第2章 高校二年のお話(全20話)
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久しぶりの再会で嬉しいはずなのに、今の私が感じているのは僅かな不快だった。
こんな気持ちになるのは初めてではない。けれど、ここまで強烈に嫌だと感じたのは初めてなように思う。
自分の顔がどうか不満気なものになっていませんように……そう祈っていれば、スポーツ飲料を持った河田が近付いてきた。
「夢子、これ飲め」
「えっ? あ、ありがと」
「具合悪くなる一歩手前の顔してらな。深津がしばらく休憩にするって言ってたがら、おめぇも休め」
別に具合は悪くないけど。言い返そうとしたが、河田は有無を言わさずコート上で木陰になっているところを指差すと「移動するべ」と私を連れて行った。まぁ休むなら日差しが当たるところよりは木陰のほうが良い。大人しく河田に促されるまま移動する。河田が壁に寄りかかるような場所に腰を下ろしたので、私も隣に座った。
ペットボトルの蓋を開けてスポーツ飲料を口に含んだ。程よい甘さと塩分が、疲れた身体に沁み渡る。
「おめ、なんか不満そうな顔してらげどどうがしたのが。深津が女の子に囲まれてるのが嫌なのが?」
私は飲んでいたスポーツ飲料を「ぶっ」と吹き出した。
第26話 高校二年の夏、秋田での夏休み③
「ゲホッ、ゲホッ……な、何言ってんの雅史!?」
気管に入らなかったのが幸いだった。涙が込み上げるほどの苦しい咳が出なくて良かった。
「おめぇがあの子達を連れて来てくれたおかげでコートが賑やかになったし、5対5でゲームできるのは嬉しいけどよ。あの子達が深津に色々と尋ねてるあたりからおめぇの様子がどうもおかしいように思えでよ」
次の日、私はこのコートにゲストを呼んだ。
去年に山王で行われた女バスの講習会で出会い、一番最初に組んだチームでリーダーを務めてくれた森永さんとは電話で交流を続けていた。夏休みに秋田県に行くんだと話したら、部活の予定を動かしてまで会いに来てくれたのである。ちなみに来たのは森永さんだけではない。勉強になるからという理由で、二年生の後輩を二人連れて来ていた。
私が慣れている基礎練にゼェハァ言いながらもなんとか必死で喰らいついてくる彼女らに、一成を含め山王勢は好意的だった。遊び半分でバスケに取り組んでいるのではないと分かったからだろう。3on3や5on5でゲームが始まると、空き時間を見つけて彼女達は自分の技術に関する相談を一成にするようになった。私を育ててくれたのが一成だということを森永さんに伝えている。「山王のレギュラーで、早乙女さんほどのプレーヤーを育てた深津さんなら素晴らしいアドバイスをしてくれるに違いない」と思っているのだ。
「ええ……? 私、そんな顔に出てた?」
隠せていたと思っていたのに。少し悔しそうな顔をすると、河田は笑いながらフォローしてくれる。
「それは大丈夫だべ。あいつらはバスケが始まったら周りは気にならなくなるタイプだ」
「雅史はそうじゃないの?」
「俺は弟が近くにいる環境だからな。ちゃんと見てないと迷子にさせるかもしれねぇから、小さい頃から自然と周りの状況とか人を見る目が養われたんだべ」
あのゆったりしている美紀男くんが迷子になりそうな事態に陥ったことがあるのか?
そっと浮かんだ疑問をぶつけたくなったけど、なんとなくそんな雰囲気ではないと察したので黙ることにする。
「まぁなんだ。一人で思い込んでねぇで、吐き出してもいいんじゃねか?」
河田の気持ちは嬉しいが、内容が内容だ。子供みたいだと笑われそうな気がして素直に吐き出す気分にはなれなかった。
俯きながら黙っていると河田は私の頭にぽんと優しく手を置いた。俺のことは見なくていい、下を向いたままでいいと言われているようだった。
「俺は笑わね」
「雅史……」
「おめぇが元気ねぇと落ち着かねんだわ。頼むから兄ちゃんを安心させてくれ」
いつの間にか爆誕していたガタイの良い兄貴に私は小さく笑った。
黙り込んでいたのが阿保らしく思えたので「笑わないでよ?」とだけ前置きをして、ぽつりぽつりと話し始める。
「なんかさー、嫌なんだよ」
「何が嫌だ?」
「あの子達が来たのは私が呼んだのが原因だから、それ自体は良いんだけど」
「うん」
「一成は私の師匠なのに。一成に相談するあの子達にも、アドバイスしてる一成にも……苛々しちゃう」
こんなの嫌だ。
私は性格の悪い人間ではないはずなのに。
バスケがもっと上手くなりたいと願う彼女達の真剣な思いを踏み躙っている。
その真剣な思いに応えようと、少しでも上達するようにと助言している一成の気遣いを踏み躙っている。
醜い人間に成り下がってしまっているようで嫌だった。
「そうか。じゃあ夢子は嫉妬してるんだな」
「嫉妬?」
思わぬ単語に、私はすっとぼけたような声色で繰り返す。
「自分だけの師匠だったのに、あの子達に盗られたみたいで嫌なんだろうよ」
「盗られたみたい……」
「んだ。そんでよ、自分を育ててくれた人が他の人にも同じことをしてる。それも嫌なんだべ」
「私、我が儘過ぎない?」
いやマジで子供か!!!
恥ずかしさから、俯いたまま両手で頭を抱えてしまう。
叶うなら消えてしまいたい。ここから立ち去りたい。
「我が儘なもんか。そりゃ自然な感情だ」
河田はただ肯定する。
「俺だって嫉妬くれぇするべ。深津が一年で一番最初にレギュラーを獲った時は悔しくて仕方なかったもんだ。今でこそあいつがコートで活躍するのを見るのは心から応援できるし、頼もしいって思えるけどな」
思わぬ昔話に、私は聞き入ってしまう。
「嫉妬するのは悪いことじゃねぇ。それを理由に誰かを苛めたり殴ったりしたら話は別だがよ」
「……うん」
「嫉妬なんて誰でもするべ。後は自分で動くなり何なりして納得させていくもんだと思う。自然と無くなる場合もあるだろうがよ」
河田の説得力は凄まじい。哂うでもなく偉そうに導くでもなく、当たり前の感情だと言ってくれる。
「おめぇがバスケに全振りしてる奴じゃなくて、ちゃんと人間で女の子だって分かって安心したわ。あいつの苦労が報われるのもそう遠くねぇかな」
「なんだそりゃ」
意味不明な言葉にハテナマークを浮かべながら訊けば、河田は頭をがしがしと撫でながら言った。
「はは、こっちの話だ」
「訳分からん……」
勝手に話を終わらせた河田は、すっくと立ちあがるとそのままコートの方へと歩いて行った。
まだゲーム開始の雰囲気ではない。しばらく休憩の時間は続きそうだ。私は立ち上がる気になれず、そのまま目を瞑って木陰の涼しさを満喫することにした。蝉の鳴き声と木々のざわめきだけが私の耳を支配する。
「……、夢子」
「んっ?」
一瞬うたた寝をしていたらしい。名前を呼ばれてビクリと身動ぎをする。声が聞こえたほうを見れば、一成がしゃがみこみながら私を見下ろしていた。
「おお、一成。どうしたの」
「夢子が壁にもたれてるのが見えたから様子を見に来たベシ。大丈夫ベシ? 具合悪いベシ?」
「大丈夫。ここ涼しいし、聞こえてくる音に集中してたら寝入っちゃったみたい」
心配しないでと笑いながら立ち上がろうとすると、一成は手で動かなくていいと制止してきた。そのまま私の隣りに腰を下ろす。
「コーチ業から解放されたの?」
さっきまで森永さん達に囲まれて質問攻めだっただろう一成に尋ねた。
ちなみに数分前まで嫉妬に苛まれていた私の心は、河田によって綺麗さっぱりに癒されている。一成に対しても変な気持ちを抱くことなく真正面から向き合うことができた。
「コーチ業って……俺は夢子以外の子の面倒を見るつもりは無いベシ」
「え?」
のほほんとした言葉は、一成の静かながらも迫力のある声で断ち切られる。
「俺が一緒にバスケをしたいと思ったのは夢子が最初だし、夢子だから色々と教えたくなったベシ。夢子だから部活で忙しくても受験勉強しながらでも時間を作ったベシ。その熱意を他の人に向ける気は無いベシ」
「そうなんだ……? いや、その気持ちも言葉もすごく嬉しいけど。なら、森永さん達には何て答えてたの? えらい囲まれてたよね?」
自分の嫉妬はさておいて「ちゃんとアドバイスしてやったのかよ」と心配になってしまう。
「最低限のアドバイスはしてやったベシ。ていうかあの子達、本とか雑誌とか全然読んでないベシ。部活の間だけ真剣にやってるタイプだから身体のメンテナンスも身体作りも甘々ベシ。お勧めの参考書籍とかプロテインとかを教えたベシ」
「技術面は?」
「ありきたりなことばかりベシ。そもそも初対面でろくにプレーを見せてもらってない人間ができるアドバイスなんてたかが知れてるベシ」
救いが無いな……。
「夢子がここまで育ったのは長い時間一緒にバスケをして、夢子のことを把握しながらその都度良い選択ができたからだベシ。たった数時間しか接してない人の世話なんて見れないベシ。そういうのは経験豊富な監督に頼ることベシ」
「そっか」
「ベシ。俺は夢子だけで手一杯、教え子は一人で十分ベシ」
一成のその言葉に、私は心が満たされていくのが分かった。
一成が手をかけて育てたいのも、一緒にバスケをしたいのも──山王メンバー以外では──私だけでいいと言ってくれている事実。
勘違いのしようもない。一成は私を特別扱いしてくれてるんだ。
「……へへっ」
「いきなり笑ってどうしたベシ」
「んーん。嬉しいなぁと思って」
彼はきょとんとした顔で見つめてくる。
「一成が森永さん達に囲まれてて、ちょっと嫌な気持ちになってたんだ。でも、一成がそう言ってくれたから嬉しかった」
私はゆっくり立ち上がって、一成を見下ろす。
「ありがと!」
私は飲み終えた空のペットボトルを持って、沢北くんや森永さん達がいるベンチへと戻る。もう大丈夫。嫌な気持ちを彼女らに向けることはない。笑って、次のゲームにも誘おう。
「──────、ベシ」
どこか吹っ切れたような私の後姿を見て、一成は呟いたそうだが……その内容を教えてもらうのはもう少し先となる。