『3104丁目、クリスマス』
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『クリスマス・イブ』と特別に名の付けられた冬の夜が、終わろうとしていた。
ピザ屋の配達員はサンタクロースの格好をして休む間もなくピザを配り、プレゼントを包む包装紙で乾燥した手を切ってばかりの大手雑貨店の店員は最後のプレゼント包装に追われ、アベックは交尾の部屋の順番待ちにファッションホテルに車の列をなす。
ここ、『黒井』の表札が掲げられた築百六十二年木造二階建ての居間は、クリスマス・イブに乗じたドンチャン騒ぎも、汚れた食器とアルミ缶、食べ残しやら食べこぼしやらが静かな残骸を残すだけとなった。
クリスマスツリーが部屋の端で色付きの豆電球をチカチカさしている。葉がすっかりくたびれて埃っぽい年代物だが、律儀に毎年同じ位置に出てきては、ひとつ、またひとつと色電球の寿命を切らし、それでも健気に雰囲気を出してくれていた。クリスマスの本番は明日だが、これは大掃除を前にした明日の朝、早々に片付けられてしまう運命にある。毎年のことだ。今年はクリスマス模様の銀風船を買ってきて天井から幾つも吊り下げ、ちょっと豪華に飾り付けてはあったが、コタツに
ぎっしり詰まっていた揚げチキンはすっかり食べつくされ、赤いバケツ型の紙パックはもう、シャブリ尽くされた骨と油の染みた紙ナプキン用の卓上ゴミ箱だ。
サッポロ、アサヒ、キリンにエビス。おおよそ国内メーカーのビールを飲み尽くした空き缶だけが、まだまだ増えていく。
シャンパン、などと飲みなれない洒は特別な日にも食卓に上らない、そんなクリスマス・イブ。
「油っぽいチキンに、ケーキ。よくもまぁ、この組み合わせを横行させておくものだ」
毎年やたらと繰り返される大手揚げ鳥屋のコマーシャルに恨めしげな視線を送るのは、最近胃にクるお年頃二十八歳、我らがリーダー、リゾット・ネエロ。この後やってくる洋菓子など見たくもないと、今度はケーキの映像を流し始めたテレビから目を逸らした。
リーダーの胸焼けをよそに、女一人とオカマ一組がキャアっと色めき立った。この家でほぼ飯炊き女と化している紅一点ナナシと、ウェブ関連の何でも屋で生計を立てるオカマカップル、ソルベとジェラートだ。この時期に大量生産される甘くもない苺を乗せた生クリームのデコレーションケーキが、いよいよご登場だ。
ケーキを運んできたのは、図体はイッパシ中身はビビリ、その名はマンモーニ、ペッシ!とどこかのアニメーションの如きナレーションでよくからかわれるペッシ。頭の天辺だけ残した髪をおっ立てていたが、性根の優しいのと中身のおっかながりのせいで近所の小学生にさえ怖がってもらえない。
ケーキのサイズは特大。この人数が揃うクリスマスに用意されるのは、ちょっとしたウェディングケーキくらいある。さっと横から手を出して人差し指にクリームを掬い取ったプロシュートは、ペロリと口に入れて「これで充分、ごちそーさん」と、紙パックの白鶴・まるをコップに注いだ。真っ赤なパッケージでクリスマスムードを盛り上げるつもりらしかったが、オヤジ臭が漂ってくる。
ペッシが兄貴分のプロシュートを「こら!」と叱った。
「クッソ、いいから早くしろよ!バイトに遅れッちまうだろーが!」
あと十分ほどで深夜のコンビニアルバイトへ行かねばならないギアッチョがペッシを急かす。
代表してリゾットが切り、一切れを皿に取り分けると、優先してギアッチョへと手渡した。
自分の手に皿が乗るやいなや、ギアッチョは先に構えていたフォークを真ん中にブスリとやって半分ずつ、たった二口で掻き込んだ。こんなに急いで詰め込んだのでは味も何も解ったものではない。しかし「クリスマスに・ぼっちではない状況で・クリスマスケーキを喰った」という事実のみが重要なギアッチョにはどうでもいいことだ。
それぞれが個性的、そしてそれなりの容姿を誇る男たちと、その中で暮らす変わり者の女がひとり。みなそれぞれに、クリスマス・イブの夜のお誘いも、
「お前ら、いい加減に寝ないか」
リゾットがケーキを渡しながら切り出した。
「いやいや、こっちはババ抜きの決着がまだだ。リーダーこそもう寝ろよ、ご老体に響くぜ?」
バッサバッサとペアになったカードを捨て、こちらも見ずにホルマジオが返す。
「決着なら付いてる。ホルマジオは五連敗でオーラス確定、用済みのザコなんだからさっさと抜けて寝てくんない?」
ババ抜きの決着で年末大掃除の担当場所を決めていたメローネは、油汚れのタップリついた換気扇掃除を免れてはいるが、障子の張り替えかをかけてプロシュートとの一騎打ちだ。朝も昼も食べたか食べないか解らないイルーゾォは、空きっ腹に酒を入れたせいで真っ赤に充血した目をシパシパさせ、眠気を追い払うように頭を左右に振った。昨日一晩かけて女の背に彫り上げた竹林と虎の刺青が、彫師イルーゾォの気力も体力も奪い尽くしてしまったのだから仕方がない。
「あーあぁ、イルーゾォのお目目ちゃんは、上と下は仲良しさんになっちゃいそうですねェ~」
ホルマジオが
「ケーキ食べたら歯磨きして、今日は早く寝てよね。みんなが寝てくれないと、全然片付かないんだもの!」
ナナシはひとまず苺を避けて、少々固い生クリームとスポンジを味わう。可愛らしく鼻先にクリームをつけたペッシが、「まぁまぁ」と、ねぎらうようにフォークを上下させた。
「いやいや、あとはやっておくから、ナナシは先に寝てもいいンですぜ?」
「朝に追加の洗い物がゴッチャリ積み上がってるのが嫌なの。どうせ、夜食だとか言ってホルマジオがヤキソバ作り始めるし、プロシュートは別のお酒を飲むのに新しいグラス出すし」
「あらァ、そのくらい、アタシがやっておくわよ」
過去、クリスマス・ケーキに延延と苺をのせる仕事に従事して以来、苺が一切駄目になってしまったジェラートが、苺をソルベの皿に避けながら言った。苺の取り分がいつもひとつ多くなるソルベが、嬉嬉としてひとつめを頬張る。
「誕生日ではないから」とナナシが避けていた色とりどりの蝋燭を、イルーゾォが「キリストの誕生を祝えよ」と、カットされた後のケーキに刺していく。
「ムグ、やだもう!合成洗剤でジェラートの手が荒れるなんて耐えられないから、私が洗っといたげる。ジェラートも先に休んでちょうだい」
ソルベがにっこり笑った。ジェラートが笑い返す。ペッシも、ナナシも、笑顔を作ってそれぞれを見返す。
なぜこうも、皆が皆を寝かしつけようとしているのか。
答えは『サンタクロースのプレゼント』にある。
3104丁目の
それぞれがそれぞれに抱く日頃の感謝の気持ち(または多少の嫌味)をプレゼントに変え、そっと枕元に置く。毎日顔を合わせる者同士、面と向かっては恥ずかしく、遠慮も生まれるのだろう。クリスマス・イブは、サンタクロースの名を借りて匿名の贈り物をするにはうってつけの夜だ。
だが寝ない。誰も寝ない。当たり前だ。皆、目論むことは同じなのだから。
今年のギアッチョは一番の
クリスマス・イブと特別に名付けられた夜の残り時間は、音が鳴らなくなった壁掛け時計の秒針に削り取られていくようだった。
.