本編
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「なんや、なんや、そんなみんなして集まって。あ、ナナシ戻って来たんか。おお、その子がこの間言っていた子やな。名前は何て言うんや」
事務所の扉を開けたら職員がわいわい騒ぎながら一箇所に集まっていたので、いつもと違う風景に驚いたが、その原因を見て納得した。ナナシの近くに白ボスのデンチュラを触っている5、6歳の子どもがいる。しかし、子どもはこちらの存在に気づくと、ナナシの後ろにさっと隠れてしまった。
「おねーちゃん、あのおじちゃんのしゃべり方こわい」
「ミノルってば、失礼なこと言わないの! すみません、クラウド先輩」
ナナシはぺこりと頭を下げながら子どもを叱った。はじめて聞くであろうコガネ弁に驚いたようだ。確かに、この喋り方は高圧的に聞こえるかもしれないが、なにより『おじちゃん』扱いされたことに苦笑いしてしまう。
「いや、別に構わんで。でもおじちゃんは悲しいなあ。お兄ちゃんって呼んでや」
「オッサン、若イ子ブルノヤメナヨ」
「うっさい、お前やってたいして変わらんやろ」
「俺ノコトハ、オニーチャンッテ呼ンデクレタシ」
得意げに話すキャメロンに少し腹が立つ。ナナシの後ろに隠れている子にとって、お兄ちゃんとおじちゃんの線引きはなんなのだろうか。確かにキャメロンより年上だが、そこまで大きく差があるわけでもないのに。
ミノルの紹介が終わると、職員たちは業務を再開したので自分も仕事に戻る。机で書類をまとめていると、ナナシに業務のことで話しかけられた。その様子をミノルはじっと見つめている。先程まではこちらのことを怖がっていたのに、子どもというのは不思議な生き物だ。
ミノルは思っていたよりもおとなしい子だった。もう少し泣いたり騒いだりするものだと思っていたのに、絵を描いていたり、折り紙で何かを作ったり、休憩中のポケモンと一緒に遊んでいたりする。近くにナナシがいるときはナナシと話をしているが、誰かと仕事の話をしているときは黙って姿を見ているだけである。だからと言って、無口で無愛想な子どもというわけでもなく、暇そうにしている職員のところに行っては何かお願いをしていた。
「ねえ、おじちゃんの顔かいていい?」
ナナシの席に座っていたミノルに突然声をかけられた。もうすでに怖がっている様子はなく、ナナシや他の職員と話しているときのように、大きな目をぱちぱちとさせている。しかし、相変わらずおじちゃん呼びなので苦笑いしてしまう。
「おじちゃんやなくて、お兄ちゃんって呼んでくれや。まあ、わしの顔なら好きなだけ描いてくれてええよ。格好良く頼むで」
「ほいくえんで、パパの顔の絵をかかないといけないんだ。だからね、パパの代わりにおじちゃんの絵をかくの」
そう言うとミノルはバッグの中から大きなプリントとクレヨンを取り出した。プリントには『おとうさんのにがおえをかこう』と書かれている。肌色のクレヨンを手に持つと、ミノルはさっそく絵を描き始めた。
「先生はね、おじいちゃんの顔でもいいよって言ってたけど、ぼく、おじいちゃんもいないから」
ナナシは両親がすでに他界していると言っていた。保育園の方はそれを知らないのか。しかし、ミノルはそれ自体を特になんとも思っていないようだった。もしかすると祖父母の顔を見たことがないのかもしれない。
「……そうか。でもなんでわしなんや?」
「おじちゃんが一番おねーちゃんと仲良しだから」
仲良しだから、という言葉に驚いてしまう。ナナシと年の近い職員なんていくらでもいるし、ミノルがここへ来てから絵を描き始めるまでの間に、ナナシは業務のことでいろいろな職員のところへ回っていた。楽しそうに笑っているところなんていくらでも見ただろう。にも関わらず、短時間でそう判断したのか。
「まあ、ナナシはわしのかわいい後輩やからな」
「コウハイってなに?」
「わしの後にここに入ったってことやで」
「そうなんだ。じゃあ、おねーちゃんがみんなのことセンパイって言うのは、おねーちゃんより先に入ったってこと?」
「そうや。ナナシはここだと一番若いからなあ」
「……おねーちゃん、バトル強い?」
「そらあ、強いで。一番若いけど、新人の中じゃ一番強いなあ」
「ほんとに? おねーちゃん、泣き虫だから」
「バトルしてるときはシャキシャキしてるから、心配せんでも大丈夫やで」
泣き虫、という言葉が引っかかる。涙を流している姿はミノルの話を聞いたときにしか見ていない。家の中ではよく泣いているのだろうか。
「おじちゃん、かけた」
しばらく机とにらめっこしていたミノルに声をかけられたので、こちらも顔を上げる。ニコニコしているので、自信作ができたのだろう。
「おう、見せてみ。おお、よく描けてんな。ミノルは絵描くの上手やな」
子どもの絵だからもっと独創的なものだと思っていた。けれども、ミノルから渡されたプリントにはちゃんと特徴を捉えたものが描かれている。5歳の子どもでもこんなに上手に描けるものなのか。
「おねーちゃん、絵をかくの上手だから、おねーちゃんが休みのとき一緒にかくんだ。おじちゃんは絵、かける?」
「わしはあんまりやなあ……」
「でも何かかいて。あ、じゃあ、おねーちゃんが使ってるポケモンね。ボーマンダかいて」
「おいおい、そんな難しいもんわしには描けへんで」
「じゃあパッチール」
「まあパッチールなら」
ボーマンダと比べたら楽だろうと思い、ミノルから渡されたスケッチブックにペンを走らせる。しかし、意外と難しいもので、たしかあいつは目がぐるぐるしていたな、耳は長くて、体にぶち模様があって……と思いながら描いていると、あまりかわいげのないものが出来上がった。それを見て、ミノルはクルマユのような表情を浮かべている。
「これなに」
「パッチールやで」
「ぜんぜん似てない」
子どもの感想というのはなかなか厳しいものだ。
「絵心ないから堪忍してや」
「ねえ、これもらっていい?」
「構わんけど、そんなんでええんか?」
「うん」
酷評をした割に欲しがる理由がわからないが、ミノルは嬉しそうにスケッチブックをカバンにしまった。しかし、ナナシがボーマンダとパッチールを所持しているとは思わなかった。仕事ではサブウェイから支給されたポケモンをランダムで使用しているので、意外な組み合わせだな、と少し思う。
「あのね、みんなにパッチールの絵、かいてもらってるんだ」
「じゃあ、なんで先にボーマンダ頼んできたんや」
「はじめにパッチールかいてって言っちゃうと、みんなかけないって言うから。でも、ボーマンダかいてって言ったあとに、パッチールかいてって言うと、みんなかいてくれるんだよ」
この年齢でそんな会話術を心得ているとは、小さくても侮れない。子どもというのはそこまで考えて行動できるものなのか。
「ミノルは人の扱いも上手いなあ。でも、そんなに集めてどうするんや」
「切って、ノートにはるんだ。おねーちゃん、パッチール好きだから、ノート開けたらみんなのパッチールいっぱい、うれしいでしょ?」
「そうやな、ナナシ喜ぶと思うで」
「パッチールはママがつかまえたんだって。それを、おねーちゃんにあげたの。おねーちゃんたちが住んでたところ、パッチールがいっぱいいたんだけど、ママがつかまえたパッチール、おねーちゃんに似てるんだって」
確かに少し抜けていて頼りなさそうなところは似ている気がしなくもないが、その中でも似ているものとはなんだろうか。マイペース、というほど協調性がないわけでもないし、ちどりあし、というわけでもない。どちらかといえば、新歓のときに酒は飲んでいた方なので、ナナシの姉がそのパッチールを選んだ理由を不思議に思う。
「ボーマンダはね、まだタツベイだったとき、どうくつで遊んでたらいきなりずつきされたから、おねーちゃん怒って自分でつかまえたんだって。でもいまは仲良しだよ」
次の日、出社したナナシは手帳や業務用のものとまた違ったノートを持っていた。薄茶の表紙にはペンでイラストが描かれていて、それを見ながら少しご機嫌そうに鼻歌を歌っている。
「ナナシ、そのノート」
声をかけると、ナナシは嬉しそうな表情を浮かべた。それから、おはようございます、とぺこりと頭を下げた。
「このノート、今朝ミノルからもらったんです。『みんなにパッチールを描いてもらった』って。先輩もわざわざミノルのわがままに付き合ってもらっちゃってすみません」
「それは構わんけど、わしが描いたやつ、全然似てへんってミノルにダメ出しされたからなあ……下手やけど堪忍してや」
「えっ、ミノルってば失礼なことを……すみません。後で叱っておきます」
「子どもの言うことや、気にせんでええ。そのノート、少し見てもええか?」
「はい。いろいろな子がいて面白いですよ」
ノートを開くと、ミノルが言っていたように切り貼りしたイラストがたくさん並んでいた。イラストの近くには、描いた職員の名前がミノルの字で書かれている。その中には自分の描いたかわいげのないパッチールも含まれていたが、案外黒ボスや白ボスも絵心がなくて笑ってしまった。
「はー……これまた上手いやつと下手なやつといろいろやなあ。おお、何気にシンゲンの描いたやつが一番上手いな」
「パッチールって模様がそれぞれ違うから、このイラストでもいろいろなパッチールがいるんです」
ぐるぐるした目は共通だが、職員によってぶち模様の位置が違う。丁寧に色や影がつけられているものもあれば、ボールペンのヨレヨレしたした線で描かれているものもある。イラストに動きが付いているもの、ただ突っ立っているものなど様々だ。
「ミノルはそれを考えてみんなに描かせたんかあ、ホンマ頭ええ子やで。ミノルは最初、ボーマンダを描くように頼んできたんや。せやけど、そんな難しいもん描けへんと言ったらパッチールを頼んできたんで、まあパッチールくらいなら大丈夫やろと思ったんや。実際は全然やったけど。で、なんでわざわざボーマンダを頼んできたのか聞いたら、先に難しいもん頼んで断られたあと、次に簡単なもんを頼むとみんなやってくれるからやと。子どもっちゅうのはよう考えて行動してるもんやな」
「どこで覚えてくるんでしょうね、そういうこと。わたしも不思議なんです。保育園でそんなこと教わるわけないし」
「そういえば、ナナシと一番仲良いのはわしだからとか言って保育園に提出する絵も描いてたで。あんときナナシは他の職員とも喋ってたんに」
「ああ……その件もありがとうございました。ミノル、ああいうプリントを渡されるといつも白紙のまま提出するんですけど、今朝嬉しそうにお友達に見せてましたよ。喜んでいるミノルを見てたら、こっちまで嬉しくなっちゃって」
ナナシは、えへへ、というように軽く笑って見せた。いつもなら何も描かないプリントをわざわざ描いて、しかもそれを友達に喜んで報告したのか。確かにあの似顔絵を見せてくれたとき、ミノルはとてもニコニコしていた。ふたりに喜んでもらえてこちらも嬉しくなる。
「喜んでもらえて何よりやで」
「あ、そうそう、それから、昨日家に帰ったら『この間雑巾作ってくれたのおじちゃんでしょ』って言われたんです。ミノルに渡したとき『職場の先輩に手伝ってもらった』としか言ってなかったのに。どうしてわかったの? って聞いたら『他のお兄ちゃんはお姉ちゃんのこと褒めるだけだけど、おじちゃんは褒めたあとに次はこういう風にするといいよって言ってたから』だそうです。わたし、びっくりしちゃって」
ミノルが「おじちゃんが一番おねーちゃんと仲良しだから」と言ったのは、このことだったのか。本当によく見ているものだ。
「何気ない行動ひとつひとつ、細かく見てるんやなあ……下手なことできへんで」
事務所の扉を開けたら職員がわいわい騒ぎながら一箇所に集まっていたので、いつもと違う風景に驚いたが、その原因を見て納得した。ナナシの近くに白ボスのデンチュラを触っている5、6歳の子どもがいる。しかし、子どもはこちらの存在に気づくと、ナナシの後ろにさっと隠れてしまった。
「おねーちゃん、あのおじちゃんのしゃべり方こわい」
「ミノルってば、失礼なこと言わないの! すみません、クラウド先輩」
ナナシはぺこりと頭を下げながら子どもを叱った。はじめて聞くであろうコガネ弁に驚いたようだ。確かに、この喋り方は高圧的に聞こえるかもしれないが、なにより『おじちゃん』扱いされたことに苦笑いしてしまう。
「いや、別に構わんで。でもおじちゃんは悲しいなあ。お兄ちゃんって呼んでや」
「オッサン、若イ子ブルノヤメナヨ」
「うっさい、お前やってたいして変わらんやろ」
「俺ノコトハ、オニーチャンッテ呼ンデクレタシ」
得意げに話すキャメロンに少し腹が立つ。ナナシの後ろに隠れている子にとって、お兄ちゃんとおじちゃんの線引きはなんなのだろうか。確かにキャメロンより年上だが、そこまで大きく差があるわけでもないのに。
ミノルの紹介が終わると、職員たちは業務を再開したので自分も仕事に戻る。机で書類をまとめていると、ナナシに業務のことで話しかけられた。その様子をミノルはじっと見つめている。先程まではこちらのことを怖がっていたのに、子どもというのは不思議な生き物だ。
ミノルは思っていたよりもおとなしい子だった。もう少し泣いたり騒いだりするものだと思っていたのに、絵を描いていたり、折り紙で何かを作ったり、休憩中のポケモンと一緒に遊んでいたりする。近くにナナシがいるときはナナシと話をしているが、誰かと仕事の話をしているときは黙って姿を見ているだけである。だからと言って、無口で無愛想な子どもというわけでもなく、暇そうにしている職員のところに行っては何かお願いをしていた。
「ねえ、おじちゃんの顔かいていい?」
ナナシの席に座っていたミノルに突然声をかけられた。もうすでに怖がっている様子はなく、ナナシや他の職員と話しているときのように、大きな目をぱちぱちとさせている。しかし、相変わらずおじちゃん呼びなので苦笑いしてしまう。
「おじちゃんやなくて、お兄ちゃんって呼んでくれや。まあ、わしの顔なら好きなだけ描いてくれてええよ。格好良く頼むで」
「ほいくえんで、パパの顔の絵をかかないといけないんだ。だからね、パパの代わりにおじちゃんの絵をかくの」
そう言うとミノルはバッグの中から大きなプリントとクレヨンを取り出した。プリントには『おとうさんのにがおえをかこう』と書かれている。肌色のクレヨンを手に持つと、ミノルはさっそく絵を描き始めた。
「先生はね、おじいちゃんの顔でもいいよって言ってたけど、ぼく、おじいちゃんもいないから」
ナナシは両親がすでに他界していると言っていた。保育園の方はそれを知らないのか。しかし、ミノルはそれ自体を特になんとも思っていないようだった。もしかすると祖父母の顔を見たことがないのかもしれない。
「……そうか。でもなんでわしなんや?」
「おじちゃんが一番おねーちゃんと仲良しだから」
仲良しだから、という言葉に驚いてしまう。ナナシと年の近い職員なんていくらでもいるし、ミノルがここへ来てから絵を描き始めるまでの間に、ナナシは業務のことでいろいろな職員のところへ回っていた。楽しそうに笑っているところなんていくらでも見ただろう。にも関わらず、短時間でそう判断したのか。
「まあ、ナナシはわしのかわいい後輩やからな」
「コウハイってなに?」
「わしの後にここに入ったってことやで」
「そうなんだ。じゃあ、おねーちゃんがみんなのことセンパイって言うのは、おねーちゃんより先に入ったってこと?」
「そうや。ナナシはここだと一番若いからなあ」
「……おねーちゃん、バトル強い?」
「そらあ、強いで。一番若いけど、新人の中じゃ一番強いなあ」
「ほんとに? おねーちゃん、泣き虫だから」
「バトルしてるときはシャキシャキしてるから、心配せんでも大丈夫やで」
泣き虫、という言葉が引っかかる。涙を流している姿はミノルの話を聞いたときにしか見ていない。家の中ではよく泣いているのだろうか。
「おじちゃん、かけた」
しばらく机とにらめっこしていたミノルに声をかけられたので、こちらも顔を上げる。ニコニコしているので、自信作ができたのだろう。
「おう、見せてみ。おお、よく描けてんな。ミノルは絵描くの上手やな」
子どもの絵だからもっと独創的なものだと思っていた。けれども、ミノルから渡されたプリントにはちゃんと特徴を捉えたものが描かれている。5歳の子どもでもこんなに上手に描けるものなのか。
「おねーちゃん、絵をかくの上手だから、おねーちゃんが休みのとき一緒にかくんだ。おじちゃんは絵、かける?」
「わしはあんまりやなあ……」
「でも何かかいて。あ、じゃあ、おねーちゃんが使ってるポケモンね。ボーマンダかいて」
「おいおい、そんな難しいもんわしには描けへんで」
「じゃあパッチール」
「まあパッチールなら」
ボーマンダと比べたら楽だろうと思い、ミノルから渡されたスケッチブックにペンを走らせる。しかし、意外と難しいもので、たしかあいつは目がぐるぐるしていたな、耳は長くて、体にぶち模様があって……と思いながら描いていると、あまりかわいげのないものが出来上がった。それを見て、ミノルはクルマユのような表情を浮かべている。
「これなに」
「パッチールやで」
「ぜんぜん似てない」
子どもの感想というのはなかなか厳しいものだ。
「絵心ないから堪忍してや」
「ねえ、これもらっていい?」
「構わんけど、そんなんでええんか?」
「うん」
酷評をした割に欲しがる理由がわからないが、ミノルは嬉しそうにスケッチブックをカバンにしまった。しかし、ナナシがボーマンダとパッチールを所持しているとは思わなかった。仕事ではサブウェイから支給されたポケモンをランダムで使用しているので、意外な組み合わせだな、と少し思う。
「あのね、みんなにパッチールの絵、かいてもらってるんだ」
「じゃあ、なんで先にボーマンダ頼んできたんや」
「はじめにパッチールかいてって言っちゃうと、みんなかけないって言うから。でも、ボーマンダかいてって言ったあとに、パッチールかいてって言うと、みんなかいてくれるんだよ」
この年齢でそんな会話術を心得ているとは、小さくても侮れない。子どもというのはそこまで考えて行動できるものなのか。
「ミノルは人の扱いも上手いなあ。でも、そんなに集めてどうするんや」
「切って、ノートにはるんだ。おねーちゃん、パッチール好きだから、ノート開けたらみんなのパッチールいっぱい、うれしいでしょ?」
「そうやな、ナナシ喜ぶと思うで」
「パッチールはママがつかまえたんだって。それを、おねーちゃんにあげたの。おねーちゃんたちが住んでたところ、パッチールがいっぱいいたんだけど、ママがつかまえたパッチール、おねーちゃんに似てるんだって」
確かに少し抜けていて頼りなさそうなところは似ている気がしなくもないが、その中でも似ているものとはなんだろうか。マイペース、というほど協調性がないわけでもないし、ちどりあし、というわけでもない。どちらかといえば、新歓のときに酒は飲んでいた方なので、ナナシの姉がそのパッチールを選んだ理由を不思議に思う。
「ボーマンダはね、まだタツベイだったとき、どうくつで遊んでたらいきなりずつきされたから、おねーちゃん怒って自分でつかまえたんだって。でもいまは仲良しだよ」
次の日、出社したナナシは手帳や業務用のものとまた違ったノートを持っていた。薄茶の表紙にはペンでイラストが描かれていて、それを見ながら少しご機嫌そうに鼻歌を歌っている。
「ナナシ、そのノート」
声をかけると、ナナシは嬉しそうな表情を浮かべた。それから、おはようございます、とぺこりと頭を下げた。
「このノート、今朝ミノルからもらったんです。『みんなにパッチールを描いてもらった』って。先輩もわざわざミノルのわがままに付き合ってもらっちゃってすみません」
「それは構わんけど、わしが描いたやつ、全然似てへんってミノルにダメ出しされたからなあ……下手やけど堪忍してや」
「えっ、ミノルってば失礼なことを……すみません。後で叱っておきます」
「子どもの言うことや、気にせんでええ。そのノート、少し見てもええか?」
「はい。いろいろな子がいて面白いですよ」
ノートを開くと、ミノルが言っていたように切り貼りしたイラストがたくさん並んでいた。イラストの近くには、描いた職員の名前がミノルの字で書かれている。その中には自分の描いたかわいげのないパッチールも含まれていたが、案外黒ボスや白ボスも絵心がなくて笑ってしまった。
「はー……これまた上手いやつと下手なやつといろいろやなあ。おお、何気にシンゲンの描いたやつが一番上手いな」
「パッチールって模様がそれぞれ違うから、このイラストでもいろいろなパッチールがいるんです」
ぐるぐるした目は共通だが、職員によってぶち模様の位置が違う。丁寧に色や影がつけられているものもあれば、ボールペンのヨレヨレしたした線で描かれているものもある。イラストに動きが付いているもの、ただ突っ立っているものなど様々だ。
「ミノルはそれを考えてみんなに描かせたんかあ、ホンマ頭ええ子やで。ミノルは最初、ボーマンダを描くように頼んできたんや。せやけど、そんな難しいもん描けへんと言ったらパッチールを頼んできたんで、まあパッチールくらいなら大丈夫やろと思ったんや。実際は全然やったけど。で、なんでわざわざボーマンダを頼んできたのか聞いたら、先に難しいもん頼んで断られたあと、次に簡単なもんを頼むとみんなやってくれるからやと。子どもっちゅうのはよう考えて行動してるもんやな」
「どこで覚えてくるんでしょうね、そういうこと。わたしも不思議なんです。保育園でそんなこと教わるわけないし」
「そういえば、ナナシと一番仲良いのはわしだからとか言って保育園に提出する絵も描いてたで。あんときナナシは他の職員とも喋ってたんに」
「ああ……その件もありがとうございました。ミノル、ああいうプリントを渡されるといつも白紙のまま提出するんですけど、今朝嬉しそうにお友達に見せてましたよ。喜んでいるミノルを見てたら、こっちまで嬉しくなっちゃって」
ナナシは、えへへ、というように軽く笑って見せた。いつもなら何も描かないプリントをわざわざ描いて、しかもそれを友達に喜んで報告したのか。確かにあの似顔絵を見せてくれたとき、ミノルはとてもニコニコしていた。ふたりに喜んでもらえてこちらも嬉しくなる。
「喜んでもらえて何よりやで」
「あ、そうそう、それから、昨日家に帰ったら『この間雑巾作ってくれたのおじちゃんでしょ』って言われたんです。ミノルに渡したとき『職場の先輩に手伝ってもらった』としか言ってなかったのに。どうしてわかったの? って聞いたら『他のお兄ちゃんはお姉ちゃんのこと褒めるだけだけど、おじちゃんは褒めたあとに次はこういう風にするといいよって言ってたから』だそうです。わたし、びっくりしちゃって」
ミノルが「おじちゃんが一番おねーちゃんと仲良しだから」と言ったのは、このことだったのか。本当によく見ているものだ。
「何気ない行動ひとつひとつ、細かく見てるんやなあ……下手なことできへんで」