本編
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「おはようございます。今日も迷子ですか?」
そうやって声をかけてきた彼女はいつもと服装が違っていた。帽子も制服もない、ローラーシューズを履いていることを除けば、ニットにミニスカートという、どこにでもいる今時の女の子の格好。隣ではばたいているペリッパーも郵便物の入ったカバンを下げていない。
「あっおはよう! ナナシちゃん、今日は制服じゃないんだね」
「今日は休みなんです。そろそろカズマサさんが道に迷う頃かなと思って来てみました」
「わあ信用されてないなあ……」
信用されていないことに悲しみを感じつつ、休みの日なのにわざわざ僕を迎えに来てくれたことがとても嬉しかった。いつもは僕の腕を掴んで勢いよく走っていくけれど、今日は休みで特に急ぎの用事もないからと僕の歩くスピードに合わせてローラーシューズを走らせる。いつもは途切れ途切れにしか話ができないけれど、今日は会話らしい会話をすることができた。
ナナシちゃんはライモンシティから南、カノコタウンまでが配達担当のようだった。ギアステーション以外にも配達物があるのにわざわざ僕を送り届けてくれる。それなのに、今日も迎えに来てくれないかな、なんて考えていた自分を恥じる。申し訳なさすぎてひとつ、ナナシちゃんに提案を持ちかけた。
「ねえ、今日の夜空いてる?」
「空いてますけど」
「いつも送ってくれるお礼をしたいな」
「じゃあ、ギアステーションで待ち合わせということで」
ナナシちゃんは特に表情を変えることもなく僕の提案を了承した。それから、どうせギアステーションを出たら道に迷いますもんね、勝手に出て行って迷子にならないでくださいよ、と冷たい目をしながら言葉を付け足した。ナナシちゃんのその言葉でちくちくと心に矢が刺さるのを感じながら、ギアステーションに到着して彼女と別れた。
21時、約束の時間。今日は夜に約束があって残業できません、と朝に頭を下げたときは何も言われなかったけれど、夜になって退勤の準備を進めていたら職員たちにニヤニヤとした視線を向けられた。キャメロンさんが愉快そうに口を開く。
「カズマサ、アノ郵便屋ノ子トデートデショ」
「え! な、なんでですか」
誰と約束をしたかなんて言っていなかったのに、ずばりと相手を当てられてしまってぎくりと体が強張る。
「あの子、20時半くらいから構内に立っていたのさ。トレインに挑戦するわけでもなく、ひとりで暇そうにさ。それから鉄道員を見かけるたびに、ちらちらと誰だか確認するような動きをしていたのさ。仮にカズマサ以外の人を待っていたとしたら、わざわざここを待ち合わせ場所に指定しないだろう? 待ち合わせにちょうどいいスポットなんて、いくらでもあるんだからさ」
「う……確かに約束した相手はナナシちゃんですけど、別にデートってわけじゃ! いつも送ってくれるお礼にご飯でもと思って……」
待ち合わせ場所を指定したのはナナシちゃんだけど、待ち合わせ時間を指定したのもナナシちゃんだった。なので、20時半から待っていたというラムセスさんの言葉に驚いてしまう。今日は夕方から書類整理のため事務所にこもりきりで、構内には出ていなかった。何か用事でもあったのだろうか? もしそうなら申し訳なかったな、と考えていると、早く彼女のところへ行ってあげなよ、と言われたので急いで退勤の準備を進めた。
事務所を出てラムセスさんが言っていた方へ行くと、ライブキャスターを見つめているナナシちゃんを見つけた。声をかけると「時間ぴったりですね。わたしも今来たところです」なんて、とっくにバレている嘘をつかれた。
「ナナシちゃん、もっと早い時間から待ってたんだよね?」
僕が尋ねるとナナシちゃんは視線を泳がせ少しバツの悪そうな顔をして、誤魔化すように「お腹空いたんで、早くご飯食べに行きましょ」と腕を掴んだ。構内なのでローラーもしまってあるし、急いでいるわけでもないので、いつもよりゆっくりなペースで階段を上って行った。
何が食べたいか聞くと、特に希望はないと答えられた。僕の場合、同僚と食べに行くときはラーメンが多いけれど、流石に女の子相手にそれはなあ……と悩んでいたら、しばらく間を置いて、ファミレスがいいと言われた。もっとおしゃれなところじゃなくていいの? と聞くと、ファミレスの方がメニュー多いし、デザートもあるからだという。庶民派なのか、僕に気を使っているのかはわからないけれど、ナナシちゃんがそう言うなら、ということで近くのファミレスで食事をすることにした。
もう21時を過ぎると、店内にお客さんはあまりいなかった。店員さんにお好きな席でどうぞと案内され、ナナシちゃんに窓の近くがいいと言われたので、行き交う人がよく見える席に腰を下ろす。ナナシちゃんは窓の外の景色を眺めると、頬杖をつきながら「イッシュ地方は人も建物も多いですね」とつぶやいた。
「ナナシちゃんは他の地方出身なの?」
「いえ、サンヨウタウン出身ですけど、なんとなくそう思って」
「ライモンシティはいろいろな人が集まるから、そう感じるよね」
サンヨウシティはきちんと整理された感じがするけれど、ライモンシティはイッシュ地方の中心ということもあって、いろいろなものがごちゃごちゃと集中している。だから僕も未だに道に迷うのだ! と思う。
「郵便屋さんの仕事はもう慣れた?」
「はい。わたしもペリッパーさんも、地図なしで配達できるようになりました」
「本当、すごいよね! 配属されたばかりなのに、すぐ覚えられるなんて」
「わたしがすごいんじゃなくて、毎日通う職場まで満足にたどり着けないカズマサさんがひどいんです」
「言い返したいけど、いい言葉が見つからない……」
うなだれて心の中で涙を流している僕を他所に、ナナシちゃんは窓の外からメニュー表へと視線を移した。気まぐれというか、マイペースというか、僕のことなんて気にせずぱらぱらとページをめくっている。
朝、いつも送ってくれるけれど、普段はあまり話をする時間がないのでまだナナシちゃんのことは詳しく知らない。ナナシちゃんについて、気になることがたくさんある。
「ナナシちゃんってさ、今いくつなの?」
「カズマサさんと同じくらいです」
「そうなんだ? じゃあ24、5歳ってこと?」
もう少し下だと思っていたので自分と同じくらいだと言われて驚いたけれど、メニュー表から顔を上げたナナシちゃんも眉間にしわを寄せていた。
「え、カズマサさん25歳なんですか?」
「え、うん。そうだけど……」
「20歳前後かと思った」
ナナシちゃんは21歳らしい。年下の子に同じくらいの歳だと思われていたことに少し悲しくなる。どうも、仕事へ行くのに道に迷うのはまだ入社して日が経っていないからだと思ったようだ。確かにそう思われても仕方がなく、ぐうの音も出ない。もしかして今回ファミレスを選んだことも、年齢のことに気を使われた結果なのだろうか。再び心の中で涙を流している僕を他所に、ナナシちゃんはまたメニュー表へと目を落とした。
「どうして郵便屋さんになろうと思ったの?」
「みんなに夢を届ける仕事だからです。それに、ペリッパーさんに似合うと思って」
「前の仕事も夢を届ける仕事だって言ってたよね! どんな仕事なの?」
「それは内緒です」
注文した料理が届いて食べ始めているナナシちゃんに質問をすると、前の仕事のことははぐらかされてしまった。夢を届ける仕事なのにわざわざ隠すなんてどんな仕事なのか気になってしまう。けれども、郵便屋さんとして働いているときのナナシちゃんは生き生きとした表情をしているし、一緒にいるペリッパーにも似合っている。
「ナナシちゃんのペリッパーてさ、なんだかきれいだよね。他のトレーナーのペリッパーよりもつやつやしているというか」
ナナシちゃんと一緒に配達へいろいろと飛び回っているのに毛づやがすごくいい。そう思って褒めたつもりだったのに、ムッとした表情をされてしまった。
「ペリッパーじゃなくて、ペリッパーさんです」
「そ、そうなんだ。ごめん」
ペリッパーさん、までが名前らしい。今後間違えて呼び捨てにしないように気をつける必要がありそうだ。
「ペリッパーさんはきれい好きなんです。だから毎日ブラッシングしてるんです」
「そうなんだ。どうしてペリッパーさんはさん付けなの?」
「セイガイハシティに遊びに行ったとき、溺れたわたしを助けてくれたから敬愛の意味を込めてさん付けです。他の手持ちはペリッパーさんと出会う前に捕まえた子なので呼び捨てですけど、みんな仲良しですよ」
そうして答えたあと、残り少なくなった料理を口に運びながらちらりとこちらを見た。
「あまり人のこと詮索しないでいただきたいですね」
「ご、ごめん。まだナナシちゃんのこと、あまり知らなかったから……嫌だったかな」
「……まあ、わたしもまだカズマサさんのこと、道に迷うのが得意な人としか認識してないし、少しだけ許してあげます」
「せめて、ギアステーションで働いている人、まで認識して欲しかったな……」
ナナシちゃんにとって僕の存在はその程度の認識なのか、と少し落ち込んでいると「ギアステーションではどんな仕事をしてるんですか?」と質問された。いつも制服を着た状態で会っているんだから鉄道員だとわからないかな、と思ったけれど、ナナシちゃんの場合ペリッパーさんがいるからギアステーションを利用しないのかもしれない。そういう人からしたらよくわからない職種なんだろうなと思う。
「さっき構内で、街へ行く電車以外のものも見ました」
「ギアステーションにはバトルサブウェイという施設が入っていて、そっちでは電車に乗りながらポケモンバトルをするんだよ! 僕はそこでバトルをすることが主だけど、その日の配置によっては運転士だったり、お客様の案内をしていたりするかな」
「変わったお仕事ですね。電車の中でポケモンバトルするなんて」
「はじめて来るお客様はやっぱり慣れないルールに戸惑う人も多いかな。でも、慣れちゃえばもう普通にバトルするだけだよ! ナナシちゃんも時間が空いてたら、バトルサブウェイに挑戦してみない? 手持ちのポケモンが3体いれば、シングルトレインに挑戦できるからさ」
ナナシちゃんのベルトにはペリッパーさんの分を含め、モンスターボールが3つが並んでいる。しかしナナシちゃんはそれをじっと見つめると、ゆっくり首を横に振った。
「わたしもみんなも、力と力のぶつかり合いみたいなバトルをしたことがないんです。ポケモンジムにすら挑戦したことないし。だから、しばらくはバトルサブウェイに通うつもりもないです。でももし、バトル慣れするようになったら、そのときは考えておきます」
「うん。いつかナナシちゃんが挑戦しに来てくれること、楽しみにしているよ!」
僕の答えに、ナナシちゃんはふっと軽く笑顔を見せた。仕事中の生き生きとした表情は何度も見たけれど、こうやって口角を上げて笑顔を見せてくれたのははじめてだ。それから少し間を置いて、カズマサさんは、と口を開いた。
「甘いもの好きですか?」
「うん。好きだよ。女の子みたいに外へ食べに行くってことはないけどね」
男ひとりだとなかなかカフェでケーキ、みたいなことはやりづらい。せいぜいコンビニ限定のスイーツを食べるだけだ。そんなことを考えていると、またナナシちゃんから質問が降ってきた。
「水曜日が休みの日ってあります?」
「水曜日? ちょっと職場で確認してみないとわからないな。それがどうしたの?」
「わたしが住んでいるところの近くにあるレストラン、水曜日に男女で来店すると特別なスイーツが提供されるんです。それを食べてみたいんですけど、男の人の知り合いってあんまりいないし……」
「そっか。じゃあ水曜に休みがあるか確認してみるね。もし今月の休みが合わなかったら来月になっちゃうけど、それでもいいかな?」
ナナシちゃんの顔がぱあっと明るくなる。甘いものが好きなのだろうか。確かに、今日もどこで食べるか尋ねたときにデザートがあるからと言ってファミレスを指定してきた。
「そういえば、デザート頼まなくていいの?」
「だって……」
「費用は僕持ちだから、好きなの選んでいいよ」
「わたし、おごられるのあまり好きじゃないんですけど」
拗ねた様子のナナシちゃんに少し苦笑いしてしまう。それでも、今日はいつも送ってくれるお礼だからと言うと、しぶしぶメニュー表で顔を半分隠しながら僕の顔とメニュー表を交互に見つめた。けれども食べたいものが見つかったようで、遠慮がちにメニュー表を見せてきた。これがいいです、と言いながらチョコレートパフェを指したので、店員さんに追加の注文を頼む。
ニコニコしてる、という程ではないけれど、パフェが用意されて目の前に置かれたときのナナシちゃんの顔は少し嬉しそうだ。彼女はあまり表情を大きく変えるタイプじゃないんだな、と考えていると「カズマサさんも食べます?」と声をかけられた。なので、少し掬って食べていいよ、という意味だと思って「いいの? ありがとう」と答えながらスプーンを取り出そうとすると、彼女はすでにクリームの乗ったスプーンを口に突っ込んできた。突然のことに、んあ? と変な声を出して驚いていると、ナナシちゃんは特に何もなかったかのようにまたパフェを食べ始めた。
「え、ちょっと!」
「おいしくなかったですか?」
「いや、おいしいけどさ」
今のって間接キスじゃん。と恥ずかしくて動揺している僕を見ながら、何か問題でも? とでも言いたげに不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる彼女は天然なのだろうか。ナナシちゃんと一緒にいると、いろいろなな意味で少し寿命が縮まってしまいそうな気がする。
今日も勢いよく事務所まで送ってもらい息を切らしていると、すでに出社していた職員たちにニヤニヤした目で見られた。昨日、僕がナナシちゃんとご飯を食べに行く約束をしていたことを知っているので、それをからかうためだろう。ははは……と苦笑いをしながら身構えていると、案の定ラムセスさんに昨日のことを尋ねられた。周りにいる人たちも興味津々といった表情をしている。
「昨日はどうだったのさ」
「一緒にご飯を食べに行っただけですけど……」
「それだけ?」
「それだけです……」
「お持ち帰りとか」
「してないですよ!」
あからさまに、なんだつまんねーの、という顔をされた。一応、間接キスはされたけれどそれ以上のことはないし、もしあったとしても恥ずかしくて到底言えない。そう考えていると、まあカズマサだしな、なんて周りから言われてしまったので、「今度一緒にスイーツを食べに行きましょうって、ナナシちゃんの方から誘ってきましたよ!」と答えると、なんだ意外に脈あり? と笑われてしまった。意外とはなんだ、意外とは!
「アノ子、ポーカーフェイスッテ感ジダヨネ。笑ッタトコ見タコトナイ」
「ローラーシューズで街を走っているときと、甘いものを食べるときは少し嬉しそうな顔をしてますよ!」
「ああ、だからカズマサをわざわざ送り届けてくれたり、スイーツを食べに誘ってきたりしてくれるわけね。別に好意があるわけじゃないと」
「絶対に違うって否定できないところが悲しい……でも彼女、まだ郵便屋さんになったばっかりだって言ってたから、緊張してるせいで無表情になりがちなのでは?」
「へえ、なったばかりなのにきちんと郵便配達ができるとは、カズマサより優秀なのさ」
そんなー、と心の中で涙を流していると、まあカズマサにも春が訪れるよう頑張れよ、今年はふたりでクリスマスが過ごせるといいな、と肩を叩かれた。
そうやって声をかけてきた彼女はいつもと服装が違っていた。帽子も制服もない、ローラーシューズを履いていることを除けば、ニットにミニスカートという、どこにでもいる今時の女の子の格好。隣ではばたいているペリッパーも郵便物の入ったカバンを下げていない。
「あっおはよう! ナナシちゃん、今日は制服じゃないんだね」
「今日は休みなんです。そろそろカズマサさんが道に迷う頃かなと思って来てみました」
「わあ信用されてないなあ……」
信用されていないことに悲しみを感じつつ、休みの日なのにわざわざ僕を迎えに来てくれたことがとても嬉しかった。いつもは僕の腕を掴んで勢いよく走っていくけれど、今日は休みで特に急ぎの用事もないからと僕の歩くスピードに合わせてローラーシューズを走らせる。いつもは途切れ途切れにしか話ができないけれど、今日は会話らしい会話をすることができた。
ナナシちゃんはライモンシティから南、カノコタウンまでが配達担当のようだった。ギアステーション以外にも配達物があるのにわざわざ僕を送り届けてくれる。それなのに、今日も迎えに来てくれないかな、なんて考えていた自分を恥じる。申し訳なさすぎてひとつ、ナナシちゃんに提案を持ちかけた。
「ねえ、今日の夜空いてる?」
「空いてますけど」
「いつも送ってくれるお礼をしたいな」
「じゃあ、ギアステーションで待ち合わせということで」
ナナシちゃんは特に表情を変えることもなく僕の提案を了承した。それから、どうせギアステーションを出たら道に迷いますもんね、勝手に出て行って迷子にならないでくださいよ、と冷たい目をしながら言葉を付け足した。ナナシちゃんのその言葉でちくちくと心に矢が刺さるのを感じながら、ギアステーションに到着して彼女と別れた。
21時、約束の時間。今日は夜に約束があって残業できません、と朝に頭を下げたときは何も言われなかったけれど、夜になって退勤の準備を進めていたら職員たちにニヤニヤとした視線を向けられた。キャメロンさんが愉快そうに口を開く。
「カズマサ、アノ郵便屋ノ子トデートデショ」
「え! な、なんでですか」
誰と約束をしたかなんて言っていなかったのに、ずばりと相手を当てられてしまってぎくりと体が強張る。
「あの子、20時半くらいから構内に立っていたのさ。トレインに挑戦するわけでもなく、ひとりで暇そうにさ。それから鉄道員を見かけるたびに、ちらちらと誰だか確認するような動きをしていたのさ。仮にカズマサ以外の人を待っていたとしたら、わざわざここを待ち合わせ場所に指定しないだろう? 待ち合わせにちょうどいいスポットなんて、いくらでもあるんだからさ」
「う……確かに約束した相手はナナシちゃんですけど、別にデートってわけじゃ! いつも送ってくれるお礼にご飯でもと思って……」
待ち合わせ場所を指定したのはナナシちゃんだけど、待ち合わせ時間を指定したのもナナシちゃんだった。なので、20時半から待っていたというラムセスさんの言葉に驚いてしまう。今日は夕方から書類整理のため事務所にこもりきりで、構内には出ていなかった。何か用事でもあったのだろうか? もしそうなら申し訳なかったな、と考えていると、早く彼女のところへ行ってあげなよ、と言われたので急いで退勤の準備を進めた。
事務所を出てラムセスさんが言っていた方へ行くと、ライブキャスターを見つめているナナシちゃんを見つけた。声をかけると「時間ぴったりですね。わたしも今来たところです」なんて、とっくにバレている嘘をつかれた。
「ナナシちゃん、もっと早い時間から待ってたんだよね?」
僕が尋ねるとナナシちゃんは視線を泳がせ少しバツの悪そうな顔をして、誤魔化すように「お腹空いたんで、早くご飯食べに行きましょ」と腕を掴んだ。構内なのでローラーもしまってあるし、急いでいるわけでもないので、いつもよりゆっくりなペースで階段を上って行った。
何が食べたいか聞くと、特に希望はないと答えられた。僕の場合、同僚と食べに行くときはラーメンが多いけれど、流石に女の子相手にそれはなあ……と悩んでいたら、しばらく間を置いて、ファミレスがいいと言われた。もっとおしゃれなところじゃなくていいの? と聞くと、ファミレスの方がメニュー多いし、デザートもあるからだという。庶民派なのか、僕に気を使っているのかはわからないけれど、ナナシちゃんがそう言うなら、ということで近くのファミレスで食事をすることにした。
もう21時を過ぎると、店内にお客さんはあまりいなかった。店員さんにお好きな席でどうぞと案内され、ナナシちゃんに窓の近くがいいと言われたので、行き交う人がよく見える席に腰を下ろす。ナナシちゃんは窓の外の景色を眺めると、頬杖をつきながら「イッシュ地方は人も建物も多いですね」とつぶやいた。
「ナナシちゃんは他の地方出身なの?」
「いえ、サンヨウタウン出身ですけど、なんとなくそう思って」
「ライモンシティはいろいろな人が集まるから、そう感じるよね」
サンヨウシティはきちんと整理された感じがするけれど、ライモンシティはイッシュ地方の中心ということもあって、いろいろなものがごちゃごちゃと集中している。だから僕も未だに道に迷うのだ! と思う。
「郵便屋さんの仕事はもう慣れた?」
「はい。わたしもペリッパーさんも、地図なしで配達できるようになりました」
「本当、すごいよね! 配属されたばかりなのに、すぐ覚えられるなんて」
「わたしがすごいんじゃなくて、毎日通う職場まで満足にたどり着けないカズマサさんがひどいんです」
「言い返したいけど、いい言葉が見つからない……」
うなだれて心の中で涙を流している僕を他所に、ナナシちゃんは窓の外からメニュー表へと視線を移した。気まぐれというか、マイペースというか、僕のことなんて気にせずぱらぱらとページをめくっている。
朝、いつも送ってくれるけれど、普段はあまり話をする時間がないのでまだナナシちゃんのことは詳しく知らない。ナナシちゃんについて、気になることがたくさんある。
「ナナシちゃんってさ、今いくつなの?」
「カズマサさんと同じくらいです」
「そうなんだ? じゃあ24、5歳ってこと?」
もう少し下だと思っていたので自分と同じくらいだと言われて驚いたけれど、メニュー表から顔を上げたナナシちゃんも眉間にしわを寄せていた。
「え、カズマサさん25歳なんですか?」
「え、うん。そうだけど……」
「20歳前後かと思った」
ナナシちゃんは21歳らしい。年下の子に同じくらいの歳だと思われていたことに少し悲しくなる。どうも、仕事へ行くのに道に迷うのはまだ入社して日が経っていないからだと思ったようだ。確かにそう思われても仕方がなく、ぐうの音も出ない。もしかして今回ファミレスを選んだことも、年齢のことに気を使われた結果なのだろうか。再び心の中で涙を流している僕を他所に、ナナシちゃんはまたメニュー表へと目を落とした。
「どうして郵便屋さんになろうと思ったの?」
「みんなに夢を届ける仕事だからです。それに、ペリッパーさんに似合うと思って」
「前の仕事も夢を届ける仕事だって言ってたよね! どんな仕事なの?」
「それは内緒です」
注文した料理が届いて食べ始めているナナシちゃんに質問をすると、前の仕事のことははぐらかされてしまった。夢を届ける仕事なのにわざわざ隠すなんてどんな仕事なのか気になってしまう。けれども、郵便屋さんとして働いているときのナナシちゃんは生き生きとした表情をしているし、一緒にいるペリッパーにも似合っている。
「ナナシちゃんのペリッパーてさ、なんだかきれいだよね。他のトレーナーのペリッパーよりもつやつやしているというか」
ナナシちゃんと一緒に配達へいろいろと飛び回っているのに毛づやがすごくいい。そう思って褒めたつもりだったのに、ムッとした表情をされてしまった。
「ペリッパーじゃなくて、ペリッパーさんです」
「そ、そうなんだ。ごめん」
ペリッパーさん、までが名前らしい。今後間違えて呼び捨てにしないように気をつける必要がありそうだ。
「ペリッパーさんはきれい好きなんです。だから毎日ブラッシングしてるんです」
「そうなんだ。どうしてペリッパーさんはさん付けなの?」
「セイガイハシティに遊びに行ったとき、溺れたわたしを助けてくれたから敬愛の意味を込めてさん付けです。他の手持ちはペリッパーさんと出会う前に捕まえた子なので呼び捨てですけど、みんな仲良しですよ」
そうして答えたあと、残り少なくなった料理を口に運びながらちらりとこちらを見た。
「あまり人のこと詮索しないでいただきたいですね」
「ご、ごめん。まだナナシちゃんのこと、あまり知らなかったから……嫌だったかな」
「……まあ、わたしもまだカズマサさんのこと、道に迷うのが得意な人としか認識してないし、少しだけ許してあげます」
「せめて、ギアステーションで働いている人、まで認識して欲しかったな……」
ナナシちゃんにとって僕の存在はその程度の認識なのか、と少し落ち込んでいると「ギアステーションではどんな仕事をしてるんですか?」と質問された。いつも制服を着た状態で会っているんだから鉄道員だとわからないかな、と思ったけれど、ナナシちゃんの場合ペリッパーさんがいるからギアステーションを利用しないのかもしれない。そういう人からしたらよくわからない職種なんだろうなと思う。
「さっき構内で、街へ行く電車以外のものも見ました」
「ギアステーションにはバトルサブウェイという施設が入っていて、そっちでは電車に乗りながらポケモンバトルをするんだよ! 僕はそこでバトルをすることが主だけど、その日の配置によっては運転士だったり、お客様の案内をしていたりするかな」
「変わったお仕事ですね。電車の中でポケモンバトルするなんて」
「はじめて来るお客様はやっぱり慣れないルールに戸惑う人も多いかな。でも、慣れちゃえばもう普通にバトルするだけだよ! ナナシちゃんも時間が空いてたら、バトルサブウェイに挑戦してみない? 手持ちのポケモンが3体いれば、シングルトレインに挑戦できるからさ」
ナナシちゃんのベルトにはペリッパーさんの分を含め、モンスターボールが3つが並んでいる。しかしナナシちゃんはそれをじっと見つめると、ゆっくり首を横に振った。
「わたしもみんなも、力と力のぶつかり合いみたいなバトルをしたことがないんです。ポケモンジムにすら挑戦したことないし。だから、しばらくはバトルサブウェイに通うつもりもないです。でももし、バトル慣れするようになったら、そのときは考えておきます」
「うん。いつかナナシちゃんが挑戦しに来てくれること、楽しみにしているよ!」
僕の答えに、ナナシちゃんはふっと軽く笑顔を見せた。仕事中の生き生きとした表情は何度も見たけれど、こうやって口角を上げて笑顔を見せてくれたのははじめてだ。それから少し間を置いて、カズマサさんは、と口を開いた。
「甘いもの好きですか?」
「うん。好きだよ。女の子みたいに外へ食べに行くってことはないけどね」
男ひとりだとなかなかカフェでケーキ、みたいなことはやりづらい。せいぜいコンビニ限定のスイーツを食べるだけだ。そんなことを考えていると、またナナシちゃんから質問が降ってきた。
「水曜日が休みの日ってあります?」
「水曜日? ちょっと職場で確認してみないとわからないな。それがどうしたの?」
「わたしが住んでいるところの近くにあるレストラン、水曜日に男女で来店すると特別なスイーツが提供されるんです。それを食べてみたいんですけど、男の人の知り合いってあんまりいないし……」
「そっか。じゃあ水曜に休みがあるか確認してみるね。もし今月の休みが合わなかったら来月になっちゃうけど、それでもいいかな?」
ナナシちゃんの顔がぱあっと明るくなる。甘いものが好きなのだろうか。確かに、今日もどこで食べるか尋ねたときにデザートがあるからと言ってファミレスを指定してきた。
「そういえば、デザート頼まなくていいの?」
「だって……」
「費用は僕持ちだから、好きなの選んでいいよ」
「わたし、おごられるのあまり好きじゃないんですけど」
拗ねた様子のナナシちゃんに少し苦笑いしてしまう。それでも、今日はいつも送ってくれるお礼だからと言うと、しぶしぶメニュー表で顔を半分隠しながら僕の顔とメニュー表を交互に見つめた。けれども食べたいものが見つかったようで、遠慮がちにメニュー表を見せてきた。これがいいです、と言いながらチョコレートパフェを指したので、店員さんに追加の注文を頼む。
ニコニコしてる、という程ではないけれど、パフェが用意されて目の前に置かれたときのナナシちゃんの顔は少し嬉しそうだ。彼女はあまり表情を大きく変えるタイプじゃないんだな、と考えていると「カズマサさんも食べます?」と声をかけられた。なので、少し掬って食べていいよ、という意味だと思って「いいの? ありがとう」と答えながらスプーンを取り出そうとすると、彼女はすでにクリームの乗ったスプーンを口に突っ込んできた。突然のことに、んあ? と変な声を出して驚いていると、ナナシちゃんは特に何もなかったかのようにまたパフェを食べ始めた。
「え、ちょっと!」
「おいしくなかったですか?」
「いや、おいしいけどさ」
今のって間接キスじゃん。と恥ずかしくて動揺している僕を見ながら、何か問題でも? とでも言いたげに不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる彼女は天然なのだろうか。ナナシちゃんと一緒にいると、いろいろなな意味で少し寿命が縮まってしまいそうな気がする。
今日も勢いよく事務所まで送ってもらい息を切らしていると、すでに出社していた職員たちにニヤニヤした目で見られた。昨日、僕がナナシちゃんとご飯を食べに行く約束をしていたことを知っているので、それをからかうためだろう。ははは……と苦笑いをしながら身構えていると、案の定ラムセスさんに昨日のことを尋ねられた。周りにいる人たちも興味津々といった表情をしている。
「昨日はどうだったのさ」
「一緒にご飯を食べに行っただけですけど……」
「それだけ?」
「それだけです……」
「お持ち帰りとか」
「してないですよ!」
あからさまに、なんだつまんねーの、という顔をされた。一応、間接キスはされたけれどそれ以上のことはないし、もしあったとしても恥ずかしくて到底言えない。そう考えていると、まあカズマサだしな、なんて周りから言われてしまったので、「今度一緒にスイーツを食べに行きましょうって、ナナシちゃんの方から誘ってきましたよ!」と答えると、なんだ意外に脈あり? と笑われてしまった。意外とはなんだ、意外とは!
「アノ子、ポーカーフェイスッテ感ジダヨネ。笑ッタトコ見タコトナイ」
「ローラーシューズで街を走っているときと、甘いものを食べるときは少し嬉しそうな顔をしてますよ!」
「ああ、だからカズマサをわざわざ送り届けてくれたり、スイーツを食べに誘ってきたりしてくれるわけね。別に好意があるわけじゃないと」
「絶対に違うって否定できないところが悲しい……でも彼女、まだ郵便屋さんになったばっかりだって言ってたから、緊張してるせいで無表情になりがちなのでは?」
「へえ、なったばかりなのにきちんと郵便配達ができるとは、カズマサより優秀なのさ」
そんなー、と心の中で涙を流していると、まあカズマサにも春が訪れるよう頑張れよ、今年はふたりでクリスマスが過ごせるといいな、と肩を叩かれた。