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三十 これから、このまま

 いつもの定食屋さんで、いつもの土曜のランチ。いつものようにお会計をしたら、店を一歩出る。駅の改札まで一緒に歩いて、いつもみたいに「またね」を言って別れる……。そんな未来が待っているのだと、さおりは疑いもしなかった。
 背後で耳を劈く爆発音が鳴り響くまでは。
「な、何⁉」
 振り返ると、いつもの定食屋さんからは火が出ていて、建物は崩れつつあった。さおりは一緒にいたほのかと共に、ただ呆然とする他無かった。
 ――一体、何が起きているんだろう?
 俄かに鼓動が速まる。お店の中でガス爆発とか? でも普通、警報機が作動するんじゃないだろうか。考えてみるけれど、爆発音の原因は分からない。ただ、このままこの場所にいたらいけないって思う。危険を感じた時特有のどきどきが、身体中に響く。
 視界の端に、SFものの漫画や映画で見たことのあるような円盤状の物体が見えた。驚いて空を見上げると、それはワープでも出来るのか、空を埋め尽くすほどの勢いで数を増している。宇宙からの侵略者とかだろうか、よく分からない光線で、辺り一面を火の海にしようとしているみたいだ。
 ――わたしは夢でも見ているんだろうか?
 今一つ現実感が無いまま、再び定食屋さんの方に目を向ければ、炎に包まれた店の中から、必死で這い出して来る人の姿が見えた。いつも優しく接客してくれる女の店員さんだ。店員さんは周りを見回した後、お店の中に向かって何かを大声で叫び始めた。多分、人の名前だ。料理担当の旦那さんの名前かな。
 さっきまで土曜のランチを楽しんでいたお店は、今や黒焦げの瓦礫と化している。
「これって……」
 さおりは、自分が置かれている状況が分かった気がした。周りを見回せば、あちらこちらで建物が破壊されていたり、逃げまどう人が一瞬にして消し去られたり。辺り一面、阿鼻叫喚の修羅場だ。
 夢だとしても、ただごとじゃない。
 でも、夢じゃないのかな。ちょっと現実感が無さすぎる。
「ねえ、ほのか。これって夢じゃないよね?」
 さっきまで隣に並んで歩いていたほのかに、確認を取る。
 返事が無い。
「……って、あれ?」
 ほのかがいない、いつの間に! 一体、何処へ行ったんだろう。まさかあの空を飛んでいる円盤に連れ去られた……? いや、だとしたら、さおりだけ置いてきぼりなのは理に適わない。どこに行ったんだろう。ほのかを探そうとした時、声がした。
「おじさん、頑張って! 絶対助かるもん!」
 さっきまで定食屋さんだった場所から、店員さんとほのかが店主さんを引っ張り出そうとしている。けれど、瓦礫が店主さんの背中にのし掛かっていて、二人だけの力ではどうにもならない。
「ほのか! 危ないから離れて!」
 さおりは思わず叫んだ。
「お店の人、助けなきゃ! あんな美味しいもの作る人が死んで良い訳が無いよ!」
 ほのかも叫び返した。
 ――死。
 その言葉に、さおりはどきりとした。自分なりにこのよく分からない状況を冷静に捉えていたつもりだった。でも、ほのかの方がずっと、ちゃんと現実を見ているじゃないか。
「おばさん、待ってて。手を貸してくれる人、呼んでくる!」
 ほのかは立ち上がり、さおりの方へ走ってきた。思わずさおりはその手を握り、走り出した。明確な行き先は無い。ただ、ここではない、どこか遠くへ。
「さおりん……? お店の人、助けなきゃ……」
 言い澱むほのかに、さおりは一言だけ返す。
「良いから!」
 ほのかの腕を一層強く掴むと、さおりは駆ける足を速めた。あちこちで響くサイレンの音、人々の喚く声、何かが燃えて爆ぜる音。それらの全部から逃れられる、どこかへ。ただそれだけを考えて。

 辿り着いたのは、小高い丘にある公園。そこからは街の惨状が一望できた。呼吸を整えながら、二人は無言で街を見下ろした。高校も、銀杏並木も、ペデストリアンデッキも、駅の建物も、みんなみんな、謎の空飛ぶ円盤のせいで焼け落ちている。
 さおりは何も言えなかった。ほのかは人助けをしようとしていたのに、それを無理矢理ここまで連れてきてしまった。けれど黙ったまま街の様子を見ているのは心苦しかった。謝ろうと口を開きかけた時、ほのかが声を発した。
「さおりんってクールなトコあると思ってたけど、こんなにレーテツムヒだとは思わなかった」
 ちょっと拗ねた顔だ。
 さおりは黙って頷いた。ほのかは店員さんを助けようとしていた。彼女の意思を無視してこんなところまで攫ってきてしまった自分は、間違い無く冷徹無比だろう。
「でもウチはそんなさおりんに助けられたんだよね」
 ほのかは街の様子を見ながら続けた。
「この際だから言っとくね。さおりん、いつもありがと。大好き!」
 さっきまでの拗ねた顔から一転、彼女は明るく笑った。
 ――大好き。
 二人の立つ丘の下には、炎と嘆きに包まれた街並みが広がっている。それなのに、さおりが感じたのは、青い空を吹き抜けてゆく一陣の爽風。聴覚は確かに街の人々の悲鳴を知覚しているのに、さおりは静寂に包まれたみたいな気分になった。
 悪くない。寧ろ、何だかとても良い気分だ。これが恋心というやつなんだろうか。吊り橋効果って言ったっけ?
 さおりが何も言わないでいるので、ほのかは怪訝そうな顔で見詰めてきた。非日常の中でも、ほのかの顔色七変化はいつもと変わらないなって、さおりはほっとする。安心したついでに、今しがた実感した恋心というものを、この非常事態に隠れるみたいに打ち明けてしまおうか。
「ほのか。私も……」
 さっきまでとは違うどきどき。言葉が続かない。
「さおりん?」
「あのね、私もほのかのこと……」
 声の途中で、名状しがたい不思議な音が鼓膜を揺らした。目の前の光景がぐらりと揺らぐ。人体の構造では認識出来ないような、何かしらの現象が起きている。そんな気がする。ほのかにも同じことが起きているみたいだ。
「さおりん……」
 ほのかは怯えた顔をしている。
 わたしだって怖い。逃げ出したい。でも、さおりは勇気を振り絞ってほのかの手を握った。握り返してくれたほのかの表情からは、怯えの色が消えていた。
「っ……」
 突然、眩暈と頭痛がした。機械音とも耳鳴りとも取れない音が、頭に直接響いている感じがする。この惨劇を引き起こした犯人からのコンタクトだろうか。聴覚を通じてではなく、脳内に直接、何かしらの意思が伝わってくる。
「さおりん、これって……」
「うん」
 犯人からのメッセージ。
 その意思の意味するところは……。

 数年後、二人で過ごす恒例の土曜のランチ。
 未確認生命物体からの襲撃で大怪我を負った店主もすっかり元気になり、フライパンや中華鍋を片手で揺すっている。彼が取り仕切る店内で、さおりとほのかは楽しげに話しながら、定食を食べていた。そんな彼女たちを、太陽系から遠く離れたある惑星から監視しているモノたちがいた。
「そうだぞ、『ほのか』。情報は正確に伝達せねば。高校一年の七月第一週から毎週欠かしていないと仮定すると、二人の会食は今日で二百七十五回目だ」
 観測者は、静かに、だが熱く語る。その隣では精密機器を操作してログを検索するもう一人の観測者。
「そして二人が今日と同じ組み合わせの食事を頼んだのは……我々が把握している限り、七百九十四年七月十六日と七百九十七年三月二十九日だが、それ以前という可能性も捨て切れない。やはり、時間遡行隊を派遣して二人の過去を探らせるべきでは?」
「駄目だ。原住生物が発明していない技術を持ち込むのは宇宙条例違反だ。それに……」
 静かな観測者は勿体ぶるように口を噤んだ。見かねたもう一人の観測者が続きを促す。
「それに?」
「我々が見ていることを知られたら、あの尊い関係が崩れるじゃないか」
 観測者は口調こそ冷静だが、その声には並々ならぬ熱意が籠もっていた。相変わらずだなと、もう一人の観測者は肩を竦めた。
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