本編
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朝礼が始まる前にナナシが珍しいことをしていた。何やら柄物の布とにらめっこしている。白い糸を通した針が右の親指と人差し指で摘まれているが、その動きはとてもぎこちない。難しそうな顔で眉間にしわを寄せながら一生懸命針を動かしているのに、あまり作業が進んでいないように見える。かと思えば左手をぱっぱっと振り払って、じっと指を見つめながらため息をつく。間違えて指でも刺したのだろうか。
机には色々な柄の布が多く乗せられている。それを横目に見るとまた大きくため息をついた。
「何してるんや、ナナシ」
「あ、クラウド先輩……すみません、片付けます」
気になって声をかけるとナナシは注意されると思ったようで、机に広げていたものをまとめ始めた。なので、そういうつもりではないと制止する。
「いや、別に注意しに来たわけやないで。自分の机で何か作業してるやつなんて他にもぎょうさんおるしな。ただ気になったから声かけただけや。お前が縫いもんしてるなんて珍しいからな」
「ちょっと、明日までに作らないといけないものがあって……家でも作業しているんですけど、全然終わらなくて、仕事の合間にやろうと」
「何作ってるんや」
「雑巾です」
「雑巾? なんでまたそんなもん、市販のじゃだめなんか?」
「だめだから作ってるんです」
「まあ、そうなんやろうけど」
ナナシの声は暗く沈んでいる。ふと出来上がった雑巾に目をやると、お世辞にも上手いと言えるものではなかった。雑巾だからそこまできれいに作る必要もないのだろうが、それにしても縫い目が曲がっていたり、糸と糸の間隔がばらばらだったり、作業の遅さの割に雑な作りだった。
「恥ずかしいので見ないでください」
視線の先に気づいたナナシは顔を赤くさせながら作り終えた雑巾を隠した。心なしか、いつもより語気が強い。
「お前、料理は得意でも裁縫は苦手なんやな」
「自分でもわかってますよ、こういうことに向いてないって。今まで裁縫は姉さんに全部任せてたし。でも、今回は自分で作らなきゃ」
ナナシは端切れをぎゅっと掴んでいる。どこかむしゃくしゃした様子であった。たかが雑巾にどうしてそんなに労力を使っているのか、その姉さんを頼るのではだめなのか。いろいろと聞きたいことはあるが、それは心に留めておくことにした。
「はあ、まあ事情があるんやろうけど。少し手伝ったろか?」
「大丈夫です! 自分で作れますから」
「あと何枚必要なんや」
「7枚です」
「これ、いつから作り始めたんや」
「……一昨日」
勢いよく突っぱねたかと思えば、答えるごとに声が小さくなっていく。本人としても明日までに必要な枚数分を完成させる自信がないのだろう。もともと何枚必要だったのかと聞くと10枚だとナナシは答えた。一昨日から作り始めて3枚しかできていないとは不器用すぎる。
「そんなん、明日までに終わらんで。ほら、他に針と糸あるやろ。貸してみ」
机の上に置いてあった裁縫道具に手を伸ばすと、少し怒ったような顔をしたナナシが止めに入った。いつも真面目に、はい、はい、と言っている子が反抗的な態度を取るとは珍しい。
「クラウド先輩に、迷惑が」
「お前よりは裁縫得意やから大丈夫やで」
冗談交じりに言うと、ナナシは何か言いたそうな顔をしながら口を一文字にしていた。冗談を真に受けるタイプだから、バカにされたと思ったのだろうか。
「なんやその顔」
「な、なんでもないです」
ナナシは俯いて耳を赤くさせながら小さく、ありがとうございます、と呟いた。それから頻りに前髪を整えていた。
こちらが4枚目を作ろうとしていると、ナナシはまだ1枚目に苦戦していた。
「クラウド先輩、裁縫得意なんですね」
「わしが得意なんやなくて、ナナシが遅いだけやで」
ミミズのような縫い目を作っていたナナシが感心した様子でこちらの手元を見る。なので、冗談で返したところまた何か言いたげな顔で口を一文字にさせるので笑ってしまう。
「冗談やって、冗談。またなんか作らなあかんときは手伝ったろか」
「今度はクラウド先輩の手を煩わせなくてもいいように努力しますので」
「頑張り屋さんやな、お前は」
他の後輩にやるように、いつもの癖で頭をなでようとしたら、ナナシが体をびくりと震わせた。すみません、と言いながら頭を守るような格好で避けるナナシを見て、こういったことをされるのは嫌いなタイプだったかと少し反省する。
手を下ろすと、ナナシはぱちぱちと瞬きをしたあと安心した様子を見せ、それからにっこりと笑顔を見せた。
「先輩、手伝ってくれてありがとうございました。これでなんとか、明日持たせてあげられそうです」
「おう」
ナナシは作り終えた雑巾を見比べながら何か考え事をしているようであった。少し寂しそうで、それでも嬉しそうな表情をしていた。ナナシの言う、持たせてあげられる、という意味がよくわからないが、雑巾を手渡されて喜ぶ相手なんて誰がいるだろうか。
そろそろ朝礼が始まるぞ、と言うと、ナナシは急いで裁縫道具と雑巾をカバンに詰めた。女性物のカバンというよりは、少し子どもっぽいデザインのものに違和感を覚える。それでも、本人が言いたくないのであれば、無理に言わせることもできない。業務のときと同じように、相談をしてきたら思う存分聞いてあげようと思う。
翌朝、ナナシに声をかけられた。どこか少し疲れている様子であったが、裁縫をしているときよりは大丈夫よくなっている気がする。
「先輩、昨日はありがとうございました」
「おう、構わんで」
「それで、簡単なものですけど……昨日のお礼です」
翌朝、ナナシはラッピグされたクッキーを差し出した。市販のクッキーではなく、おそらくナナシの手作りクッキー。
「なんや、そんなに気い使わんでもよかったのに。でもありがとな。昼休みに食わせてもらうわ」
「はい、ありがとうございます……先輩のお口に合えばいいんですけど」
「大丈夫や、わしは好き嫌い少ない方やから」
ほっとした様子を見せたあと、ぺこりとお辞儀をすると、ナナシは今日の配置場所へと向かって行った。手渡されたクッキーはプレーン、マーブル、チョコチップの3種類。いつこれを作る時間があったのだろうか。わざわざラッピングまでして、寝る間も惜しんで作ってくれたのだろうか。律儀なやつだな、と思いながら、職員用の通路を走っていくナナシの姿を見送った。
「ナナシはやっぱり料理上手やな」
少し遅れて休憩室に入ってきたナナシに声をかけると、お口に合って良かったです、と安心した様子を見せた。
「わたしの取り柄は、料理と絵くらいなので」
ははは、と苦笑いをしながら頬を掻いているナナシを見る。苦手なものにも挑戦するところや、業務のことでも逐一メモを取ったり、毎日忙しい中弁当を作ったり、こうしてお礼にわざわざクッキーを焼いてくる真面目さもプラスされると思うが、本人としては、当たり前、やらなきゃいけないこと、くらいにしか思っていないのだろう。
「家に帰ってからこれ作るなんて大変やったろ。ちゃんと寝たんか?」
「ちゃんと寝たから大丈夫ですよ。それに料理は好きなので辛くないです……裁縫だったら辛いですけど」
「はは、そうやな。昨日作ったもんはちゃんと渡せたんか?」
「はい。クラウド先輩が作ったやつを見て喜んでくれましたよ。わたしのはまあ……あんまりでしたけど」
「そうか、それなら良かったわ」
雑巾を手渡されて喜ぶ人間なんているのか不思議に思うが、少なくとも彼氏の類ではないだろう。それでも、ニコニコして報告してくる後輩を見て、まあいいか、と思う。
机には色々な柄の布が多く乗せられている。それを横目に見るとまた大きくため息をついた。
「何してるんや、ナナシ」
「あ、クラウド先輩……すみません、片付けます」
気になって声をかけるとナナシは注意されると思ったようで、机に広げていたものをまとめ始めた。なので、そういうつもりではないと制止する。
「いや、別に注意しに来たわけやないで。自分の机で何か作業してるやつなんて他にもぎょうさんおるしな。ただ気になったから声かけただけや。お前が縫いもんしてるなんて珍しいからな」
「ちょっと、明日までに作らないといけないものがあって……家でも作業しているんですけど、全然終わらなくて、仕事の合間にやろうと」
「何作ってるんや」
「雑巾です」
「雑巾? なんでまたそんなもん、市販のじゃだめなんか?」
「だめだから作ってるんです」
「まあ、そうなんやろうけど」
ナナシの声は暗く沈んでいる。ふと出来上がった雑巾に目をやると、お世辞にも上手いと言えるものではなかった。雑巾だからそこまできれいに作る必要もないのだろうが、それにしても縫い目が曲がっていたり、糸と糸の間隔がばらばらだったり、作業の遅さの割に雑な作りだった。
「恥ずかしいので見ないでください」
視線の先に気づいたナナシは顔を赤くさせながら作り終えた雑巾を隠した。心なしか、いつもより語気が強い。
「お前、料理は得意でも裁縫は苦手なんやな」
「自分でもわかってますよ、こういうことに向いてないって。今まで裁縫は姉さんに全部任せてたし。でも、今回は自分で作らなきゃ」
ナナシは端切れをぎゅっと掴んでいる。どこかむしゃくしゃした様子であった。たかが雑巾にどうしてそんなに労力を使っているのか、その姉さんを頼るのではだめなのか。いろいろと聞きたいことはあるが、それは心に留めておくことにした。
「はあ、まあ事情があるんやろうけど。少し手伝ったろか?」
「大丈夫です! 自分で作れますから」
「あと何枚必要なんや」
「7枚です」
「これ、いつから作り始めたんや」
「……一昨日」
勢いよく突っぱねたかと思えば、答えるごとに声が小さくなっていく。本人としても明日までに必要な枚数分を完成させる自信がないのだろう。もともと何枚必要だったのかと聞くと10枚だとナナシは答えた。一昨日から作り始めて3枚しかできていないとは不器用すぎる。
「そんなん、明日までに終わらんで。ほら、他に針と糸あるやろ。貸してみ」
机の上に置いてあった裁縫道具に手を伸ばすと、少し怒ったような顔をしたナナシが止めに入った。いつも真面目に、はい、はい、と言っている子が反抗的な態度を取るとは珍しい。
「クラウド先輩に、迷惑が」
「お前よりは裁縫得意やから大丈夫やで」
冗談交じりに言うと、ナナシは何か言いたそうな顔をしながら口を一文字にしていた。冗談を真に受けるタイプだから、バカにされたと思ったのだろうか。
「なんやその顔」
「な、なんでもないです」
ナナシは俯いて耳を赤くさせながら小さく、ありがとうございます、と呟いた。それから頻りに前髪を整えていた。
こちらが4枚目を作ろうとしていると、ナナシはまだ1枚目に苦戦していた。
「クラウド先輩、裁縫得意なんですね」
「わしが得意なんやなくて、ナナシが遅いだけやで」
ミミズのような縫い目を作っていたナナシが感心した様子でこちらの手元を見る。なので、冗談で返したところまた何か言いたげな顔で口を一文字にさせるので笑ってしまう。
「冗談やって、冗談。またなんか作らなあかんときは手伝ったろか」
「今度はクラウド先輩の手を煩わせなくてもいいように努力しますので」
「頑張り屋さんやな、お前は」
他の後輩にやるように、いつもの癖で頭をなでようとしたら、ナナシが体をびくりと震わせた。すみません、と言いながら頭を守るような格好で避けるナナシを見て、こういったことをされるのは嫌いなタイプだったかと少し反省する。
手を下ろすと、ナナシはぱちぱちと瞬きをしたあと安心した様子を見せ、それからにっこりと笑顔を見せた。
「先輩、手伝ってくれてありがとうございました。これでなんとか、明日持たせてあげられそうです」
「おう」
ナナシは作り終えた雑巾を見比べながら何か考え事をしているようであった。少し寂しそうで、それでも嬉しそうな表情をしていた。ナナシの言う、持たせてあげられる、という意味がよくわからないが、雑巾を手渡されて喜ぶ相手なんて誰がいるだろうか。
そろそろ朝礼が始まるぞ、と言うと、ナナシは急いで裁縫道具と雑巾をカバンに詰めた。女性物のカバンというよりは、少し子どもっぽいデザインのものに違和感を覚える。それでも、本人が言いたくないのであれば、無理に言わせることもできない。業務のときと同じように、相談をしてきたら思う存分聞いてあげようと思う。
翌朝、ナナシに声をかけられた。どこか少し疲れている様子であったが、裁縫をしているときよりは大丈夫よくなっている気がする。
「先輩、昨日はありがとうございました」
「おう、構わんで」
「それで、簡単なものですけど……昨日のお礼です」
翌朝、ナナシはラッピグされたクッキーを差し出した。市販のクッキーではなく、おそらくナナシの手作りクッキー。
「なんや、そんなに気い使わんでもよかったのに。でもありがとな。昼休みに食わせてもらうわ」
「はい、ありがとうございます……先輩のお口に合えばいいんですけど」
「大丈夫や、わしは好き嫌い少ない方やから」
ほっとした様子を見せたあと、ぺこりとお辞儀をすると、ナナシは今日の配置場所へと向かって行った。手渡されたクッキーはプレーン、マーブル、チョコチップの3種類。いつこれを作る時間があったのだろうか。わざわざラッピングまでして、寝る間も惜しんで作ってくれたのだろうか。律儀なやつだな、と思いながら、職員用の通路を走っていくナナシの姿を見送った。
「ナナシはやっぱり料理上手やな」
少し遅れて休憩室に入ってきたナナシに声をかけると、お口に合って良かったです、と安心した様子を見せた。
「わたしの取り柄は、料理と絵くらいなので」
ははは、と苦笑いをしながら頬を掻いているナナシを見る。苦手なものにも挑戦するところや、業務のことでも逐一メモを取ったり、毎日忙しい中弁当を作ったり、こうしてお礼にわざわざクッキーを焼いてくる真面目さもプラスされると思うが、本人としては、当たり前、やらなきゃいけないこと、くらいにしか思っていないのだろう。
「家に帰ってからこれ作るなんて大変やったろ。ちゃんと寝たんか?」
「ちゃんと寝たから大丈夫ですよ。それに料理は好きなので辛くないです……裁縫だったら辛いですけど」
「はは、そうやな。昨日作ったもんはちゃんと渡せたんか?」
「はい。クラウド先輩が作ったやつを見て喜んでくれましたよ。わたしのはまあ……あんまりでしたけど」
「そうか、それなら良かったわ」
雑巾を手渡されて喜ぶ人間なんているのか不思議に思うが、少なくとも彼氏の類ではないだろう。それでも、ニコニコして報告してくる後輩を見て、まあいいか、と思う。