このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

九 富山の霞立たずもあらなむ

 その日、野原さおりは二号館一階にある図書室のカウンターで、委員会の仕事をしていた。二月になって初めての水曜日の昼休み。さおりの予想通り、図書室を利用する人はいなかった。恋人・滝川ほのかを除いては。
「さおりんもこっちでお昼食べようよー」
 図書室は書架と読書コーナーの他、出入口のすぐ近くに小さいながらも自習や飲食の出来るフリースペースが設けられている。ほのかはそちらでお弁当を食べながら、時々さおりに向かってにこにこと笑い掛けていた。
 ほのかの笑顔を見ていると、仕事をしていることを忘れそうになる。けれど油断は禁物だ。どこかから、クラスメートの木橋まみが二人の様子を見ているに違いない。それに、利用者データから水曜昼はチャンスだと推測はしたものの、他の誰かが来ないとも限らない。もうすぐ付き合って五か月になるが、一応、二人の関係はほぼ誰にも秘密のままだ。この言い知れない背徳感も癖になってきた。
 ……と、さおりが考えていると。
「食べ終わったからウチが来たー」
 ほのか荷物を持ってカウンターまでやって来た。
「何か借りる? 折角はるばる図書室まで来たんだし」
「じゃあねー、オススメの恋愛小説ありますかー?」
 言い方が何だかごっこ遊びみたいだと思いながら、さおりはそれに応じることにした。
「ドラマ化や映画化した人気作から、図書委員お薦めの隠れた名作まで、幅広く取り揃えております」
「春に読みたくなるのが良いなー。梅とか桜とかが出てくるやつ」
「悲恋で良いなら、取って置きの名作がここに。清水くん一押し」
「それはカノジョにオススメするものとして如何なものかとー」
 口を尖らせてみせるほのかに、さおりはカウンターに置いてあった文庫本を示した。『たとえばその花が穢れているとして』と題されたそれを手に取ったほのかは、百合の花が描かれた表紙を一瞥すると、裏表紙に書かれたあらすじを読んだ。どんな内容だったかなと、さおりもカウンターから身を乗り出してそれを見る。
「へえ、女の子同士のお話なのー?」
「そうみたいだね、わたしは読んでいないけれど。色々な花が出てくる短編集で、清水くんによると春は桜と梅が散る話だって」
 さおりはほのかの持っている文庫本に手を伸ばし、目次を開くように促す。
「ホントだ、お話のタイトルが全部お花だねー。悲しいお話でも少し読んでみたくなったかも」
「それでは一点を貸出ということで。学生証が必要なんだけれど、今ある?」
「持ってるよー」
 ほのかは鞄から財布を出し、カードを提示してきた。さおりはパソコンを操作して、カードと本のバーコードを機械で読み取った。普段あまり本を読まないほのかが、さおりのために読書好きになってくれるのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。ついでにもう少し勉強も頑張ってくれたら、言うことは何も無いのだが……。
「でももう二月なんだねー。さおりん、梅が咲いたら一緒に見に行こうね!」
 笑顔のほのかは何とも可愛らしい。
「近くの公園に色々な梅が植わっているよね。前から思っていたけれど、ほのかって、花が好きなんだね」
「好きだけど苦手だなー。綺麗な花もいつか枯れちゃうんだもん」
「枯れる花のことも考えられるほのかは優しいよ」
 少し悲しそうな顔をしたほのかを元気付けたくて、さおりは努めて明るく言った。彼女の望む通りに、花が少しでも長く咲いていれば良いと思った。好きな人には幸せでいて欲しいものだ。自分の言葉がどれだけの影響を持っているかは分からないけれど。
「そうかなー。さおりんがレーテツなだけかもよ?」
「事ある毎に言うね、それ」
 冷静の間違いなのではないかと、その度にさおりは思う。
「えへへー、いつだって冗談だけどねー」
 ほのかの悪戯っぽい笑顔にさおりはどきっとした。時々ほのかは、さおりのことを全部見透かしているみたいに言う。そういうところも愛おしい。分かってもらえていることが嬉しい。だからさおりは、ほのかの隣にいたいと強く思うのだ。
1/2ページ
スキ