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二十六 みをつくしても

 その日、野原さおりは自宅リビングのソファに座り、人を待っていた。二月下旬、国立大学の受験が終わって、後は卒業式だけだというこのタイミングで、親のいない昼間に恋人・滝川ほのかを家に呼ぶ……ベタといえばベタな計画を、さおりは実行することにしたのだ。人を呼ぶことを親に秘密にしている訳ではない。親友という紹介の仕方ではあるけれど、両親とほのかは見知った仲だ。ただ、恋人だということは内緒だ。
「ほのか、まだかな」
 一人だと色々考えてしまう。
 一月の共通テストは十分な過去問の量が無かったながらも、予想問題を数多く解いたことが功を奏し、自己採点では九割近く得点出来た。その後に私立大学を二校受けた。片方は高校の近所にある大学で、さおりにとっては滑り止め。こちらは問題なく合格した。もう片方は、東京にある名門女子大学。さおりにとってはチャレンジ校で、手応えはあったけれど不合格だった。
 自由登校期間も毎日学校の図書室で国立二次試験の対策をして、つい三日前に本番が終わった。県外だから大事を取って前泊、当日は緊張したけれど得意な分野が試験に出た。難しい私立大を受けた時と同様、手応えは感じている。でも、その手応えだって、本物かどうかは分からない。
「ほのか……」
 恋人の名を呟きながらスマートフォンを見る。家事を終わらせてから行くからちょっと遅れる、という、いつもながら可愛らしい絵文字に彩られた連絡が少し前に入っていたきりだ。さおりは少し落胆すると同時に、ほのかは本当に器用で頑張り屋だよなあと改めて思った。受験勉強をしながら料理や掃除を毎日のようにこなして、腕白盛りの小学三年生の弟妹の面倒まで見ていたのだから。でも、それももうすぐお仕舞い。ほのかは嬉しいような寂しいような表情でそう言っていた。どの大学に行くことになっても、家を出るつもりでいるからだ。
 ほのかは、さおりの受けたのとは別の、高校近くの私立大学を受けて、無事に合格している。国立二次はさおりと同じ大学を受けて、「絶対合格したもん!」と自信ありげに話していた。さおりもほのかも合格なら念願の二人暮らしが出来るけれど、ほのかだけ合格なら離れ離れになってしまう。
 考えても埒が明かないことばかりが、頭の中をぐるぐると巡ってゆく。受験ってこんな風だったっけ。三年前を思い返してみるけれど、あの頃はまだ「将来」が遠い所にあるような気がしていて、合格発表までの間ずっと冷静でいた記憶がある。不安になったり、どきどきしたりするようなことは無かった。
 今は違う。
 それはきっと、「将来」をとても近くに感じていて、「将来」の夢が叶うかどうかの瀬戸際にあるからだと思う。
「ん」
 スマートフォンが特別な通知音を発した。ほのかからのメッセージだ。

  ほぼ着いたー。

 返事を考えていると、インターホンが鳴った。さおりはすぐさまリビングを飛び出して、玄関の鍵を開け、ドアを勢いよく開いた。
「ほのか」
「遅くなってごめんね、さおりん」
 ほのかを中へ入れ、玄関の鍵を閉めると、さおりはその場で彼女を抱き締めた。まだ確定していない「将来」がそのままであるうちに、この愛しい人の温度に溶け合って、恐怖も不安も何もかもを忘れてしまいたかった。
「よしよし。続きはお部屋でね」
 ほのかは両手でさおりの頭を何度か撫ぜた。後ろで一つに束ねたヘアゴムを取って、黒く艶めく髪の感触を一本ずつ確かめるみたいに指に絡める。こんな風にしてもらえるといつも、髪が長くて良かったなって思う。
「ごめん。感極まって、つい」
「さおりんってそゆとこあるよねー」
「そ、そうかな」
「そだよー」
 ほのかは髪をいじる手を止めて、さおりを優しく振り解いた。そして、自分の家にいるみたいな振る舞いで、二階、さおりの部屋へと続く階段を上り始めた。
「さおりん、早くー」
「はいはい」
 ――「将来」が不安なのは、わたしだけじゃないのかな。
 その答えは、恋人と触れ合い始めればすぐに分かった。
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