ストップ、松囃子!
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1 遭遇
「パチンコダヨーン赤塚店でーす、ご来店お待ちしておりまーす」
あてどなくぶんぶんポケットティッシュを振り回す、私はしがないティッシュ配り。時給890円でバイト中。
平日の、しかもここは公園。こんな場所でティッシュ配りを始めて早二週間、分かってはいたけれど、受け取ってくれる人はあまりいない。だって公園だよ? パチンコ屋さんのチラシ入りティッシュ、こんな場所で普通配る? 本来ならお店の前で配るもんだよね。
じゃあどうしてこんな場所でティッシュ配りなんかしてるかって?
そんなの私が知りたいくらいだ。この場所を指示したオーナーの真意が、本気で理解不能だよ。
受け取ってくれる相手なんて、ほとんどいない。たまにホームレスのおじさんが、鼻かみ用にいくつか持って帰ってくれるくらい。
宣伝効果ゼロ。費用対効果一切無し。ただ日々いくばくかのティッシュを消費するだけで、特に何も生まない不毛な労働。いやー……私のバイト代、慈善事業か何かなのかな。そのくせ、毎日大量に残ったティッシュを事務所に持って帰ると、オーナーからあからさまにガッカリした顔をされるのだ。どうしろと。
さて、今日も私は虚ろな目で「ティッシュいかがですかー」なんて誰にともなくティッシュを差し出している。
そんないつも通りの、やるせないお勤めの最中だった。
サッ。
誰かが私の手の内のティッシュをかっさらっていった。
(あの後ろ姿は……)
ドクロマークがプリントされた、革ジャンの背中。
ちらりとこちらを振り替えった顔にはサングラス、そして不敵な笑み。ついでに無駄に気取ったポージング。
(いつもの革ジャン男か……)
私がこのバイトに就いた初日から、この公園に出没している不審人物だ。
いつも革ジャンを着ているので、安直にも私は革ジャン男と呼んでいる。
彼はほぼ毎日この公園に現れ、私がいるときは必ずティッシュを受け取り、公園の中にある橋で数時間たむろするという謎の生態を持っている。
(……一体何やってる人なんだろう)
平日の昼間だよ、いま。
今日も今日とて、革ジャン男はいつも通り橋の中ほどへ辿り着くと、アンニュイな感じで佇み始めた。
時々、彼の背後を女性が通り過ぎる。その度に革ジャン男は、チラチラと意味深な視線を肩越しに彼女らへと投げかけている。どうも、お近づきになりたいけど勇気が出ない、あわよくば向こうから話しかけてくれないかな……とでも言いたげな風情だ。なんでそこまで詳しく推測できるかって? なんかね、毎日あの人見てたらなんとなく分かってきたというか。
(不審者観察が趣味になるほどヒマなんだなぁ、私)
そう思うと泣けてきた。なんだこのバイト。
とりあえず私は不審者革ジャン男に、同情と応援の視線を送る。
頑張れよ青年。そのうちいい出会いがあるよ。
ふと、革ジャン男がこちらを見た気がした。誤解されたくはないので慌てて目を逸らす。
逆ナン待ちしてるだけで多分無害なんだろうけど、関わり合いたくはないしお近づきにもなりたくない。
さて、イタい人はほっといて、私はバイトバイト。
「パチンコダヨーンです、ご来店お待ちしておりまーす」
公園に流れるゆったりした時間も、遠くから聴こえる鳥のさえずりも、革ジャンにサングラスも。
いつも通りの昼下がりだった。
……その瞬間までは。
「ティッシュお配りしてま……」
どん。
背中に突然の衝撃。少し立ち位置を変えた拍子に、誰かにぶつかってしまったようだ。
すぐに謝ろうと、振り向いた私の前にいたのは。
「アアン!? なにぶつかってんだねーちゃんコラァ!!」
ヤ〇ザさん。その御方は誰がどう見てもヤ〇ザさんだったのです。
謝ることも忘れ、凍り付く私。
そんな私に構うことなく、ヤ〇ザさんは怒鳴り続ける。
「なァオイ、テメエのせいで俺の自慢の一張羅が汚れちまったじゃねえかよォ、どうしてくれんだねーちゃんオイ!?」
「え、ええ!?」
男はヒョウ柄のド派手なスーツの袖を指し示した。だけど模様がキツすぎて、どこがどう汚れてるのか判然としない。そもそも汚れてんのかな、これ……?
「あ、あの……一体どこが汚れて……」
「ハァ!? ちゃんと目えついてんのかテメエ! こーこーに! シミが付いてんだろうがァ!!」
「ご、ごめんなさ……よく分からな……」
「アアン!?」
はいもう無理。
強面の男の人にドスの利いた声で怒鳴られ続けられては、ただの女子大生に平常の精神が保てるはずもなく。
「あ、あの……これどうぞ……!」
パニくった頭で必死に考えた私は、涙目で恐る恐るヤ〇ザさんに差し出しました。
ポケットティッシュ。
「ああん!? ティッシュ!? ふざけんな!!」
「ひ、ひぃ!」
怒鳴り散らされて撃沈。そうだね、ティッシュはまずいね。この状況、火に油じゃなくて火にティッシュだよね。ごめんなさい。
「なあねーちゃん、口で言わなきゃ分かんねえのかよ? コレだろコレ!」
男は指でお金を示すジェスチャーをして見せる。
「クリーニング代だよ、クリーニング代!」
「え、えっと、はい」
「言っとくけど、俺の一張羅は特注品だから30万な」
「さ、30万!!?」
「もちろん今即金で払えよ」
「即金!?!?」
クリーニング代と聞いて納得しかけていた私は、思わずヤーさんを二度見してしまった。
いや……30万。いやいや30万。もちろん、いまそんな大金持っているはずもなく。
「そ、そんな大金……私……」
たじたじと後ずさる私を、ヤーさんはじりじり追い詰めながら。
「持ってないんじゃしょうがねえ。女には女の払い方があるよなァ。なぁねーちゃん」
強面にいやらしい笑みを浮かべて、そう言った。
……女には女の払い方?
もう嫌な予感しかしないんですが。
青ざめるしかない私の前で、ヤ〇ザさんはいけしゃあしゃあと語り始める。まあもちろんそれは、払い方とやらの詳しいご説明だったわけで。
「俺の兄貴が実は店を経営しててよぉ、そこで一ヶ月でも働いてくれりゃ30万なんてあっと言う間だからさぁ。もちろん前借もできるぜ給料」
「いやいやいや」
「なに、ナニをナニしてナニするだけの簡単なお仕事だぜぇ? ついでに俺のナニもナニしてくれよぉ、かわいいおねーちゃんよぉ!」
「いやいやいやいや!」
いやいやいやいやいや! なんだこの展開!
さすがにこれは通報案件ではと、ポケットからスマホを取り出しかけるけど、この屈強なヤ〇ザさんの前で堂々通報もそれはそれで怖い。スマホ取り上げられるかもしれないし。
かといって、周囲を見回しても誰もいない。いつの間にか周りに人の気配は一切なくなっていて、橋の上の革ジャンも見当たらなくなっていた。
大学進学を機に上京しておよそ二年。私は改めて知りました。都会は恐ろしいところだなぁ!
なんてしみじみ思っている場合ではない。通報する隙もなく、周囲に助けを求めることもできず。
このままでは無理矢理裏社会へと連行され、なし崩し的に危ないお店で働かされてしまう。あと普通に貞操のピンチ。
「ほら、行こうぜ。なぁ?」
「う、うぅ……」
怖くて張り裂けそうな私に、ヤ〇ザの手が伸びてきた、そのときだった。
「おっと、そこまでだ」
いつの間にそこにいたのだろう、救世主はヤーさんの背後にいた。
革ジャンにサングラス。そして不敵な笑み。
革ジャン男は躊躇することなく私とヤーさんの間に割って入る。革ジャンの背中にプリントされたドクロが、私の前に立ちはだかった。
「オレの目の前でレディに乱暴とは……フッ、いい度胸だ」
私の前で初めて言葉を発した彼は、中々に濃いキャラをしていました。あ、うんまあ……普段の様子からなんかそんな感じはしてたけど。
そんな革ジャン男に、ヤーさんが食ってかかる。
「な、なんだテメエは!!」
「オレか? そうだな、人はオレを……」
謎の沈黙が十秒ほど続く。
「松野家に生まれし次男……松野カラ松と呼ぶ」
ずこっ。
状況も忘れ、昭和ノリで派手にずっこける私とヤーさん。
普通に名前を言うだけなのに、この溜めよう、このカッコつけよう。どうしよう、思っていたよりもとてつもなく面倒くさい人かもしれない……。
「なんだコイツ……」
ヤーさんはというと、さっきまでの高圧的な態度が、困惑の色に変わっている。
革ジャン男改め、松野カラ松氏の登場により、緊迫した場の空気がおかしな方向に流れ始めた。
「安心しな、レディ。オレが来たからにはノープロブレ……」
「おい、何なんだテメエはよ!喧嘩売ってんのか!?」
カラ松さんの言葉を遮って、ヤーさんが大声を上げる。一瞬「えっ」って感じの表情だったカラ松さんだったけど、再び余裕綽々に口を開いた。
「フフ、そう興奮するな。オレはただ、困っているレディを救いたいだけだ」
「喧嘩売ってんじゃねえか!!」
「えっ、いや、そんなつもりじゃ……」
「いい度胸だな!! 覚悟しろよ!!」
ええーーー!?
先ほどまでの余裕っぷりはどこへやら。カラ松さん、サングラスがずり落ちたまま及び腰だ。
どうしよう……このままじゃ、私とは縁もゆかりもない無関係なイタイ人が殴られてしまう……!
私はふたりの間に割って入った。
「や、やめてください!この人は関係ないじゃないですか!」
「カ、カラ松Girl……」
変な呼び名で呼ばれたけどスルーして、私は続ける。
「ほら、早く逃げてください!」
「……できない相談だ」
「なんで!?」
さっきまでへっぴり腰だった人が、サングラスをかけ直し、そっと私を後ろへ下がらせる。
「困っているカラ松Girlを置いて逃げるなんてできないさ。さあ、かかってくるがいい!」
そう言って彼は、革ジャンを脱ぎ捨てた。
それが戦いの合図……
には、ならなかった。
「な、なんだその……」
ヤーさんも私も、革ジャンの下から現れたものに目が点。
「なにそのタンクトップ……」
カラ松氏のキメ顔がプリントされた、青いタンクトップ。
瞬間、カラ松さんを除くふたりの胸に謎の痛みが走った。
「い、イタイイタイイタイイタイ!!」
「ひ、ひぃい、アバラがぁ!!」
何だろう! 何だろうこの痛み!
自分の顔の! タンクトップ! そしてそれを自分で着る!
一般的に、本人はカッコいいと思っていても、周囲からはとても見るに堪えない様を「イタい」という。
カラ松氏が放つそれは、まさしくその意味合いのイタさ。けれども物理的にアバラを攻撃してくる程のイタさは前代未聞だよ! どうなってんのこれ!
しかしさらにカラ松氏は追い打ちをかける!
「フッ、勝負は……」
──これからだ!
そう言って外されたサングラスの奥の瞳には……
「 カ ラ コ ン ! ! 」
カラーコンタクトレンズ。明らかにカラコン的な色彩の瞳が、サングラスの奥から顕現!
バキィ!
ついにアバラが折れる音がした。
しかし、一体誰のアバラが?
正面からの直視を避けた私は、ギリギリ持ち堪えた。とすると……
「ぐぁあああ! アバラ折れたぁあああ!」
「えっ、なんで!?」
脇腹を抑えてうずくまるヤ○ザ、そしてなぜか戸惑っているカラ松さん。
ヤーさんは脂汗をかきながら立ち上がり、生まれたての子ヤギのような歩みで去って行った。
「覚えてやがれー!」
お決まりの捨て台詞の後には、一陣の北風と、立ち尽くす私とカラ松さんが残されたのだった。
「くっ……なぜだ!」
ヤ○ザを追い返した後。何故かカラ松さんは悔しそうだった。
「どうしたって、オレは周囲を傷つけてしまう……!」
エイトシャットアウトだとかオンリーロンリネスウルフだとか、ごにょごにょ言っている彼。どうやらイタイタしさでヤーさんを骨折させてしまったことは、本意ではないらしい。
「あ、あの……」
話しかけてもいいのか分からなかったけど、このままだと延々とブツブツ言ってそうだったので、私はカラ松さんに話しかける。
「ありがとうございました」
振り返った彼に、頭を下げる。「本当に助かりました」と続けていると、頭の上に「フッ」とキザな感じの笑い声が降ってくる。
「いいんだぜ、礼なんか。キミが無事で良かった」
革ジャンの袖に腕を通しながら、カラ松さんは笑いかけてくれる。
ちょっと……本当にちょっとだけど。
カッコいいかもしれない。服装や言動はともかく。
ほんと、無事で良かった。私も、この人も。
「じゃあ私……」
「いや、気にするな! 礼なんかしなくたって、オレは全然構わないぜ!」
いやいや、「じゃあ私、失礼します」って言って帰るつもりだったんだよ私。
なんで行く手を遮ってくるの、この人は。
「え、あの……」
「だからお礼なんて必要ないと言っているじゃないか、困った子猫ちゃんだぜ」
「あのー!」
「オレはキミのことを恩知らずだなんて思ったりはしない! だが、どうしてもというのなら……」
あ、これ、お礼要求されてますね。
うーん、まあ確かに助けてもらって何もしないのは、こちらも心苦しいけど。でも、いまお金の持ち合わせも少ないし……。
一難去ってまた一難……ほんとに何なんだろうこの人。
お礼って言われても、今私が持ってるものなんて……あ。
「フフフ、どうしてもと言うのなら……このオレ、カラ松が特別にデートに付き合ってや……」
「これ、あげます」
私はたんまり余っていたティッシュを、カラ松氏に押し付けた。段ボールごと。
「え、えっとコレ……」
「私の感謝の気持ちです!」
精一杯の(引きつった)笑顔。ごまかせるか? ごまかされろ!
「フッ……」
カラ松氏は再びゆっくりとした動作でサングラスを外す。
「ありがたく、頂戴するぜ。うちはティッシュの消費が激しいから助かる」
「それじゃあ私、失礼します」
「ああ」
(よっしゃーーー!! ごまかせたーーー!!)
カラコンを直視しないように視線下げ目で、私は早々に退散しようと踵を返す。
「待ってくれ、カラ松Girl!!」
「え!?」
ダッシュ直前で呼び止められる。だから、そのカラ松Girlって何なの!
「オレは松野カラ松。キミとはまた……」
会えそうな気がする。
そう言って、彼は私とは逆方向へ歩き出した。もちろん去り際に、段ボールを抱えたままかっこよさげなポーズを決めて……。
(松野……カラ松さん……)
夕焼けの中に消えていく背中を見つめながら、私は思った。
(アバラ折れるから勘弁してください……)
脇腹に走る痛みを感じながら、いつかそんな日がこないことを私は祈るのだった。
「パチンコダヨーン赤塚店でーす、ご来店お待ちしておりまーす」
あてどなくぶんぶんポケットティッシュを振り回す、私はしがないティッシュ配り。時給890円でバイト中。
平日の、しかもここは公園。こんな場所でティッシュ配りを始めて早二週間、分かってはいたけれど、受け取ってくれる人はあまりいない。だって公園だよ? パチンコ屋さんのチラシ入りティッシュ、こんな場所で普通配る? 本来ならお店の前で配るもんだよね。
じゃあどうしてこんな場所でティッシュ配りなんかしてるかって?
そんなの私が知りたいくらいだ。この場所を指示したオーナーの真意が、本気で理解不能だよ。
受け取ってくれる相手なんて、ほとんどいない。たまにホームレスのおじさんが、鼻かみ用にいくつか持って帰ってくれるくらい。
宣伝効果ゼロ。費用対効果一切無し。ただ日々いくばくかのティッシュを消費するだけで、特に何も生まない不毛な労働。いやー……私のバイト代、慈善事業か何かなのかな。そのくせ、毎日大量に残ったティッシュを事務所に持って帰ると、オーナーからあからさまにガッカリした顔をされるのだ。どうしろと。
さて、今日も私は虚ろな目で「ティッシュいかがですかー」なんて誰にともなくティッシュを差し出している。
そんないつも通りの、やるせないお勤めの最中だった。
サッ。
誰かが私の手の内のティッシュをかっさらっていった。
(あの後ろ姿は……)
ドクロマークがプリントされた、革ジャンの背中。
ちらりとこちらを振り替えった顔にはサングラス、そして不敵な笑み。ついでに無駄に気取ったポージング。
(いつもの革ジャン男か……)
私がこのバイトに就いた初日から、この公園に出没している不審人物だ。
いつも革ジャンを着ているので、安直にも私は革ジャン男と呼んでいる。
彼はほぼ毎日この公園に現れ、私がいるときは必ずティッシュを受け取り、公園の中にある橋で数時間たむろするという謎の生態を持っている。
(……一体何やってる人なんだろう)
平日の昼間だよ、いま。
今日も今日とて、革ジャン男はいつも通り橋の中ほどへ辿り着くと、アンニュイな感じで佇み始めた。
時々、彼の背後を女性が通り過ぎる。その度に革ジャン男は、チラチラと意味深な視線を肩越しに彼女らへと投げかけている。どうも、お近づきになりたいけど勇気が出ない、あわよくば向こうから話しかけてくれないかな……とでも言いたげな風情だ。なんでそこまで詳しく推測できるかって? なんかね、毎日あの人見てたらなんとなく分かってきたというか。
(不審者観察が趣味になるほどヒマなんだなぁ、私)
そう思うと泣けてきた。なんだこのバイト。
とりあえず私は不審者革ジャン男に、同情と応援の視線を送る。
頑張れよ青年。そのうちいい出会いがあるよ。
ふと、革ジャン男がこちらを見た気がした。誤解されたくはないので慌てて目を逸らす。
逆ナン待ちしてるだけで多分無害なんだろうけど、関わり合いたくはないしお近づきにもなりたくない。
さて、イタい人はほっといて、私はバイトバイト。
「パチンコダヨーンです、ご来店お待ちしておりまーす」
公園に流れるゆったりした時間も、遠くから聴こえる鳥のさえずりも、革ジャンにサングラスも。
いつも通りの昼下がりだった。
……その瞬間までは。
「ティッシュお配りしてま……」
どん。
背中に突然の衝撃。少し立ち位置を変えた拍子に、誰かにぶつかってしまったようだ。
すぐに謝ろうと、振り向いた私の前にいたのは。
「アアン!? なにぶつかってんだねーちゃんコラァ!!」
ヤ〇ザさん。その御方は誰がどう見てもヤ〇ザさんだったのです。
謝ることも忘れ、凍り付く私。
そんな私に構うことなく、ヤ〇ザさんは怒鳴り続ける。
「なァオイ、テメエのせいで俺の自慢の一張羅が汚れちまったじゃねえかよォ、どうしてくれんだねーちゃんオイ!?」
「え、ええ!?」
男はヒョウ柄のド派手なスーツの袖を指し示した。だけど模様がキツすぎて、どこがどう汚れてるのか判然としない。そもそも汚れてんのかな、これ……?
「あ、あの……一体どこが汚れて……」
「ハァ!? ちゃんと目えついてんのかテメエ! こーこーに! シミが付いてんだろうがァ!!」
「ご、ごめんなさ……よく分からな……」
「アアン!?」
はいもう無理。
強面の男の人にドスの利いた声で怒鳴られ続けられては、ただの女子大生に平常の精神が保てるはずもなく。
「あ、あの……これどうぞ……!」
パニくった頭で必死に考えた私は、涙目で恐る恐るヤ〇ザさんに差し出しました。
ポケットティッシュ。
「ああん!? ティッシュ!? ふざけんな!!」
「ひ、ひぃ!」
怒鳴り散らされて撃沈。そうだね、ティッシュはまずいね。この状況、火に油じゃなくて火にティッシュだよね。ごめんなさい。
「なあねーちゃん、口で言わなきゃ分かんねえのかよ? コレだろコレ!」
男は指でお金を示すジェスチャーをして見せる。
「クリーニング代だよ、クリーニング代!」
「え、えっと、はい」
「言っとくけど、俺の一張羅は特注品だから30万な」
「さ、30万!!?」
「もちろん今即金で払えよ」
「即金!?!?」
クリーニング代と聞いて納得しかけていた私は、思わずヤーさんを二度見してしまった。
いや……30万。いやいや30万。もちろん、いまそんな大金持っているはずもなく。
「そ、そんな大金……私……」
たじたじと後ずさる私を、ヤーさんはじりじり追い詰めながら。
「持ってないんじゃしょうがねえ。女には女の払い方があるよなァ。なぁねーちゃん」
強面にいやらしい笑みを浮かべて、そう言った。
……女には女の払い方?
もう嫌な予感しかしないんですが。
青ざめるしかない私の前で、ヤ〇ザさんはいけしゃあしゃあと語り始める。まあもちろんそれは、払い方とやらの詳しいご説明だったわけで。
「俺の兄貴が実は店を経営しててよぉ、そこで一ヶ月でも働いてくれりゃ30万なんてあっと言う間だからさぁ。もちろん前借もできるぜ給料」
「いやいやいや」
「なに、ナニをナニしてナニするだけの簡単なお仕事だぜぇ? ついでに俺のナニもナニしてくれよぉ、かわいいおねーちゃんよぉ!」
「いやいやいやいや!」
いやいやいやいやいや! なんだこの展開!
さすがにこれは通報案件ではと、ポケットからスマホを取り出しかけるけど、この屈強なヤ〇ザさんの前で堂々通報もそれはそれで怖い。スマホ取り上げられるかもしれないし。
かといって、周囲を見回しても誰もいない。いつの間にか周りに人の気配は一切なくなっていて、橋の上の革ジャンも見当たらなくなっていた。
大学進学を機に上京しておよそ二年。私は改めて知りました。都会は恐ろしいところだなぁ!
なんてしみじみ思っている場合ではない。通報する隙もなく、周囲に助けを求めることもできず。
このままでは無理矢理裏社会へと連行され、なし崩し的に危ないお店で働かされてしまう。あと普通に貞操のピンチ。
「ほら、行こうぜ。なぁ?」
「う、うぅ……」
怖くて張り裂けそうな私に、ヤ〇ザの手が伸びてきた、そのときだった。
「おっと、そこまでだ」
いつの間にそこにいたのだろう、救世主はヤーさんの背後にいた。
革ジャンにサングラス。そして不敵な笑み。
革ジャン男は躊躇することなく私とヤーさんの間に割って入る。革ジャンの背中にプリントされたドクロが、私の前に立ちはだかった。
「オレの目の前でレディに乱暴とは……フッ、いい度胸だ」
私の前で初めて言葉を発した彼は、中々に濃いキャラをしていました。あ、うんまあ……普段の様子からなんかそんな感じはしてたけど。
そんな革ジャン男に、ヤーさんが食ってかかる。
「な、なんだテメエは!!」
「オレか? そうだな、人はオレを……」
謎の沈黙が十秒ほど続く。
「松野家に生まれし次男……松野カラ松と呼ぶ」
ずこっ。
状況も忘れ、昭和ノリで派手にずっこける私とヤーさん。
普通に名前を言うだけなのに、この溜めよう、このカッコつけよう。どうしよう、思っていたよりもとてつもなく面倒くさい人かもしれない……。
「なんだコイツ……」
ヤーさんはというと、さっきまでの高圧的な態度が、困惑の色に変わっている。
革ジャン男改め、松野カラ松氏の登場により、緊迫した場の空気がおかしな方向に流れ始めた。
「安心しな、レディ。オレが来たからにはノープロブレ……」
「おい、何なんだテメエはよ!喧嘩売ってんのか!?」
カラ松さんの言葉を遮って、ヤーさんが大声を上げる。一瞬「えっ」って感じの表情だったカラ松さんだったけど、再び余裕綽々に口を開いた。
「フフ、そう興奮するな。オレはただ、困っているレディを救いたいだけだ」
「喧嘩売ってんじゃねえか!!」
「えっ、いや、そんなつもりじゃ……」
「いい度胸だな!! 覚悟しろよ!!」
ええーーー!?
先ほどまでの余裕っぷりはどこへやら。カラ松さん、サングラスがずり落ちたまま及び腰だ。
どうしよう……このままじゃ、私とは縁もゆかりもない無関係なイタイ人が殴られてしまう……!
私はふたりの間に割って入った。
「や、やめてください!この人は関係ないじゃないですか!」
「カ、カラ松Girl……」
変な呼び名で呼ばれたけどスルーして、私は続ける。
「ほら、早く逃げてください!」
「……できない相談だ」
「なんで!?」
さっきまでへっぴり腰だった人が、サングラスをかけ直し、そっと私を後ろへ下がらせる。
「困っているカラ松Girlを置いて逃げるなんてできないさ。さあ、かかってくるがいい!」
そう言って彼は、革ジャンを脱ぎ捨てた。
それが戦いの合図……
には、ならなかった。
「な、なんだその……」
ヤーさんも私も、革ジャンの下から現れたものに目が点。
「なにそのタンクトップ……」
カラ松氏のキメ顔がプリントされた、青いタンクトップ。
瞬間、カラ松さんを除くふたりの胸に謎の痛みが走った。
「い、イタイイタイイタイイタイ!!」
「ひ、ひぃい、アバラがぁ!!」
何だろう! 何だろうこの痛み!
自分の顔の! タンクトップ! そしてそれを自分で着る!
一般的に、本人はカッコいいと思っていても、周囲からはとても見るに堪えない様を「イタい」という。
カラ松氏が放つそれは、まさしくその意味合いのイタさ。けれども物理的にアバラを攻撃してくる程のイタさは前代未聞だよ! どうなってんのこれ!
しかしさらにカラ松氏は追い打ちをかける!
「フッ、勝負は……」
──これからだ!
そう言って外されたサングラスの奥の瞳には……
「 カ ラ コ ン ! ! 」
カラーコンタクトレンズ。明らかにカラコン的な色彩の瞳が、サングラスの奥から顕現!
バキィ!
ついにアバラが折れる音がした。
しかし、一体誰のアバラが?
正面からの直視を避けた私は、ギリギリ持ち堪えた。とすると……
「ぐぁあああ! アバラ折れたぁあああ!」
「えっ、なんで!?」
脇腹を抑えてうずくまるヤ○ザ、そしてなぜか戸惑っているカラ松さん。
ヤーさんは脂汗をかきながら立ち上がり、生まれたての子ヤギのような歩みで去って行った。
「覚えてやがれー!」
お決まりの捨て台詞の後には、一陣の北風と、立ち尽くす私とカラ松さんが残されたのだった。
「くっ……なぜだ!」
ヤ○ザを追い返した後。何故かカラ松さんは悔しそうだった。
「どうしたって、オレは周囲を傷つけてしまう……!」
エイトシャットアウトだとかオンリーロンリネスウルフだとか、ごにょごにょ言っている彼。どうやらイタイタしさでヤーさんを骨折させてしまったことは、本意ではないらしい。
「あ、あの……」
話しかけてもいいのか分からなかったけど、このままだと延々とブツブツ言ってそうだったので、私はカラ松さんに話しかける。
「ありがとうございました」
振り返った彼に、頭を下げる。「本当に助かりました」と続けていると、頭の上に「フッ」とキザな感じの笑い声が降ってくる。
「いいんだぜ、礼なんか。キミが無事で良かった」
革ジャンの袖に腕を通しながら、カラ松さんは笑いかけてくれる。
ちょっと……本当にちょっとだけど。
カッコいいかもしれない。服装や言動はともかく。
ほんと、無事で良かった。私も、この人も。
「じゃあ私……」
「いや、気にするな! 礼なんかしなくたって、オレは全然構わないぜ!」
いやいや、「じゃあ私、失礼します」って言って帰るつもりだったんだよ私。
なんで行く手を遮ってくるの、この人は。
「え、あの……」
「だからお礼なんて必要ないと言っているじゃないか、困った子猫ちゃんだぜ」
「あのー!」
「オレはキミのことを恩知らずだなんて思ったりはしない! だが、どうしてもというのなら……」
あ、これ、お礼要求されてますね。
うーん、まあ確かに助けてもらって何もしないのは、こちらも心苦しいけど。でも、いまお金の持ち合わせも少ないし……。
一難去ってまた一難……ほんとに何なんだろうこの人。
お礼って言われても、今私が持ってるものなんて……あ。
「フフフ、どうしてもと言うのなら……このオレ、カラ松が特別にデートに付き合ってや……」
「これ、あげます」
私はたんまり余っていたティッシュを、カラ松氏に押し付けた。段ボールごと。
「え、えっとコレ……」
「私の感謝の気持ちです!」
精一杯の(引きつった)笑顔。ごまかせるか? ごまかされろ!
「フッ……」
カラ松氏は再びゆっくりとした動作でサングラスを外す。
「ありがたく、頂戴するぜ。うちはティッシュの消費が激しいから助かる」
「それじゃあ私、失礼します」
「ああ」
(よっしゃーーー!! ごまかせたーーー!!)
カラコンを直視しないように視線下げ目で、私は早々に退散しようと踵を返す。
「待ってくれ、カラ松Girl!!」
「え!?」
ダッシュ直前で呼び止められる。だから、そのカラ松Girlって何なの!
「オレは松野カラ松。キミとはまた……」
会えそうな気がする。
そう言って、彼は私とは逆方向へ歩き出した。もちろん去り際に、段ボールを抱えたままかっこよさげなポーズを決めて……。
(松野……カラ松さん……)
夕焼けの中に消えていく背中を見つめながら、私は思った。
(アバラ折れるから勘弁してください……)
脇腹に走る痛みを感じながら、いつかそんな日がこないことを私は祈るのだった。
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