『3104丁目、クリスマス』
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草木も眠る丑三つ時。
より、もう少し時計の針が進んだ時間。
いくつかの冬の星座が瞬く夜空の下。築百六十四年木造二階建ての屋根瓦は、地方都市の一角で冷え冷えと波打っている。おおよそ人のいるべきではない時間、場所に、ふたつの人影があった。
「『こんなところ』で何をしているんだ?」
こんなところ。それは、台詞の主……イルーゾォ自身にも言えることだ。
庭の隅に茂った南天の枝を大きく揺すった寒風が、闇空の色の髪を吹き上げた。イルーゾォはスキニーなブラックジーンズに通された細長い足を蜘蛛のように折り、不安定な瓦の上にバランスを保つ。肋骨の浮く身体が寒さを感じないはずはないだろうに、薄いシャツ一枚きりのその裾は、風に吹かれてめくれ上がる。暗がりの中でも、鮮やかないくつかの色に飾られた脇腹の肌がちらと見えた。
「……へッ。テメェこそ『こんなところ』に何の用があったんだ?」
ギアッチョは目の前に躍り上がったマフラーを手で避け、首の後ろに結び直しながら、わざと質問を質問で返した。
イルーゾォは答えない。黒いまつげの奥から、それだけは闇に溶けない鳶色の瞳が、じっと睨みを利かしている。
こんな場所で対峙することになろうとは、互いに想定の範囲外、アクシデントであった。だが、やはり目的はただひとつ。
「寝てもらうぞ、ギアッチョ」
「寝言は寝てから言うモンだろ。順序が逆だが、今から寝かしてやるぜ」
寝かし、いや、『意識を失わせる』方法くらい、裏稼業のエキスパートである二人は、いくらでも心得ている。
先手はイルーゾォだった。
丸く束ねられた縄状のものが、ギアッチョの腹を目掛けて飛んできた!
ギアッチョはうねる瓦の上を横飛びに避け、頂点の
足元でぱっと火花が爆ぜた。ほんの一瞬前までギアッチョの足があった位置だった。ギアッチョの心臓が一度ドキリと大きく跳ね、こめかみから脂汗が伝い落ちた。
間一髪、大した重さも威力もなかろうと見くびりはしたが、回避して正解だった。
あれでは
ワイヤーの根本に繋がったスタンガンが、電光の星を散らす。イルーゾォのにやけっ
策を講じていないわけではなかった。……だが、この最終手段を、実際に使うことになろうとは。
周到に用意していたその手段を実際に用いることを、ギアッチョ自身がためらった。
しかし時間がなかった。
深夜に吹いていた凍るほどの風はいつのまにか止んでいたが、身体の心まで凍てつかせる朝方特有の底冷えは、あと数十分で夜が明けることを知らしめている。ギアッチョも、イルーゾォも気がついているだろう。どこからか羽ばたいて来た早起きの雀が二羽、衿乃屋の
暖かいのだろう室内は、とても静かだ。「上と下は仲良しさんになっちゃいそうなお目目ちゃん」というイルーゾォの猿芝居は功を奏し、ケーキに刺したハロタン入り蝋燭は火を点けられると同時に薬剤成分を部屋に充満させた。黒い身体でヌルリと部屋を抜けだしたイルーゾォは、まんまと全員を眠りにつかせた。だが、蝋燭に仕込めたハロタンの量はごくごく僅か。
時間がない。目の前の相手だけに集中していては、まんまと時間切れになってしまう。
ギアッチョは凍える手でエモノを取り出した。
ただ、貴重品やポップ書き用のマジックを入れてバイト中に身に着けているポーチにこんなモノを入れて持ち歩いているとは……中学二年生的な病を相当に『こじらせている』。イルーゾォは一瞬、ウヘァ、と気が抜けてダラリと両手を下げた。しかし、例の病も絶好調なギアッチョは、真剣な眼差しをイルーゾォから外しはしなかった。
「くたばれサンタクロース」
パン!と軽い発砲音。
多少身構えはしたが、イルーゾォはその場を動かなかった。BB弾に打たれたパチンという痛みなど、取るに足らないダメージだ。
しかし、痛みどころか、衣服のどこかに当たった感触さえしなかった。
それもそのはず、BB弾が飛んでいたのは、全く見当違いの場所だった。ナナシとペッシに頼まれて軒先にも飾っていたクリスマス模様のアルミ風船が、ひとつ犠牲になっていた。
『サバイバルゲームの最中以外、人に向けて撃ってはいけない』ギアッチョは、トイガンマニアとして最低限のマナーを守る紳士だ。
風が吹き上がった。
足元で、ゴウンとひとつ、唸るような音が鳴った。時間は午前五時。目覚めの遅い冬の朝日には構わず、時間通り朝一番に火を入れられた衿乃屋のボイラーが、スス臭い蒸気をワっと吐き出す。それは周りの冷気を巻き上げて、ギアッチョとイルーゾォがいる屋根の上まで登ってきた。
イルーゾォは目眩を感じた。立っていられないほど頭の中がグラつき、続いて感じたのは強烈な眠気だった。
爆発したクリスマス模様のアルミ風船の中身の正体は、これも吸入麻酔薬のイソフルランであった。酸素吸入器を通じ酸素と混ぜて用いられる麻酔ガスを高濃度にし、クリスマス用のアルミ風船に仕込んでいたなどと、誰が想像できただろうか。
確かに、ギアッチョは室内にも同じアルミ風船を飾っていた。この絡繰りのために「価格の高騰でヘリウムガスが買えなかった」などと嘯き、糸でもって天井から風船を吊り下げてまで。
エアガンのマナーより、薬事法を守るべきではないか。いや、イルーゾォもだ。誰かがそう咎めるだろう。だが、ギアッチョには大した問題ではない。
「先に手の内を暴いたほうが敗け。鉄則だぜ」
自分が仕掛けたのと同じ種類のトラップに掛かったイルーゾォが最後に聞いたのは、勝ち誇るギアッチョの捨て台詞。
───と言いたいところだが、それには間抜けな続きがあった。
「や、べ、ガスマスク、持ってくるの忘れ、た」
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