互<タガ>いに臭骸<シュウガイ>を抱<イダ>く
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彼女は小ぶりのボストンバッグと、肩に掛けるアクセサリーバッグ……というには少々味気ない、そしてちゃんと収納力のある荷物を手にした。
女性が一週間の荷物を収納しきるには少なすぎる気もするが、それでも旅慣れた彼女にはそれが必要最低限、そしてそれで十分であることがよく解っていた。
体に添う、襟元の立った柔らかなカットソー。
その上にワンピースを着用し、季節柄、防寒のためにレギンスを履く。
ヒールが細すぎない、履き慣れたブーツ。
一見しては解らないが緻密に計算された縫い目は水を通さず、突然の雨にカフェテリアのルーフ下へと駆け込む彼女の足を濡らしたりしない。
上には、腰までの長さのニットコートを羽織る。
毛糸は軽く暖かく空気を抱き込むが、網目から冷たい風がダイレクトに突き抜けるという難点がある。
その点で、彼女はちゃんと裏地がうたれたものを選んで購入した。
首周りに、薄いストールをマフラーのように巻く。広げれば大きな長方形になる柔らかなカシミアは、肌寒ければ体にぐるりと巻いてもいい。
ブーツと同じブランドの、柔らかく薄く、しかし暖かい手袋。
ピアスは気に入りの一組を。
これで彼女は、どんなコンピューターゲィムの魔王だって倒しにいける装備を整えた。
ただし、彼女はいつも一つだけ余計と思える荷物を増やすことにしている。
つい、増やしてしまう。
それがなければ、きっともっと素直に車窓を移ろう景色を彼女に楽しませるだろう。
重力に伴って負荷をかけ、細い指の手のひらの側に赤い跡を付けないかもしれない。
たった一冊の本。
それはハードカヴァーで『MEM …』と書かれている事もあったし、単行本サイズの『 …椅子』ということも、世界的ベストセラーの『聖… 』であることさえあった。
しかし、仲間のデスクに置き忘れられ最近は読まれていないらしい『 …トラ』は公衆の面前で開くことが憚られ、さすがの彼女も閉口した。
今回は、あまり大きなサイズではなかった。
表紙は斜めに切れて外れかけ、項のところどころ…重要なところにきて文字が虫食われ、おまけに、捲るたびカビのにおいをさせる古い古い本。
どこから見つけてきて何故そんなものをわざわざ読まねばならいのか、と、つい聞きたくなってしまうような薄汚れた紙の塊。
バスの中では、中年男二人のやかましいロシア語の会話が文字を読みとるのを邪魔した。
何かの会の帰りらしい老人の集団が、シートに腰を落ち着けるのを妨げた。
チェーン店の小さな席で年頃の少女が鏡を前に、毒蛾の鱗粉のような光る粉を幼い顔の目蓋に塗りたくっていた。
母親にカラフルなドーナツを強請る子供の声が、次第に大きくわめいた。
電車で向かい合った青年が、うたた寝の間に何度も側頭部を窓ガラスへと軽くぶつけた。
冷たい石畳の上、ぼろ切れの塊のようになったホームレスがどこまでも後をつけてきた。
そのたび、それらが彼女の集中力を本から遠ざけた。
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