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一 恋ぞつもりて

 その日、野原さおりは競技かるた部の活動を終え、一人で学校から駅への道を歩いていた。夏休みだというのに、熱心な部長が半日練習を毎日のように入れるものだから、帰る頃になると外は蒸し暑くて堪らない。昼休みの時間だからか、サラリーマンやOLが飲食店の立ち並ぶ通りを行き来している。おなかは空いているけれど、今日は買い物をして帰り、昼食は家で食べると決めている。
 駅前の大きな雑貨屋さんまで来ると、さおりは店の脇で立ち止まった。
「ええと……」
 買い物リストは昨日のうちに完成済みだ。スマートフォンを鞄から取り出し、電源ボタンを押して画面を起動させる。和三盆糖、食紅、型、完成した干菓子を入れる箱。この店の手作り菓子コーナーに全て揃っていることは事前にネットで調べてある。買い物現場を目撃されると困る相手が部活の遠征で不在の今日を選んで、さおりは買い物を決行することにしていた。
 自動ドアをくぐり、買い物かごとスマートフォンを片手に、さおりは店内に足を踏み入れた。冷房が強めに効いていたけれど、今のさおりには丁度良かった。
 駅周辺で最大の雑貨屋というだけあって、店内にはインテリア小物、アクセサリー、ちょっとした家電など、様々なコーナーが設けられている。この店は食に関する雑貨に強く、珍しい調理器具や食材も扱っている。お菓子作りコーナーを目指して店内を進みながら、こんなものもあるんだ、今度来たら買おうかな、とさおりは楽しい気分になった。
 ――ほのか、喜んでくれるといいな。
 この前の土曜日に、和菓子と和歌を贈る作戦を考えた。和菓子ですぐに思い付いたのは和三盆。調べてみると、意外と簡単に手作りできるらしい。料理をあまりしないさおりだが、明るく楽しい会話で元気付けてくれるクラスメート・滝川ほのかのために、日頃の感謝の気持ちを込めたプレゼントをするのだ。
 ……正確に言うと、ほのかのためではなく、さおり自身のためかもしれない。ほのかの嬉しそうな顔をずっと隣で眺めていたい。そんな想いを伝えるために――伝わらなくても構わないと思うのだから、これはさおりの自己満足だ――百人一首の和歌「筑波嶺の峰より落つる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる」を選んだ。
 考えながら広い店内を歩いていると、お菓子作りコーナーを発見した。思っていたよりかなり大きい。材料や調理器具、レシピ本などが棚一面に並んでいて、ちゃんと出来る人がやったら世界のどんなお菓子でも作れてしまいそうだ。
 ほのかは料理部の買い出しでよく利用すると言っていた。この辺りのものも買ったことがあるんだろうな。今度、料理部の見学に行ってみようかな。色も形も様々な商品たちを見て何だかわくわくしながら、さおりは目的のものを見付け、買い物かごに入れた。
 会計を済ませて店を出る。帰路のうだるような暑さも、ほのかのことを考えていれば全く気にならなかった。
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