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七 雲がくれにし夜半の月

 その日、野原さおりは毎月恒例の図書委員会のミーティングを終え、学校からの帰路を歩いていた。十一月の終わりとあって、夕暮れは早い。まだ十七時だというのに日が落ち、時折寒風が吹いている。さおりはポケットに片手を入れて、少しでも寒さを凌ごうとした。
 さおりの隣には、各クラス男女一名ずつ選ばれる、もう一人の図書委員・清水が歩いている。彼は少しぱっとしない見た目だけれど、成績優秀で本の知識も豊富だ。……いや、さおりは恋人がいて、それ以外の人に興味は無い。たまたま同じ時間に委員会が終わって、たまたま帰り道が同じだから、一緒に帰っている。それだけだ。
「あのさ、野原さん」
 赤信号で立ち止まった時、清水はおもむろに口を開いた。
「何?」
「野原さんって誰か好きな人とかいるのかなって」
 そういう話かとさおりは思った。清水は普段とても理知的で大人しいから、そういう話をしてくることを意外にも思った。
「この流れ、恋愛小説とかだと清水くんがわたしのことを好きな流れになるけれど、そういうフラグを立てた訳ではないよね?」
「何だか立てる前に折れそうな予感がしてきたね」
「そうだね。好きな人がいて、その人と両想いだから」
 信号が青に変わる。さおりは歩き出そうとしたが、清水が驚きと悲しみの混ざった目で見てくるので、何だか居た堪れなくなってその場に留まった。かといって彼の顔を正視する訳にもいかない。
 よく考えてみれば、自分は今、男の子から告白されて、それをフったのだ。生まれて初めての経験だったけれど、あまり意識せずにやらかしてしまったような気もする。
「へえ。同じクラス?」
 清水は意識して平生通りでいようとしているようだった。それならこちらも冷静に返すのが一番だろう。さおりは横断歩道を渡る彼に追随しながら、会話を続けた。
「内緒。秘密の恋なんだ」
「そう言われると益々気になるなあ」
「まあ、相手はそろそろ皆にバレても良いんじゃないのって言うけれどね。ヒントを教えるから、三つ質問していいよ」
 さおりが少し悪戯っぽく言うと、清水は考え込むような顔をした。歩きながら暫く無言だった彼は、駅のペデストリアンデッキが見えてきた頃に口を開いた。
「僕が知っている人?」
「うん、知ってる人。ちょっと意外な人かも」
「部活の先輩か、やっぱりクラスの誰かかな……。でも大体目星は付いた。その人と僕、成績が良いのはどっちだろう?」
 清水は学年トップになることも少なくないので、彼より上がいる可能性はそもそも低い。さおりの恋人が成績で清水に敵わないのは事実だけれど、言ってみれば無駄な質問だ。何でわざわざそんなことを?
「明らかに清水くんだよ。この前の中間テスト、英語以外は平均いかなかったもん」
「点数を知っているってことは、勉強を教えてあげているんだね。野原さんは優しいな」
 ペデストリアンデッキを抜け、人通りの多い駅の通路まで来た。清水は上り方面のホームだから、さおりとは逆方向だ。よく同じ電車になるんだ、とさおりの恋人が以前話していたから知っている。
「あと一回、質問が残っているよ」
「その人って……」
 清水の言葉は途切れた。
「どうしたの」
「いや、最後の質問はしないでおくよ。その人かなって思った人と、今ちょうど擦れ違ったんだ。凄く怪しそうな顔をされたから、確信した」
「え」
 さおりは思わず周りを見回した。今はまだ十七時過ぎで、今日は料理部のある日だから、この時間に恋人と駅で鉢合わせすることなんて無い筈なのに。それとも買い出しとかで駅に来ていたんだろうか。清水との間にやましいことは何も無いけれど、それでもまだ近くに恋人がいるとなると少し落ち着かない。
「これは質問じゃなく確認だけど、その人って僕と同じ電車に乗るよね。直接聞いてみようかな」
 清水はすっかりいつもの調子を取り戻したように見えた。
 ICカードをタッチして清水の隣の改札口を通りながら、さおりは彼があまり傷付いていないであろうことに安心した。彼の気持ちに応えるつもりは無いが、彼に傷を負わせたいとも思わない。
「清水くんって思ってたより意地悪だね」
「野原さんだって大概だと思うよ」
 それではまた明日と、清水は上り方面のホームに続く階段を下りていく。
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