本編
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「シママ、どうしたんですか? ナナシさんの姿がなくて不安ですか」
夜、事務所で書類整理をしているとシママが僕の足へすり寄ってきた。最近は警戒されることもなくなったが、こうやって自発的に僕のところへやって来るのは珍しい。いつもはシママが寝付くまでナナシさんが側にいてくれるのだが、今日はナナシさんの姿がなくてさびしいようだ。
「僕もナナシさんがどこにいるのかわからないんです。すみません」
シママが僕のズボンを引っ張る。眠そうな表情をしているので、寝るまで一緒にいてほしいようだった。シママはまだ子どものせいか、ひとりで寝るのが不安らしい。僕の仕事はもう書類をまとめるだけだったので、いつもシママが寝床として使用している休憩室の隅へ移動した。
ナナシさんはどこへ行っているのだろう。寝る必要のないナナシさんが夜にギアステーション内の『どこか』をふらふらしていることは知っているのだが、肝心の『どこに』いるのかは知らない。そんなことを考えてしばらくすると、シママの寝息が聞こえた。僕はシママが完全に寝たことを確認すると、書類をまとめるために再び事務所へ戻った。
書類を整理し終えたあと、ナナシさんの姿を探しに行く事にした。今日のナナシさんは、ノボリさんとのやりとりをしたあとから姿を消している。あのとき、どんなやりとりをしていたのか、ノボリさんは教えてくれなかった。あの人に限ってナナシさんにひどいことを言うなんて真似はしないだろうけれど、ナナシさんの琴線に触れることだったのだろうか。
コツコツコツ、と誰もいないギアステーションの中に僕の靴音が響く。こんな時間に構内を歩くなんてはじめてだ。職員用の通路にも、はじめて出会った非常口の階段付近にもいなかったのでこちらへ来てみたが、構内に隠れるような場所なんてほとんどない。唯一の幽霊要素である能力を使われていたらどうしようもないが。そう思いながらライトを照らして歩いていると、ナナシさんの姿は思っていたよりも近くにあった。職員用の通路からだと少し見えづらい位置だが、いつもジャッジさんが立っている場所の目の前にある、地上へ続く階段。その途中でナナシさんは腰を下ろしていた。ぐずぐずと鼻を鳴らす音が聞こえるので泣いているようだった。
「ナナシさん」
僕が下から声をかけると、ナナシさんは急いで涙を拭き微笑んだ。
「ジャッキー、こんな時間にどうしたの」
僕はナナシさんが座っているところまで階段を上り、彼女の隣に座った。
「泣いたままで大丈夫ですよ。無理して笑わないでください」
僕の言葉にナナシさんは俯く。
「シママがナナシさんの姿がないことで不安そうにしていたので、探しに来てみました」
「あ……シママ、ちゃんと寝られた?」
「ええ、大丈夫ですよ。僕のことも警戒しなくなったようで、隣で寝てくれました」
「仕事中だったよね、ごめん」
「あとは書類をまとめるだけでしたから、特に問題ありませんでしたよ」
「そう、それならいいけど」
ナナシさんは、シママの存在を忘れるくらい、何か悲しいことがあったようだ。
僕は、以前から疑問に思っていたことを彼女にぶつける。
「ナナシさん、僕たちの業務が終わったあとはいつもここにいたんですか」
「うん」
「こうして、いつもひとりで泣いていたんですか」
「そういうときもあったかな、アハハ」
ナナシさんは涙を流しながら笑顔を作る。
「ここ、地上へ続く階段でしょ」
「はい」
「ここにね、見えない壁があるの」
ナナシさんが何も見えないところを叩くと、ドンドンと音がした。
「わたしの手、なんにも触れられないのに、ここだけわたしを受け止めるの」
ナナシさんの手は何も触れることができないし、何かを持つこともできない。ただすり抜けてしまうだけである。それなのに、この見えない壁からは叩いた音がする。
「今日ね、わたし、ノボリからペンをもらおうとして落っことしちゃった。別に、ノボリが意地悪してわたしにペンを渡したわけじゃないよ。わたしがものに触れられないことを少し忘れてただけ。でもね、それで少し、悲しくなっちゃった。あ、ノボリに対してじゃないよ。わたしの体のことにね」
もしかして、以前僕が意地悪でやったことにも涙を流したのだろうか。いつも、彼女がそういった素振りを見せることがなかったので、何も考えていなかった。急に心苦しくなる。
「ねえねえ、ジャッキーはノボリの彼女、見たことある?」
「ええ、何度か」
「たまに腕時計……じゃなくて、ええっと、ライブキャスターで話をしているでしょ」
「はい」
あの子はどんなところを旅してるんだろうね、と笑いながら話を続ける。
「一緒にはいないけど、心は近くにいるんだよね。
わたしはね、心も体もみんなから遠くにいるように感じるんだ。それは、ジャッキーとも。
生きていたときね、わたし、あんまり友達いなかったんだ。誰かと一緒にいるのは面倒だと思ったから。一応、仲良く話をする人はいたよ? でもそれだけ。相手がわたしのことをどう思っていたかは知らないけどさ。それに、人間の友達はいないけどポケモンの友達はいたし、別にそれで良かった。
でもねでもね、死んでから気づいたんだ。友達がいないってさびしいなって。誰とも繋がっていないのってさびしいなって。ひとりぼっちってさびしいなって。それで、泣いて、泣いて、泣いて、眠って、起きてみて気がついたら30年。知らない建物に閉じ込められちゃった」
アハハ、とナナシさんは笑う。
「人との距離感を掴むのって難しいね。あんまり遠くにいると仲良くできないし、近すぎても嫌われちゃう。もうちょっと、生きているときにちゃんとコミュニケーション能力を磨く練習しておけば良かった。でも、なんだかんだでここの人みんな優しいでしょ? だから、わたしはそれに甘えてる。
だけどね、最近思うんだ。仲良くなったら仲良くなったで悲しい思いをするかもって。たぶん、生きているときに感じていた『誰かと一緒にいるのは面倒だと思った』のと同じだと思うんだけど、『仲良くしていなかったら急に消えても相手に悲しい思いをさせないし、わたしも悲しくならないのに』って。あのね、生きていたときは死んだときのことを考えていたけど、幽霊になってからは魂が消えたときのことを考えるようになったんだ。
みんなと仲良くなっちゃった。シママと友達になっちゃった。ジャッキーと一緒にいたいと思っちゃった。でもまたいつか、わたしは30年前と同じことをしちゃうのかなあ?」
ナナシさんの問いになんて答えるのが正解なのか、僕にはわからない。
「ひとりぼっち、なんて言わないでください」
それでも、ナナシさんの手に僕の手を重ねる。
「人間、誰だって最後は亡くなってしまいます。それは、仕方のないことです。誰かを置いていってしまうことも、仕方のないことなんです。
でも、いつかそんな日が来ても悔いの残らないように、今まで通り、泣いたり笑ったりしてください」
僕がナナシさんに微笑むと、彼女は僕に抱きつくようにしてぼろぼろと涙をこぼした。
この答えがナナシさんにとって正解だったのか、僕にはわからない。僕はなんて無力な存在なんだろう。
僕はナナシさんの涙を拭いあげることすらできない。
夜、事務所で書類整理をしているとシママが僕の足へすり寄ってきた。最近は警戒されることもなくなったが、こうやって自発的に僕のところへやって来るのは珍しい。いつもはシママが寝付くまでナナシさんが側にいてくれるのだが、今日はナナシさんの姿がなくてさびしいようだ。
「僕もナナシさんがどこにいるのかわからないんです。すみません」
シママが僕のズボンを引っ張る。眠そうな表情をしているので、寝るまで一緒にいてほしいようだった。シママはまだ子どものせいか、ひとりで寝るのが不安らしい。僕の仕事はもう書類をまとめるだけだったので、いつもシママが寝床として使用している休憩室の隅へ移動した。
ナナシさんはどこへ行っているのだろう。寝る必要のないナナシさんが夜にギアステーション内の『どこか』をふらふらしていることは知っているのだが、肝心の『どこに』いるのかは知らない。そんなことを考えてしばらくすると、シママの寝息が聞こえた。僕はシママが完全に寝たことを確認すると、書類をまとめるために再び事務所へ戻った。
書類を整理し終えたあと、ナナシさんの姿を探しに行く事にした。今日のナナシさんは、ノボリさんとのやりとりをしたあとから姿を消している。あのとき、どんなやりとりをしていたのか、ノボリさんは教えてくれなかった。あの人に限ってナナシさんにひどいことを言うなんて真似はしないだろうけれど、ナナシさんの琴線に触れることだったのだろうか。
コツコツコツ、と誰もいないギアステーションの中に僕の靴音が響く。こんな時間に構内を歩くなんてはじめてだ。職員用の通路にも、はじめて出会った非常口の階段付近にもいなかったのでこちらへ来てみたが、構内に隠れるような場所なんてほとんどない。唯一の幽霊要素である能力を使われていたらどうしようもないが。そう思いながらライトを照らして歩いていると、ナナシさんの姿は思っていたよりも近くにあった。職員用の通路からだと少し見えづらい位置だが、いつもジャッジさんが立っている場所の目の前にある、地上へ続く階段。その途中でナナシさんは腰を下ろしていた。ぐずぐずと鼻を鳴らす音が聞こえるので泣いているようだった。
「ナナシさん」
僕が下から声をかけると、ナナシさんは急いで涙を拭き微笑んだ。
「ジャッキー、こんな時間にどうしたの」
僕はナナシさんが座っているところまで階段を上り、彼女の隣に座った。
「泣いたままで大丈夫ですよ。無理して笑わないでください」
僕の言葉にナナシさんは俯く。
「シママがナナシさんの姿がないことで不安そうにしていたので、探しに来てみました」
「あ……シママ、ちゃんと寝られた?」
「ええ、大丈夫ですよ。僕のことも警戒しなくなったようで、隣で寝てくれました」
「仕事中だったよね、ごめん」
「あとは書類をまとめるだけでしたから、特に問題ありませんでしたよ」
「そう、それならいいけど」
ナナシさんは、シママの存在を忘れるくらい、何か悲しいことがあったようだ。
僕は、以前から疑問に思っていたことを彼女にぶつける。
「ナナシさん、僕たちの業務が終わったあとはいつもここにいたんですか」
「うん」
「こうして、いつもひとりで泣いていたんですか」
「そういうときもあったかな、アハハ」
ナナシさんは涙を流しながら笑顔を作る。
「ここ、地上へ続く階段でしょ」
「はい」
「ここにね、見えない壁があるの」
ナナシさんが何も見えないところを叩くと、ドンドンと音がした。
「わたしの手、なんにも触れられないのに、ここだけわたしを受け止めるの」
ナナシさんの手は何も触れることができないし、何かを持つこともできない。ただすり抜けてしまうだけである。それなのに、この見えない壁からは叩いた音がする。
「今日ね、わたし、ノボリからペンをもらおうとして落っことしちゃった。別に、ノボリが意地悪してわたしにペンを渡したわけじゃないよ。わたしがものに触れられないことを少し忘れてただけ。でもね、それで少し、悲しくなっちゃった。あ、ノボリに対してじゃないよ。わたしの体のことにね」
もしかして、以前僕が意地悪でやったことにも涙を流したのだろうか。いつも、彼女がそういった素振りを見せることがなかったので、何も考えていなかった。急に心苦しくなる。
「ねえねえ、ジャッキーはノボリの彼女、見たことある?」
「ええ、何度か」
「たまに腕時計……じゃなくて、ええっと、ライブキャスターで話をしているでしょ」
「はい」
あの子はどんなところを旅してるんだろうね、と笑いながら話を続ける。
「一緒にはいないけど、心は近くにいるんだよね。
わたしはね、心も体もみんなから遠くにいるように感じるんだ。それは、ジャッキーとも。
生きていたときね、わたし、あんまり友達いなかったんだ。誰かと一緒にいるのは面倒だと思ったから。一応、仲良く話をする人はいたよ? でもそれだけ。相手がわたしのことをどう思っていたかは知らないけどさ。それに、人間の友達はいないけどポケモンの友達はいたし、別にそれで良かった。
でもねでもね、死んでから気づいたんだ。友達がいないってさびしいなって。誰とも繋がっていないのってさびしいなって。ひとりぼっちってさびしいなって。それで、泣いて、泣いて、泣いて、眠って、起きてみて気がついたら30年。知らない建物に閉じ込められちゃった」
アハハ、とナナシさんは笑う。
「人との距離感を掴むのって難しいね。あんまり遠くにいると仲良くできないし、近すぎても嫌われちゃう。もうちょっと、生きているときにちゃんとコミュニケーション能力を磨く練習しておけば良かった。でも、なんだかんだでここの人みんな優しいでしょ? だから、わたしはそれに甘えてる。
だけどね、最近思うんだ。仲良くなったら仲良くなったで悲しい思いをするかもって。たぶん、生きているときに感じていた『誰かと一緒にいるのは面倒だと思った』のと同じだと思うんだけど、『仲良くしていなかったら急に消えても相手に悲しい思いをさせないし、わたしも悲しくならないのに』って。あのね、生きていたときは死んだときのことを考えていたけど、幽霊になってからは魂が消えたときのことを考えるようになったんだ。
みんなと仲良くなっちゃった。シママと友達になっちゃった。ジャッキーと一緒にいたいと思っちゃった。でもまたいつか、わたしは30年前と同じことをしちゃうのかなあ?」
ナナシさんの問いになんて答えるのが正解なのか、僕にはわからない。
「ひとりぼっち、なんて言わないでください」
それでも、ナナシさんの手に僕の手を重ねる。
「人間、誰だって最後は亡くなってしまいます。それは、仕方のないことです。誰かを置いていってしまうことも、仕方のないことなんです。
でも、いつかそんな日が来ても悔いの残らないように、今まで通り、泣いたり笑ったりしてください」
僕がナナシさんに微笑むと、彼女は僕に抱きつくようにしてぼろぼろと涙をこぼした。
この答えがナナシさんにとって正解だったのか、僕にはわからない。僕はなんて無力な存在なんだろう。
僕はナナシさんの涙を拭いあげることすらできない。