旅人と青年
小さな村の一角に、青年の住む家があった。青年は、村の外に蔓延る魔物から、村人達を守る「剣士」の端くれであった。その日も青年は、自己鍛錬に励んでいた。
「俺は……何時か……最強の……剣士に……成るっ!」
言いながら、鍛錬用の剣を振るう。
そう、青年には夢があった。
最強の剣士に成る、という夢が。
そんなある日のこと。
村の外から、一人の旅人が歩いて来た。手には大きな刀を持っている。その刃は赤く染まっていた。
「汝、魔を狩りし者か?」
鍛錬に励む青年に向かって、旅人は話し掛けた。
「ああ、俺は剣士だ。あんたこそ、何者だ?」
「我が身も、魔を狩る為に存在している」
旅人は、しばらくの間この村で休むのだという。青年はその旅人に何か惹かれるものを感じたので、旅人の宿として自らの家を提供した。聞けば旅人は、相当の腕を持つらしい。青年は旅人の武勇伝を根掘り葉掘り尋ねたが、答える代わりに、こう言われた。
「我が身に過去など必要無い」
その翌日。青年は相変わらず鍛錬に励んでいた。
旅人は己の刀を磨き、必要な雑貨を買い揃えるなどしていた。青年の前では一度も刀を振らず、何も語らなかった。
「しばらく居るのに、何故そう急ぐんだ?」
夜になり、青年は尋ねた。灯りを灯しながら、旅人は言う。
「急いでなどいない」
村の畑に魔物が出た。知らせを聞いて青年が駆けつけると、そこには負傷した剣士がいた。青年もよく知っている、村一番の剣豪だ。自分では歯が立たない魔物だと分かり切っていながら、青年は勇んで村長に言った。
「俺が倒してくる」
若き者の夢は、大きかった。
夜になった。
青年は灯りと剣を手に、家を出た。
旅人は毎朝早くに家を出て、夜遅くまで戻って来ない。その日も旅人は不在だった。
魔物には二種類ある。光に生かされる魔物と、闇を喰い尽す魔物だ。太陽のあるうちに現れるものは、日が沈むと巣へと寝に帰る。だから青年は、真夜中を歩いた。
灯りを頼りに進んで行くと、突然背後の草陰から音がした。と思うと、青年の持つ灯りが消えた。
「夜の魔は光を敵と見なす」
何時の間に、旅人が目の前に居た。そして青年に尋ねる。
「汝の求む幸とは何だ」
「俺が欲しいのは、強さだ」
「何故、汝は強さを求む? 何者の為に、その腕を振るう? 戦う事の意味を知らぬ者に、強さは与えられはしない」
旅人はそれだけ言うと、立ち尽くす青年の前を歩いて去った。
「……俺は何故、強さを求める……?」
考えても考えても、答えは見付からなかった。
魔物の根城に入ってから大分経つ。今更になって帰る訳にもいかないので、青年は旅人の進んだ道を追い掛けた。
数刻が過ぎると、遠方で魔物の咆哮が聴こえた。もしや、旅人が戦っているのかもしれない。
青年は訳も分からぬまま、走り出した。
「我が身は魔を狩る為に在る――終わるわけには行かん」
旅人の声がした。そしてその眼前には、狼のような狐のような、それでいて蛇にも似た生き物が居た。見ると、魔物には無数の斬り傷が刻まれていた。
旅人は大刀を持つ右腕を、左腕で支えた。その手はたちまち、紅く染まった。
「滅ぶ訳には――行かん」
青年は、ただ見ていた。
旅人からは何かとてつもなく大きな力を感じた。決して優勢ではないのに、その瞳は炎を帯び、戦意に溢れていた。
「赦せ――先に牙を立てたのは汝であろう」
呟くようにそう言うと、旅人は魔物に向かって刀を突き出した。同時に魔物も、旅人を捉えた。
数瞬後、魔物は倒れた。その場に膝を突くと、旅人は肩口に刺さった牙を抜いた。
「居るのであろう。手伝ってはくれないか」
平然と、言う。
青年は呼ばれたのだと気付き、深手の傷を負った旅人の許に急行した。
「大丈夫なのか……」
「この腕を、我が身から外して貰いたい」
「どういう事……」
「時間が無い。この腕を斬れ」
「何故……」
動揺する青年の言葉を遮って、旅人は言った。
「己の強さは、他を傷付ける為に在るのでは無かろう。ならばその腕で、汝の目の前に居る他を斬ろうと、それを傷付ける事には成らん。――己がそう思い続けているのならば」
青年は衝撃を受けた。同時に、腕を押さえる旅人の異変に気付いた。
「判った。これで助かるのなら……」
青年は、傍らで横になった旅人を見た。
「――何か用でも有るのか」
旅人は、青年を見上げる。
「聞きたい事なら山ほどあるが……」
「汝は我が命を破滅から護った。三つだけ、尋ねる事を許そう」
旅人は笑った。
「なら、まず一つ目だ。あんたの身体は何なんだ?」
「我が身は半魔だ」
一呼吸置くと、旅人は平然と言った。
「魔に牙を立てられると、その内に潜む魔が、我が身を滅そうと動き出す。――あと二つ」
その答えを聞いた青年は、旅人の身の上話を聞きたいと思った。どうして半魔に成ったのか。どうしてその強さを持つのか。
「二つ目。あんたは何で、刀を振るうんだ?」
旅人はしばらく考えてから、答えた。
「過去を捨て去った代わりに。我が身が滅びて困るのは、今となっては我が身の他に誰も居らん。既に失われた者の為に生きるのは、我が独断であろうと関係無かろう」
淡々と語る旅人の目は、明け行く夜空の何処か遠くを見ているようだった。
「次で最後だ」
旅人に促されたので、青年は言った。
「俺をあんたの旅仲間にしてくれないか?」
突拍子な事だったので、旅人は思わず聞き返した。
「半魔は忌み嫌われる存在だ。汝、気が狂ったか」
「いいや、俺は平常だ。それより、答えてくれよ」
旅人は、答える代わりに動かせる腕で青年に小さな石を渡した。それは紫色の禍々しい光を放っていた。
「我が身の魔の心の肝だ。それを壊せば、我は此処より滅する。もしも道中で人を保てぬ事があれば、躊躇わずにそれを斬れ」
それが答えだと気付くのに、青年は数分の時を必要とした。
青年は、旅人を支えながら家路を辿った。旅人が魔物から受けた傷は相当深かった。どうにか家の扉を開け、中に入る。
「本当に腕は大丈夫なのか?」
「時が満ちれば戻る。我が内なる魔が、我を生かすのだ。内なる魔は我が身を支配している。我も同じだ」
そして旅人は目を閉じた。
そのまま数日の時が流れた。
「何故、汝は強さを求む? 何者の為にその腕を振るう?」
青年が剣を下ろすと同時に、旅人は問い掛けた。
「守られるべき理と、守るべき未来の為に」
青年は、まっすぐな瞳を向けた。
「――ならばこれを」
旅人の両腕で渡された大刀は、後に世界を救う事になる。
「俺は……何時か……最強の……剣士に……成るっ!」
言いながら、鍛錬用の剣を振るう。
そう、青年には夢があった。
最強の剣士に成る、という夢が。
そんなある日のこと。
村の外から、一人の旅人が歩いて来た。手には大きな刀を持っている。その刃は赤く染まっていた。
「汝、魔を狩りし者か?」
鍛錬に励む青年に向かって、旅人は話し掛けた。
「ああ、俺は剣士だ。あんたこそ、何者だ?」
「我が身も、魔を狩る為に存在している」
旅人は、しばらくの間この村で休むのだという。青年はその旅人に何か惹かれるものを感じたので、旅人の宿として自らの家を提供した。聞けば旅人は、相当の腕を持つらしい。青年は旅人の武勇伝を根掘り葉掘り尋ねたが、答える代わりに、こう言われた。
「我が身に過去など必要無い」
その翌日。青年は相変わらず鍛錬に励んでいた。
旅人は己の刀を磨き、必要な雑貨を買い揃えるなどしていた。青年の前では一度も刀を振らず、何も語らなかった。
「しばらく居るのに、何故そう急ぐんだ?」
夜になり、青年は尋ねた。灯りを灯しながら、旅人は言う。
「急いでなどいない」
村の畑に魔物が出た。知らせを聞いて青年が駆けつけると、そこには負傷した剣士がいた。青年もよく知っている、村一番の剣豪だ。自分では歯が立たない魔物だと分かり切っていながら、青年は勇んで村長に言った。
「俺が倒してくる」
若き者の夢は、大きかった。
夜になった。
青年は灯りと剣を手に、家を出た。
旅人は毎朝早くに家を出て、夜遅くまで戻って来ない。その日も旅人は不在だった。
魔物には二種類ある。光に生かされる魔物と、闇を喰い尽す魔物だ。太陽のあるうちに現れるものは、日が沈むと巣へと寝に帰る。だから青年は、真夜中を歩いた。
灯りを頼りに進んで行くと、突然背後の草陰から音がした。と思うと、青年の持つ灯りが消えた。
「夜の魔は光を敵と見なす」
何時の間に、旅人が目の前に居た。そして青年に尋ねる。
「汝の求む幸とは何だ」
「俺が欲しいのは、強さだ」
「何故、汝は強さを求む? 何者の為に、その腕を振るう? 戦う事の意味を知らぬ者に、強さは与えられはしない」
旅人はそれだけ言うと、立ち尽くす青年の前を歩いて去った。
「……俺は何故、強さを求める……?」
考えても考えても、答えは見付からなかった。
魔物の根城に入ってから大分経つ。今更になって帰る訳にもいかないので、青年は旅人の進んだ道を追い掛けた。
数刻が過ぎると、遠方で魔物の咆哮が聴こえた。もしや、旅人が戦っているのかもしれない。
青年は訳も分からぬまま、走り出した。
「我が身は魔を狩る為に在る――終わるわけには行かん」
旅人の声がした。そしてその眼前には、狼のような狐のような、それでいて蛇にも似た生き物が居た。見ると、魔物には無数の斬り傷が刻まれていた。
旅人は大刀を持つ右腕を、左腕で支えた。その手はたちまち、紅く染まった。
「滅ぶ訳には――行かん」
青年は、ただ見ていた。
旅人からは何かとてつもなく大きな力を感じた。決して優勢ではないのに、その瞳は炎を帯び、戦意に溢れていた。
「赦せ――先に牙を立てたのは汝であろう」
呟くようにそう言うと、旅人は魔物に向かって刀を突き出した。同時に魔物も、旅人を捉えた。
数瞬後、魔物は倒れた。その場に膝を突くと、旅人は肩口に刺さった牙を抜いた。
「居るのであろう。手伝ってはくれないか」
平然と、言う。
青年は呼ばれたのだと気付き、深手の傷を負った旅人の許に急行した。
「大丈夫なのか……」
「この腕を、我が身から外して貰いたい」
「どういう事……」
「時間が無い。この腕を斬れ」
「何故……」
動揺する青年の言葉を遮って、旅人は言った。
「己の強さは、他を傷付ける為に在るのでは無かろう。ならばその腕で、汝の目の前に居る他を斬ろうと、それを傷付ける事には成らん。――己がそう思い続けているのならば」
青年は衝撃を受けた。同時に、腕を押さえる旅人の異変に気付いた。
「判った。これで助かるのなら……」
青年は、傍らで横になった旅人を見た。
「――何か用でも有るのか」
旅人は、青年を見上げる。
「聞きたい事なら山ほどあるが……」
「汝は我が命を破滅から護った。三つだけ、尋ねる事を許そう」
旅人は笑った。
「なら、まず一つ目だ。あんたの身体は何なんだ?」
「我が身は半魔だ」
一呼吸置くと、旅人は平然と言った。
「魔に牙を立てられると、その内に潜む魔が、我が身を滅そうと動き出す。――あと二つ」
その答えを聞いた青年は、旅人の身の上話を聞きたいと思った。どうして半魔に成ったのか。どうしてその強さを持つのか。
「二つ目。あんたは何で、刀を振るうんだ?」
旅人はしばらく考えてから、答えた。
「過去を捨て去った代わりに。我が身が滅びて困るのは、今となっては我が身の他に誰も居らん。既に失われた者の為に生きるのは、我が独断であろうと関係無かろう」
淡々と語る旅人の目は、明け行く夜空の何処か遠くを見ているようだった。
「次で最後だ」
旅人に促されたので、青年は言った。
「俺をあんたの旅仲間にしてくれないか?」
突拍子な事だったので、旅人は思わず聞き返した。
「半魔は忌み嫌われる存在だ。汝、気が狂ったか」
「いいや、俺は平常だ。それより、答えてくれよ」
旅人は、答える代わりに動かせる腕で青年に小さな石を渡した。それは紫色の禍々しい光を放っていた。
「我が身の魔の心の肝だ。それを壊せば、我は此処より滅する。もしも道中で人を保てぬ事があれば、躊躇わずにそれを斬れ」
それが答えだと気付くのに、青年は数分の時を必要とした。
青年は、旅人を支えながら家路を辿った。旅人が魔物から受けた傷は相当深かった。どうにか家の扉を開け、中に入る。
「本当に腕は大丈夫なのか?」
「時が満ちれば戻る。我が内なる魔が、我を生かすのだ。内なる魔は我が身を支配している。我も同じだ」
そして旅人は目を閉じた。
そのまま数日の時が流れた。
「何故、汝は強さを求む? 何者の為にその腕を振るう?」
青年が剣を下ろすと同時に、旅人は問い掛けた。
「守られるべき理と、守るべき未来の為に」
青年は、まっすぐな瞳を向けた。
「――ならばこれを」
旅人の両腕で渡された大刀は、後に世界を救う事になる。
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