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やり残したこと

 枕元の目覚まし時計が鳴ったのは何時間前だろう。今日はバイトが無いと思い出し、再び眠ってからだいぶ時間が経っていた。一人暮らしというのは気分が良いものだ。誰にも邪魔されず、自分の好きなように行動出来る。
 つい先日見付けた古いアパートで、僕は今、大学生活に備えている。
「ネット良し、家具家電良し。家賃も安いし、思えばかなり得したよな」
 なんて独り言を呟いても、部屋には誰もいないから返事は無い。窓の外にある小さなベランダの隅で、小鳥が春の朝を知らせているくらいだ。
 僕は徐に起き上がると布団を畳んだ。少し重量のあるそれを両手で持ち、足で押し入れの襖を開ける。僕はあまりモノを持たないから、その場所に入れるのは布団の他には殆ど無い。
「……あれ」
 その筈なのに、何故か布団は中に入らない。何か置いたかと中をよく見ると、何も無いように思われた。
「気のせいか?」
「気のせいか、は私の台詞だ。豊島利得、我が名を呼ぶ声で目覚めてみると、布団が目の前にある。これは気のせいか」
「は?」
 豊島利得、と名乗ったが、そんな人の名は知らない。そもそも誰の声だろう。僕は一人暮らしをしていて、この部屋には僕以外に誰もいない筈だ。
「何が喋ってるんだ?」
「私の姿が見えぬのか……待て、そういえば私は死んでいた」
 ……死んでいた、ということは。
「幽霊?」
「御名答、私は俗に言う幽霊だ。ここ数十年間、私の名を呼ぶ者はいなかった。しかし私は名を聞いた。それが気のせいだったならば再び眠るまで。大家の祖先には世話になったのだ、その子孫に迷惑を掛けたくないのでな」
「幽霊?」
 僕は自分の耳を疑った。姿の見えない彼――豊島が幽霊なのだとすると、僕は霊体験をしていることになる。生まれてから一度もそんなことは無かったと思うし、テレビで特集される怪談の類も信じたことはない。だから僕が僕を疑うのは当然のことだ。
「私の存在が差し支えなければ、名を教えて頂きたいのだが」
 その低い声だけでは判断のしようも無いが、確かに差し支えは無さそうだ。礼儀正しい豊島に、僕は名を教えることにした。
「六条一馬。六の条件、一つの馬と書く。渾名はひとま」
「六条殿か。手にした布団を此処に置くのなら、私は下段に移る。六条殿の押し入れの使い方は私にとって非常に都合が良い」
「僕は誉められてるんだな。豊島って呼ぶけど?」
「構わない。私の存在を肯定する時点で、私は既に満足している」
 布団を持つ手がきつくなってきたので、僕は布団を仕舞った。今度はきちんと入った。
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