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五 人知れずこそ思ひそめしか

 その日、野原さおりは朝早くから教室で自習をしていた。今日提出しなければならない数学のプリントと、月曜日恒例の英単語テスト対策をする必要があったからだ。
 七時三十分過ぎ、他には誰もいない教室。何とか目処が立ちそうな英単語帳を閉じると、彼女は滝川ほのかの席を見やった。
 つい二週間ほど前、ほのかとの仲は「クラスメート」から「恋人」になった。今日までの日々は特に真新しさの無いものではあったけれど、放課後毎日一緒に帰ったり、土曜のランチの後に買い物デートに行ったりすると、確かに恋人になったんだと思う。手を繋いで歩く勇気はさおりにはまだ無い。きっとほのかも同じだろう。もうそろそろ、カノジョっぽいこと、したほうが良いのだろうか。
「おはよう、さおりちゃん」
 突然、静寂を割って背後から声がした。驚いて振り返ると、そこにいたのは文芸部の木橋まみ。性格の良い美人だけれど、誰が告白しても玉砕するという噂もあり、「あいつはやめとけ」というのが男子たちの共通認識なんだとか。……まあ、さおりからしてみれば、ちょっとミステリアスな友達だ。
 まみは意味ありげにほのかの机を見、さおりに目を移した。
「おはよう、まみちゃん」
 さおりが応じると、まみは微笑んだ。
「最近ほのかちゃんと、とっても仲が良いよね? 毎日一緒に帰ってるし、今だって机見てたし」
「そうかな?」
 さおりは多少焦った。
 ほのかは気にしないと言うけれど、さおりはほのかとの仲を他の誰にも秘密にしている。自分が女の子に恋をするのは抵抗が無い。でも、それを他人に知られるのは、ちょっと恥ずかしいような後ろめたいような感じがするのだ。皆に内緒にしているのに背徳感はある。付き合っているんだよって言いたい気持ちも少しある。けれど、そういうのも含めて楽しむのが女の子同士の恋なんだと、前に何かで読んだことがある。
 先達の言葉に従ってみようとした結果、勘の良いクラスメートに仲を悟られている……という現状認識は、深読みしすぎ?
「多分、付き合ってるよね? 木橋さん的には、『良いぞ、もっとやれ』って思うよ?」
 現状認識は正しかったみたいだ。
「秘密にしてたいんだよね? 誰にも言わないよ。でもその代わりに……」
 まみはほのかの机に近付き、指先で円を描くようについと撫でた。自分が触れられた訳でもないのに、さおりは何となく背筋がぞくっとした。一体どんな条件を突き付けてくるんだろう。思わず身構える。
「デートしてるところ観察させて?」
 その内容は予想外だった。けれど、はっきり言って無害な交換条件だ。
「それでいいなら」
「絶対だよ? 次の予定とか決まったらすぐ連絡してね? あと、きっとまだカノジョっぽいことしてないよね? 距離感縮まったら逐一報告もすること。あ、安心してね? 木橋さんは観察に徹したいの。別に首突っ込んでお節介焼いたり、ほのかちゃんを取って食ったりなんかはしないから。あ、あと、それから……」
 まみの口調は速度を増していった。だんだん、何を言っているのか聞き取れなくなってくる。さおりとほのかの仲を壊すような内容ではないというのは分かるけれど。
「……とまあ、諸々の報告宜しくね」
 数分後、喋るのに満足したらしく、まみは満面の笑みでこちらを見てきた。
「わ、分かったよ……」
 とんでもない人に秘密を把握されてしまった。さおりは深く嘆息した。
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