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八 有明の月とみるまでに

「楽しかったなあ」
 その日、野原さおりはいつになく充実した気持ちでベッドに入った。その理由は言うまでもなく、彼女の恋人・滝川ほのかと過ごしたクリスマスイブの半日間の出来事だ。
 冬休みになったというのに、料理部も競技かるた部も土曜日の部活があった。けれどそれはさおりにとって、いつもの定食屋さんで土曜のランチを食べることとほぼ同義であり、そしてそれはいつも以上に心を和ませるひと時だった。クリスマスイブ限定の特別なチキン定食が用意されていて、常連さんだけに出しているという小さなクリスマスケーキまで食べさせてくれた。ほのかはいつもよりずっと幸せそうに料理を口にし、見ているだけでさおりまで嬉しくなった。勿論、料理もとても美味しかった。チキン定食は脂も塩気も丁度良く、普段はしないごはんのおかわりをしてしまった。店主さんの手作りショートケーキは素朴な味わいだった。
 土曜のランチの後は、駅で本や文房具の買い物をした。二人してお揃いの参考書やノート、カラーペンを買って、やっぱり秘密の恋って良いなって、さおりは思った。
 夕方になると二人は、イルミネーションが一望出来る、人気の無い高台の公園へ向かった。高校生の女の子が二人で手を繋いで歩くのは変じゃないだろうかとさおりは思ったけれど、ほのかはそんなことを全く気にせず、「さおりん、もうすぐだよ! まみちゃんオススメの穴場スポット!」と楽しそうに笑っていた。
 高台から見下ろした商店街のイルミネーションは、青、赤、橙と色とりどりにきらきら輝いていた。さおりは隣で感慨に耽るほのかを見て、もっと彼女の幸福そうな顔、満足そうな声が欲しいと強く思った。
 じっと見詰めていたのを不審に思ったのか、それとも何か思い付いたのか、ほのかはさおりを真剣な顔で正視した。握っていた手が離れた、と認識した刹那、ほのかはさおりを抱き締めてきた。さおりの方が少し背が高いから、端から見たらきっとちょっと不格好だ。でも、今は二人きり。
「ほのか?」
「秘密の恋だし、カノジョっぽいコト、なかなか出来なかったもんね。まみちゃんは今日用事あるって言ってたから、今なら誰にも見られてないよ?」
 誘われてるんだ。
 鼓動の高鳴りを俄かに感じながら、さおりはほのかの頬に手で触れた。寒さに晒されたそれは冷たいけれど、熱を帯びてもいた。
 ほのかは目を閉じた。きっとそのほうがそれっぽい。けれど、初めてのそれを視界の無いままするのは難しくて、さおりは顔を向けてくるほのかを見たまま自分の顔を近付け、そして唇で唇に触れた。言い知れない優しくて柔らかな感触が、じんわりと熱を持って身体中を伝わってゆく。
 数秒か、数十秒か、もっと経っただろうか。ほのかはゆっくりとさおりから離れた。気のせいか彼女の顔は紅潮している。その様子を見たさおりは、自分が驚くほど冷静であることを自覚した。どきどきしてはいるけれど、顏も何だか熱っぽいけれど、さおりの心は凪いでいた。
「さおりん、初めてなんだよね? 上手だねー」
「ほのかだって初めてなのに、上手いも下手も分からないんじゃない」
「うわー、さおりんクールだー。寧ろレータン……」
 その口を再び、さっきよりちょっと乱暴に塞いでみせると、ほのかは決まり悪そうな、それでいて幸せそうな表情を浮かべた。抱き合って、時々キスをして、暗くなってゆく空の下で、このまま時間が止まれば良いのにとさおりは願った。
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