なかなかどーしてややこしい
三
はたして彼には知る由もないのだった。後日、調査を終えた二人の青年が、ひいては工藤探偵事務所が、彼に突き付けるのだ。事故でした、と。そして彼は事故を事実として受け入れてしまうことになる。
上原もとい黛は、内田もとい花宮に問うた。
「いいのか」
「何のことです」
花宮はベッドの縁から、背を向けたまま問い返す。
黛もまたベッドの縁で、背を向けたまま答えを返す。
「全部だ。全部。わざわざ遺族に接触する必要はなかった」
「ありました」
花宮は即答した。
「俺たちは探偵ですよ」
「俺たちは探偵じゃない」
黛も即答した。
どうせ「事故」だと伝えることが理由のひとつ。そして、もうひとつの理由がこれだ。
花宮と黛は探偵ではない。では何かというと、工学部の大学生である。花宮はともかくとして。黛は大学生だ。それもミステリ研究会とは無関係の。ミス研が存在するかも知ったことではない。——推理小説の主人公が大学生だと、ミス研で島で合宿して殺人事件だとか、ミス研で山に登って殺人事件だとか、とにかく殺人事件をミス研の〈名探偵〉が解決するとか、そういう展開がありうるので。これは推理小説ではないとはいえ断っておく。
「研究室は平和でしたか」
「平和な研究室があると思うか」
名探偵な教授もいない。探偵助手な学生もいない。黛の大学生活には、探偵は登場しない。凶悪犯罪も発生しない。殺人事件は論外中の論外。だったのだ。この週末までは。
昨日、土曜午後二時、黛は花宮との初対面を果たした。マジバーガーで、ホットコーヒー一杯で、四人席を独占していた。それが誰を待っている様子でもなかったから、黛は人生で初めて声をかけたのだ。そしたらこのクソ、なんて遮ったと思うよ。——今それどころじゃないですすみません。
もう息もつかずに拒絶された。顔も上げずに切り捨てられた。とはいえ花宮は、後輩と呼ぶには縁遠い存在だった。かろうじて年下で、学年は黛の一つ下で、けれども今の花宮は学生でも何でもない。そのうえ、そのちんけな縁を辿れば、むしろ「先輩」がふさわしいことが判明するおそれがある。
その程度の関係だった。花宮が高校を卒業してから何をしてきたかということを、黛は正確には把握していない。ただし、これだけは言える。花宮こそ探偵ではありえない。
「探偵がいいって言ったのは、あなたですよ」
「俺は、警察はごめんだって言ったんだ」
「そうでしたっけ」
花宮は背を向けたままとぼけた。
黛は返事をしなかった。
だって「工藤探偵事務所」だ。
「東の大学生探偵ですよ」
それこそ、よりにもよって、だ。
関東で探偵の工藤といったら、まず「東の大学生探偵」だ。かつて「東の高校生探偵」として名を馳せ、日本の救世主、はたまたシャーロック・ホームズの〈再来〉とまでうわさされた、引く手あまたの有名人。「東の」とつくだけあって、「西の」「南の」「北の」大学生探偵がいて、彼らもかつての高校生探偵であるのだが。
そのことを逆手に取って、東京の工藤探偵事務所を名乗る手口なら、百歩譲ってよしとしよう。同じ名前の探偵が、偶然にも同じ町に事務所を構えることもあるだろう。ところがどっこい、花宮が依頼人に手渡した名刺の連絡先は、東の大学生探偵の事務所のサイトに載っていた。すると花宮は言うわけだ。
「だって工藤のメアドだし」
並の人間ならキレていた。
黛が微動だにせずにいられた理由は、高校時代にあるだろう。彼が高校時代におおむね所属していたバスケ部は、彼に自己抑制を刷りこんだのだ。かの崇高な球技から遠ざかった今でも、「部活の癖が抜けなくて」が口癖になるかもしれないほどで、この不本意な週末もある意味では部活動の関係で、このちんけな花宮も学生時代には他校で同じ球技に励んだわけで。
しかし、よりにもよって東の大学生探偵。
大学生になって事務所を立ちあげ、ゴールデンウィークの前だか後だか、とある平日、大学構内で殺人事件が発生した。東の大学生探偵は瞬く間に解決した。入学一年足らずで、もう伝説だ。さながら「名探偵」だと感心したのは、ミステリ愛好家の誰だったか。噂は蔓延した。警視庁は当然のごとくに、千代田と市ヶ谷とFBIとCIAとMI6とICPOとIMFと、あとなんだっけか、国内外の機関から渇望される人材らしい。
黛はよく知っている。なにせ大学が同じであるので。そのくらいが、黛の大学生活の探偵要素だ。登場はしない。大学生探偵は黛の友人でも知人でもなく、友人知人の友人知人でもない。キャンパスも違う。学部も違う。ゴールデンウィークの頃の事件も、その「違う」キャンパスで発生した。何もかも、この週末までのことだけれど。
ついに今日、黛の大学生活のどこかに「探偵」が登場した。
「本当に問題ないんだろうな」
千代田からIMFからなんだっけかのうわさは眉唾だとしても、その評判は、今の黛には看過し難い。昨夜そして今夜のことを考えたら、なおのこと東の大学生探偵は警戒して然るべきだ。
そうしたら、背後の花宮が体をひねった。なんだと思って、黛も振り返る。
「たしかに工藤の前では吸血鬼は殺さないほうがいい。助けてやったのに、いつまでもうるせえんだよ。あいつが最初になんて言ったか知ってますか」
「——知るか」
「——俺も聞いてなかったんですけど。
まだ巣だぞ。俺はクソガキ抱えながら、吸血鬼の巣で戦ったんだ。よく生きてたな。マジで上辺だけでも労えよ。なのにあの野郎、ピーピー喚いて、説教まで垂れてきたんですよ。信じらんねえ。
もう二度と助けてやらないと心に誓った事件でした」
——ああ、そう。つまりだ。花宮と黛は今夜「吸血鬼」を殺すので。
花宮と黛は、鬼ではない。事実として。いくら花宮が鬼畜だろうと、事実としては人間である。同様に悪魔でもなく、天使でもなく、あたりまえに神でもない。花宮と黛は人間だ。実際に。だから、これから人知を超越した悪戯で調査結果を歪めようというつもりはない。しかし、いざ真相を伝えようとすると、花宮と黛は、というか花宮こと内田が、あの依頼人にこう話す羽目になる。
——犯人は吸血鬼でした。
この現実は映画ではない。そして吸血鬼も、映画に登場するだけの存在ではない。伝承には、事実に即した部分がある。吸血鬼は実在する。いや、怪物が実在するのだ。
たとえば、この怪物は血を飲んで永らえ、時に人間を仲間に変える。
外見的特徴としては牙と鉤爪が挙げられる。逆に言えば、それさえ隠せば姿は人間と変わらない。一般的な吸血鬼は、よって人間の前では人間に擬態する。
そうはいかないのが食事である。人間同様の食事から栄養を得ることは可能だが、いずれは人間の生き血を飲み干すことになる。トマトジュースはもちろんのこと、生肉でも代えられない。吸血鬼の肉体は新鮮な血液を必要としているのだ。だから失血死が起きたとき、花宮や黛は吸血鬼の出現を疑うことになる。今回の依頼人の「事故」がそれで、また盗まれた家畜も吸血鬼の食事だ。
「地区の警察の記録を読みましたが、目ぼしい痕跡は年単位でゼロ。今回の件が初めてのようなものです」
「こっちも似たようなもんだ。——最初の犯行は『事故』前夜だろう」
まず地区の二か所で家畜を盗んだ。吸血鬼は人間の生き血を好むが、新鮮な血液なら人間以外のものでも食事にできる。家畜は帰らないだろう。吸血鬼は生き血を飲み干すものだ。そうでなければ、食事にされた誰それは、いっそ死にたいと思うような目にあうことになる。
「市内では以前から家畜の窃盗が問題になっていたが、——見ろ。血痕の量」
「何頭かはその場で飲んだと。捨てていかなかったのは、その窃盗団の犯行に紛れさせるためでしょう」
そして翌晩の食事も、まんまと「事故」で片づけられた。事故の範疇なら、花宮や黛のような人間でも、なかなか疑わない。
花宮が再び背を向けた。束ねた髪が、さらりと揺れる。彼は腰をかがめると、リュックサックに手を差し入れた。
「それで最後が昨日の晩か。警察も報道も例の窃盗団だと言っているが、現場には食事の痕跡が残されていた」
「『事故』程度のニュースは、ここを離れる理由にはならなかったということです」
「巣が問題だな」
黛も背を向けた。背中の向こうで花宮が、そうですねとつぶやいた。続けて、蓋が閉まったような音がする。
「殺されたとは思いませんでしたか」
同時に、ひょいと物が飛んできた。背後のマットレスが、それをやわらかく受け止める。小さな入れ物だ。からからと、中で軽いものが転がろうとしていた。
黛は背を向けたまま、その入れ物を拾い上げた。
「吸血鬼だぞ。家畜泥棒の手口から見て、二体はいる」
たとえ単体でも人間の手には余るのだ。吸血鬼の本能は人間の生き血を求めている。吸血鬼にとって人間は食糧に過ぎない。吸血鬼の身体能力は、人間のそれを凌駕する。怪物なのだ。殺し方を知っていてさえ、人間は殺される。花宮も黛も例外ではない。
——「殺し方」がある。
注射器が入っていた。小さな入れ物のなかで、三本の注射器が、赤黒の液体を吐き出す瞬間を待っている。死人の血だ。
「用意がいいな」
「稼業ですから。黛さんが吸血鬼になったときは、治して差し上げます」
「それ冗談のつもりか?」
黛はリュックサックを拾い上げ、そっと容器を中にしまった。途中で硬い音がしたが、ナイフか銃に当たったのだろう。構わず再び地面に戻すと、今度は脇でスマートフォンが振動する。
「出ていただいて構いませんよ」
「いや」
通知だから。告げようとして振り向いたところで、花宮と目が合った。
「確認しないんですか」
「ああ。今はいい」
「そうですか。気をつけてくださいよ。吸血鬼は耳もいい。そんなことのために死にかけて今吉翔一に助けられるなんて、俺は死んでもごめんです。まあ先に死体になってるのは、あっちでしょうが」
そうは思いませんか。
花宮が冷たい表情で黛を見ていた。殺されたとは思いませんでしたか。声音が一段、低くなる。
「単独で復讐に打って出た今吉翔一が、とっくに返り討ちにあったとは思いませんでしたか」
こいつはやっぱり無理があったぞ。黛は脇のスマートフォンを見下ろす。端末は裏返しで、画面が見えない。
「どうぞ確認してください」
おまえに許可されるようなことじゃない。そうは言えずに、黛は、ひとつ息をこぼす。そして、ゆっくりと端末を裏返した。
短い文章だった。一言だった。送信者は、今吉翔一。
黛も一言で返信した。
バレた。
はたして彼には知る由もないのだった。後日、調査を終えた二人の青年が、ひいては工藤探偵事務所が、彼に突き付けるのだ。事故でした、と。そして彼は事故を事実として受け入れてしまうことになる。
上原もとい黛は、内田もとい花宮に問うた。
「いいのか」
「何のことです」
花宮はベッドの縁から、背を向けたまま問い返す。
黛もまたベッドの縁で、背を向けたまま答えを返す。
「全部だ。全部。わざわざ遺族に接触する必要はなかった」
「ありました」
花宮は即答した。
「俺たちは探偵ですよ」
「俺たちは探偵じゃない」
黛も即答した。
どうせ「事故」だと伝えることが理由のひとつ。そして、もうひとつの理由がこれだ。
花宮と黛は探偵ではない。では何かというと、工学部の大学生である。花宮はともかくとして。黛は大学生だ。それもミステリ研究会とは無関係の。ミス研が存在するかも知ったことではない。——推理小説の主人公が大学生だと、ミス研で島で合宿して殺人事件だとか、ミス研で山に登って殺人事件だとか、とにかく殺人事件をミス研の〈名探偵〉が解決するとか、そういう展開がありうるので。これは推理小説ではないとはいえ断っておく。
「研究室は平和でしたか」
「平和な研究室があると思うか」
名探偵な教授もいない。探偵助手な学生もいない。黛の大学生活には、探偵は登場しない。凶悪犯罪も発生しない。殺人事件は論外中の論外。だったのだ。この週末までは。
昨日、土曜午後二時、黛は花宮との初対面を果たした。マジバーガーで、ホットコーヒー一杯で、四人席を独占していた。それが誰を待っている様子でもなかったから、黛は人生で初めて声をかけたのだ。そしたらこのクソ、なんて遮ったと思うよ。——今それどころじゃないですすみません。
もう息もつかずに拒絶された。顔も上げずに切り捨てられた。とはいえ花宮は、後輩と呼ぶには縁遠い存在だった。かろうじて年下で、学年は黛の一つ下で、けれども今の花宮は学生でも何でもない。そのうえ、そのちんけな縁を辿れば、むしろ「先輩」がふさわしいことが判明するおそれがある。
その程度の関係だった。花宮が高校を卒業してから何をしてきたかということを、黛は正確には把握していない。ただし、これだけは言える。花宮こそ探偵ではありえない。
「探偵がいいって言ったのは、あなたですよ」
「俺は、警察はごめんだって言ったんだ」
「そうでしたっけ」
花宮は背を向けたままとぼけた。
黛は返事をしなかった。
だって「工藤探偵事務所」だ。
「東の大学生探偵ですよ」
それこそ、よりにもよって、だ。
関東で探偵の工藤といったら、まず「東の大学生探偵」だ。かつて「東の高校生探偵」として名を馳せ、日本の救世主、はたまたシャーロック・ホームズの〈再来〉とまでうわさされた、引く手あまたの有名人。「東の」とつくだけあって、「西の」「南の」「北の」大学生探偵がいて、彼らもかつての高校生探偵であるのだが。
そのことを逆手に取って、東京の工藤探偵事務所を名乗る手口なら、百歩譲ってよしとしよう。同じ名前の探偵が、偶然にも同じ町に事務所を構えることもあるだろう。ところがどっこい、花宮が依頼人に手渡した名刺の連絡先は、東の大学生探偵の事務所のサイトに載っていた。すると花宮は言うわけだ。
「だって工藤のメアドだし」
並の人間ならキレていた。
黛が微動だにせずにいられた理由は、高校時代にあるだろう。彼が高校時代におおむね所属していたバスケ部は、彼に自己抑制を刷りこんだのだ。かの崇高な球技から遠ざかった今でも、「部活の癖が抜けなくて」が口癖になるかもしれないほどで、この不本意な週末もある意味では部活動の関係で、このちんけな花宮も学生時代には他校で同じ球技に励んだわけで。
しかし、よりにもよって東の大学生探偵。
大学生になって事務所を立ちあげ、ゴールデンウィークの前だか後だか、とある平日、大学構内で殺人事件が発生した。東の大学生探偵は瞬く間に解決した。入学一年足らずで、もう伝説だ。さながら「名探偵」だと感心したのは、ミステリ愛好家の誰だったか。噂は蔓延した。警視庁は当然のごとくに、千代田と市ヶ谷とFBIとCIAとMI6とICPOとIMFと、あとなんだっけか、国内外の機関から渇望される人材らしい。
黛はよく知っている。なにせ大学が同じであるので。そのくらいが、黛の大学生活の探偵要素だ。登場はしない。大学生探偵は黛の友人でも知人でもなく、友人知人の友人知人でもない。キャンパスも違う。学部も違う。ゴールデンウィークの頃の事件も、その「違う」キャンパスで発生した。何もかも、この週末までのことだけれど。
ついに今日、黛の大学生活のどこかに「探偵」が登場した。
「本当に問題ないんだろうな」
千代田からIMFからなんだっけかのうわさは眉唾だとしても、その評判は、今の黛には看過し難い。昨夜そして今夜のことを考えたら、なおのこと東の大学生探偵は警戒して然るべきだ。
そうしたら、背後の花宮が体をひねった。なんだと思って、黛も振り返る。
「たしかに工藤の前では吸血鬼は殺さないほうがいい。助けてやったのに、いつまでもうるせえんだよ。あいつが最初になんて言ったか知ってますか」
「——知るか」
「——俺も聞いてなかったんですけど。
まだ巣だぞ。俺はクソガキ抱えながら、吸血鬼の巣で戦ったんだ。よく生きてたな。マジで上辺だけでも労えよ。なのにあの野郎、ピーピー喚いて、説教まで垂れてきたんですよ。信じらんねえ。
もう二度と助けてやらないと心に誓った事件でした」
——ああ、そう。つまりだ。花宮と黛は今夜「吸血鬼」を殺すので。
花宮と黛は、鬼ではない。事実として。いくら花宮が鬼畜だろうと、事実としては人間である。同様に悪魔でもなく、天使でもなく、あたりまえに神でもない。花宮と黛は人間だ。実際に。だから、これから人知を超越した悪戯で調査結果を歪めようというつもりはない。しかし、いざ真相を伝えようとすると、花宮と黛は、というか花宮こと内田が、あの依頼人にこう話す羽目になる。
——犯人は吸血鬼でした。
この現実は映画ではない。そして吸血鬼も、映画に登場するだけの存在ではない。伝承には、事実に即した部分がある。吸血鬼は実在する。いや、怪物が実在するのだ。
たとえば、この怪物は血を飲んで永らえ、時に人間を仲間に変える。
外見的特徴としては牙と鉤爪が挙げられる。逆に言えば、それさえ隠せば姿は人間と変わらない。一般的な吸血鬼は、よって人間の前では人間に擬態する。
そうはいかないのが食事である。人間同様の食事から栄養を得ることは可能だが、いずれは人間の生き血を飲み干すことになる。トマトジュースはもちろんのこと、生肉でも代えられない。吸血鬼の肉体は新鮮な血液を必要としているのだ。だから失血死が起きたとき、花宮や黛は吸血鬼の出現を疑うことになる。今回の依頼人の「事故」がそれで、また盗まれた家畜も吸血鬼の食事だ。
「地区の警察の記録を読みましたが、目ぼしい痕跡は年単位でゼロ。今回の件が初めてのようなものです」
「こっちも似たようなもんだ。——最初の犯行は『事故』前夜だろう」
まず地区の二か所で家畜を盗んだ。吸血鬼は人間の生き血を好むが、新鮮な血液なら人間以外のものでも食事にできる。家畜は帰らないだろう。吸血鬼は生き血を飲み干すものだ。そうでなければ、食事にされた誰それは、いっそ死にたいと思うような目にあうことになる。
「市内では以前から家畜の窃盗が問題になっていたが、——見ろ。血痕の量」
「何頭かはその場で飲んだと。捨てていかなかったのは、その窃盗団の犯行に紛れさせるためでしょう」
そして翌晩の食事も、まんまと「事故」で片づけられた。事故の範疇なら、花宮や黛のような人間でも、なかなか疑わない。
花宮が再び背を向けた。束ねた髪が、さらりと揺れる。彼は腰をかがめると、リュックサックに手を差し入れた。
「それで最後が昨日の晩か。警察も報道も例の窃盗団だと言っているが、現場には食事の痕跡が残されていた」
「『事故』程度のニュースは、ここを離れる理由にはならなかったということです」
「巣が問題だな」
黛も背を向けた。背中の向こうで花宮が、そうですねとつぶやいた。続けて、蓋が閉まったような音がする。
「殺されたとは思いませんでしたか」
同時に、ひょいと物が飛んできた。背後のマットレスが、それをやわらかく受け止める。小さな入れ物だ。からからと、中で軽いものが転がろうとしていた。
黛は背を向けたまま、その入れ物を拾い上げた。
「吸血鬼だぞ。家畜泥棒の手口から見て、二体はいる」
たとえ単体でも人間の手には余るのだ。吸血鬼の本能は人間の生き血を求めている。吸血鬼にとって人間は食糧に過ぎない。吸血鬼の身体能力は、人間のそれを凌駕する。怪物なのだ。殺し方を知っていてさえ、人間は殺される。花宮も黛も例外ではない。
——「殺し方」がある。
注射器が入っていた。小さな入れ物のなかで、三本の注射器が、赤黒の液体を吐き出す瞬間を待っている。死人の血だ。
「用意がいいな」
「稼業ですから。黛さんが吸血鬼になったときは、治して差し上げます」
「それ冗談のつもりか?」
黛はリュックサックを拾い上げ、そっと容器を中にしまった。途中で硬い音がしたが、ナイフか銃に当たったのだろう。構わず再び地面に戻すと、今度は脇でスマートフォンが振動する。
「出ていただいて構いませんよ」
「いや」
通知だから。告げようとして振り向いたところで、花宮と目が合った。
「確認しないんですか」
「ああ。今はいい」
「そうですか。気をつけてくださいよ。吸血鬼は耳もいい。そんなことのために死にかけて今吉翔一に助けられるなんて、俺は死んでもごめんです。まあ先に死体になってるのは、あっちでしょうが」
そうは思いませんか。
花宮が冷たい表情で黛を見ていた。殺されたとは思いませんでしたか。声音が一段、低くなる。
「単独で復讐に打って出た今吉翔一が、とっくに返り討ちにあったとは思いませんでしたか」
こいつはやっぱり無理があったぞ。黛は脇のスマートフォンを見下ろす。端末は裏返しで、画面が見えない。
「どうぞ確認してください」
おまえに許可されるようなことじゃない。そうは言えずに、黛は、ひとつ息をこぼす。そして、ゆっくりと端末を裏返した。
短い文章だった。一言だった。送信者は、今吉翔一。
黛も一言で返信した。
バレた。