トラヴェル
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ナナシは、狭いシートのスペースいっぱいに体を伸ばし、何とか楽な姿勢に長まった。
隣ではメローネがカチ、カチとイグニッションキーを回し、何度かしくじった後、ようやくグルン…ルン…ルン…とエンジンに命を吹き返させる。
ガグン!
後輪が妙なバウンドをしたせいで、ナナシの頭が収まりの悪いヘッドレストからずり落っこちる。
やや面倒そうに首を元のいい位置へ据え直し、つっかえに自分の腕を枕にする。
「ねえ、どれくらいで着くの?」
「さぁ?5分で着くかもしれないし、永遠に到着しないかもしれない」
「いいかげんね」
杳(よう)としてわからない返答。
ナナシはウットリと眠たそうなかすれ声の返答を返し、アイマスクの下で目をつむった。
「その気になればすぐ到着するさ」
「今はその気にならないってこと?」
「まぁね」
また奇人の奇行が始まった。
ナナシは閉じた目の奥で、耳にもフタがついていたら良かったのにと考える。
そうすれば、この耳障りなおしゃべりの相手をしなくて済むのだから。
たった二人しかいない車内で逃げ場もなく、ナナシは眠気に身をまかせることにした。
エンジンの震えが小さく体を揺する。
「あれ、怒った?」
「別に」
「すぐさ」
「その気になりさえすればいいんだ。…ほら、砂漠がもうすぐそこ。砂の山が重なっているのが見える」
「砂嵐に巻かれないといいわね」
「『砂漠を抜ける道、最後のガソリンスタンド』だって。チリドックでも食べていく?」
「要らない」
「東に、あれは水瓶座、きっとそうだ」
「ふうん」
「ゼウスが大鷲に化けて、可愛らしいガニュメデスを拉して酌童(しゃくどう)にしたんだ。それまで酌をしていたヘベがお払い箱になって、ヘベの母親はカンカン。ガニュメデスを星に変えてしまった…ってのが水瓶座の由来なんだって。」
「眠れない!」
「寝物語にぴったりだと思ったんだけど」
衒(てら)い気で蝶蝶(ちょうちょう)しいおしゃべりは、それきり止んだ。
ついでにエンジンまでとまり、手が伸びてきて、運転席側を向かせようと腕を捉(つらま)える。
「なぁ、その気になればすぐ着くんだ。別の場所を経由していっても構わないだろう?」
「どこを経由するのよ」
「魂の楽園。絶頂」
一向式(いっこうしき)のコトの運び方につまされる気は更々ない。
腕をグゥと押し戻すと、しつっこく絡まりながらのし掛かってくると思われていた体は、存外あっさり引きさがった。
イグニッションキーがカチ、カチ、音をたてる。
キル、キル。グルル…ルル…
時間をかけて、またエンジンが唸りだす。
ナナシは、今度こそと神経にシャッターを降ろす。
と、今度はけたたましい音を立てて列車が車の脇を通過していった。
軽い音が小刻みに続く。貨物列車だろうか。
「今度はアレに乗ってみようか。マイアミに行きてぇな。トップレスの女の子、あれってさ、どうみても『しちゃってもいいわよ』ってサインだよな?」
「…あぁ、もう!」
むしり取ったアイマスクの外は、もう白み始めていた。
夜っぴて詰まらない話を聞ナナシは、眠気を振り落とすように乱暴な仕草でドアを開いた。
身じろぎも自由にならない姿勢から解放され、ウゥンと体を伸ばす。
山の輪郭が明るい。太陽が姿を現す直前の時間。
冷えた空気が、足下から両足の間までシンと登ってきて、フッと身震いした。
温かいシャワーとカプチーノが恋しかった。
バターの織り込まれたクロワッサンも恋しい。
もっと我が儘を加えていいなら、鍋の中でもみくちゃにされた生クリーム入りのスクランブルエッグと、厚いベーコンをカリカリに焼いたのと、カニのほぐし身が乗ったルッコラのサラダと、デザートにはグレープフルーツのザバイヨーネも恋しい。
昼頃に少しのパスタを食べてから水以外何も口にしないまま一晩を明かしたのだから、豪華な朝食を欲しても贅沢すぎると咎められる筋合いはないだろう。
「ねぇ、どうせ到着しないんだから先に何か食べない?」
「そうだね」
先ほどまで乗っていた1980年製の2シーターフィアットを振り返ると、メローネも車を降りて体を伸ばしていた。
「それにしても、ちっとも動かねぇ」
「本気で動かすつもりでいたの?」
二人は、右と左の宛てもなく歩き始める。
仕方なしに。
一晩の宿になるはずだった錆びと砂だらけのフィアットは、昨晩から1センチと違わない位置で半分土に埋まっている。
右タイヤは前後輪とも外れ、左前輪は土塊の一部となり、動くはずもなく、まだつぼみも付けないひなげしの茎と一緒に大地から生えていた。
高級車の呼び名にはとても似気無(にげな)い風体が、朝日の中でいっそう見窄(みすぼ)らしく見えた。
thee end
隣ではメローネがカチ、カチとイグニッションキーを回し、何度かしくじった後、ようやくグルン…ルン…ルン…とエンジンに命を吹き返させる。
ガグン!
後輪が妙なバウンドをしたせいで、ナナシの頭が収まりの悪いヘッドレストからずり落っこちる。
やや面倒そうに首を元のいい位置へ据え直し、つっかえに自分の腕を枕にする。
「ねえ、どれくらいで着くの?」
「さぁ?5分で着くかもしれないし、永遠に到着しないかもしれない」
「いいかげんね」
杳(よう)としてわからない返答。
ナナシはウットリと眠たそうなかすれ声の返答を返し、アイマスクの下で目をつむった。
「その気になればすぐ到着するさ」
「今はその気にならないってこと?」
「まぁね」
また奇人の奇行が始まった。
ナナシは閉じた目の奥で、耳にもフタがついていたら良かったのにと考える。
そうすれば、この耳障りなおしゃべりの相手をしなくて済むのだから。
たった二人しかいない車内で逃げ場もなく、ナナシは眠気に身をまかせることにした。
エンジンの震えが小さく体を揺する。
「あれ、怒った?」
「別に」
「すぐさ」
「その気になりさえすればいいんだ。…ほら、砂漠がもうすぐそこ。砂の山が重なっているのが見える」
「砂嵐に巻かれないといいわね」
「『砂漠を抜ける道、最後のガソリンスタンド』だって。チリドックでも食べていく?」
「要らない」
「東に、あれは水瓶座、きっとそうだ」
「ふうん」
「ゼウスが大鷲に化けて、可愛らしいガニュメデスを拉して酌童(しゃくどう)にしたんだ。それまで酌をしていたヘベがお払い箱になって、ヘベの母親はカンカン。ガニュメデスを星に変えてしまった…ってのが水瓶座の由来なんだって。」
「眠れない!」
「寝物語にぴったりだと思ったんだけど」
衒(てら)い気で蝶蝶(ちょうちょう)しいおしゃべりは、それきり止んだ。
ついでにエンジンまでとまり、手が伸びてきて、運転席側を向かせようと腕を捉(つらま)える。
「なぁ、その気になればすぐ着くんだ。別の場所を経由していっても構わないだろう?」
「どこを経由するのよ」
「魂の楽園。絶頂」
一向式(いっこうしき)のコトの運び方につまされる気は更々ない。
腕をグゥと押し戻すと、しつっこく絡まりながらのし掛かってくると思われていた体は、存外あっさり引きさがった。
イグニッションキーがカチ、カチ、音をたてる。
キル、キル。グルル…ルル…
時間をかけて、またエンジンが唸りだす。
ナナシは、今度こそと神経にシャッターを降ろす。
と、今度はけたたましい音を立てて列車が車の脇を通過していった。
軽い音が小刻みに続く。貨物列車だろうか。
「今度はアレに乗ってみようか。マイアミに行きてぇな。トップレスの女の子、あれってさ、どうみても『しちゃってもいいわよ』ってサインだよな?」
「…あぁ、もう!」
むしり取ったアイマスクの外は、もう白み始めていた。
夜っぴて詰まらない話を聞ナナシは、眠気を振り落とすように乱暴な仕草でドアを開いた。
身じろぎも自由にならない姿勢から解放され、ウゥンと体を伸ばす。
山の輪郭が明るい。太陽が姿を現す直前の時間。
冷えた空気が、足下から両足の間までシンと登ってきて、フッと身震いした。
温かいシャワーとカプチーノが恋しかった。
バターの織り込まれたクロワッサンも恋しい。
もっと我が儘を加えていいなら、鍋の中でもみくちゃにされた生クリーム入りのスクランブルエッグと、厚いベーコンをカリカリに焼いたのと、カニのほぐし身が乗ったルッコラのサラダと、デザートにはグレープフルーツのザバイヨーネも恋しい。
昼頃に少しのパスタを食べてから水以外何も口にしないまま一晩を明かしたのだから、豪華な朝食を欲しても贅沢すぎると咎められる筋合いはないだろう。
「ねぇ、どうせ到着しないんだから先に何か食べない?」
「そうだね」
先ほどまで乗っていた1980年製の2シーターフィアットを振り返ると、メローネも車を降りて体を伸ばしていた。
「それにしても、ちっとも動かねぇ」
「本気で動かすつもりでいたの?」
二人は、右と左の宛てもなく歩き始める。
仕方なしに。
一晩の宿になるはずだった錆びと砂だらけのフィアットは、昨晩から1センチと違わない位置で半分土に埋まっている。
右タイヤは前後輪とも外れ、左前輪は土塊の一部となり、動くはずもなく、まだつぼみも付けないひなげしの茎と一緒に大地から生えていた。
高級車の呼び名にはとても似気無(にげな)い風体が、朝日の中でいっそう見窄(みすぼ)らしく見えた。
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