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四 忘れじの行く末

 その日、野原さおりはクラスメート・滝川ほのかと共に、いつもの定食屋さんからの帰り道を歩いていた。九月も二週目となると、街の様子はやっと秋めいてきた。快晴の秋空の下で銀杏並木が色付き始めており、爽やかな風に舞う葉は陽の光で金色に輝いている。そんな素敵な土曜日の昼下がりに、恋する相手と共に過ごせるなんて、自分は幸せ者だなあとさおりは思う。
「ねえ、さおりん」
 駅へ向かう道。赤信号で立ち止まったほのかが、さおりに話し掛けてきた。
「何?」
「ウチに何か隠し事してるよね?」
 彼女にしては珍しく、真剣な面持ちだ。
 さおりは思わず息を呑んだ。どうして分かるんだろう。隠し事なんてしていないといえば嘘になるけれど、それでも、さおりはほのかへの想いを――つい先日、「恋」なんだろうなあと自覚したばかりの感情を、口にするつもりはなかった。
「どうしてそう思うの?」
 暫しの沈黙の後に、さおりはそう応じる。上手くはぐらかせるだろうか。
 ほのかは顔色を変えない。
「話、逸らそうとしてもダメだよ。ウチには分かるんだもん。部活とかクラスの悩み事?」
「そんなんじゃないよ。心配しなくて大丈夫だから」
 そう、伝える必要なんてないのだ。ほのかに恋をしているんだと伝えたところで、意味は無い。どうこうなりたい訳ではないのだし、どうこうなれるとも思っていない。それに、こんな気持ちを持っているって知られたくない。ほのかに迷惑かもしれないし、嫌われてしまうかもしれない。
「むうー」
 ほのかは口を尖らせた。
 信号は青に変わる。さおりが歩き出すと、ほのかも後に続いた。

 駅前には、四季折々の花を咲かせる花壇を備えたペデストリアンデッキが整備されている。そこはちょっとした広場のようになっていて、時計塔、謎の石像の他、休憩できるベンチも設置されている。空席のベンチを通り過ぎようとしたところで、ほのかはさおりの腕を掴んだ。さおりは思わず立ち止まり、何事かと後ろを振り返った。
「さおりん。もしかして、好きな子ができたとか?」
 涼やかな秋風と、握る手の温かさ。
 心の内を見透かされたような気がして、さおりはどきりとした。
「そ、それは」
「図星だー。詳しくお聞かせ願いましょうかー。さあさあ」
 ほのかは眼前のベンチに腰掛け、隣を手で示す。さおりが仕方なく座ると、ほのかは嬉しそうに笑った。
 さあどうしたものか。話してしまおうか。けれど踏ん切りは付かない。かといって他の誰かを好きだと嘘を吐きたくはない。きっとほのかは、その恋が上手くいくように手助けをしてくれるに違いないから。
 さおりの考えを他所に、ほのかは推理をし始める。
「清水くんかなー? 委員会同じだし、頭良いしね。それとも三回連続で席が近くなった井上くん? クオーターでイケメンだもんねえ。演劇も凄いし。あとは、かるた部の里中先輩という可能性もありますな。さおりん部活にいっぱい行ってるし。うーん、さおりんの周りは強者揃いですなー」
 一人で楽しそうに話すほのかに、さおりはその誰でもないよと冷静に返す。
「違ったかー。男の子部門のめぼしい人、他に思い付かないなー。じゃあ女の子部門かなー? さおりんってそういうの気にしなそうだしねー」
 彼女は推理を続ける。
「仲良しさんって言ったら、文芸部のまみちゃんでしょ、美人だし親切だし好きになっちゃうよね。それから中学校から一緒でよくお昼も一緒に食べるかえでちゃん……。あ、憧れの人部門もありえるかー。生徒会長の高島先輩、かるた部の佐伯先輩に顧問の飛田先生。あとは――」
 ほのかは平然と言う。まるで、さおりが誰を好きなのか、分かっているみたいに言う。
「――やっぱ、ウチかなあ?」
 そんな風に言える彼女のことが好きだ。
 さおりははっきり思った。
 そんな風に言われたら、伝えない訳にはいかないじゃないか。けれど正面から言う勇気は無い。ちょっと遠回しな言い方になってしまう。
「あのね、……これは仮定の話なんだけれど、『そうだよ』ってわたしが言ったら、ほのかはどうする?」
 我ながら、格好悪い告白だ。
「それじゃあウチも仮定の話になるけど、ウチの恋はめでたく実ったってコトになりますなー」
 言い終わると流石に少し恥ずかしくなったのか、ほのかはさおりから目を逸らした。気のせいか顔が赤い。
 ついこの前まで名前すらついていなかった「恋」というものが、今しがた叶ってしまった。けれどさおりは、現実味をあまり得られなかった。何だか夢みたいな心地がするし、もしかしたら聞き間違いかもしれないって思った。
 ほのかの言葉を信じても良いんだろうか。
「本当に?」
「いや、この局面で嘘は吐かないでしょー」
 ほのかはどこか照れ臭そうに、さおりに向かって明るく笑い掛けた。
「だよね。何か、格好悪い告白でごめんね」
 さおりはほっとしながら、心から申し訳無く思った。初めての告白とはいえ、些か格好が悪すぎだ。自分が告白される側だったら、これってどうなのって思ってしまいそうだ。
 ほのかはいつからさおりのことを好きでいてくれたんだろう。もっと、思い出に残るような綺麗な告白に立ち会いたかったんじゃないだろうか。けれど、ほのかはそんなこと気にしない筈だとも同時に思った。
「カッコ悪くなんかないない! さおりんの等身大のコクハク、一生忘れないよ! この命の終わるまで!」
「忘れ命……だね」
 忘れない。命の終わり。決まり字が頭を過ぎる。
「え、何?」
「ううん、独り言。……九月十日が、所謂『記念日』になるんだね。数字が苦手なのは知ってるけれど、頑張って覚えてね」
 自分で口にしておきながら、「記念日」という言葉に重みを感じる。当たり前のことだけれど、恋愛関係って、相手への好意をお互いに伝え合ったら、それだけで簡単に成立してしまうものなんだ。ということは、どちらか一方がその好意を持つのをやめてしまったら、簡単に終わってしまうものなんだ。
 ――これから何回、「記念日」を迎えられるだろう。
 そんなさおりの考えなんてお構いなしに、ほのかは応じた。
「うーん、九月九日だったらなー。ゾロ目だし、重陽だし、分かりやすいんだけどねー。惜しいんだよねー」
 全くこれだからほのかは。
 さおりは微笑したままで溜め息を吐いた。
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