本編
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最終列車も見送り、職員以外ほぼいない構内で、地上へ続く階段の真ん中にナナシさんが立っていた。彼女がそちらまで出て行くのは珍しい。普段は職員用の通路や非常口の階段付近を散歩したり、事務所や休憩室へ遊びに行っているのに。僕が声をかけるとナナシさんはこちらを振り向き笑顔で手を振った。
「ナナシさん、こんなところでどうしたんですか?」
「ジャッジ、今日はもうお客さんのポケモン診断しなくていいの?」
「ええ。ここももうじき閉めますから、お客様も来ないだろうし……って、質問を質問で返さないでくださいよ」
えへへ、ごめんごめん、とナナシさんは笑う。数週間前にジャッキー曰く「勝手についてきた」彼女は、幽霊の割に明るくてよく笑う不思議な人だ。足がなくて浮いているように見えることを除けば、どこにでもいる活発な少女に思える。
「あのね、外に出られないかちょっと試してたんだー」
「それで、どうだったんですか」
「全然だーめ。なんか、見えない壁が貼られてるみたいで弾かれちゃうんだ。残念、アハハ」
ナナシさんが何もない空間をぱしぱしと叩くと、確かに何か障害物があるようだった。普段だったら、人やものを触ろうとしてもすり抜けてしまう彼女の手が。
「囚われのお姫様、なんてね」
冗談を言いながらやれやれと首を振る。外に出ることは諦めたようで、ナナシさんは笑いながら僕のところへやって来た。
「ねえねえ、今のライモンってどんな感じの街なの?」
僕の隣に立つと、ナナシさんは上目遣いで僕を見るような姿勢を取る。その表情は、好奇心に溢れた子どものようだった。
「そうですね……とても賑やかなところですよ。ギアステーションの西側に遊園地とポケモンジム、北側にはビッグスタジアムとリトルコート、それからミュージカルを公演している劇場がありますね」
「へえー、わたしが若い頃と全然違う」
今も十分若いのに、なんて思うけど、彼女からすると生前のことは若い頃の話らしい。
「それだけ街が栄えたら、わたしが住んでたボロアパート、もう壊されちゃったかなあ……」
ナナシさんは元気いっぱいでいつも笑顔だけど、昔の話をするときはやはりさびしげな表情をする。そういうとき、僕もさびしい気持ちになるのだ。
「前にね、ジャッキーに今のライモンはどんな街なのか聞いたら、ここから出たことがないから知らないって言われちゃったんだ」
でもね、でもね、とナナシさんは話を続ける。
「悪いこと聞いちゃったかなって思ったんだけど、わたしももう30年ここから出てないから知らない街同然だし、だからいつか、街を知らないもの同士一緒にライモンで遊びたいなって思ったんだ! それで、どうにかして外に出る方法を探してるの」
さびしげな表情から一転して笑顔になったかと思うと、また少し曇った表情で「あ、でも、わたしが勝手にそう思ってるだけで、ジャッキーは外に出たくないのかも……」とつぶやいた。
ジャッキーも随分と想われているもんだ、と少し羨ましく思う。ここから出られないという同じ境遇だからなのか、出会ったときに怖がられなかったからなのかは知らないが、もし出会った順番や何かのパズルが違っていたら、ナナシさんのその心は僕に向けられる可能性もあったのだろうか。しかし、そんな「もしも」の話を考えていても仕方がないので僕は、彼女の良き理解者であろうと思う。
「ナナシさんが外を出られるようになったときは、きっと、ジャッキーも一緒だと思いますよ」
「本当? そうだといいなあ」
えへへ、とナナシさんが笑う。
翌る日も彼女はまた僕のところへやって来た。これは言わば勉強会のようなものだった。
「ジャッジって流行りのものとかいろいろなことに詳しいよね。おかげですっごく勉強になるんだ。休みの日はどこかに出かけることが多いの?」
「いえ、休みの日はたいてい家でゴロゴロしてますけど。お客様からお話を聞ける機会が他の職員よりも多いんです。ほら、鉄道員たちはみんなポケモンバトルをしたり、お客様の誘導をしてるけど、僕はここでポケモンの診断をしてますから。そのポケモンをどんな風に育てるのがベストかをアドバイスしているときに、世間話も少し」
ギアステーションは利用者も多い上に、ライモンシティという土地柄もあって様々な話を聞くことができる。ヒウンシティとはまたベクトルの違った都会には、良くも悪くもいろいろなものが集まるのだ。その情報の中から話題を取捨選択して、こうしてナナシさんに流行の話などを教えている。そしてここで知ったことをナナシさんはジャッキーにも伝えているのだろう。楽しいことや嬉しいことを共有したがる人だから。
「いいなー、わたしもいろんな話を聞いたり話したりしたい」
「ナナシさんは、誰とでもすぐ仲良くなれますもんね」
きらきらした笑顔、くるくる変わる表情、いたずら好きな瞳、飽き性で少しきまぐれな性格、年齢よりも幼く感じる仕草や言動。とても幽霊には見えなくて、はじめは幽霊の存在に怯えていた職員ともすぐに打ち解けていた。けれど、ナナシさんから返って来た答えは意外なものだった。
「最近はね、人と仲良くするようにしてる。でも昔はそうじゃなかったなー、友達って呼べる人も少なかったし」
「そうなんですか?」
「昔はテキトーに生きてきたから、学校内で仲良くしている人はいても、その人たちのことを友達だと思わなかったんだ。でも、なくしてから気づくことってない? あるよね?」
ナナシさんは僕に同意を求めるかのように最後の言葉を強調した。それはまるで、何かをなくしてしまったかのような言い方だった。
「ひとりぼっちって、さびしいねー」
彼女は空虚な表情でずっと遠くを見つめている。
「……そうですね、僕も若いトレーナーさんの話を聞いていると、いろいろ思うところがあります。若いとき、もっとこうすれば良かったな、とか」
「アハハ、ジャッジってばまだ若いのに」
「ナナシさんこそ」
「生きてたらジャッジよりもずっと年上だもん」
少しさびしそうにナナシさんは笑った。ナナシさんの笑い方には特徴があるので、本人としては気持ちを隠しているつもりなんだろうけど、すぐにわかる。辛いときは、そうやって無理して笑わないでほしい。
「そういえば来週、カミツレさんがイベントでここに来るらしいですよ」
「カミツレさんって?」
ナナシさんはぽかんとした表情で僕を見つめる。そういえば、なんだかんだでカミツレさんのことは今まで話したことがなかった。普段当たり前のようにテレビや広告で見ている情報は、つい他の人も知っているものだと思ってしまう。
「ライモンジムのジムリーダーで、モデルも務めている方です。とてもシャイニングな雰囲気の人なので、今のライモンの空気を感じられるかもしれませんね」
「へえー、楽しみだなー!」
僕のその言葉にナナシさんの目が輝く。ナナシさんにはずっと、キラキラした、その笑顔でいてほしいと思うんだ。
「ナナシさん、こんなところでどうしたんですか?」
「ジャッジ、今日はもうお客さんのポケモン診断しなくていいの?」
「ええ。ここももうじき閉めますから、お客様も来ないだろうし……って、質問を質問で返さないでくださいよ」
えへへ、ごめんごめん、とナナシさんは笑う。数週間前にジャッキー曰く「勝手についてきた」彼女は、幽霊の割に明るくてよく笑う不思議な人だ。足がなくて浮いているように見えることを除けば、どこにでもいる活発な少女に思える。
「あのね、外に出られないかちょっと試してたんだー」
「それで、どうだったんですか」
「全然だーめ。なんか、見えない壁が貼られてるみたいで弾かれちゃうんだ。残念、アハハ」
ナナシさんが何もない空間をぱしぱしと叩くと、確かに何か障害物があるようだった。普段だったら、人やものを触ろうとしてもすり抜けてしまう彼女の手が。
「囚われのお姫様、なんてね」
冗談を言いながらやれやれと首を振る。外に出ることは諦めたようで、ナナシさんは笑いながら僕のところへやって来た。
「ねえねえ、今のライモンってどんな感じの街なの?」
僕の隣に立つと、ナナシさんは上目遣いで僕を見るような姿勢を取る。その表情は、好奇心に溢れた子どものようだった。
「そうですね……とても賑やかなところですよ。ギアステーションの西側に遊園地とポケモンジム、北側にはビッグスタジアムとリトルコート、それからミュージカルを公演している劇場がありますね」
「へえー、わたしが若い頃と全然違う」
今も十分若いのに、なんて思うけど、彼女からすると生前のことは若い頃の話らしい。
「それだけ街が栄えたら、わたしが住んでたボロアパート、もう壊されちゃったかなあ……」
ナナシさんは元気いっぱいでいつも笑顔だけど、昔の話をするときはやはりさびしげな表情をする。そういうとき、僕もさびしい気持ちになるのだ。
「前にね、ジャッキーに今のライモンはどんな街なのか聞いたら、ここから出たことがないから知らないって言われちゃったんだ」
でもね、でもね、とナナシさんは話を続ける。
「悪いこと聞いちゃったかなって思ったんだけど、わたしももう30年ここから出てないから知らない街同然だし、だからいつか、街を知らないもの同士一緒にライモンで遊びたいなって思ったんだ! それで、どうにかして外に出る方法を探してるの」
さびしげな表情から一転して笑顔になったかと思うと、また少し曇った表情で「あ、でも、わたしが勝手にそう思ってるだけで、ジャッキーは外に出たくないのかも……」とつぶやいた。
ジャッキーも随分と想われているもんだ、と少し羨ましく思う。ここから出られないという同じ境遇だからなのか、出会ったときに怖がられなかったからなのかは知らないが、もし出会った順番や何かのパズルが違っていたら、ナナシさんのその心は僕に向けられる可能性もあったのだろうか。しかし、そんな「もしも」の話を考えていても仕方がないので僕は、彼女の良き理解者であろうと思う。
「ナナシさんが外を出られるようになったときは、きっと、ジャッキーも一緒だと思いますよ」
「本当? そうだといいなあ」
えへへ、とナナシさんが笑う。
翌る日も彼女はまた僕のところへやって来た。これは言わば勉強会のようなものだった。
「ジャッジって流行りのものとかいろいろなことに詳しいよね。おかげですっごく勉強になるんだ。休みの日はどこかに出かけることが多いの?」
「いえ、休みの日はたいてい家でゴロゴロしてますけど。お客様からお話を聞ける機会が他の職員よりも多いんです。ほら、鉄道員たちはみんなポケモンバトルをしたり、お客様の誘導をしてるけど、僕はここでポケモンの診断をしてますから。そのポケモンをどんな風に育てるのがベストかをアドバイスしているときに、世間話も少し」
ギアステーションは利用者も多い上に、ライモンシティという土地柄もあって様々な話を聞くことができる。ヒウンシティとはまたベクトルの違った都会には、良くも悪くもいろいろなものが集まるのだ。その情報の中から話題を取捨選択して、こうしてナナシさんに流行の話などを教えている。そしてここで知ったことをナナシさんはジャッキーにも伝えているのだろう。楽しいことや嬉しいことを共有したがる人だから。
「いいなー、わたしもいろんな話を聞いたり話したりしたい」
「ナナシさんは、誰とでもすぐ仲良くなれますもんね」
きらきらした笑顔、くるくる変わる表情、いたずら好きな瞳、飽き性で少しきまぐれな性格、年齢よりも幼く感じる仕草や言動。とても幽霊には見えなくて、はじめは幽霊の存在に怯えていた職員ともすぐに打ち解けていた。けれど、ナナシさんから返って来た答えは意外なものだった。
「最近はね、人と仲良くするようにしてる。でも昔はそうじゃなかったなー、友達って呼べる人も少なかったし」
「そうなんですか?」
「昔はテキトーに生きてきたから、学校内で仲良くしている人はいても、その人たちのことを友達だと思わなかったんだ。でも、なくしてから気づくことってない? あるよね?」
ナナシさんは僕に同意を求めるかのように最後の言葉を強調した。それはまるで、何かをなくしてしまったかのような言い方だった。
「ひとりぼっちって、さびしいねー」
彼女は空虚な表情でずっと遠くを見つめている。
「……そうですね、僕も若いトレーナーさんの話を聞いていると、いろいろ思うところがあります。若いとき、もっとこうすれば良かったな、とか」
「アハハ、ジャッジってばまだ若いのに」
「ナナシさんこそ」
「生きてたらジャッジよりもずっと年上だもん」
少しさびしそうにナナシさんは笑った。ナナシさんの笑い方には特徴があるので、本人としては気持ちを隠しているつもりなんだろうけど、すぐにわかる。辛いときは、そうやって無理して笑わないでほしい。
「そういえば来週、カミツレさんがイベントでここに来るらしいですよ」
「カミツレさんって?」
ナナシさんはぽかんとした表情で僕を見つめる。そういえば、なんだかんだでカミツレさんのことは今まで話したことがなかった。普段当たり前のようにテレビや広告で見ている情報は、つい他の人も知っているものだと思ってしまう。
「ライモンジムのジムリーダーで、モデルも務めている方です。とてもシャイニングな雰囲気の人なので、今のライモンの空気を感じられるかもしれませんね」
「へえー、楽しみだなー!」
僕のその言葉にナナシさんの目が輝く。ナナシさんにはずっと、キラキラした、その笑顔でいてほしいと思うんだ。