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結婚前夜シリーズ

「コーヒーでいいよな」

 そう言ってごそごそと準備をする同居人に生返事をし、私は明日の出席者一覧を見て最終確認を行う。

私たちは明日、結婚をする。



 結婚、と言っても碧棺左馬刻と同棲を始めたのはもう何年も前なので、単なる同居人、恋人という立場から「夫婦」というものに変わるだけだ。結婚前夜だというのに私たちはいつものように左馬刻が淹れたコーヒーを飲み、だらだらと時間をすごしている。
「ん。今日もおいしい」
「当たり前だろ、俺様が淹れたんだからよ。誰に向かってモノ言ってんだコラ」
 そう言って左馬刻は私の向かい側に座った。口が悪いのはいつものことである。不機嫌そうでぶっきらぼうな口調が「当たり前」だと慣れるまでに時間はかかったけれど。
 今日は遠方から来た両親と、左馬刻の妹さんの合歓ちゃんの5人でご飯を食べてきた。左馬刻を紹介した最初のころは、彼の職業柄ものすごく心配、かつ警戒され、打ち解けるまでにそれは時間がかかったが、今では、母親は合歓ちゃんを実の娘の私よりも可愛がり、父もこっそりとMTCの曲を聴いてはうんうんと頷いているらしい。
 和やかなひと時を過ごし、明日の式があるから、と早々の解散となった訳だが、別れ際に合歓ちゃんが「おねえさん」と照れつつもそう呼んでくれたことが胸にじんわりときたことを思い出した。
「合歓ちゃんさ、私のこと『おねえさん』って呼んでくれたの聞いた? 照れててめっちゃ可愛かった」
「実際にねーちゃんになるわけだから当然だろ。あと、合歓が可愛いのはいつもだ」
 彼がシスコンなのもいつものことだ。
 詳しいことは彼が濁すから聞けずじまいだが、左馬刻と合歓ちゃんはたった二人の家族で今まで頑張ってきた、らしい。そんな二人の世界に、これからは私も「家族」としてお邪魔することになる。
「合歓ちゃんが妹かー。なんか、旦那さんができるよりもうれしいかも」
「おうおう、その幸せ、よおく噛みしめておけや」
軽口を言いあいつつ左馬刻が淹れてくれたコーヒーを飲む。シンプルでいいね、なんていいながら二人で揃えたカップがあたたかい。
 式場の人と打ち合わせした内容をスマホで確認をする。左馬刻本人もそうなのだが、関係者がいわゆるその筋方々だったり、大きなディビジョンを統括する有名人であったりとしたため、担当者の方は大変そうだ。
「何見てんだよ」
 向かいに腰かけていた左馬刻がスマホを取り上げようとする。彼は私がスマホをいじる姿が気に食わないらしく、よくスマホを没収しようとしてくる。最初の頃はそれが原因でケンカもしたが、今ではすっかりと慣れてしまい素直に渡すようにしている。
 スマホの画面を見た左馬刻は「マジかよ」とつぶやいた。それはそうだ。明日、私たちは大勢の前で誓いのキスをして、大勢の前でケーキをあーんと食べさせあって、豪華メンバーによる『お祝いラップ』なる出し物で祝われるのだ。担当の話をイライラと「おうおう」なんて聞いていた左馬刻の頭には事の次第が今まで浮かび上がらなかったことだろう。
「ケーキのくだり、いらねえだろ。なんで言わねえんだよ」
「担当の人が『多くのご夫婦がされてますね』って紹介してたら『それもツケとけコラ』って言ってたの、左馬刻だよ」
「……。おい、『お祝いラップ』ってなんだよ」
「それも左馬刻が酔っ払って帰ってきたときに『やる』って詰め込んできたやつ。ちなみに内容は私も知らない」
「マジかよ」
 半分嘘だった。入間さんが謝罪と、実施の連絡をこっそりと次の日にくれた。H歴に生きる人間からしたら目が飛び出るようなビッグネームが参加者として連なっているので、少し楽しみなのは秘密だ。
「逃げられませんからね、旦那様」
 そう言って私がにっこりと微笑みかける。左馬刻は舌打ちをうちながら、スマホを私の方へ放り投げ、あおるようにコーヒーを飲んだ。


「お前こそ、もう逃げられねえぞ」
 左馬刻は意地の悪そうな顔をして、にたり、と笑った。
「ヤクザもんと結婚なんざ哀れだよなあ。夫婦そろってお陀仏なんてこともざらなのによ」
 彼はたまにこんな風に言っては私の反応をうかがう悪癖がある。自分といると不幸になるとでもいうような口ぶりは、『寂しい寂しい』と泣いているようで痛々しい。
「なに、今ここで『やっぱやめよ』って言ったら別れてくれるの」
「ンなこと言ってねえだろアホか」
 そう言うと左馬刻は私の腕を強引に引き寄せ、キスをしてきた。
「殺してでも逃がすかよ」
 このやり取りも、明日以降は少し変わるだろうか。彼のすがるようなキスもたまらなくいとおしいのだが、そろそろ余裕を持ってほしいとも思う。
 
 左馬刻の手が誘うように私の胸元をなぞる。私たちの間にある空気が、甘く、熱を持ち始めた。これは、いけない。
「はいだめー。 明日結婚式なのに寝不足で参戦なんていけませーん」
 雰囲気をぶち壊すようにおどけた調子で、私は左馬刻の額に軽くキスをする。大きな舌打ちが聞こえた。それでも分かってくれたようで、触れていた手を胸元から離してくれた。
 盛り上がりかけた空気のあとの重苦しさの中、左馬刻が淹れなおしてくれたコーヒーをもんもんと飲む。
 
「そういえば」
 少しでも空気を軽くしようと、何とはなく私はつぶやいた。
「なんだよ」
「私さ、実はコーヒー苦手なんだよね」
 空気がさらに重苦しく感じた。向かい側の男は「コイツ何言ってんだ?」って顔でにらんでくる。
「……お前、今の今まで『うまいうまい』ってがぶがぶ飲んでんじゃねえか」
「そう。左馬刻の淹れてくれたコーヒーは美味しくて飲めるんだよね。不思議だよね」
 さまときは、とくべつ。そう言ってまた彼が淹れてくれた世界一美味しいコーヒーを飲む。
「だから、俺様が淹れてるんだから、当たり前なんだって言ってんだろ」
 また、ぶっきらぼうに返してきた。自信満々な調子は相変わらずだ。

「お兄さん、顔が赤いですよ」
「うるせえ。見んじゃねえよ」
 左馬刻はたまに変なところで照れる。そういうところがすごく、好きだ。
 普段は粗野で乱暴で、シスコンで、いい年して「俺様」と自称するどうしようもない男だが、今日みたいな照れた姿や、時々見せる穏やかな表情や、優しく私に触れてくれるところが、たまらなくいとおしい。

「あー、あー。うるせえうるせえ。明日も早いし俺は寝るぜ」
 そう言って彼は乱暴に席を立ち、ご丁寧に飲みほした私の分のカップも併せて洗い場に持って行ってくれた。
 そのあと、洗面台で歯を磨いて、二人でベッドに入った。
「明日、楽しみだね。『お祝いラップ』って何だろうね」
 緊張してきたのだろうか、布団に入った瞬間に明日のことが色々と頭を駆け巡る。
「知らねえよ。それしか頭にねえのかよ」
 少し眠そうな声で左馬刻は答えてくれる。
「ああ、でも俺様も明日は楽しみだぜ」
「え」
 そうなんだ。周囲の圧力があったから渋々式を執り行うと思っていたのでこの発言は意外である。
「『新婚初夜』ってやつは俺様も初めてだしな。今日の分も含めて覚えとけよ」
「えっち」
「身体、熱くなってるぜ」
「あー。うるさいうるさい。もう、おやすみなさい」
「おう」

私たちは明日、結婚をする。

いつか明日のことも二人で、もしかしたら子どもとかと笑って話をするときが来るのだろうか。
合歓ちゃんや、お父さん、お母さんとも明日のことを思い出として話すのだろうか。
明日はとびきりの笑顔で、世界一幸せなやくざの嫁ですって旦那さんに伝えよう。


 私たちは明日、家族になる。
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