あの街の夜の物語
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「あら、いらっしゃい」
汚いカウンター。くすんだガラス瓶に刺さった造花にも、いつからあるか解らない赤べこにも、うっすら埃が積もっている。アイヌ人形、動かなくなって久しい富士山の置き時計、みんな客が置いていった迷惑な土産だ。
いらっしゃい、と声をかけたこのパブ&スナックのママ、ナナシはそれらを片付けない。かといって綺麗にする気もないようで、古いものたちは店の一部として静かに年を取っていく。
古い物のにおいと、今日の料理と、焼き鳥のための炭と、酒とタバコと、全てが交じり合った苦いにおいが、この店に充満していた。
リゾットはそれでも、この店に来てしまう。褒めるところなどどこにもない古い店だが、男には、そこに帰りたくなるような女が一人くらいいるものだ。
リゾットが定位置の、カウンターの一番端に腰を下ろすと、ナナシは注文も聞かずにビールの栓を抜き、グラスに注いだ。今夜の付き出しは、切り干しと干ししいたけの煮たやつだ。
「切り干しなんか、随分食ってねぇな」
「干した野菜のほうが、栄養があるんですってよ」
家に帰れば一人、コンビニやインスタントの便利な時代。生活が不規則な男の一人暮らしに、手作りの煮物は染みるものだ。
ほんの小鉢にひとつまみの切り干しを突っつきながら、リゾットは次の一杯を手酌で満たした。
「今日はここ、早く閉めちまって……来ないか?」
「駄目よ、今日は月初め。「ついたちに売上が上がると、その一ヶ月が上々になる」って、おばあちゃんの口癖だったのよ。おばあちゃん、ついたちには買い物に行かなかったくらいだもの」
「ついたちから金を使うと出費の多い月になる、か。うちのばあちゃんも似たような事言ってたな」
共働きで、やっと買い物を済ませて帰ってきた母親にばあちゃんが嫌味を言っていたんだ、なんて。珍しく昔の事を語るリゾットを、ナナシは鮭の味噌漬けをひっくり返す手元から視線をあげてチラリと見た。伸びかけた髭にビールの泡がついた。いやだ、その口元を拭ったおしぼり、切り干しの汁が落ちたテーブル拭いてなかったかしら?
ナナシの口元が思わず笑みを作った。リゾットがそれに気がついた。意味ありげに見えたんだろう。
「何だよ?」
「エエ、何でもない」
ビール、の声がかかった小上がりに、ナナシは「はぁい」と返事した。
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