ストップ、松囃子!
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一松が強めのM松です。
苦手な方はご注意を!
── ── ── ── ── ──
6 勘違い六つ子リレー
ピンポーン。
「はーい」
ガチャリ。
「あ、ナマエちゃん! 今大丈夫?」
「どうしたのトッティ? なんか用?」
「ねえねえ、ナマエちゃん自撮り棒持ってない?」
「そんなリア充っぽいアイテムはうちにありません」
「ちぇー」
……というやりとりがあったのが七日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「はい?」
「あ、ナマエちゃん! 悪いんだけど、これ預かってくれないかな? 家に置いとくとあいつらに壊されそうで心配で……」
「チョロ松くん、これは?」
「橋本にゃーちゃんの最新アルバムと写真集、ストラップに缶バッジにそれから……」
「いやうち荷物置き場じゃないから!」
「にゃーちゃん! 超絶かわいいよにゃーちゃーん!」
「話聞いてー!」
……ということがあったのが、六日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「ねえ、これ捨ててもらっていい?」
「使用済みのネコ缶は自分で処分しようね、一松くん!」
これが五日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「ねーナマエちゃーん。お金貸してー」
バタン。
これが四日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「オレたちの関係を加速させに来たぜ、マイスイート……」
バタン。施錠してチェーンOK。
これが一昨日。
ピンポガチャリ!
「お邪魔しマッスルマッスル!」
「あ、ちょ、土足だよ十四松くん!!」
「うおおおおお!」
「壁打ちやめて! お願いやめてぇええ!」
これが昨日。
そして今日。私は自宅の居間でラップトップを前に、頭を抱えているのでした。
てかなんなの!! 日替わりで六人順繰りでうちに来るとかなんなの!? 大体ろくでもない用事だし!!
イライラと奴らに対する怒りを募らせつつも、私はまた、別のことで焦りを感じていた。というのも、授業で厄介な課題が出されてしまったからだ。今日明日中には提出できる形にしないといけない。
「はー、今日は誰もきませんように……!」
お願いします、神様仏様赤塚先生。宗派無視であちこちの神へ祈りを捧げては見るけれど。
ピンポーン。
(うっわ……)
祈りも虚しく。今日も悪魔の来訪を告げるチャイムが鳴り響くのでありました。
(……どうしよ)
つい頭を抱えてしまう。あのドアの向こうに、今日も来てるんだろうなぁ、六人の松のどれかが。
しかし、そのとき私の脳裏には素晴らしいアイデアが閃いた。
そうだ。
いちいち律儀に玄関に出て応対しなくてもいいじゃない。
居留守を使えばいいじゃない!!
……ということで。私は息を潜めてやり過ごそうとしてみたのですが。
ピンポンピンポン。
一分経過。
ピンポンピンポンピンポーン。
三分経過!
(しつこい! 今日は一体何松なの!?)
気になるけど、絶対いつも通りろくな用事じゃない。ドアを開けたら最後だ。私は絶対に開けないぞ!
と、思っていたのだけど。
「ねえ、ミョウジさーん! いないのー?」
ドアの向こうから響く声は、聞き覚えのある女の子の声だった。
──────────────
「もう、ミョウジさんいないかと思ったー」
「あ、あははごめんね! トイレ行ってて……」
「もー!」
目の前の女の子は、ぷくっとほっぺたを膨らませている。
彼女は斜辺(しゃべり)まくりさん。隣の部屋の住人で、同じ大学に通っている同級生だ。
その名の通りというか、なんというか……
おしゃべりや噂話が大好きな子なのである。
初対面のときに「しゃべちゃんって呼んで☆」なんて言われたからそう呼んでいるものの、彼女自身からは未だに「ミョウジさん」と他人行儀に呼ばれている。ちょっと寂しい。
「ねえねえ、ミョウジさん。社会学の課題って終わった?」
「えーと、まだだよ?」
「そっかー、残念」
しゃべちゃんは心底残念そうに俯いた。
何で残念そうかって?
私は知っている。彼女が妖怪「課題写させて☆」であることを……!
いやまあ、終わってないのは事実なんだけど。
そもそも社会学のレポートって、自分で題材見つけて論文作る形式だから、題材が同じものを提出するのはまずいと思うんだけどな……
「ねえねえ、それよりミョウジさん!」
気を取り直した様子で、しゃべちゃんが顔を上げる。なんだかワクワクしてるような、そんな表情だ。
「ミョウジさんって、彼氏いるの!?」
「んぶっ! なんで!?」
予想外の角度から繰り出された質問に、一瞬変な声が出た。
彼氏? いきなりどういうこと……?
「だって最近毎日、ミョウジさんの部屋に男の人来てるよね~。彼氏かなと思って。確か、なんとか松くんだっけ?」
あーーーー!
まさかこの子……あの松共を私の彼氏と勘違いしていらっしゃる!
「でも変わった人だよねー。オタクっぽい服の日もあれば革ジャンで来てたり、野球のユニフォームの日もあったよね?」
「あ、あの、えーと……」
うわぁ。服装まで覚えてるなんて、結構見られてたんだ……。
そしてどうやらだけど。
あいつら同じ顔だから、もしかして六人まとめて同一人物と思われてる?
うーん、でもこの状況はまずい。
おしゃべり大好きしゃべちゃんにかかれば、私があのニートと付き合ってることにされかねない。そうなれば、私の学内での評価やら立ち位置やらに多大な影響が……!
とにかくなんでもいい! 誤解を解かなくちゃ!
あんなニートの彼氏なんかいてたまるか!!
「しゃべちゃん、あのね……」
「ハッスルハッスル! マッスルマッスル!」
うそだろ承太郎。
最悪のタイミングで一番まずい松が来ちゃったよ!
アパートの階段を元気にカンカン音を立てて上がってきたのは、青いスーツ姿の十四松くんだった。今日は野球のユニフォームじゃないのね……
「あー! 噂の彼氏くんだー!」
「こんにちは! 誰!」
好奇心むき出しのしゃべちゃん、さっそく十四松くんに興味津々。私はというと冷や汗を流すので精一杯。
「あ、私ミョウジさんの隣の部屋に住んでる斜辺まくりって言いまーす!」
「へーそーなんだ! すっげー! ぼくはじゅうし……」
言いかけた十四松くんを無理矢理引っ張って、少し離れた場所へ持っていく。後ろでしゃべちゃんの「いやーんラブラブー」という一言が聞こえるけど、マジで勘弁して。
「あのね十四松くん」
少し声をひそめながら、私は一部始終を説明する。密談場所は、アパートの一階へ降りる階段の中ほどだ。しゃべちゃんの位置からは死角になっているはず。ここならひそひそ声で話せば、しゃべちゃんには聞こえないだろう。
そんなわけで、かくかくしかじか。
「……というわけなの。ね、十四松くん。私と付き合ってるって思われたくないでしょ?」
「ぼくがナマエねーさんと付き合ってる……?」
ポクポクポクチーン。
「ないねー! ないない!」
ぐっ……こやつ……!
ま、まあいい。私だって付き合ってると思われたくないし、お互いにウィンウィンじゃない。
「いい、十四松くん。付き合ってるのか聞かれたら、全力で否定して。あ、そうだ、家族だっていうことにしようか!」
そうそう、家族家族! 兄弟とか……あ、あとは近くに住んでる従兄弟とか?
ともかく家族や親戚なら、頻繁に家に来てても不自然じゃないよね! 多分!
「うん、分かった!」
「頼んだよ十四松くん!」
お互いにサムズアップして、しゃべちゃんのところへ戻る。
「きゃー、超ラブラブー」
「いや違うからね」
「そうそう、ぼくら付き合ってないよ」
そう! その調子だ十四松くん!
「えー、じゃあ何で毎日ミョウジさんに会いに来るんですかー? あやしーい」
「あのねしゃべちゃん。この人は私の……」
「父です」
……え?
「父です」
「えっ!? お父さん!?」
「娘がいつもお世話になっています」
「えっ、お父さんめっちゃ若くない!?」
いやほんと無理あるから!
……って心の中でつっこみつつ、私は後悔の念でいっぱいでした。もうちょっとちゃんと打ち合わせすれば良かった……!
そんな私の心境いざ知らず。十四松くんは流れるように滔々と、まことしやかに続ける。
「シングルマザーだった彼女の母と最近結婚して、僕はナマエにとって二番目の父になります」
なにその現実味を帯びた無駄に細かい設定! どうしたいつもの狂気のやきゅうキャラは!
「そうだったんだ……ミョウジさん、複雑な家庭の事情があったんだね……」
「あーあー、えーと……」
彼氏云々の疑惑はなくなったけど、これはこれでまずい! 学校でこんな話言いふらされたら、別の意味でキツい!
「ちょっと!」
「うわぉっ!」
再びさっきの場所まで十四松くんの肩を掴んで持っていく。
「十四松くん」
「あい」
「今日確か河川敷で、球団が練習してるらしいよ」
「マジっすか!!」
球団って言ってもチビッコ少年野球団だけどね!
「こうしちゃいられんっす! いってきマッスルマッスル!」
すくっと立ち上がり、そのまま全力でアパートの階段を駆けおりていく十四松くん。
放流完了!
良かった。これ以上彼がここにいると、ただでさえややこしくなった話がさらにこんがらがってしまう。どこかへ行ってもらうのが一番いい。
しゃべちゃんには今から説明して誤解を解こう……
ところがどっこい。
「会いに来たぜ、カラ松Girl……」
いつの間に背後にいたのか。振り返るとそこには松野家次男、松野カラ松。
嘘でしょいつの間にいたんだよ……!
「かかか、カラ松くん!」
「どうしたマイスイート。オレに会えたのがそんなに嬉しかったのかい?」
「逆」
「えっ?」
「逆」
呆気に取られるカラ松くん。そういえば彼も今日は青いスーツ姿だ。革ジャンはどうした。
いやそんなことより!
(まずい……カラ松くんとしゃべちゃんを鉢合わせさせたら、絶対ややこしくなる……! それだけは阻止しないと!)
「はじめましてだな、見知らぬGirl。この出会い、まさに運命……そうデスティニー!」
「さっきとキャラ違うんだけどー。まじうける」
あーーーー!
考えてる間にふっつーに会話してるし! もっと引き留めとけば良かったーーー!!
「あ、ああー! ちょ、ちょっとお父さん!」
お、おのれ! 十四松くん作成の親子設定を引きずらなければならないとは。
呼びかけると案の定、カラ松くんはキョトンとした表情をこちらへ向ける。
「お父さん……?」
「い、いいからちょっとこっちに……」
「何を言っているんだマイハニー?」
「まいはにー?」
「オレはキミの父ではない」
さっきみたいに少し離れた場所に連れて行って事情説明をしようとしたらこれだよ!
ほら見てよしゃべちゃんの疑惑の視線! めっちゃ眉間にシワ寄ってる!
「え、でもさっき父ですって……」
「フッ、ナマエがオレを父のように慕ってくれている気持ちは分かった。オレの匂い立つばかりのダンディズムに、父性を感じてしまったわけだな?」
フフフと気障ったらしく笑うカラ松氏。一松くんがこいつをクソ松と呼ぶ気持ちが、分かった気がする。
「あの、ふたりは一体何なんですか?」
怪訝そうなしゃべちゃんの質問に、私が口を開くよりも前に。
「決まっているだろう。前世より定められし運命の恋人……それ以外に何がある!」
「はあ!!?」
いやおいこらクソ松! さっきしゃべちゃんにもデスティニーだとか何とか言ってたでしょーに!
「うそ……ミョウジさんって義理のお父さんとそういう関係なの……?」
「ち、違う! 違うよ誤解だよ!」
「フッ……まさに禁断の花園……」
「ちょっと黙っててくれないかなぁ!!」
私はカラ松くんの胸倉を掴むと、そのまましゃべちゃんから離れた場所まで持っていく。後ろから「昼ドラ……」というしゃべちゃんのつぶやきが聞こえてきた。ほんと勘弁して。
そして、さっき十四松くんを放流した場所まで戻ると、カラ松くんへ向き直った。
……って、涙目じゃないですか。
うーん、彼にしてみたら急にお父さんとか呼ばれたり胸倉掴まれたり、訳わかんなかっただろうね。私も運命の恋人とか言われて訳わかんなかったけど。
とにかく、彼にはこの場を離れてもらうのが得策だ。しゃべちゃんには冗談だったで通そう……
「あのさ、カラ松くん」
「な、何だ?」
「いつもの橋の所で、全裸のカラ松Girlが待ってるって」
「ほんとか!!」
一瞬にして目尻の涙を引っ込ませて、サングラスを装備すると再びいつものイタイ存在が元気に復活。
「こうしちゃいられない! サービス精神旺盛なカラ松Girlが風邪を引く前に、抱き締めに行って来るとしよう!」
「はーい行ってらっしゃーい」
いや疑えよ。
我ながら無茶な嘘をついたと思いながら、私はダッシュで去っていくカラ松くんの背中を見送るのであった。
さて、しゃべちゃんをどうやってごまかそう……
「あー、いたいた!ナマエちゃーん!」
アパートの階段下から、とってもお気楽な地獄への呼び声がする。
またしても青いスーツを纏って現れたのは……
----------
「いやー、パチンコでスッちゃってさー! お金貸して!」
奇跡のバカ、松野おそ松。
いや、何でこうも入れ替わり立ち代りやってくるわけ!?
「ちょ、ちょっとおそ松くん!」
「えーなになに? 誰かいる? 女の子?」
「待って! ちょっと耳貸して!」
しゃべちゃんに興味津々のおそ松くんをとっ捕まえて、私はひそひそと耳打ちする。
「ごめんけど、今日は帰ってほしい」
「えー、女の子いるのにー? いいじゃん、俺も混ぜてよ~」
「いやまずい状況だから! ほんと帰って!」
お願いします! と手を合わせて頭を下げる。しかしこの松野家長男、引き下がらない。
「まずい状況ってなに? どういうこと?」
「それは……えーと……」
「なぁナマエちゃん。言ってくれたら俺、協力するよ」
いつになく真面目な表情で、おそ松くんが私の顔を覗き込む。
こちらを見つめるその瞳は、実に真剣で。
「じ、実は……」
何とかしてくれるかも。
一縷の望みを賭けて、私はかくかくしかじかと事の顛末を語った。
「なるほどなぁ。つまり、ナマエちゃんは義父と禁断の関係を持っていると思われたってことだろ?」
「うん、改めて状況を整理すると心が痛くなるね」
「よーし、俺に任せとけ!」
おそ松くんはにっかり笑ってみせると、踵を返し、しゃべちゃんのもとへ向かう。
おお……おそ松くんの背中って、こんなに頼もしかったっけ。
「あのー……」
「な、なんですか?」
おそ松くんが話しかけると、しゃべちゃんは肩をビクリと震わせる。うーん、警戒されてるなぁ……
「いや、今までのは冗談冗談! ナマエの父っていうのも、恋人っていうのもぜーんぶ冗談! いやごめんね、鉄板ネタなんだよな俺の!」
「そ、そうなんですか……?」
「そ、そうそう! いやー、ほんとこの人冗談が好きでね~」
私とおそ松くんで畳み掛ける。しゃべちゃんの眉間のシワがやわらいだようだ。
これはいけるか?
「そうだよね、冗談だよね! ミョウジさん真面目だし、絶対そんなことないと思ってたよ~!」
「あ、あはは……」
いやいや、さっきまでマジな表情で信じてたでしょ。
「で、結局どういう知り合いなの?」
あ、やっぱそこの疑問に行き着いちゃうのか。えーと、何て答えたら適切だろう……
あ、もう友達でいいかな。いいよね。
「ともだ……」
「借金取りです」
……は?
「え、ミョウジさん借金?」
「そうそう。しめて五百万」
「五百万!?」
「してないよ借金!?」
いやいきなり何言ってんのこのクソニートは。借金取りと債務者が和気藹々と冗談言い合うわけないでしょ!
「オラオラァ! 五百万耳揃えて返したらんかい!!」
ダンダンダンダン!
そして突如猛然と私の部屋のドアを叩き始めるおそ松くん。いや、借主がここにいるのにドアを叩く意味は一体!
「臓器でも何でも売って俺のパチ代稼いだらんかいボケェ!!」
どさくさに紛れて何言ってんの!?
しゃべちゃん、もはやドン引きしてるし! すっごい後ずさってるし!
「ちょっとこっち来て!! おそ松くんのクソバカ!!」
「あー! バカって言った?バカって言ったー!? 一千万追加だからね!」
喚く大バカを引きずり、私は再び離れた場所へ。財布からおもむろに紙切れを取り出す。
「これあげるからどっか行って」
「これは……宝くじ?」
「そう、当たり券」
三百円のね。
そうとも知らず、おそ松くんは「マジで!? うっひょー!」と大いにはしゃいでくれている。
「やったぜありがとうナマエちゃん! さっそく換金行ってくるわ!」
「はいはい行ってらっしゃい」
おそ松くん、三百円の当たり券を掴み、意気揚々と去っていきました。あーバカでよかった。
問題はしゃべちゃんだ。チラリと彼女の様子を伺うと、気の毒なほど青ざめている。これはまず気を落ち着かせるところから始めないと……
うーん、どうやってなだめたら……
「アニマルセラピーとかいいと思うよ」
「あ、なるほど。動物で和ませるとか結構名案……」
言いながら私は振り返る。
そこには四人目の松。一松くんが猫を抱えて立っていた。
やはり青いスーツを着ている。
「い、いちま……!」
「あー、説明とかいいよ。十四松の時から全部見てたし」
見てたんかい! それはそれで助け舟を出してほしかったなぁ私!
「ねぇ、それはそうと一個聞いていい?」
私は本筋とはあんまり関係ない質問を一つしてみる。
「なんで今日みんなスーツなの?」
そのせいで余計に、しゃべちゃんに全員まとめて同一人物と見なされてる節あるよね。同一人物だと思ってる相手がチグハグすぎる行動してるから、余計怯えと混乱を助長させてる気がする。
「あー、今日母さんに私服全部洗濯されてるからね」
他に着る物がないから、今日の六つ子達は全員青スーツらしい。松代さんも大変だ。
「で、どうする? おれは知らない人と話すの無理だけど……この猫に頼んで、場を和ませてもらおうか?」
「ぜひお願い!」
ほら、女の子って動物好きだし!
一松くんが抱えてるニャンコも愛想良さげな子だし、うまくいきそう。
しかし私の期待を裏切ったのは、提案者である一松くん本人だった。
「ぜひお願い、だって……?」
「え?」
「お願いします、だろ……?」
ドス黒い低音が低姿勢を要求する。
「お、お願いします……」
「お願いします一松さま、だろ?」
「お願いします、一松さま」
あれ、これなんか変な方向行ってない?
「お願いします一松さま、この憐れな雌豚のために、そこで突っ立ってるクソブスに高貴かつ麗しいお猫様を撫でさせておあげください……だろ?」
いやいやいや、おかしいでしょこれ! 絶対おかしい!
「え、何なのこの流れ。何がしたいの一松くん?」
「アアン? 雌豚、テメエおれの言うことが……」
「一松くん、ふざけないで」
十四松くんからの一連のあれこれで、さすがに私も余裕が無くなってきた。この状況を早く終わらせたい一心で、つい言葉にも棘を含んでしまう。
だけど、思えばこれが致命傷だったのかもしれない……
「……もっと」
「え、なに?」
「そういう感じ、もっと!」
はい? どういうこと?
「いやもう、ほんっとふざけないでよ! 今まで見てたんなら分かるでしょ、私が困ってること!」
「もっと口汚く!」
「だから何の要求なのこのバカアホクソニート!」
「それだ!」
一松くんの実に残念なスイッチが、完全起動してしまった。
「もっと罵って!」
「こ、この穀潰し! 燃えないゴミ! 無職童貞クソニート!」
「もっと蔑んで!」
「えーと、バカ! アホ! えーと、特殊性癖!」
「そしておれのケツを蹴る!」
四つん這いになった一松くんの尻へ、指示通り蹴りを入れる。
「こ、こう!?」
「もっと強く!」
「こう!!?」
「まだまだイケる、こんなもんじゃねえだろテメエの責めは!」
「こ、こうなの!?」
「ん、お……今のすっげぇキいた……!」
「気持ち悪いよ一松くん……」
「その目でもっとオナシャス!」
「ひえぇ……気持ち悪いよぉ……変態だよぉ!」
「そんなこと言って……こんなイイ蹴りしちゃってさ、素質あるじゃんナマエちゃん……ンォッ」
「ない!! そんな素質ないから!! お黙り雄豚!! この雄豚!!!」
「ねえミョウジさん……何やってるの?」
「ハッ!」
我に返り振り返る。恐る恐る歩み寄ってきたしゃべちゃんが、明らかに汚物を見る目でこちらを見ていた。
彼女から見た私たちの姿はきっと、さながらSMプレイに興じる下僕と女王様。
嗚呼、何ということでしょう。
私は一松くんの頭おかしい要求にお応えするあまり、しゃべちゃんの誤解を解くという本来の目的を見失ってしまったのです。
得たものは最悪の展開でした。
「しゃ、しゃべちゃん……これは、その……」
「あー、たまんねぇ。義理の親子や借金取りプレイにも応じてくれるなんて、ナマエはんは最高の女王様やでー」
「!!!?」
何言ってくれてんのこのクソニート!?
「やったぜ」みたいな顔しないで! 一体何を成し遂げたというんだ君は!
誰が私の社会的地位を失墜させろなんて言いましたか!?
しゃべちゃん、「歌舞伎町の女王……」とか呟いてるし。完璧に何か勘違いしてるよ!
「ちょっと一松くんこっち」
「んぁ」
一松くんを階段の方へ連れて行く。半ケツ出したまま四つん這いで歩かないでほしい。
彼にも他の三人同様、ここから立ち去ってもらおう。一松くんがこの場にいたところで、私には何の得にもならない。本当に。
「あのさ、二丁目でネコの集会あるらしいよ」
「マジか。あざーっす」
一松くん、半ケツのまま階段を下りていった。彼が連れてきた猫もその後に続く。
彼の姿が見えなくなったところで。
「あ、あの……しゃべちゃん?」
「ヒィッ!」
しゃべちゃんへ向き直ると、もはや犯罪者を見る目で後ずさっているではありませんか。
さっきまで普通の隣人だったのに、どうしてこうなった。
「ミョウジさん、いつもバイトとか頑張ってると思ってたけど……」
しゃべちゃんが、時折言葉に詰まりながら告げる。
「い、いくらお金に困ってるからって、そんなふしだらな仕事する人だと思わなかった……!」
「ち、違うの!誤解なんだっ……」
て。
最後の一文字を言い終わる前に、五人目はやってきた。
──────────────
「ナマエちゃーん!」
またしても青いジャケット。猫耳をつけて現れたのは、自称常識人の彼だった。
「見てーナマエちゃーん! にゃーちゃんがステージで実際につけた猫耳だよー! 限定五百個定価二万円で競争率高かったけど無事に入手できたよー! にゃんにゃんにゃんにゃー!」
よりによって今日はポンコツモードのチョロ松くん!
「あー! 5キロ先に全裸の橋本にゃーちゃんが!!」
「ロシアンにゃーー!」
よし、クソ童貞の誘導に成功! バイバイチョロ松くん!
「い、今のにゃーっていうのもプレイの一環……?」
「違う! 全然違う!」
あぁあ、せっかく撃退成功したのに、誤解がさらに深まってる!
「やっほーナマエちゃーん。見て見て、結局自撮り棒買っちゃったー」
そしてついに六人目! お気楽に登場したトッティがにくらしい。
「うあー! もうなんだってアンタ達はー!」
「え、何? めっちゃおこだねナマエちゃん!」
トッティには何の罪も無いけど、思わず鬱憤をぶつけてしまう。
そんな私たち二人を戦慄の眼差しで見つめながら。しゃべちゃんはぽつりと一言。
「あ……あの自撮り棒を一体何に……?」
「ちょっと待って!?」
彼女がまるで「いかがわしい目的で使うんでしょ、うん私知ってる」とでも言いたげな目で見てくるものだから。私はなりふり構わず全力で弁解に走った。
「ち、違う! 違うんだって! ほらこれ自撮り棒! 従来難しかったセルフ写真もインカメラで構図を確認しながら楽々撮影できるアイテムだよ! それ以上でもそれ以下でもないんだよ!」
「ほら見てー、これ2メートルも伸びるんだよ~」
「2メートルも伸びて一体何を!?」
「しゃべちゃん!! しっかりして!!」
いよいよ思考がおかしなことになってきたしゃべちゃん。ああもうこれ、修復不可能なのかな……!
「ねえねえ、キミ誰? ナマエちゃんの友達?」
そしてこの状況で呑気にしゃべちゃんへ話しかけるトッティ。
そうか。彼はこの狂った空間で繰り広げられた、不毛な六つ子リレーの顛末を知らないのだ。彼にとって今の状況は、ただ女の子と知り合うチャンスでしかなく。
「ねえねえ、名前なんて言うの? ナマエちゃんと同じ大学?」
「あ、あの……私さっき名乗りましたけど……」
しゃべちゃん、二回も名前を聞かれたことに、つい軽蔑の気持ちを忘れてキョトン顔だ。
そっか……。
彼女にとっては、今までここを訪れた六人の悪魔は同一人物。
さすがにここで綻びが出たか。
「え、なに? ぼく今ここに来たばかりだけど……」
「え、えーと……」
困惑しているトッティと、混乱しているしゃべちゃん。
もう、一から説明した方がいいよね。
彼らが六つ子であること、今ここで起きた顛末の解説、そして彼らが私にとってただの知り合いであること。
これらの事柄を、丁寧に正直に、語るしかない。そうすることでしか、この状況を突破できそうにない。
きっと説明は長丁場になることだろう。
そんなことを覚悟したのも。
本当につかの間だった。
「ナマエちゃーん……」
地の底から這うような、そんな声音が背後から。
でも、私の背中にあるのは二階通路の手すりだけだ。手すりの向こうには足場はない。人間が階段無しにここまで上がって来れるはずが……
「ミョウジさん……後ろ……!!」
私の背後を指差すしゃべちゃん。
その顔が、恐怖で引きつっている。
恐る恐る、振り返った。
「よくも騙したなナマエちゃん……!」
「ただいマッスルマッスル!」
手すりをよじ登る、夢破れた屍たち。一人生き生きしてるやつがいるけど、一様に手すりにぶらさがり、ゾンビのような挙動で蠢いている。
「宝くじ三百円しか当たって無かったんだけどぉ~……」
「全裸のにゃーちゃんなんていなかったんだけどぉ……」
「全裸のイヤミしかいなかったぜぇ……」
「別の意味のネコしかいなかったんだけどぉ……」
「やきゅうすっげー楽しかったー!!」
それぞれに恨み言を吐き出しながら、ゾンビ達は手すり登りきり、アパートの通路へベチャベチャと落下する。どうでもいいけど、一松くんはどこの二丁目に行ってきたんだ。
「うっ……」
耐えきれなくなったのか。
しゃべちゃんが、泡を吹きながら仰向けに倒れこんだ。
「クローン人間の……ゾンビ……」
それが彼女の最後の言葉だった。
「しゃ、しゃべちゃん? しゃべちゃん!?」
「おーいナマエちゃーん……」
「人の心配してる場合……?」
「ゼッタイニユルサナイ……」
「ま、待って! とりあえず私の話を……!」
ゾンビ松達へ話し合いを持ちかける。
だけどもちろん無意味!
私の言葉に耳も貸さず、ゾンビ達は一斉に飛びかかった!
「嘘ついてんじゃねええええ!!」
「ご、ごめんなさーーーい!!」
そして修羅場と化す、アパートの通路の一角。
ティロリン☆
「うん、よく撮れてる!」
買って良かったなぁ、自撮り棒。
早速自撮り棒を試し、一人大満足のトッティくん。
可愛らしくウインクしている彼の写真の背景は、バイオハザード一色でしたとさ。
数日後。
「ねえ、ちょっとみんな聞いて!」
人もまばらな大学の教室。
今まさにその教室へ入ろうとしていた私は、思わず足を止め、扉の後ろへ身を隠した。
教室の中で声を上げて周囲の耳目を集めているのは、斜辺まくりさんだ。
「ねえねえ、ミョウジナマエさんっているじゃん!」
「いるねー」
「アパートの隣の子でしょ?」
うわぁ。私の話してるよ。絶対あの話だよ。死のう。
「で、ミョウジさんがどうしたの?」
「あの子すごいの!ヤバイの!」
「ヤバイってなに?」
「もー、とにかくヤバイの!ヤバイんだって!」
「いや全然分かんないし……」
「だからぁ……えーと……」
しゃべちゃん、しばらく押し黙っていたかと思うと、意を決したように口を開き、怒涛のようにしゃべり出す。
「あの子、義理のお父さんと禁断の花園で借金取りに追われてて、歌舞伎町の女王してるかと思ったら猫耳で自撮り棒2メートルでクローン人間のゾンビと六股してるの!!!」
「…………」
教室を沈黙が支配する。
「……あんた何言ってんの?」
「だからぁ、義理の花園で……」
「しゃべ子さぁ、訳わかんないこと言ってる暇あったら課題やんなよ。そろそろ提出しなきゃヤバイよ?」
「もー!ほんとなのにー!」
やった!!
誰も信じてないよやったー!!
そうだよね。あんな展開、ちゃんと正確に他人へ伝えるなんて、絶対無理!
こうして大学における私の社会的地位は、一命を取り留めたのでした。
ちゃんちゃん。
一松が強めのM松です。
苦手な方はご注意を!
── ── ── ── ── ──
6 勘違い六つ子リレー
ピンポーン。
「はーい」
ガチャリ。
「あ、ナマエちゃん! 今大丈夫?」
「どうしたのトッティ? なんか用?」
「ねえねえ、ナマエちゃん自撮り棒持ってない?」
「そんなリア充っぽいアイテムはうちにありません」
「ちぇー」
……というやりとりがあったのが七日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「はい?」
「あ、ナマエちゃん! 悪いんだけど、これ預かってくれないかな? 家に置いとくとあいつらに壊されそうで心配で……」
「チョロ松くん、これは?」
「橋本にゃーちゃんの最新アルバムと写真集、ストラップに缶バッジにそれから……」
「いやうち荷物置き場じゃないから!」
「にゃーちゃん! 超絶かわいいよにゃーちゃーん!」
「話聞いてー!」
……ということがあったのが、六日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「ねえ、これ捨ててもらっていい?」
「使用済みのネコ缶は自分で処分しようね、一松くん!」
これが五日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「ねーナマエちゃーん。お金貸してー」
バタン。
これが四日前。
ピンポーン。
ガチャリ。
「オレたちの関係を加速させに来たぜ、マイスイート……」
バタン。施錠してチェーンOK。
これが一昨日。
ピンポガチャリ!
「お邪魔しマッスルマッスル!」
「あ、ちょ、土足だよ十四松くん!!」
「うおおおおお!」
「壁打ちやめて! お願いやめてぇええ!」
これが昨日。
そして今日。私は自宅の居間でラップトップを前に、頭を抱えているのでした。
てかなんなの!! 日替わりで六人順繰りでうちに来るとかなんなの!? 大体ろくでもない用事だし!!
イライラと奴らに対する怒りを募らせつつも、私はまた、別のことで焦りを感じていた。というのも、授業で厄介な課題が出されてしまったからだ。今日明日中には提出できる形にしないといけない。
「はー、今日は誰もきませんように……!」
お願いします、神様仏様赤塚先生。宗派無視であちこちの神へ祈りを捧げては見るけれど。
ピンポーン。
(うっわ……)
祈りも虚しく。今日も悪魔の来訪を告げるチャイムが鳴り響くのでありました。
(……どうしよ)
つい頭を抱えてしまう。あのドアの向こうに、今日も来てるんだろうなぁ、六人の松のどれかが。
しかし、そのとき私の脳裏には素晴らしいアイデアが閃いた。
そうだ。
いちいち律儀に玄関に出て応対しなくてもいいじゃない。
居留守を使えばいいじゃない!!
……ということで。私は息を潜めてやり過ごそうとしてみたのですが。
ピンポンピンポン。
一分経過。
ピンポンピンポンピンポーン。
三分経過!
(しつこい! 今日は一体何松なの!?)
気になるけど、絶対いつも通りろくな用事じゃない。ドアを開けたら最後だ。私は絶対に開けないぞ!
と、思っていたのだけど。
「ねえ、ミョウジさーん! いないのー?」
ドアの向こうから響く声は、聞き覚えのある女の子の声だった。
──────────────
「もう、ミョウジさんいないかと思ったー」
「あ、あははごめんね! トイレ行ってて……」
「もー!」
目の前の女の子は、ぷくっとほっぺたを膨らませている。
彼女は斜辺(しゃべり)まくりさん。隣の部屋の住人で、同じ大学に通っている同級生だ。
その名の通りというか、なんというか……
おしゃべりや噂話が大好きな子なのである。
初対面のときに「しゃべちゃんって呼んで☆」なんて言われたからそう呼んでいるものの、彼女自身からは未だに「ミョウジさん」と他人行儀に呼ばれている。ちょっと寂しい。
「ねえねえ、ミョウジさん。社会学の課題って終わった?」
「えーと、まだだよ?」
「そっかー、残念」
しゃべちゃんは心底残念そうに俯いた。
何で残念そうかって?
私は知っている。彼女が妖怪「課題写させて☆」であることを……!
いやまあ、終わってないのは事実なんだけど。
そもそも社会学のレポートって、自分で題材見つけて論文作る形式だから、題材が同じものを提出するのはまずいと思うんだけどな……
「ねえねえ、それよりミョウジさん!」
気を取り直した様子で、しゃべちゃんが顔を上げる。なんだかワクワクしてるような、そんな表情だ。
「ミョウジさんって、彼氏いるの!?」
「んぶっ! なんで!?」
予想外の角度から繰り出された質問に、一瞬変な声が出た。
彼氏? いきなりどういうこと……?
「だって最近毎日、ミョウジさんの部屋に男の人来てるよね~。彼氏かなと思って。確か、なんとか松くんだっけ?」
あーーーー!
まさかこの子……あの松共を私の彼氏と勘違いしていらっしゃる!
「でも変わった人だよねー。オタクっぽい服の日もあれば革ジャンで来てたり、野球のユニフォームの日もあったよね?」
「あ、あの、えーと……」
うわぁ。服装まで覚えてるなんて、結構見られてたんだ……。
そしてどうやらだけど。
あいつら同じ顔だから、もしかして六人まとめて同一人物と思われてる?
うーん、でもこの状況はまずい。
おしゃべり大好きしゃべちゃんにかかれば、私があのニートと付き合ってることにされかねない。そうなれば、私の学内での評価やら立ち位置やらに多大な影響が……!
とにかくなんでもいい! 誤解を解かなくちゃ!
あんなニートの彼氏なんかいてたまるか!!
「しゃべちゃん、あのね……」
「ハッスルハッスル! マッスルマッスル!」
うそだろ承太郎。
最悪のタイミングで一番まずい松が来ちゃったよ!
アパートの階段を元気にカンカン音を立てて上がってきたのは、青いスーツ姿の十四松くんだった。今日は野球のユニフォームじゃないのね……
「あー! 噂の彼氏くんだー!」
「こんにちは! 誰!」
好奇心むき出しのしゃべちゃん、さっそく十四松くんに興味津々。私はというと冷や汗を流すので精一杯。
「あ、私ミョウジさんの隣の部屋に住んでる斜辺まくりって言いまーす!」
「へーそーなんだ! すっげー! ぼくはじゅうし……」
言いかけた十四松くんを無理矢理引っ張って、少し離れた場所へ持っていく。後ろでしゃべちゃんの「いやーんラブラブー」という一言が聞こえるけど、マジで勘弁して。
「あのね十四松くん」
少し声をひそめながら、私は一部始終を説明する。密談場所は、アパートの一階へ降りる階段の中ほどだ。しゃべちゃんの位置からは死角になっているはず。ここならひそひそ声で話せば、しゃべちゃんには聞こえないだろう。
そんなわけで、かくかくしかじか。
「……というわけなの。ね、十四松くん。私と付き合ってるって思われたくないでしょ?」
「ぼくがナマエねーさんと付き合ってる……?」
ポクポクポクチーン。
「ないねー! ないない!」
ぐっ……こやつ……!
ま、まあいい。私だって付き合ってると思われたくないし、お互いにウィンウィンじゃない。
「いい、十四松くん。付き合ってるのか聞かれたら、全力で否定して。あ、そうだ、家族だっていうことにしようか!」
そうそう、家族家族! 兄弟とか……あ、あとは近くに住んでる従兄弟とか?
ともかく家族や親戚なら、頻繁に家に来てても不自然じゃないよね! 多分!
「うん、分かった!」
「頼んだよ十四松くん!」
お互いにサムズアップして、しゃべちゃんのところへ戻る。
「きゃー、超ラブラブー」
「いや違うからね」
「そうそう、ぼくら付き合ってないよ」
そう! その調子だ十四松くん!
「えー、じゃあ何で毎日ミョウジさんに会いに来るんですかー? あやしーい」
「あのねしゃべちゃん。この人は私の……」
「父です」
……え?
「父です」
「えっ!? お父さん!?」
「娘がいつもお世話になっています」
「えっ、お父さんめっちゃ若くない!?」
いやほんと無理あるから!
……って心の中でつっこみつつ、私は後悔の念でいっぱいでした。もうちょっとちゃんと打ち合わせすれば良かった……!
そんな私の心境いざ知らず。十四松くんは流れるように滔々と、まことしやかに続ける。
「シングルマザーだった彼女の母と最近結婚して、僕はナマエにとって二番目の父になります」
なにその現実味を帯びた無駄に細かい設定! どうしたいつもの狂気のやきゅうキャラは!
「そうだったんだ……ミョウジさん、複雑な家庭の事情があったんだね……」
「あーあー、えーと……」
彼氏云々の疑惑はなくなったけど、これはこれでまずい! 学校でこんな話言いふらされたら、別の意味でキツい!
「ちょっと!」
「うわぉっ!」
再びさっきの場所まで十四松くんの肩を掴んで持っていく。
「十四松くん」
「あい」
「今日確か河川敷で、球団が練習してるらしいよ」
「マジっすか!!」
球団って言ってもチビッコ少年野球団だけどね!
「こうしちゃいられんっす! いってきマッスルマッスル!」
すくっと立ち上がり、そのまま全力でアパートの階段を駆けおりていく十四松くん。
放流完了!
良かった。これ以上彼がここにいると、ただでさえややこしくなった話がさらにこんがらがってしまう。どこかへ行ってもらうのが一番いい。
しゃべちゃんには今から説明して誤解を解こう……
ところがどっこい。
「会いに来たぜ、カラ松Girl……」
いつの間に背後にいたのか。振り返るとそこには松野家次男、松野カラ松。
嘘でしょいつの間にいたんだよ……!
「かかか、カラ松くん!」
「どうしたマイスイート。オレに会えたのがそんなに嬉しかったのかい?」
「逆」
「えっ?」
「逆」
呆気に取られるカラ松くん。そういえば彼も今日は青いスーツ姿だ。革ジャンはどうした。
いやそんなことより!
(まずい……カラ松くんとしゃべちゃんを鉢合わせさせたら、絶対ややこしくなる……! それだけは阻止しないと!)
「はじめましてだな、見知らぬGirl。この出会い、まさに運命……そうデスティニー!」
「さっきとキャラ違うんだけどー。まじうける」
あーーーー!
考えてる間にふっつーに会話してるし! もっと引き留めとけば良かったーーー!!
「あ、ああー! ちょ、ちょっとお父さん!」
お、おのれ! 十四松くん作成の親子設定を引きずらなければならないとは。
呼びかけると案の定、カラ松くんはキョトンとした表情をこちらへ向ける。
「お父さん……?」
「い、いいからちょっとこっちに……」
「何を言っているんだマイハニー?」
「まいはにー?」
「オレはキミの父ではない」
さっきみたいに少し離れた場所に連れて行って事情説明をしようとしたらこれだよ!
ほら見てよしゃべちゃんの疑惑の視線! めっちゃ眉間にシワ寄ってる!
「え、でもさっき父ですって……」
「フッ、ナマエがオレを父のように慕ってくれている気持ちは分かった。オレの匂い立つばかりのダンディズムに、父性を感じてしまったわけだな?」
フフフと気障ったらしく笑うカラ松氏。一松くんがこいつをクソ松と呼ぶ気持ちが、分かった気がする。
「あの、ふたりは一体何なんですか?」
怪訝そうなしゃべちゃんの質問に、私が口を開くよりも前に。
「決まっているだろう。前世より定められし運命の恋人……それ以外に何がある!」
「はあ!!?」
いやおいこらクソ松! さっきしゃべちゃんにもデスティニーだとか何とか言ってたでしょーに!
「うそ……ミョウジさんって義理のお父さんとそういう関係なの……?」
「ち、違う! 違うよ誤解だよ!」
「フッ……まさに禁断の花園……」
「ちょっと黙っててくれないかなぁ!!」
私はカラ松くんの胸倉を掴むと、そのまましゃべちゃんから離れた場所まで持っていく。後ろから「昼ドラ……」というしゃべちゃんのつぶやきが聞こえてきた。ほんと勘弁して。
そして、さっき十四松くんを放流した場所まで戻ると、カラ松くんへ向き直った。
……って、涙目じゃないですか。
うーん、彼にしてみたら急にお父さんとか呼ばれたり胸倉掴まれたり、訳わかんなかっただろうね。私も運命の恋人とか言われて訳わかんなかったけど。
とにかく、彼にはこの場を離れてもらうのが得策だ。しゃべちゃんには冗談だったで通そう……
「あのさ、カラ松くん」
「な、何だ?」
「いつもの橋の所で、全裸のカラ松Girlが待ってるって」
「ほんとか!!」
一瞬にして目尻の涙を引っ込ませて、サングラスを装備すると再びいつものイタイ存在が元気に復活。
「こうしちゃいられない! サービス精神旺盛なカラ松Girlが風邪を引く前に、抱き締めに行って来るとしよう!」
「はーい行ってらっしゃーい」
いや疑えよ。
我ながら無茶な嘘をついたと思いながら、私はダッシュで去っていくカラ松くんの背中を見送るのであった。
さて、しゃべちゃんをどうやってごまかそう……
「あー、いたいた!ナマエちゃーん!」
アパートの階段下から、とってもお気楽な地獄への呼び声がする。
またしても青いスーツを纏って現れたのは……
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「いやー、パチンコでスッちゃってさー! お金貸して!」
奇跡のバカ、松野おそ松。
いや、何でこうも入れ替わり立ち代りやってくるわけ!?
「ちょ、ちょっとおそ松くん!」
「えーなになに? 誰かいる? 女の子?」
「待って! ちょっと耳貸して!」
しゃべちゃんに興味津々のおそ松くんをとっ捕まえて、私はひそひそと耳打ちする。
「ごめんけど、今日は帰ってほしい」
「えー、女の子いるのにー? いいじゃん、俺も混ぜてよ~」
「いやまずい状況だから! ほんと帰って!」
お願いします! と手を合わせて頭を下げる。しかしこの松野家長男、引き下がらない。
「まずい状況ってなに? どういうこと?」
「それは……えーと……」
「なぁナマエちゃん。言ってくれたら俺、協力するよ」
いつになく真面目な表情で、おそ松くんが私の顔を覗き込む。
こちらを見つめるその瞳は、実に真剣で。
「じ、実は……」
何とかしてくれるかも。
一縷の望みを賭けて、私はかくかくしかじかと事の顛末を語った。
「なるほどなぁ。つまり、ナマエちゃんは義父と禁断の関係を持っていると思われたってことだろ?」
「うん、改めて状況を整理すると心が痛くなるね」
「よーし、俺に任せとけ!」
おそ松くんはにっかり笑ってみせると、踵を返し、しゃべちゃんのもとへ向かう。
おお……おそ松くんの背中って、こんなに頼もしかったっけ。
「あのー……」
「な、なんですか?」
おそ松くんが話しかけると、しゃべちゃんは肩をビクリと震わせる。うーん、警戒されてるなぁ……
「いや、今までのは冗談冗談! ナマエの父っていうのも、恋人っていうのもぜーんぶ冗談! いやごめんね、鉄板ネタなんだよな俺の!」
「そ、そうなんですか……?」
「そ、そうそう! いやー、ほんとこの人冗談が好きでね~」
私とおそ松くんで畳み掛ける。しゃべちゃんの眉間のシワがやわらいだようだ。
これはいけるか?
「そうだよね、冗談だよね! ミョウジさん真面目だし、絶対そんなことないと思ってたよ~!」
「あ、あはは……」
いやいや、さっきまでマジな表情で信じてたでしょ。
「で、結局どういう知り合いなの?」
あ、やっぱそこの疑問に行き着いちゃうのか。えーと、何て答えたら適切だろう……
あ、もう友達でいいかな。いいよね。
「ともだ……」
「借金取りです」
……は?
「え、ミョウジさん借金?」
「そうそう。しめて五百万」
「五百万!?」
「してないよ借金!?」
いやいきなり何言ってんのこのクソニートは。借金取りと債務者が和気藹々と冗談言い合うわけないでしょ!
「オラオラァ! 五百万耳揃えて返したらんかい!!」
ダンダンダンダン!
そして突如猛然と私の部屋のドアを叩き始めるおそ松くん。いや、借主がここにいるのにドアを叩く意味は一体!
「臓器でも何でも売って俺のパチ代稼いだらんかいボケェ!!」
どさくさに紛れて何言ってんの!?
しゃべちゃん、もはやドン引きしてるし! すっごい後ずさってるし!
「ちょっとこっち来て!! おそ松くんのクソバカ!!」
「あー! バカって言った?バカって言ったー!? 一千万追加だからね!」
喚く大バカを引きずり、私は再び離れた場所へ。財布からおもむろに紙切れを取り出す。
「これあげるからどっか行って」
「これは……宝くじ?」
「そう、当たり券」
三百円のね。
そうとも知らず、おそ松くんは「マジで!? うっひょー!」と大いにはしゃいでくれている。
「やったぜありがとうナマエちゃん! さっそく換金行ってくるわ!」
「はいはい行ってらっしゃい」
おそ松くん、三百円の当たり券を掴み、意気揚々と去っていきました。あーバカでよかった。
問題はしゃべちゃんだ。チラリと彼女の様子を伺うと、気の毒なほど青ざめている。これはまず気を落ち着かせるところから始めないと……
うーん、どうやってなだめたら……
「アニマルセラピーとかいいと思うよ」
「あ、なるほど。動物で和ませるとか結構名案……」
言いながら私は振り返る。
そこには四人目の松。一松くんが猫を抱えて立っていた。
やはり青いスーツを着ている。
「い、いちま……!」
「あー、説明とかいいよ。十四松の時から全部見てたし」
見てたんかい! それはそれで助け舟を出してほしかったなぁ私!
「ねぇ、それはそうと一個聞いていい?」
私は本筋とはあんまり関係ない質問を一つしてみる。
「なんで今日みんなスーツなの?」
そのせいで余計に、しゃべちゃんに全員まとめて同一人物と見なされてる節あるよね。同一人物だと思ってる相手がチグハグすぎる行動してるから、余計怯えと混乱を助長させてる気がする。
「あー、今日母さんに私服全部洗濯されてるからね」
他に着る物がないから、今日の六つ子達は全員青スーツらしい。松代さんも大変だ。
「で、どうする? おれは知らない人と話すの無理だけど……この猫に頼んで、場を和ませてもらおうか?」
「ぜひお願い!」
ほら、女の子って動物好きだし!
一松くんが抱えてるニャンコも愛想良さげな子だし、うまくいきそう。
しかし私の期待を裏切ったのは、提案者である一松くん本人だった。
「ぜひお願い、だって……?」
「え?」
「お願いします、だろ……?」
ドス黒い低音が低姿勢を要求する。
「お、お願いします……」
「お願いします一松さま、だろ?」
「お願いします、一松さま」
あれ、これなんか変な方向行ってない?
「お願いします一松さま、この憐れな雌豚のために、そこで突っ立ってるクソブスに高貴かつ麗しいお猫様を撫でさせておあげください……だろ?」
いやいやいや、おかしいでしょこれ! 絶対おかしい!
「え、何なのこの流れ。何がしたいの一松くん?」
「アアン? 雌豚、テメエおれの言うことが……」
「一松くん、ふざけないで」
十四松くんからの一連のあれこれで、さすがに私も余裕が無くなってきた。この状況を早く終わらせたい一心で、つい言葉にも棘を含んでしまう。
だけど、思えばこれが致命傷だったのかもしれない……
「……もっと」
「え、なに?」
「そういう感じ、もっと!」
はい? どういうこと?
「いやもう、ほんっとふざけないでよ! 今まで見てたんなら分かるでしょ、私が困ってること!」
「もっと口汚く!」
「だから何の要求なのこのバカアホクソニート!」
「それだ!」
一松くんの実に残念なスイッチが、完全起動してしまった。
「もっと罵って!」
「こ、この穀潰し! 燃えないゴミ! 無職童貞クソニート!」
「もっと蔑んで!」
「えーと、バカ! アホ! えーと、特殊性癖!」
「そしておれのケツを蹴る!」
四つん這いになった一松くんの尻へ、指示通り蹴りを入れる。
「こ、こう!?」
「もっと強く!」
「こう!!?」
「まだまだイケる、こんなもんじゃねえだろテメエの責めは!」
「こ、こうなの!?」
「ん、お……今のすっげぇキいた……!」
「気持ち悪いよ一松くん……」
「その目でもっとオナシャス!」
「ひえぇ……気持ち悪いよぉ……変態だよぉ!」
「そんなこと言って……こんなイイ蹴りしちゃってさ、素質あるじゃんナマエちゃん……ンォッ」
「ない!! そんな素質ないから!! お黙り雄豚!! この雄豚!!!」
「ねえミョウジさん……何やってるの?」
「ハッ!」
我に返り振り返る。恐る恐る歩み寄ってきたしゃべちゃんが、明らかに汚物を見る目でこちらを見ていた。
彼女から見た私たちの姿はきっと、さながらSMプレイに興じる下僕と女王様。
嗚呼、何ということでしょう。
私は一松くんの頭おかしい要求にお応えするあまり、しゃべちゃんの誤解を解くという本来の目的を見失ってしまったのです。
得たものは最悪の展開でした。
「しゃ、しゃべちゃん……これは、その……」
「あー、たまんねぇ。義理の親子や借金取りプレイにも応じてくれるなんて、ナマエはんは最高の女王様やでー」
「!!!?」
何言ってくれてんのこのクソニート!?
「やったぜ」みたいな顔しないで! 一体何を成し遂げたというんだ君は!
誰が私の社会的地位を失墜させろなんて言いましたか!?
しゃべちゃん、「歌舞伎町の女王……」とか呟いてるし。完璧に何か勘違いしてるよ!
「ちょっと一松くんこっち」
「んぁ」
一松くんを階段の方へ連れて行く。半ケツ出したまま四つん這いで歩かないでほしい。
彼にも他の三人同様、ここから立ち去ってもらおう。一松くんがこの場にいたところで、私には何の得にもならない。本当に。
「あのさ、二丁目でネコの集会あるらしいよ」
「マジか。あざーっす」
一松くん、半ケツのまま階段を下りていった。彼が連れてきた猫もその後に続く。
彼の姿が見えなくなったところで。
「あ、あの……しゃべちゃん?」
「ヒィッ!」
しゃべちゃんへ向き直ると、もはや犯罪者を見る目で後ずさっているではありませんか。
さっきまで普通の隣人だったのに、どうしてこうなった。
「ミョウジさん、いつもバイトとか頑張ってると思ってたけど……」
しゃべちゃんが、時折言葉に詰まりながら告げる。
「い、いくらお金に困ってるからって、そんなふしだらな仕事する人だと思わなかった……!」
「ち、違うの!誤解なんだっ……」
て。
最後の一文字を言い終わる前に、五人目はやってきた。
──────────────
「ナマエちゃーん!」
またしても青いジャケット。猫耳をつけて現れたのは、自称常識人の彼だった。
「見てーナマエちゃーん! にゃーちゃんがステージで実際につけた猫耳だよー! 限定五百個定価二万円で競争率高かったけど無事に入手できたよー! にゃんにゃんにゃんにゃー!」
よりによって今日はポンコツモードのチョロ松くん!
「あー! 5キロ先に全裸の橋本にゃーちゃんが!!」
「ロシアンにゃーー!」
よし、クソ童貞の誘導に成功! バイバイチョロ松くん!
「い、今のにゃーっていうのもプレイの一環……?」
「違う! 全然違う!」
あぁあ、せっかく撃退成功したのに、誤解がさらに深まってる!
「やっほーナマエちゃーん。見て見て、結局自撮り棒買っちゃったー」
そしてついに六人目! お気楽に登場したトッティがにくらしい。
「うあー! もうなんだってアンタ達はー!」
「え、何? めっちゃおこだねナマエちゃん!」
トッティには何の罪も無いけど、思わず鬱憤をぶつけてしまう。
そんな私たち二人を戦慄の眼差しで見つめながら。しゃべちゃんはぽつりと一言。
「あ……あの自撮り棒を一体何に……?」
「ちょっと待って!?」
彼女がまるで「いかがわしい目的で使うんでしょ、うん私知ってる」とでも言いたげな目で見てくるものだから。私はなりふり構わず全力で弁解に走った。
「ち、違う! 違うんだって! ほらこれ自撮り棒! 従来難しかったセルフ写真もインカメラで構図を確認しながら楽々撮影できるアイテムだよ! それ以上でもそれ以下でもないんだよ!」
「ほら見てー、これ2メートルも伸びるんだよ~」
「2メートルも伸びて一体何を!?」
「しゃべちゃん!! しっかりして!!」
いよいよ思考がおかしなことになってきたしゃべちゃん。ああもうこれ、修復不可能なのかな……!
「ねえねえ、キミ誰? ナマエちゃんの友達?」
そしてこの状況で呑気にしゃべちゃんへ話しかけるトッティ。
そうか。彼はこの狂った空間で繰り広げられた、不毛な六つ子リレーの顛末を知らないのだ。彼にとって今の状況は、ただ女の子と知り合うチャンスでしかなく。
「ねえねえ、名前なんて言うの? ナマエちゃんと同じ大学?」
「あ、あの……私さっき名乗りましたけど……」
しゃべちゃん、二回も名前を聞かれたことに、つい軽蔑の気持ちを忘れてキョトン顔だ。
そっか……。
彼女にとっては、今までここを訪れた六人の悪魔は同一人物。
さすがにここで綻びが出たか。
「え、なに? ぼく今ここに来たばかりだけど……」
「え、えーと……」
困惑しているトッティと、混乱しているしゃべちゃん。
もう、一から説明した方がいいよね。
彼らが六つ子であること、今ここで起きた顛末の解説、そして彼らが私にとってただの知り合いであること。
これらの事柄を、丁寧に正直に、語るしかない。そうすることでしか、この状況を突破できそうにない。
きっと説明は長丁場になることだろう。
そんなことを覚悟したのも。
本当につかの間だった。
「ナマエちゃーん……」
地の底から這うような、そんな声音が背後から。
でも、私の背中にあるのは二階通路の手すりだけだ。手すりの向こうには足場はない。人間が階段無しにここまで上がって来れるはずが……
「ミョウジさん……後ろ……!!」
私の背後を指差すしゃべちゃん。
その顔が、恐怖で引きつっている。
恐る恐る、振り返った。
「よくも騙したなナマエちゃん……!」
「ただいマッスルマッスル!」
手すりをよじ登る、夢破れた屍たち。一人生き生きしてるやつがいるけど、一様に手すりにぶらさがり、ゾンビのような挙動で蠢いている。
「宝くじ三百円しか当たって無かったんだけどぉ~……」
「全裸のにゃーちゃんなんていなかったんだけどぉ……」
「全裸のイヤミしかいなかったぜぇ……」
「別の意味のネコしかいなかったんだけどぉ……」
「やきゅうすっげー楽しかったー!!」
それぞれに恨み言を吐き出しながら、ゾンビ達は手すり登りきり、アパートの通路へベチャベチャと落下する。どうでもいいけど、一松くんはどこの二丁目に行ってきたんだ。
「うっ……」
耐えきれなくなったのか。
しゃべちゃんが、泡を吹きながら仰向けに倒れこんだ。
「クローン人間の……ゾンビ……」
それが彼女の最後の言葉だった。
「しゃ、しゃべちゃん? しゃべちゃん!?」
「おーいナマエちゃーん……」
「人の心配してる場合……?」
「ゼッタイニユルサナイ……」
「ま、待って! とりあえず私の話を……!」
ゾンビ松達へ話し合いを持ちかける。
だけどもちろん無意味!
私の言葉に耳も貸さず、ゾンビ達は一斉に飛びかかった!
「嘘ついてんじゃねええええ!!」
「ご、ごめんなさーーーい!!」
そして修羅場と化す、アパートの通路の一角。
ティロリン☆
「うん、よく撮れてる!」
買って良かったなぁ、自撮り棒。
早速自撮り棒を試し、一人大満足のトッティくん。
可愛らしくウインクしている彼の写真の背景は、バイオハザード一色でしたとさ。
数日後。
「ねえ、ちょっとみんな聞いて!」
人もまばらな大学の教室。
今まさにその教室へ入ろうとしていた私は、思わず足を止め、扉の後ろへ身を隠した。
教室の中で声を上げて周囲の耳目を集めているのは、斜辺まくりさんだ。
「ねえねえ、ミョウジナマエさんっているじゃん!」
「いるねー」
「アパートの隣の子でしょ?」
うわぁ。私の話してるよ。絶対あの話だよ。死のう。
「で、ミョウジさんがどうしたの?」
「あの子すごいの!ヤバイの!」
「ヤバイってなに?」
「もー、とにかくヤバイの!ヤバイんだって!」
「いや全然分かんないし……」
「だからぁ……えーと……」
しゃべちゃん、しばらく押し黙っていたかと思うと、意を決したように口を開き、怒涛のようにしゃべり出す。
「あの子、義理のお父さんと禁断の花園で借金取りに追われてて、歌舞伎町の女王してるかと思ったら猫耳で自撮り棒2メートルでクローン人間のゾンビと六股してるの!!!」
「…………」
教室を沈黙が支配する。
「……あんた何言ってんの?」
「だからぁ、義理の花園で……」
「しゃべ子さぁ、訳わかんないこと言ってる暇あったら課題やんなよ。そろそろ提出しなきゃヤバイよ?」
「もー!ほんとなのにー!」
やった!!
誰も信じてないよやったー!!
そうだよね。あんな展開、ちゃんと正確に他人へ伝えるなんて、絶対無理!
こうして大学における私の社会的地位は、一命を取り留めたのでした。
ちゃんちゃん。