ルーティンワーク1
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換気扇に巻き込まれた金蛇がズタズタになった、凄惨な事件の朝。悲しむような雨はまだ、街の情景を濡らし続けていた。
「太陽の機嫌が良いうちに」とマンマみたいな口癖を唱えるペッシと共に屋上で洗濯物をピン止めしたのはもう十日も前になる。
ぐずぐずと思わしくない天候を長引かせる空は、今日も暗い。
ナナシは曇る空に負けず劣らぬ暗い溜息を吐く。
溜息の先、建設的なプランは、実はとっくに頭の中で組み上がっていた。
それは、こうだ。
気に入りの服を選び、今年の流行を並べたてるウィンドウでも眺めながら街外れのカフェまで歩く。もちろん、水溜りを跳ね上げる車には充分に注意する。
入り口から一番遠い窓際のひと席を陣地にして、休みない空からの涙にカプチーノの乾杯を捧げる。
カフェのアペタイザーには、口いっぱいにバターの香る儚いラング・ド・シャか、カリカリのカラメルナッツをたっぷりと乗せたプラリネ。
甘い焼き菓子でささやかな贅沢をして、『次に通りの角から顔をだす傘の色が何かを的中させる』そんな密やかな一人遊びに興じる。
毛の濡れた猫がいたら撫でてやろう。そして林檎かプラム、赤い果物をひとつだけ買おう。
不機嫌な天候でも、火薬や現像液や、生活感を感じるオリーブオイルや洗剤の匂いを充満させた人殺しのアジトより、広い外の世界は素晴らしい出来事であふれているはずだ。
ここまで綿密な計画が仕上がっていながら、ナナシは外への一歩を躊躇していた。
「こもりきりでは退屈だ」というナナシの行動動機の前に「きっと素敵な気分を盛り上げてくれるエメラルド色のヒールを履きたいけれど、水が染みるのは絶対にご免だ」という葛藤が立ちはだかっているからだ。
一向に世界を冷やさない雨が続く窓の外に、ナナシはいじましい視線を送り続けていた。
部屋はサウナ。外はミストサウナ。
暑さで息苦しささえ感じる。
アックア・アルタがまた、ヴェネツィアを水に沈めているらしい。
首筋に滲み出した不快な汗を手の甲で拭う。
女性らしからぬ行儀の悪い仕草を見つかれば、背筋の伸びた金髪に何か云われるだろうが、居ない者の心配など無用。
別の気配が背後にそっと寄り添った。
そして、窓枠にかけた手の上に、一回り大きな手が重なる。
間もなく、背中にもうひとり分の暑苦しい体温が押し付けられた。
「晴れないな」
イルーゾォは体をぴったりとナナシの背に付け、彼女の頭ごしに曇る空を見上げた。
少しも残念そうでない物言いが、ナナシの気分をさらに滅入らせた。
力強い日差しが照りつける時間よりも、夕闇の頃に本領を取り戻す質(たち)のイルーゾォが相手なのだから仕方がない。
「どうせ、どこへも行けないんだ。久しぶりに、少し付き合えよ」
くるりと体を反転させられてしまい上目遣いにイルーゾォを見れば、狡猾な陰を潜ませた鳶色の瞳と目があった。
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