雲外蒼天
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「…あ、もうこんな時間かぁ」
部室の備品の片付けに熱中していたら、空は夕焼けと夜空の境界線になっていた。
最近速やかに帰宅するようにしつこくアナウンスされているからか、校内に人の気配は殆どなく、しんと静まり返っていた。
暗闇が幅をきかせる前に帰らないと。
荷物をまとめてそそくさと校門を出た。私をひっそりと付け狙う蛇の気配など、一切気づくことなく。
タイミング悪くバスが行ってしまったため、次のバス停まで歩こうと思い立ったものの、なんだか、不自然なほど街ゆく人がいない。こういう時に、通り魔に襲われたら…今朝見た事件のニュースが一瞬頭をよぎり、少し震えた。足取りを早めようとして、前方に立っている知り合いの存在に気がついた。
「―――やぁ、言峰さん」
「間桐、くん」
声が少し上ずった。
彼の家はこっちの方面ではない筈だ。
無意識に半歩後ずさりすると、彼はわざとらしく距離を詰めてきた。いつにも増して胡散臭い笑顔を全開にしている。
「いやー、きみを探してたんだよ。」
「私を?」
役者のようにくるりと回って腕を広げ、心底楽しそうにケラケラ笑っている。
「何か、用事があるの?」
「昨日の、お礼をしなくちゃと思ってね」
彼が何やら本を取り出し、大げさに片腕を振るった。
本能から危険を感じ、人通りの多い方向に向かおうと駆け出した。
「逃がすな!やれ!████!」
しかし抵抗虚しく、見えない何かにより袋小路に倒れ込んでしまった。
ふわり、と何者かが私の体をとらえる。
視界の端に鎖のようなものが見えた。
「あ、」
徐々に身体から自由が奪われていく感覚。
全身の血液が熱を失い、芯から冷えていく感覚。
私はそこで意識を手放した。
「ちょ、ちょっと、あなた、大丈夫!?」
遠慮がちに肩を揺さぶられて目を開けると、そこは変わらずアスファルトの上。あれからどれだけ時間が経ったかわからないが、あたりは真っ暗で、近所の方だろうか――人の良さそうなおばさまが、私を心配そうに覗き込んでいた。
「今救急車を呼ぶからね」
「いや…大丈夫…です…」
そう言いつつ立ち上がろうとするが、全身に力が入らずバランスを崩してしまった。
その衝撃で眼鏡が落ち、割れるような頭の痛みがさらに強くなる。
「ちょっ…動かない方がいいわよ!」
聞こえてくる声が薄くなってゆく。
力がはいらない…
貧血だろうか…?血が…
血が足りない。
血が…欲しい。
「え?」
今のは―――
心臓がドクン、と大きな音を立てて跳ね上がった。
考えを巡らす暇もない。
目の前の女性が突如、、スイッチが切れたようにバタンと倒れ込んだ。
「えっ………えっ?」
何が起こったのか全く理解出来なかった。
彼女に駆け寄ろうとした。…そして気づいた。自分の身体は先程と打って変わって完全に動くようになっていることに。
「なんで…どうして…?大丈夫ですか……どうして………」
頭が理解することを拒んでいる。
辺りにはやはり誰も居ない。彼女を起こそうと肩を揺すってみるも、ますます生気を失っていくようだった。視界が涙でぐにゃりと歪み、避けていた考えが頭に浮上した。
これ、私がやったの?
「立て。そこを離れろ」
聞き知らぬ男の声で、沈みそうな意識が急に現実に引き戻された。溢れ出る涙でまだ焦点はハッキリしないが、振り返ると、この街には似つかわしくない風貌の、青色の男が立っていた。
「泣けば泣くほど力が暴走する。しゃんとしろ。立って深呼吸だ」
もつれる足で立ち上がり涙を拭うと、その男は女性に近寄り、まだ息はあるな、と呟いた。
「救急車呼んどけ。この程度なら助かる」
未だ動転する頭でこくこくと頷き、言葉に従った。
「おい、お前」
名も知らぬ青い男は私を射抜くような目で見つめると、空間から赤い槍を取り出し私に向けた。
「さっきの、お前自身がやった事だと自覚しているな?」
「…ッ!」
貫かれる、そう思った。
道理はわからないが、私は自分を助けようとしてくれた人を、自分の手で傷つけてしまったという自覚はあった。
恐る恐る顔を上げ、ゆっくりと頷いた。すると男の厳しい表情は一転し、ニヒルな笑みが浮かんだ。
「なるほどなぁ」
よくわからないが納得したらしく、槍を収めた。「知らぬ解らぬと喚けばお前さんを気絶させなきゃならんかったが、存外肝が据わっているらしい」
何も言えないでいると、彼の声色は幾分柔らかくなった。
「俺は雇い主からの命でここに来た」
へたり込んだ私に、彼は転がっていた眼鏡をかけ直してくれた。
「その顔だと、何が起きてるか全くわからねぇ、って感じだな」
こくこくと頷く。まだお互いの名も名乗っていないのに、彼だけはすべてを見透かしたような表情なのが不可解だ。
「お前さんを無事に連れ帰ってこいって命令だ」
慣れた手つきでひょいと持ち上げられた。
「さっさと仕事を終わらせる。行くぞ!」
言い終わりを待たずして、青い男は私を抱えたまま飛び上がり、民家の屋根を次々飛び越えては夜の街を疾走した。
「………!」
声にならぬ声。理解の範疇を超えることが立て続けに起こり、私の頭は逆に冷静さを取り戻していた。
「落ち着き払ってんじゃねぇか。お前さん、大物だな」
「落ち着いてるというか、考えることをやめたというか…」
ぼそりと呟いて、男に掴まる力を強めた。
「でもまあ、何となくだけど、あなたに大人しく従ったほうが良いんだろうなってのはわかるわ」
根拠は無いが。
「さっきの人、ちゃんと救助されたかな」
救急車は10分程で到着すると言っていたが、100%の善意で私に声をかけてくれた人を道に置き去りにするのは非常に心苦しい。
「今は余計なことは考えるな。振り落とされないようにしっかり捕まってな!」
ひゅうひゅうと吹き付ける風の音と、男が地面を蹴る音だけが、しずかな冬木の夜に融けてゆく。
彼の顔をちらりと覗いてみると、耳には銀色のピアスが煌めいていた。
これって、―――
「着いたぞ。」
「ありがとう。あなたの雇い主って、もしかしなくても私の父?」
「まあ、そんなところだ」
「父には聞きたいことが山ほどある。あなたも着いてきて」
彼を伴い、礼拝堂の扉を開けた。
あ、名前、まだ聞いてないや、そういえば。
「待っていたぞ、麻音」
「父さん、聞きたいことがあるんだけど」
「その前にお前にはやって貰わねばならぬことがある」
私の言葉を遮って、近づきながら父が言った。
「随分と良い色になったな。――魂を、食っただけのことはある」
父の手が私の顔に伸びてきて、左眼の周りを撫でつけた。
「…どういうこと?」
返事は無い。
「教えて父さん。私の身体は…私のこの眼は一体、なんなの?」
「それを知りたくば、交換条件だ」
「お前の後ろに居る槍兵と契約し、聖杯戦争に参加しろ、麻音」
私の後ろで黙って話を聞いていた男が、「おっ?」と感嘆なのか驚きなのか、よくわからない反応を示した。
「は?聖杯…何?契約?」
「お前は一言、はいと言えば良い。さすればお前のその眼について、私の知っている全ての情報を教えよう」
思わず後ろをチラリと見た。飄々とした青い男は心做しか楽しそうな表情のままで、口を出してくることは無かった。