十三 惜しからざりし命さへ
その日、野原さおりは、恋人・滝川ほのかと共に、いつもの定食屋さんでランチをすることになっていた。
夏休みに入ってからも競技かるた部は毎日のように活動していた。気分の乗った日に行っておしゃべりや練習試合をして時間を過ごし、それ以外の日は家で勉強や読書などをするのが、さおりの夏休みのルーティンだった。
その日は料理部の活動日であったため、いつものようにほのかと校門前で待ち合わせた。うだるような暑さの中、さおりは少し人目を気にしながらほのかと手を繋ぎ、いつもの定食屋さんへと足を運んだ。お店に入るとすぐさま「いらっしゃいませ」と声が掛かる。お昼時とあって、席は八割ほど埋まっている。店内はほどよく冷房が効いていて心地が良い。
「今日は何を頼もうかな……」
「ウチは決めたよ! 日替わりフライ定食ー!」
カウンター席に案内された二人は、着席すると店員さんから氷水のポットとコップを受け取った。水を注ぐのはいつも、さおりの役割だ。おっちょこちょいのほのかに任せたら、盛大に零してしまいかねない……そう思っていた時もあったけれど、実はほのかはとても器用で気の回る人なんだと、今のさおりはよく知っている。
「わたしはハンバーグ定食にしよう」
「良いねー! 今日の晩ごはん、ハンバーグにしよーっと」
カウンター越しで作業中の店員さんに注文内容を伝えると、さおりは左に座るほのかへ向き直る。
「夏休みも家のことをやっているんだね」
ほのかの両親は共働きで、夜勤も多い職業らしい。加えてほのかには、小学二年生の双子の弟妹がいる。それで、中学生の頃から、家事や育児は主にほのかが担っているのだという。けれどほのかは、出来るだけ普通の高校生と同じ生活をしたがっている。家の事情も誰かに話したがらない。詳しく知っているのは、多分、さおりだけだ。頼ってくれるのは嬉しいし、自分だけがほのかの秘密を知っているというのは、少し優越感がある。
ほのかは左手でカウンターに頬杖をついて、さおりの方へ身体を向けた。
「いつもより楽だよー。弟も妹も昼間は開放学級だからねー」
「部活、勉強、家事、育児を両立出来る高校生なんてなかなかいないよ。ほのかは本当に凄いなあ」
「違うよさおりん」
ほのかは真面目な顔つきになった。
さおりは少しどきりとした。ほのかの家のことにはあまり口を出さない方が良かっただろうか。
「部活、勉強、家事、育児、恋愛の間違いだよ! ウチ、結構ハイスペックだよね。さおりんのお陰で成績も上がりに上がったし!」
彼女はえへへと笑うと、水を一口飲んだ。
にこにこしながら料理の来るのを待つその人のことを、ずっと隣で見ていたいなとさおりは改めて思った。付き合う前や、付き合い始めた頃は、ほのかの笑顔のためなら何だってする、自分を犠牲にしたって良い……なんて考えていた時もあった。
今は違う。少しでも長く、ほのかと一緒にいたい。
君がためを蹴るかな。百人一首の決まり字の覚え方が、ふと頭を通り過ぎてゆく。
「あ、フライ定食来たー! さおりんのも!」
注文していた料理が運ばれてきた。今日の日替わりフライはカキフライだ。サービスなのか、さおりのハンバーグ定食にもカキフライが一つ載っている。元々おなかは空いていたけれど、デミグラスソースの芳香を嗅いだら一気に食欲が湧いてきた。ごはんと味噌汁も熱々で美味しそうだ。早く堪能したい。
「ハンバーグ、良いねえ」
きっとほのかも、さおりと同じ気持ちなんだろう。
「少し食べる?」
「良いの?」
遠慮がちな声色とは裏腹に、ほのかはとても嬉しそうだ。
「ほのか、他の人が作る料理って普段あまり食べないものね」
「流石さおりん、分かってるねー」
ナイフとフォークでハンバーグを少し切り、ほのかの皿の上に載せてやる。ほのかは顔を輝かせる。
「それじゃあ、食べようか」
「うん!」
「いただきます」
二人の声は自然と重なった。
夏休みに入ってからも競技かるた部は毎日のように活動していた。気分の乗った日に行っておしゃべりや練習試合をして時間を過ごし、それ以外の日は家で勉強や読書などをするのが、さおりの夏休みのルーティンだった。
その日は料理部の活動日であったため、いつものようにほのかと校門前で待ち合わせた。うだるような暑さの中、さおりは少し人目を気にしながらほのかと手を繋ぎ、いつもの定食屋さんへと足を運んだ。お店に入るとすぐさま「いらっしゃいませ」と声が掛かる。お昼時とあって、席は八割ほど埋まっている。店内はほどよく冷房が効いていて心地が良い。
「今日は何を頼もうかな……」
「ウチは決めたよ! 日替わりフライ定食ー!」
カウンター席に案内された二人は、着席すると店員さんから氷水のポットとコップを受け取った。水を注ぐのはいつも、さおりの役割だ。おっちょこちょいのほのかに任せたら、盛大に零してしまいかねない……そう思っていた時もあったけれど、実はほのかはとても器用で気の回る人なんだと、今のさおりはよく知っている。
「わたしはハンバーグ定食にしよう」
「良いねー! 今日の晩ごはん、ハンバーグにしよーっと」
カウンター越しで作業中の店員さんに注文内容を伝えると、さおりは左に座るほのかへ向き直る。
「夏休みも家のことをやっているんだね」
ほのかの両親は共働きで、夜勤も多い職業らしい。加えてほのかには、小学二年生の双子の弟妹がいる。それで、中学生の頃から、家事や育児は主にほのかが担っているのだという。けれどほのかは、出来るだけ普通の高校生と同じ生活をしたがっている。家の事情も誰かに話したがらない。詳しく知っているのは、多分、さおりだけだ。頼ってくれるのは嬉しいし、自分だけがほのかの秘密を知っているというのは、少し優越感がある。
ほのかは左手でカウンターに頬杖をついて、さおりの方へ身体を向けた。
「いつもより楽だよー。弟も妹も昼間は開放学級だからねー」
「部活、勉強、家事、育児を両立出来る高校生なんてなかなかいないよ。ほのかは本当に凄いなあ」
「違うよさおりん」
ほのかは真面目な顔つきになった。
さおりは少しどきりとした。ほのかの家のことにはあまり口を出さない方が良かっただろうか。
「部活、勉強、家事、育児、恋愛の間違いだよ! ウチ、結構ハイスペックだよね。さおりんのお陰で成績も上がりに上がったし!」
彼女はえへへと笑うと、水を一口飲んだ。
にこにこしながら料理の来るのを待つその人のことを、ずっと隣で見ていたいなとさおりは改めて思った。付き合う前や、付き合い始めた頃は、ほのかの笑顔のためなら何だってする、自分を犠牲にしたって良い……なんて考えていた時もあった。
今は違う。少しでも長く、ほのかと一緒にいたい。
君がためを蹴るかな。百人一首の決まり字の覚え方が、ふと頭を通り過ぎてゆく。
「あ、フライ定食来たー! さおりんのも!」
注文していた料理が運ばれてきた。今日の日替わりフライはカキフライだ。サービスなのか、さおりのハンバーグ定食にもカキフライが一つ載っている。元々おなかは空いていたけれど、デミグラスソースの芳香を嗅いだら一気に食欲が湧いてきた。ごはんと味噌汁も熱々で美味しそうだ。早く堪能したい。
「ハンバーグ、良いねえ」
きっとほのかも、さおりと同じ気持ちなんだろう。
「少し食べる?」
「良いの?」
遠慮がちな声色とは裏腹に、ほのかはとても嬉しそうだ。
「ほのか、他の人が作る料理って普段あまり食べないものね」
「流石さおりん、分かってるねー」
ナイフとフォークでハンバーグを少し切り、ほのかの皿の上に載せてやる。ほのかは顔を輝かせる。
「それじゃあ、食べようか」
「うん!」
「いただきます」
二人の声は自然と重なった。