったが、ヴィクトルがちらりとこちらを見て、安心させるように微笑んでくれたから、体の力が抜けそうになった。
「俺はヴィクトル・ヘイズっていうんだ。名無しちゃんの知り合いだよ。ちょっと話してもいいかな」
「知り合いだ⋯⋯?」
明らかに何かを感じ取ったマティアスは、ヴィクトルに答えずに廊下を戻ってきて、あなたをじろじろと見やる。
「⋯⋯はははっ。お前、マジで? まさかこのおっさんと一緒にいたの? うそだろ。お前もやることやってんだな!」
彼は目の前でひときしり爆笑したあと、あなたを不愉快そうに睨みつけた。
「そういうことかよ。お前男いたんだろ。だから急に別れるとか言って出てったわけ。全然気づかなかったわ」
「違う! 彼と出会ったのはあなたと別れたあとだから!」
「どっちでもいいわ。そんで俺のことは捨てるわけ? 最低だな」
マティアスはあなたの前へ立って、わざと傷ついた風な哀愁を漂わせた。しかし彼の視線は後ろに立つ、長身のスーツ男に強く向けられる。
ヴィクトルは感情的にならぬように戒めていたつもりだったが、この若者は早々にその誓いを破らせた。
「彼女と出会ったのは家を出た後だというのは、本当さ。君とは別れたんだから、何しようと自由だろ?」
「だから俺は別れてねえんだよ、口出すなおっさん!」
「いいや、悪いが出すよ。俺はな、お前のせいでまだ彼女にお付き合いを申し込めてないんだ。早く消えてくれないか?」
ヴィクトルは距離を詰め、威圧的にマティアスを見下ろした。彼の黒い瞳は静かに怒りをたたえ、決して逃さないという意思をこめている。
その異様な佇まいに、マティアスは一瞬言葉が引っ込んだようだった。
「⋯⋯なっ⋯⋯⋯⋯あのさ。あんた何言ってんの? いくつだよおっさん。ははは、相当金持ってそうだけどさ。若い女に本気になって恥ずかしくねえのか? 俺等の恋愛に首つっこまないでくれない?」
マティアスがこめかみに血管を浮き上がらせながら凄むと、ヴィクトルは腕を組み、深くため息を吐いた。
「お前みたいなやつに自己紹介なんかしたくないんだけどな、仕方がない。確かに俺は多少の金があるだけの、そこらへんにいるビジネスマンさ。彼女のような心の綺麗な女性に出会えたのは奇跡だといえる」
彼は話す内に、自らの胸に秘めた思いの丈を表していった。
「こんな年の男が本気になってみっともないのは、それはそうだろうよ。だがな、俺の気持ちは嘘じゃない。名無しちゃんを大切にしたいし、出会って短い期間だろうが好きだという気持ちは本物だ。⋯⋯だからこそ、一度好きになった女性を平気で傷つける甘ったれのお前みたいな若造には絶対に渡したくない。近づけたくないんだよ」
ヴィクトルは紳士的な大人の表情を剥ぎ取り、ただただ熱い男の眼差しでマティアスに食らいついた。
あなたの心に、彼の真っ直ぐな気持ちが突き刺さる。
「⋯⋯ヴィクトル」
「ごめんね、名無しちゃん。好き勝手なこと言って。でも俺は君を一人にするつもりはないよ」
そう優しく微笑んだ彼のスーツの襟元が、いきなりマティアスに掴まれた。
「てめえ⋯⋯ッ」
激昂した元彼が殴りかかろうとした瞬間に、あなたはその背中を必死に止める。
「やめて! お願い、彼には何もしないで。⋯⋯マティアス、もう終わりだよ。私達終わったの⋯⋯」
「なんで⋯⋯? 俺ら三年も一緒にいたよな? 浮気したことなら、謝るって。本気じゃねえから⋯⋯許してくれよ、名無し⋯⋯」
彼は手を止めて、弱々しい声であなたに振り返った。
ようやくあなたの強固な気持ちを動かせないと悟ったのか、頭をうなだれる。
「ううん。それは関係ない。私の気持ちは、とっくに冷めてたんだ」
「⋯⋯はっ。この男が本当に好きなのか? やめとけよ⋯⋯お前に本気になるわけねえじゃん。ぜってえただの遊び人だよ、こんなやつ⋯⋯」
ヴィクトルはその言葉に表情をかなり険しくさせたが、じっと耐えていた。あなたが毅然とした態度でマティアスを見つめていたからだ。
「私とヴィクトルのことは、あなたに関係ないから」
「⋯⋯へえ。⋯⋯でもさ、残念だったな、おっさん。こいつセックス出来ないでしょ? それでもいいんだ」
薄ら笑いで言われた台詞に、あなたは顔を羞恥で染める。自然と手が震えてきた。
それはもう過去の話であったが、長年苦しんできた問題で、元彼の口から出たことにより、体が動かなくなった。
「お前さ、一発ぶん殴ってもいい?」
ヴィクトルは激怒していた。呼気を荒くしてマティアスの胸ぐらを掴む。
相手は馬鹿にしたように無抵抗だったが、あなたは彼の腕を握ってやめさせた。
「もういいの。行こう、ヴィクトル」
「でも名無しちゃん――」
あなたはヴィクトルの手を引いて、トランクをもって部屋を出ていこうとする。
自分が性の問題を克服したことは、元彼には告げなくていい。きっと彼のプライドはもっと折れるだろうし、自分は惨めに思われたままでいいと思った。
彼を痛めつけるのが目的ではなく、ただ決別したいのだ。
元彼に激しい怒りをにじませながらも、あなたを気遣い、一緒に出ていこうとしてくれたヴィクトルを見やる。
「ごめんね、ヴィクトル」
「いいや。君がそれでいいなら、俺は構わないよ」
彼こそが、自分を長い苦しみから救ってくれた人なのに、黙っていてくれた。
自分のせいで元彼にあんなふうに思われてもだ。
「⋯⋯どうせ別れんだろ、長くは続かねえよ。俺のとこ戻ってきても遅えから、後悔すんなよ!」
奥からそんなことを吐き出す元彼に、とうとうヴィクトルは我慢の限界がきて踵を返す。
あなたが止める前に、彼はマティアスの胸ぐらを再び掴み引っ張り上げた。
後ろ姿しか見えなかったが、彼は怒りをこめてこう言った。
「情けないんだろ? お前じゃ幸せに出来なかったからな。でもな、自分の未熟を彼女のせいにするな。彼女はもうお前のもとには戻らねえよ。二度と近づくんじゃないぞ。妙な真似したら俺が追いかけ回してやるからな、クソガキ」
ヴィクトルの地を這うような低音が届き、あなたは喉をごくりと鳴らす。
彼はいつも上品かつ飄々とした雰囲気だが、温和な彼の激しく湧き上がった怒りが垣間見えた。
マティアスは怯んだのか、何も言えず体を解放される。
戻ってきたヴィクトルは、まだ硬い表情ながら、荷物をもってあなたの手をひく。
そうして二人は、ようやくこのアパートを立ち去った。
外の肌寒い空気の中、ヴィクトルの手のひらだけが温かく灯してくれていた。
