レアジェンテ
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男は呻いた。
日曜ごとに行っていたミサの、長たらしい神父の説法の中から二つ三つ聖書の言葉を口の中で唱えたが、それは言葉にならず、先に述べたように『呻いた』かたちになった。
それは自らの人生の『終わり』を覚悟したからに他ならず、せめてこの瞬間に天の父の名を忘れずにいられたことを男は誇りに思った。
暖かいミネストローネ、蛇口をひねりさえすればいくらでも出てくると思っていた熱いシャワー、香水の匂いのする女の胸、愛の言葉…それは教会のミサと同じくらい、もっと遠い昔話。
結局流れ着いたここは、誰もいない…誰に見向きもされないような、石造りの建物どうしのほんのわずかな隙間だった。
雨水が、水捌けの悪い材質の壁に緑色と黒のおどろおどろしい筋をつけている。
その汚いマーブルの中にどうにか神の姿が見えはしないかと、視力を失いかけた目を細めてみた。
見えるはずもなかった。
ならばせめて日のもとで死にたい…と。
力を振り絞り、向日葵と蒲公英と甘草をいっぱいに咲かせたような黄色い光の風景のほうへと這い出した。
ヒュウと吹き付けた風は冷凍庫の中の温度だったが、日の光は暖かい色で醜くなってしまった体を包む。
見えにくい目に雲の向こうの太陽はぼんやりと白く、輪郭の外側に丸い輪がかかって見えた。
「───ックソ!」
小気味よい革靴の足音の後、ふいに、あちらの路地からひとりの若者が踊り出た。
踊り出た若者の容貌は、
袖も胸も真っ赤に染めあげたのは、熟れたトマトを握りつぶしたからじゃあない。
熱情を抑えきれずに女があれの時にしてしまって、シーツが同じ色に汚れて捨てたことがあった。
若者の服はそれと同じ風合いで、ふちは茶色く、真ん中はまだ渇ききらない赤いものがべったりと染みている。
男の口の中はパサパサに渇ききり、言葉は紡ぎ出せなかったが、アルミニウム缶を潰した音のような声は若者の注意を引きつけた。
若者は苛立たしげに、こちらに向く。
切羽詰まっているのは明白だった。
凍えた指先は真っ直ぐには伸びなかったが、先程まで自分が納まっていた隙間を指差すことはできた。
飛び込んだ若者はちいちゃく丸かり、頭をかかえた伏せの姿勢をとった。
男は、ゆっくりと隙間の前に体を戻した。
目の前を、みっともなく取り乱した黒い服の男たちが駆けていく。
いくつかの足音がばらばらの音をたてて、
だんだんと───
だんだんと───
───遠くへ去った。
やがて若者は起き上がり、真っ赤な染みのついた服を脱いで差し出した。
男は胸の前に十字をきり、くちゃくちゃの皺を伸ばしきれない指を、両手を差し出した。
今度はまた、別の足音がこちらへ近付いてきた。
足音に、コチャコチャと腰のあたりで跳ねるガンベルトの音が混じる。
男は受け取った服を急いで着ながら、食べ物と、住むところと、週に一度のシャワーと、神父の説法を与えてくれた若者に礼を言った。
それはアルミニウム缶を潰したような声で呻いたようにしか聞こえなかったし、裸の背中がどちらへ行ったのか、礼に対する答えがあったのかは定かでない。
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