リブーテッド
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
八月、そして夏祭り
軟らかいものが窓をたたくまで、私の一日は屋内で完結しようとしていた。外の暑い日差しを逃れ、空調設備が機能している。そこかしこが白く彩られていることも夏は一種の清涼剤だ。長い休暇の最後の一日、その白色の布の向こう側が、がらりと屋外に接続した。軟らかな黄色が顔を出す。声も出す。
「こんにちは」
この私には当然に文句の一つもあるわけがない。マッハ二十の超生物ならではの風変わりな家庭訪問は、これが初めてのことでもない。休暇中にも以前にも、約束に基づいて、あるいは思いついたように、先生は生徒の家を訪れた。勉強のためとか、暗殺のためとか、
「夏祭りに行きませんか」
遊びのためとか。
「今日、思い立って皆さんに声をかけて回ってるんですが、断る人が多くて——」
この昼過ぎ、先生はハンカチで鼻をかんだ。わざとらしくも本気の涙目だが擁護は難しい。今から夜の約束などとは。片手で数えて何時間。当然の結果だ。しかし先生はもう号泣の手前で、心なし頰の辺りが瘦せて見えた。この調子で人が集まらねば死んでしまうかもしれない。
私は時計を見あげ、窓の外をも見る。ハンカチ片手に窓に張りつく担任教師。改造人間。次の三月には確実に地球諸共爆発する。
「いいですね。ちょっと、だらけてきたところだったし。今晩七時、椚ヶ丘駅ですね」
たちまち先生は笑顔になった。
親に話したら浴衣が出てきた。白地に紫色で柄が入っている。昨年この時期に買ったものだ。私にX染色体を与えた生物が、自分のことのように目を細める。
多少不便だが浴衣を着る以上は下駄も履いた。どうせ椚ヶ丘までは電車に乗った。待ち合わせまでに勘もとり戻せた。だから改札の手前で急に話しかけられても、危なげなく驚くことができた。
駅にはクラスの半数ほどが集まった。あれだけ目元を濡らした割にと思えば、先生は〈クラス全員〉で回りたかったようだ。だから烏間先生の会議も責めた。それこそ理不尽の極みだろうが。暗殺の監督役であるところの烏間先生には当然、中学生の長期休暇など無関係に業務がある。ビッチ先生は来たけれど、烏間先生は忙しい。しかし人間離れした巨体はなおも「迎えに行くって言ったのに」と口をとがらせ責め続ける。
ちなみに過去の暗殺者たちも誘ったらしい。
「全然駄目でした」
先生はうつむきがちに顛末を伝えた。すでにあきれていた生徒たちが、いよいよ空気を一色に染める。
「こ、断られたんじゃありませんよ。出なかった、そう、つながらなかったんです」
「殺し屋の皆さんも仕事だと思うよ」
渚くんも突っ込んだ。
そうこうしながら皆で歩いて、そうこうしながら別れていく。いつしか先生の姿もなくなった頃、私は神崎さん他数名と行動を共にしていた。茅野さんは渚くんと一緒で、奥田さんは来なかった。杉野くんも来なかった。彼は神崎さんを好んでいるようだから、きっと悔しがるだろう。今日の神崎さんは浴衣を着ている。
E組だけを見ても浴衣姿は結構ある。私も神崎さんも、茅野さんも、ビッチ先生も浴衣だった。
逆に担任教師はいつものアカデミックドレスだ。こちらは少々意外な装いだった。彼は何事も形から入る——顔を覚えられたくなくて黒子に扮す、南の島だからと開襟シャツを着る——ところがある。あるいは中学校教諭として夏祭りの見回りをしてみたかったのだろうか。
マッハ二十の触手生物は別れた途端に見つからなくなったが、クラスメイトとは時々すれ違ったり合流したり、私たちはいたってにぎやかに祭りを歩く。会場もさらなる喧噪に包まれた。同行者たちは屋台の前の列に加わる。私も割高なたこ焼きの前に並んで荷物を増やした。祭りの特別な空気を味わう対価だ。それに、何か腹に入れておきたかった。今夜は花火もあがるのだ。
さて同行者がまた晩餐を求めて、屋台を目指し、急に行き先を転換した。
どうしたのかしらと残った者で話していると、彼女は再び目的地へ向かい、後ろから別のクラスメイトが現れる。偶然だろうか。否、ぴたりと目が合った。
当然、顔も合わせることになった。もはや無視してはいられない。意を決したとき、同行者の一人が大きな紙袋に目をつける。
「カルマくん、それ——」
「あーこれ、ゲーム機」
目を丸くして驚いた私たちに、続けて一言、「あげないよ」
同行者が即座に否定しようとして「要らな——くはないけど」と周囲を見回した。
「当たるんだ」
「〈確率の問題〉かな。まあ五千円くらいは〈投資〉した」
袋の隙間から箱が見える。大手製造業者の据置機だ。広告で見かけるような、まだ新しい部類の商品だから、定価は三万円ほどだろう。
持ち主がこちらを見た。やってみるかと聞かれても、私は首を横に振るだけだ。すると持ち主は私の手元に目を落とした。視線を追えばたこ焼きの袋があった。
「どこで買ったの」
「あそこ」
私は顔を背けて、方向を示した。たかが数軒前、このまま来た道を引き返せばすぐ〈たこ焼き〉の四文字が見えるだろう。と、せっかく試みた口頭案内は軽薄な声に遮られる。
「覚えてんなら、ちょうどいいや。教えてくれる」
「買えた。ありがと」
「どういたしまして」
かくして同行者が変わった。口頭案内は、彼の知能には高等すぎたということだ。形式的に「でも」と振り返ったところで〈背中を押されて〉しまっては、この私には断る理由がない。そして説明を試みたとおりの道筋で原始的に目的地へ導き、今、新たな同行者は屋台のたこ焼きを手に入れた。
片手に景品の紙袋、片手にたこ焼きの紙袋。浴衣ではないが祭りを楽しんでいる様子だ。クラスメイトはそれらを私の手元と見比べて、ついで隣の屋台を見あげた。焼きそばである。
「買ってないよね」
「買ってないけど」
私の荷物は、目の前のクラスメイトから紙袋を取りあげたときと何ら変わらない。彼はまもなく口を開いた。
「買ってくる」
宣言と同時に歩きだすから、とりあえず後を追っておく。一般的な中学生は、これを別れの合図とは受けとらないだろうから。現にクラスメイトは二分とたたずに荷物を増やし、まっすぐ私の元に戻った。
向かいの屋台がお面を売っていた。同行者が行くと言ったのに、いざ前にしたら何も買わなかった。三軒先のくじ引きも通り過ぎて、また向かいの屋台で清涼飲料水を買った。かき氷は屋台から吟味した。なぜだろう。買ったかき氷を片手に、同行者が支払った価格を繰り返す。ぼったくりだと。しかしある意味では、どの出店もぼったくりだった。わかりきったことだった。
だが同行者は帰るとは言わなかった。提げた袋はとうとう片手の指の数に届く。そのうえで次の屋台を探した。
途中で糸くじ屋が早めの店じまいにとりかかっていた。隣のクラスメイトは何も言わなかった。かわりに私は近くでフランクフルトを買った。さらに渚くんと茅野さんに遭遇した。あちらはそろってヨーヨーを何個も提げていた。早めの店じまいは、そこかしこで進んでいるようだ。クラスの狙撃手も出禁を食らった。一方でビッチ先生はただ酒にありつき、と軽く話してまた〈自然と〉別れる。
その先で、ようやく担任教師を発見した。彼は屋台の向こう側にいた。私たちは二人して、発起人が早々に姿を消した理由に思い当たる。小遣い稼ぎの準備をしていたのだ。数々の店じまいの跡地にマッハ二十で屋台が立ちあがり、綿菓子、あんず飴、フランクフルト、焼きそば、そしてたこ焼き——。
たこ焼き屋に案内してからもう随分とたつ。十分な食料を調達し、時にクラスメイトとも遭遇した。だが私はいまだ赤羽と二人だ。二人で神社を一周して、とうとう最後の屋台に来てしまった。フライドポテトが四百円。
「一番高いのと一番安いの、買って分けようぜ」
赤羽が言った。私は当然に首をかしげた。
「『分け』る」
「花火、見るでしょ」
「よく見える所、知ってるから」
百円でフライドポテトを買った。川に沿ってしばらく、いや、かなり歩いた。隣で六百円が立ち止まるまで。そこで少し話して場所を決めて、間に袋を置いて座る。ゲーム機の紙袋が外側に下ろされる。
ひと気はそれなり。多いよりは少ない。だが確かに花火はよく見えた。一発、二発、色鮮やかに夜を照らす。大きな音が鳴り響いた。私はたこ焼きを一つ刺す。
結局、赤羽と花火まで見ることになった。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。夏の風物詩は、天にのぼっては色をつけて花開いた。何色ともつかず、ひゅるひゅると。幾つも発射されて、幾つも爆発する。長らく満月ののぼらない、どこまでも暗い夜の空で。あるいは地球最期の——。私はたこ焼きを口に運んだ。一つずつ刺しては食べた。熱い、けれども、まずまずおいしい。もはや——加工大豆タンパクとは——比べるまでもなく。
花火など知らなかった。
たこ焼きの器が質量をなくしたかに思われたとき、赤羽は焼きそばを食べていた。私もフランクフルトをつかみあげた。店主がかけてくれた二色の汁が蓋にべったり残ってしまった。この私はそれを看過する。私はそうすることができる。黙ってソーセージにかぶりつく。
ここにきて言葉は失われた。赤羽とは顔も合わせない。お互い忙しかったのだ。上を見たら花火、下を見たらたこ焼き、焼きそば、フランクフルト、平均三百五十円のフライドポテト、ほとんど空のかき氷。おまけに辺りは騒がしく、会話にも倍の労力がかかる。
だから、そのいずれかが尽きてしまったときに赤羽が口を開くことは、想像も覚悟もできていた。せっかく間に置いた袋は、今や外側のごみ袋にまるまる移されるところで、やがて赤羽が最後の容器を片づけた。すぐに私も食べ終えて、今夜の食事の始末をつける。ちょうど赤色が瞬いた。
「その浴衣、似合わないね」
赤羽は見計らって宣告した。花火で紛らすためではなかった。そのうえで私に聞かせるためだった。なお正しく聞きとらせるためだった。浴衣の同級生をわざと歩かせ、好ましくないクラスメイトをわざと連れ回した。どうして、なんて、わかりきっている。したがって、また、わからなくなる。
「嫌なこと言うね」
「なに、そんなに白が好き」
白、白色、紫外 。
「うん、白が一番かな」
私は当然に答え、隣を見る。意思疎通の一環だった。不意に向かわせたはずの視線は、教室の席よりも近いくらいの距離感で、たちまち隣と重なった。最期になるかもしれないような大きな花火があがっているのに。
赤羽は返事をしなかった。
上空が一番まぶしく光って、雷鳴のごとくにとどろいた。向かいの顔に影が落ちる。瞬間だけ感情のようなものがのぞく。「ならさ」と唇がかすかに動いた。
「黒はどう」
「ええと」
眉を僅かに下げる。言葉にならない音も幾つか。私は静かにうそぶいた。「考えたことがなかった、かな」
赤羽は鼻で笑った。目元に鋭く光が差す。「そういうとこだよ、そういうとこ」
口元は瞬時に表情を損なう。「おまえの、そういうとこが、むかつくんだ」
私も〈ためらいがちに〉唇を結んだ。同じくして目も伏せておいた。視界から赤羽が失せていく。都合よく正面を向き直す。
「嫌なやつ」
立て続けに花火があがった。隣人が空を見あげた気配がした。
「はっきり言ってやるけどさ、おまえみたいに嫌なやつ、俺は他に知らないね」
ふと先日の旅行がよみがえる。クラス全員が毒を盛られ、発症した半数は死に瀕した。犯人の狙いは賞金首だったが、生徒への加虐心も持ち合わせていた。彼は生徒を殺したくて殺しかけたのだ。
あるいは期末テスト前のシロでもよい。彼は中学生を危機にさらす計画を企て、中学生を実行犯に仕立てあげた。体育教師が体罰教師に交代されたこともあった。修学旅行には不良の横やりが入った。中間テストでも不正寸前の工作が起きていた。私たちのE組制度そのものだって、ひどく不快なものには違いない。
ふっと小さく息がこぼれた。
「どうしたの、ため息なんかついて」
言葉の裏で声はさも退屈そうだ。私は困ったように答えてやる。
「どうして、ひどいこと言うのかなって」
「よく言うよ」
吐き捨てられた声は花火の音にかき消えた。赤羽は言い直さなかった。上空でぱらぱらと火花が散る。そして再びひゅるひゅると花火の玉が天にのぼって、破裂する。
「決めたんだ。三月までに殺せんせーも、おまえのことも、俺がこの手で殺してやる」
火薬が燃える。真っ赤な光が音を連れて広がっていく。
軟らかいものが窓をたたくまで、私の一日は屋内で完結しようとしていた。外の暑い日差しを逃れ、空調設備が機能している。そこかしこが白く彩られていることも夏は一種の清涼剤だ。長い休暇の最後の一日、その白色の布の向こう側が、がらりと屋外に接続した。軟らかな黄色が顔を出す。声も出す。
「こんにちは」
この私には当然に文句の一つもあるわけがない。マッハ二十の超生物ならではの風変わりな家庭訪問は、これが初めてのことでもない。休暇中にも以前にも、約束に基づいて、あるいは思いついたように、先生は生徒の家を訪れた。勉強のためとか、暗殺のためとか、
「夏祭りに行きませんか」
遊びのためとか。
「今日、思い立って皆さんに声をかけて回ってるんですが、断る人が多くて——」
この昼過ぎ、先生はハンカチで鼻をかんだ。わざとらしくも本気の涙目だが擁護は難しい。今から夜の約束などとは。片手で数えて何時間。当然の結果だ。しかし先生はもう号泣の手前で、心なし頰の辺りが瘦せて見えた。この調子で人が集まらねば死んでしまうかもしれない。
私は時計を見あげ、窓の外をも見る。ハンカチ片手に窓に張りつく担任教師。改造人間。次の三月には確実に地球諸共爆発する。
「いいですね。ちょっと、だらけてきたところだったし。今晩七時、椚ヶ丘駅ですね」
たちまち先生は笑顔になった。
親に話したら浴衣が出てきた。白地に紫色で柄が入っている。昨年この時期に買ったものだ。私にX染色体を与えた生物が、自分のことのように目を細める。
多少不便だが浴衣を着る以上は下駄も履いた。どうせ椚ヶ丘までは電車に乗った。待ち合わせまでに勘もとり戻せた。だから改札の手前で急に話しかけられても、危なげなく驚くことができた。
駅にはクラスの半数ほどが集まった。あれだけ目元を濡らした割にと思えば、先生は〈クラス全員〉で回りたかったようだ。だから烏間先生の会議も責めた。それこそ理不尽の極みだろうが。暗殺の監督役であるところの烏間先生には当然、中学生の長期休暇など無関係に業務がある。ビッチ先生は来たけれど、烏間先生は忙しい。しかし人間離れした巨体はなおも「迎えに行くって言ったのに」と口をとがらせ責め続ける。
ちなみに過去の暗殺者たちも誘ったらしい。
「全然駄目でした」
先生はうつむきがちに顛末を伝えた。すでにあきれていた生徒たちが、いよいよ空気を一色に染める。
「こ、断られたんじゃありませんよ。出なかった、そう、つながらなかったんです」
「殺し屋の皆さんも仕事だと思うよ」
渚くんも突っ込んだ。
そうこうしながら皆で歩いて、そうこうしながら別れていく。いつしか先生の姿もなくなった頃、私は神崎さん他数名と行動を共にしていた。茅野さんは渚くんと一緒で、奥田さんは来なかった。杉野くんも来なかった。彼は神崎さんを好んでいるようだから、きっと悔しがるだろう。今日の神崎さんは浴衣を着ている。
E組だけを見ても浴衣姿は結構ある。私も神崎さんも、茅野さんも、ビッチ先生も浴衣だった。
逆に担任教師はいつものアカデミックドレスだ。こちらは少々意外な装いだった。彼は何事も形から入る——顔を覚えられたくなくて黒子に扮す、南の島だからと開襟シャツを着る——ところがある。あるいは中学校教諭として夏祭りの見回りをしてみたかったのだろうか。
マッハ二十の触手生物は別れた途端に見つからなくなったが、クラスメイトとは時々すれ違ったり合流したり、私たちはいたってにぎやかに祭りを歩く。会場もさらなる喧噪に包まれた。同行者たちは屋台の前の列に加わる。私も割高なたこ焼きの前に並んで荷物を増やした。祭りの特別な空気を味わう対価だ。それに、何か腹に入れておきたかった。今夜は花火もあがるのだ。
さて同行者がまた晩餐を求めて、屋台を目指し、急に行き先を転換した。
どうしたのかしらと残った者で話していると、彼女は再び目的地へ向かい、後ろから別のクラスメイトが現れる。偶然だろうか。否、ぴたりと目が合った。
当然、顔も合わせることになった。もはや無視してはいられない。意を決したとき、同行者の一人が大きな紙袋に目をつける。
「カルマくん、それ——」
「あーこれ、ゲーム機」
目を丸くして驚いた私たちに、続けて一言、「あげないよ」
同行者が即座に否定しようとして「要らな——くはないけど」と周囲を見回した。
「当たるんだ」
「〈確率の問題〉かな。まあ五千円くらいは〈投資〉した」
袋の隙間から箱が見える。大手製造業者の据置機だ。広告で見かけるような、まだ新しい部類の商品だから、定価は三万円ほどだろう。
持ち主がこちらを見た。やってみるかと聞かれても、私は首を横に振るだけだ。すると持ち主は私の手元に目を落とした。視線を追えばたこ焼きの袋があった。
「どこで買ったの」
「あそこ」
私は顔を背けて、方向を示した。たかが数軒前、このまま来た道を引き返せばすぐ〈たこ焼き〉の四文字が見えるだろう。と、せっかく試みた口頭案内は軽薄な声に遮られる。
「覚えてんなら、ちょうどいいや。教えてくれる」
「買えた。ありがと」
「どういたしまして」
かくして同行者が変わった。口頭案内は、彼の知能には高等すぎたということだ。形式的に「でも」と振り返ったところで〈背中を押されて〉しまっては、この私には断る理由がない。そして説明を試みたとおりの道筋で原始的に目的地へ導き、今、新たな同行者は屋台のたこ焼きを手に入れた。
片手に景品の紙袋、片手にたこ焼きの紙袋。浴衣ではないが祭りを楽しんでいる様子だ。クラスメイトはそれらを私の手元と見比べて、ついで隣の屋台を見あげた。焼きそばである。
「買ってないよね」
「買ってないけど」
私の荷物は、目の前のクラスメイトから紙袋を取りあげたときと何ら変わらない。彼はまもなく口を開いた。
「買ってくる」
宣言と同時に歩きだすから、とりあえず後を追っておく。一般的な中学生は、これを別れの合図とは受けとらないだろうから。現にクラスメイトは二分とたたずに荷物を増やし、まっすぐ私の元に戻った。
向かいの屋台がお面を売っていた。同行者が行くと言ったのに、いざ前にしたら何も買わなかった。三軒先のくじ引きも通り過ぎて、また向かいの屋台で清涼飲料水を買った。かき氷は屋台から吟味した。なぜだろう。買ったかき氷を片手に、同行者が支払った価格を繰り返す。ぼったくりだと。しかしある意味では、どの出店もぼったくりだった。わかりきったことだった。
だが同行者は帰るとは言わなかった。提げた袋はとうとう片手の指の数に届く。そのうえで次の屋台を探した。
途中で糸くじ屋が早めの店じまいにとりかかっていた。隣のクラスメイトは何も言わなかった。かわりに私は近くでフランクフルトを買った。さらに渚くんと茅野さんに遭遇した。あちらはそろってヨーヨーを何個も提げていた。早めの店じまいは、そこかしこで進んでいるようだ。クラスの狙撃手も出禁を食らった。一方でビッチ先生はただ酒にありつき、と軽く話してまた〈自然と〉別れる。
その先で、ようやく担任教師を発見した。彼は屋台の向こう側にいた。私たちは二人して、発起人が早々に姿を消した理由に思い当たる。小遣い稼ぎの準備をしていたのだ。数々の店じまいの跡地にマッハ二十で屋台が立ちあがり、綿菓子、あんず飴、フランクフルト、焼きそば、そしてたこ焼き——。
たこ焼き屋に案内してからもう随分とたつ。十分な食料を調達し、時にクラスメイトとも遭遇した。だが私はいまだ赤羽と二人だ。二人で神社を一周して、とうとう最後の屋台に来てしまった。フライドポテトが四百円。
「一番高いのと一番安いの、買って分けようぜ」
赤羽が言った。私は当然に首をかしげた。
「『分け』る」
「花火、見るでしょ」
「よく見える所、知ってるから」
百円でフライドポテトを買った。川に沿ってしばらく、いや、かなり歩いた。隣で六百円が立ち止まるまで。そこで少し話して場所を決めて、間に袋を置いて座る。ゲーム機の紙袋が外側に下ろされる。
ひと気はそれなり。多いよりは少ない。だが確かに花火はよく見えた。一発、二発、色鮮やかに夜を照らす。大きな音が鳴り響いた。私はたこ焼きを一つ刺す。
結局、赤羽と花火まで見ることになった。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。夏の風物詩は、天にのぼっては色をつけて花開いた。何色ともつかず、ひゅるひゅると。幾つも発射されて、幾つも爆発する。長らく満月ののぼらない、どこまでも暗い夜の空で。あるいは地球最期の——。私はたこ焼きを口に運んだ。一つずつ刺しては食べた。熱い、けれども、まずまずおいしい。もはや——加工大豆タンパクとは——比べるまでもなく。
花火など知らなかった。
たこ焼きの器が質量をなくしたかに思われたとき、赤羽は焼きそばを食べていた。私もフランクフルトをつかみあげた。店主がかけてくれた二色の汁が蓋にべったり残ってしまった。この私はそれを看過する。私はそうすることができる。黙ってソーセージにかぶりつく。
ここにきて言葉は失われた。赤羽とは顔も合わせない。お互い忙しかったのだ。上を見たら花火、下を見たらたこ焼き、焼きそば、フランクフルト、平均三百五十円のフライドポテト、ほとんど空のかき氷。おまけに辺りは騒がしく、会話にも倍の労力がかかる。
だから、そのいずれかが尽きてしまったときに赤羽が口を開くことは、想像も覚悟もできていた。せっかく間に置いた袋は、今や外側のごみ袋にまるまる移されるところで、やがて赤羽が最後の容器を片づけた。すぐに私も食べ終えて、今夜の食事の始末をつける。ちょうど赤色が瞬いた。
「その浴衣、似合わないね」
赤羽は見計らって宣告した。花火で紛らすためではなかった。そのうえで私に聞かせるためだった。なお正しく聞きとらせるためだった。浴衣の同級生をわざと歩かせ、好ましくないクラスメイトをわざと連れ回した。どうして、なんて、わかりきっている。したがって、また、わからなくなる。
「嫌なこと言うね」
「なに、そんなに白が好き」
白、白色、
「うん、白が一番かな」
私は当然に答え、隣を見る。意思疎通の一環だった。不意に向かわせたはずの視線は、教室の席よりも近いくらいの距離感で、たちまち隣と重なった。最期になるかもしれないような大きな花火があがっているのに。
赤羽は返事をしなかった。
上空が一番まぶしく光って、雷鳴のごとくにとどろいた。向かいの顔に影が落ちる。瞬間だけ感情のようなものがのぞく。「ならさ」と唇がかすかに動いた。
「黒はどう」
「ええと」
眉を僅かに下げる。言葉にならない音も幾つか。私は静かにうそぶいた。「考えたことがなかった、かな」
赤羽は鼻で笑った。目元に鋭く光が差す。「そういうとこだよ、そういうとこ」
口元は瞬時に表情を損なう。「おまえの、そういうとこが、むかつくんだ」
私も〈ためらいがちに〉唇を結んだ。同じくして目も伏せておいた。視界から赤羽が失せていく。都合よく正面を向き直す。
「嫌なやつ」
立て続けに花火があがった。隣人が空を見あげた気配がした。
「はっきり言ってやるけどさ、おまえみたいに嫌なやつ、俺は他に知らないね」
ふと先日の旅行がよみがえる。クラス全員が毒を盛られ、発症した半数は死に瀕した。犯人の狙いは賞金首だったが、生徒への加虐心も持ち合わせていた。彼は生徒を殺したくて殺しかけたのだ。
あるいは期末テスト前のシロでもよい。彼は中学生を危機にさらす計画を企て、中学生を実行犯に仕立てあげた。体育教師が体罰教師に交代されたこともあった。修学旅行には不良の横やりが入った。中間テストでも不正寸前の工作が起きていた。私たちのE組制度そのものだって、ひどく不快なものには違いない。
ふっと小さく息がこぼれた。
「どうしたの、ため息なんかついて」
言葉の裏で声はさも退屈そうだ。私は困ったように答えてやる。
「どうして、ひどいこと言うのかなって」
「よく言うよ」
吐き捨てられた声は花火の音にかき消えた。赤羽は言い直さなかった。上空でぱらぱらと火花が散る。そして再びひゅるひゅると花火の玉が天にのぼって、破裂する。
「決めたんだ。三月までに殺せんせーも、おまえのことも、俺がこの手で殺してやる」
火薬が燃える。真っ赤な光が音を連れて広がっていく。