オーフリー
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リゾットの視線は、絶え間なく感じていた。
何も言わない、助けもしないが、リゾットはホルマジオとギアッチョに加担しもしなかった。
もうそちらを見る気も起こらない。無駄だからだ。
ナナシはギアッチョから奪ったリボルヴァーのマズルを下向きにし、シリンダーをスイングアウトさせた。
弾はたったの一発しか装填されていない。
一撃で殺るつもりだったのか。どうして。
突如、地獄の底に突き落とされたような一瞬の間では、ホルマジオやギアッチョの思惑を探ることもできなかった。そしてリゾットの思惑を測ることも、できない。
―――どうして。
その答えに繋がるものは、何もない。
そこにあったのは、ナナシに死をもたらすための武器と、殺人者だ。
また、扉が開く。
ナナシは起こしていた背中をベッドへ投げ出し、焦る手でシリンダーを戻した。
銃を持った腕だけがドアの隙間から伸び、正確に狙いを定めて撃ってくることを想像したからだった。
一度入室して位置関係を完全に把握したギアッチョになら容易い。
頭が高い位置にならないよう、寝転んだままの不自由な姿勢で足元のドアへ照準を合わせる。
足が動かないまま、何の盾もないこの空間で姿勢を低くするためには、寝転んだ姿勢しか無い。
扉が開ききるのを待つ。音を漏らさないための扉は重く、おまけに防弾だ。手の中にあるたった一発をしくじることは、死の谷にかかる吊り橋を踏み外すことと同じだった。
しかし、扉の向こう側から姿を表したのはイルーゾォだった。
ピン。
リゾットの手元で、ジッポーライターの蓋が開く音がする。
まずイルーゾォは、何も持っていない両手を肩の位置まで上げ、広げて見せた。『危害を加えるつもりはない』とナナシに知らしめる。
軽い足取りでくるりと一回転し、背も晒す。
敵か。見方か。
全ての人間を二つの分類に無理矢理当てはめねばならないことはないが、一瞬、ナナシはそう考えた。
そして、正常な判断力を欠いてきていることに、我が事ながら苦笑いを漏らす。
葛藤するナナシの前、イルーゾォは、スタンドカラーのシャツに縫い付けられたチャイナ・ボタンを上からひとつ、ふたつと外していった。
薄い皮膚が張り付いているだけの肋骨の中心を、闇に開く。
幾束かに結わえて留めた髪を肩の後ろへ追いやれば、喉仏が目立つ細い首が晒された。
「ほら、ここだ。しくじるなよ」
イルーゾォは胸元をくつろげ、節だったナカユビの腹で、肋骨の丁度中心をトン、トンと指し示した。
仰向けに寝転んだ姿勢のナナシの顔の横に左腕を立て、覆いかぶさる。
ベッドが軋む。イルーゾォの重みがスプリングを押し、ナナシの背中をより不安定にさせた。
使い慣れないリボルヴァーを握るナナシの手に、イルーゾォの冷たい右手が重なる。先ほど指で指し示した位置へ、銃口が誘導される。
イルーゾォと、イルーゾォの脇腹から胸にかけて巣食う緋色の鳥の、みっつの目がじっとナナシを見ている。
額から後頭部へと優しく髪を撫でたイルーゾォの指は、耳と顔のラインを辿り、両手はナナシの首でとぐろを巻いた。
「死にたくないなら殺せばいい、殺せないなら死ね。どちらにしても、さよならだ」
唇が触れる。
朝のベッドで交わすのと変わりないくちづけは、今、自分の命を握りつぶそうとしているイルーゾォが僅かの緊張も恐怖も抱いていないことをナナシに知らしめた。
イルーゾォの手がナナシの首を折らんばかりの力で締め始める。
ナナシの喉から、ヒキガエルを潰したような音がした。
『殺されるくらいなら殺したほうがマシ、そうだろう?』
赤の他人の死など、自分の生にとって意味を成さない、日常的な出来事だ。
その時の気分で活きるための最低限の活動さえやめてしまう、例えば、何日も食事を取らずに平気な顔をしている、気分屋の戯れ言。
ゆるやかな自殺を試みているとばかり思っていたイルーゾォのいつかの言葉と、意見が一致した。
密閉空間に、耳をつんざく銃声が響いた。
イルーゾォの思惑がどうであったかは知れないが、それはいともあっけない幕引きに感じられた。
反響。耳鳴り。ナナシの腕の筋肉は反動でビンビンと痺れる。
「ぐ、ァア、あ……ッ!?」
覆いかぶさっていたイルーゾォの背が後ろへと跳ね、ベッドから転がり落ちる。
瞬間的に酸素を遮断されたナナシがむせ込み、喉を鳴らして喘いだ。
見開いた目に涙の膜が張る。熱を持った手が首に掛かった時の、痛みを伴った死への恐怖に、背中がガタガタと震える。
咄嗟に、銃口を胸の中心からずらした。
偶然ではない。
逃げたのでもない。
死の間際にただ、「そうしたほうがいい」気がしたからだった。
カシン。
ジッポーライターの蓋が閉じられる。
薄暗い部屋のベッドの下、肩口をひときわ濃い闇の色に染めたイルーゾォが俯いたまま後じさり、部屋を出て行く。
背中は凍えるような冷たさを感じているのに、顔も頭も血が沸騰しているように熱い。
吹き出した汗に髪が張り付き、眼球が飛び出さんばかりに見開かれたままになっている。
中心が凹んだベッドのスプリングを揺らすほど、ナナシの全身がわななく。
シリンダーが空になったリボルヴァーは、ナナシの手の中でまだ、熱を孕んでいた。
また、扉が開く。
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