公園にて
私が住んでいる家の目の前には、小さな公園がある。砂場があり、ベンチがあるだけの場所だが、何も無いからこそ遊び方も広がるというものだ。十年ほど前ならば、きっとそこには沢山の子供がいただろう。
しかし現在は違う。利用者は、ベンチでゲームをするか、夏の夜に花火をするか、そのくらいしか楽しみ方を見出だせないようだ。
「時代は変わるな」
二階の自室から公園を眺め、私は独り言を呟いた。
進学先が決まっている高校三年生の二月はひどく退屈だ。ネットやゲームで時間を潰すことにも飽きてしまった。たまには外に出てみようか。鞄の中に一冊の本と財布を入れて、私は過疎の渦中にある公園へ向かった。外に出てから寒いと気付き、中に戻って上着を羽織る。
再び外に出ると、さっきまで誰もいなかった公園には、一人の少年がいた。
彼は不機嫌そうな顔でボール遊びをしている。制服を着ているところから、小学生であると分かる。身長から判断するに、低学年だろう。
「何だよ」
私に見られていることに気付いたらしい。彼はボールをいじる足を止めて此方を見、私に訊ねた。見知らぬ年上に話し掛けるとは、最近の若者は積極的だ。
「私もサッカーは好きだし、少し気になったから」
「ああ、そう」
「スポーツ少年団か何かの練習?」
「別に」
彼は私と話すことを好ましく思っていないようだ。興味は沸いたが、それ以上のことは思わない。私はベンチに座り、本を読み始めた。
やがて少年は動きを止めた。疲れたのか、それとも私に構って欲しいのか。いや、きっと前者だろう。先ほど同様、視界の端に彼の存在を残しつつ、私は読書を続けた。
「今、何時」
もしかして、誰かと通話でもしているのか。今時の小学生は携帯電話を持っていることも少なくないし、きっとそうだろう。私は気にせず、活字を追う。
「俺はあんたに訊いてるんだけど」
その声で、私は顔を上げた。
「何時」
「私の腕時計が正しければ、そろそろ十七時になる。暗くなってきたし寒い。家に帰ったらどうかな」
私は善意からそう言ったつもりなのだが、彼は不機嫌そうに首を振った。まだ帰りたくないらしい。そうは言っても、あまり遅くなると親が心配するだろう。
「この御時世だから、帰らないと親御さんも不安だろうし」
「俺がいなくて不安?」
彼はやや強めのボールを私に向けて蹴った。私はそれを足で止め、多少手加減しながら彼に返す。
「違うのか」
「俺なんて居なくたって、父さんも母さんも困らないんだ。さっきだって、母さんは『外で遊んできなさい』って。小さい妹の面倒は見るのに、俺のことは全然」
寧ろ居ないほうが役に立つ。
彼は呟き、再び私に向かってボールを蹴った。私は本を置くと立ち上がり、大人げないと思いながら受け止めて蹴り返した。
「帰ってくるなとは言ってない、違うか」
「それは親の義務ってやつだろ。育児放棄は法律違反だから」
「君、もしかして相田さんの子か」
私は近所の人と深く交流しないが、お喋り好きの母親が沢山ネタを仕入れてくる御陰で、幾らか事情は知っている。相田家には弁護士の夫と専業主婦の妻、小学生の息子と幼い娘の四人が住んでいる。母親は英才教育を望んだが、父親の反対もあって、息子は近所の公立小学校に入学したとか。
「父さんは有名だもんな、俺と違って」
「そりゃあ、小学生と弁護士だから、違うのは当たり前だろう」
私達は会話をしながら、ボールを蹴り合っていた。少年は本気で蹴っているようだったが、私がそれをすればボールは公園の向こうにある道路へ転がる。手加減は心得ている。
「学校で皆、俺のこと『不出来』って馬鹿にする。親が凄いのに、勉強あんまり出来ないよなって」
「君はそれで不機嫌なのか」
「不出来なのは事実だし、俺が努力すれば済む。そこまで子供じゃねえよ」
「それは済みませんでした」
初めは遊びに付き合うつもりだったのに、気付けば私は少年の話に引き込まれていた。
彼の不機嫌の原因とは、一体何なのか。
「それじゃ、何が君を不機嫌にさせるんだ」
すると彼は少し躊躇った。彼の足元にあるボールは私の方向に戻ってこない。ずっと見ていると、信頼に足ると判断したのか、小さく呟く。
「俺が生きてる意味」
「予想外だ。シリアスな話題になったな」
「子供が何考えてるんだって思うなら、俺のこと笑えよ」
「そう言うってことは、君は笑われたことがあるのか。笑われたいなら喜んで笑うが、生憎私には他人を笑う余裕が無い」
他人を笑う前に私自身を笑わなければ、私は私を保っていられない。そう思うから、他人を笑ったりはしない。
「あんたにも色々あるんだな」
「君が思うよりはあるって、自信を持って言える」
「人生経験期間の問題だろ。俺はまだ小学生、あんた多分高校生」
「それもそうだな」
私はまた時間を確認した。とっくに十七時を過ぎていて、辺りは一層暗くなっている。
小腹が空いたので、私はすぐ近くにあるコンビニで何かを買おうと思った。しかし小学生を一人残す訳にもいかず、かといって帰宅を促しても効果は無い。
「何か食べたいものは?」
「え、俺に奢ってくれんの?」
「要らないなら買わないで、家まで送る。要るなら買うし、もう少し付き合う」
「じゃあ要る。代金は後で返す」
少年はボールをネットに仕舞い、ポケットから出した折り畳み式エコバッグに入れた。何時もそうやって持ち歩いているのだとしたら、少し可愛い。
「行こうか」
「おう」
年上と喋っているようで楽しい。そんなことを考えながら、私はコンビニへ向かった。
しかし現在は違う。利用者は、ベンチでゲームをするか、夏の夜に花火をするか、そのくらいしか楽しみ方を見出だせないようだ。
「時代は変わるな」
二階の自室から公園を眺め、私は独り言を呟いた。
進学先が決まっている高校三年生の二月はひどく退屈だ。ネットやゲームで時間を潰すことにも飽きてしまった。たまには外に出てみようか。鞄の中に一冊の本と財布を入れて、私は過疎の渦中にある公園へ向かった。外に出てから寒いと気付き、中に戻って上着を羽織る。
再び外に出ると、さっきまで誰もいなかった公園には、一人の少年がいた。
彼は不機嫌そうな顔でボール遊びをしている。制服を着ているところから、小学生であると分かる。身長から判断するに、低学年だろう。
「何だよ」
私に見られていることに気付いたらしい。彼はボールをいじる足を止めて此方を見、私に訊ねた。見知らぬ年上に話し掛けるとは、最近の若者は積極的だ。
「私もサッカーは好きだし、少し気になったから」
「ああ、そう」
「スポーツ少年団か何かの練習?」
「別に」
彼は私と話すことを好ましく思っていないようだ。興味は沸いたが、それ以上のことは思わない。私はベンチに座り、本を読み始めた。
やがて少年は動きを止めた。疲れたのか、それとも私に構って欲しいのか。いや、きっと前者だろう。先ほど同様、視界の端に彼の存在を残しつつ、私は読書を続けた。
「今、何時」
もしかして、誰かと通話でもしているのか。今時の小学生は携帯電話を持っていることも少なくないし、きっとそうだろう。私は気にせず、活字を追う。
「俺はあんたに訊いてるんだけど」
その声で、私は顔を上げた。
「何時」
「私の腕時計が正しければ、そろそろ十七時になる。暗くなってきたし寒い。家に帰ったらどうかな」
私は善意からそう言ったつもりなのだが、彼は不機嫌そうに首を振った。まだ帰りたくないらしい。そうは言っても、あまり遅くなると親が心配するだろう。
「この御時世だから、帰らないと親御さんも不安だろうし」
「俺がいなくて不安?」
彼はやや強めのボールを私に向けて蹴った。私はそれを足で止め、多少手加減しながら彼に返す。
「違うのか」
「俺なんて居なくたって、父さんも母さんも困らないんだ。さっきだって、母さんは『外で遊んできなさい』って。小さい妹の面倒は見るのに、俺のことは全然」
寧ろ居ないほうが役に立つ。
彼は呟き、再び私に向かってボールを蹴った。私は本を置くと立ち上がり、大人げないと思いながら受け止めて蹴り返した。
「帰ってくるなとは言ってない、違うか」
「それは親の義務ってやつだろ。育児放棄は法律違反だから」
「君、もしかして相田さんの子か」
私は近所の人と深く交流しないが、お喋り好きの母親が沢山ネタを仕入れてくる御陰で、幾らか事情は知っている。相田家には弁護士の夫と専業主婦の妻、小学生の息子と幼い娘の四人が住んでいる。母親は英才教育を望んだが、父親の反対もあって、息子は近所の公立小学校に入学したとか。
「父さんは有名だもんな、俺と違って」
「そりゃあ、小学生と弁護士だから、違うのは当たり前だろう」
私達は会話をしながら、ボールを蹴り合っていた。少年は本気で蹴っているようだったが、私がそれをすればボールは公園の向こうにある道路へ転がる。手加減は心得ている。
「学校で皆、俺のこと『不出来』って馬鹿にする。親が凄いのに、勉強あんまり出来ないよなって」
「君はそれで不機嫌なのか」
「不出来なのは事実だし、俺が努力すれば済む。そこまで子供じゃねえよ」
「それは済みませんでした」
初めは遊びに付き合うつもりだったのに、気付けば私は少年の話に引き込まれていた。
彼の不機嫌の原因とは、一体何なのか。
「それじゃ、何が君を不機嫌にさせるんだ」
すると彼は少し躊躇った。彼の足元にあるボールは私の方向に戻ってこない。ずっと見ていると、信頼に足ると判断したのか、小さく呟く。
「俺が生きてる意味」
「予想外だ。シリアスな話題になったな」
「子供が何考えてるんだって思うなら、俺のこと笑えよ」
「そう言うってことは、君は笑われたことがあるのか。笑われたいなら喜んで笑うが、生憎私には他人を笑う余裕が無い」
他人を笑う前に私自身を笑わなければ、私は私を保っていられない。そう思うから、他人を笑ったりはしない。
「あんたにも色々あるんだな」
「君が思うよりはあるって、自信を持って言える」
「人生経験期間の問題だろ。俺はまだ小学生、あんた多分高校生」
「それもそうだな」
私はまた時間を確認した。とっくに十七時を過ぎていて、辺りは一層暗くなっている。
小腹が空いたので、私はすぐ近くにあるコンビニで何かを買おうと思った。しかし小学生を一人残す訳にもいかず、かといって帰宅を促しても効果は無い。
「何か食べたいものは?」
「え、俺に奢ってくれんの?」
「要らないなら買わないで、家まで送る。要るなら買うし、もう少し付き合う」
「じゃあ要る。代金は後で返す」
少年はボールをネットに仕舞い、ポケットから出した折り畳み式エコバッグに入れた。何時もそうやって持ち歩いているのだとしたら、少し可愛い。
「行こうか」
「おう」
年上と喋っているようで楽しい。そんなことを考えながら、私はコンビニへ向かった。
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