第3章 高校三年のお話
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今日見た試合を私はこの先一生忘れない。
それほどまでに見事な試合だった。
その試合は、かつて抱いていた大切な気持ちを思い出させてくれた。
第40話 高校三年、夏のインターハイのお話①
試合が終了し、湘北高校の部員やベンチ裏に居る湘北高校の関係者がわっと歓声を上げた。それと同時に会場の観客が選手全員の善戦を大きな声でもって褒め称える。尽きぬ大歓声が会場内の温度を上げているかのようだった。
しかし、その盛り上がりとは正反対に私の周囲の席の雰囲気はどんよりと沈んでいる。
「うっ……ぐ、うう……っ」
「くそぉ……っ!」
応援席に座る山王バスケ部の部員達は皆泣いていた。声を押し殺すように呻き、無様な姿は晒すまいと両手で顔を覆っている。情けない声は出すまいと痛々しいほどに唇を噛み締めている人もいた。
無理もない。過去最強と評された山王工業が、インターハイで三連覇を成し遂げた王者が無名の高校に敗北したのだ。誰だってこんな結果を予想していなかっただろう。私だって同じだ。
誰もが思い描いていたのは山王工業が余裕で勝利を手にする光景だ。緒戦を難なく終えて、悠然と雑談しながらコートを去っていくはずだった。だがいつもの流れは断ち切られた。
山王工業の夏のインターハイはここで終わったのだ。
(一成……)
表情がよく見えない従兄妹の名前を、心の中で呼ぶ。
周りが敗北の悲しみで嗚咽を漏らす中、私の心を大きく占めるのは感動だった。
山王工業は間違いなく王者だった。圧倒的なスタミナ量、運動量、選手それぞれの武器を活かしたゲーム運び。過去最強と謳われるに相応しい実力だったのは間違いない。前日に行われた大学生とのゲームでも圧勝したと応援席の部員から聞いている。彼らは最高のコンディションで仕上がっていたのだ。
そして湘北高校。誰もが山王工業を応援する会場でさぞや戦いにくかっただろう。アウェーもいいとこだ。けれど……何度も何度も点数を引き離され、圧倒的な技術を見せつけられながらも。試合の流れを変える赤い坊主頭の選手が負傷しても。何度も絶望したであろう湘北勢が諦めず必死で食らいついた結果がこれだ。
山王工業に過去最強の選手が揃ったのと同じように。
湘北もまた最強のメンバーが今ここに終結したということなんだ。
たった一点差という試合結果がそれを物語っている。
山王工業の試合には覆すのが難しいほどの点差が生じるのが付き物だ。去年の海南戦では二十点近い点差がついたはず。神奈川最強、全国でも名を馳せるインターハイ常連校の海南でさえその点差で敗れ去ったというのに。
どちらも必死だった。全力だった。力を振り絞って諦めずに、最後の最後までボールを追いかけていた。
この試合を生で観ていた観客の中で、山王工業の選手が手を抜いていたなんて言える人は誰も居ないだろう。呼吸の荒さ。流れる汗の量。試合後の辛そうな表情。その全てが、この試合がいかに過酷だったかを表している。彼らを非難できるのは同じくらいの努力を重ねた人間だけだ。
(凄い試合だったよ)
私、あんなに必死でボールを追いかけたことがあった?
相手と心身を削り合うような試合をしたことがあった?
──ううん、ただの一度だってない。
地道にトレーニングを積んでいた。一成や夏休みに秋田でやるバスケは真剣に取り組んでいた。いや、これは手抜きできるような相手でもないが。
けれど、中学一年でバスケ部を退部してからというもの私はそもそも試合に身を投じたことがない。冬休みに秋田で参加したワークショップで行われた試合だって、ついさっきまで目の前で繰り広げられた湘北戦と比べればお遊びレベルである。
(私も、やりたい)
自分一人の世界で完結させるのではなく。
一成や山王の友達と慣れ親しむツールとしてでなく。
レギュラーとして試合に出て、会ったことのない人とコートで戦いたい。
どんなに点差を広げられようと諦めずに、自分がこれまで培ってきた技術を駆使して、全力で相手を捻じ伏せたい。
私もあの一成のように。山王工業や湘北高校の選手のように全身全霊でバスケと向き合いたい。
(バスケがやりたい……っ!)
カタカタと全身が興奮で震えた。バスケがしたい、ボールに触りたいという欲望が抑えられない。出来るならいっそ今すぐ全力疾走したいところだったが、部外者とはいえ山王バスケ部と親交を深めている私が一人で席を立つのもどうかと思う。
しかしその瞬間、救いの声が響いた。
「皆、出る準備をしろ。いつまでも席を占領してたら次の試合の迷惑になる」
泣き続ける部員に声を掛けたのは三年生の人だった。
「ううっ……」
「俺達にもできることがあるぞ。ロビーで先生と選手を出迎えること、そして不躾な奴らから選手を守ることだ。山王が負けたことで記者が突撃してくるかもしれない。俺達が壁になって、疲れてるあいつらを守ってやらないと」
仲間と後輩を鼓舞するためにその人は笑いながら言う。目は赤く染まっていたが、その表情は晴れ晴れしていた。
取材陣は容赦なく過去の王者を質問で責め立てることだろう。敗北に項垂れるというレアな姿を写真に収めようと、敗因を問いたださねばと無遠慮に近付いてくることも予想できる。メディアの貪欲さを理解している山王バスケ部の部員達は「仲間を守る!」という方向に意識を切り替えたようだ。
「さぁ行くぞ! 全力でディフェンスだ!」
「「「おお!」」」
応援席に座っていた部員達は荷物を持つと勢いよく立ち上がった。
この人達がいるなら山王工業は大丈夫だろう。
どこかほっと安心しながら、私もリュックを背負って後を追った。