うつろう者たち
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彼との邂逅はわずか二週間前だった。
寂れたビルの中にある水族館は、平日の昼間になると実質私だけの貸切状態だった。
受付で暇そうにぼーっと座っている青年に回数券を渡す。ちらと頭は動かさずに、帽子の隙間から私を見る。
「…ッス」
最小限と言わんばかりの声だった。いつも会う人間にもはや気まずさすら感じているかもしれない。
カチリと、田舎の駅でしか見ないようなパンチが回数券に穴を開ける。蛇腹に折って元の形に戻す。十一回使えるこの券は十枚分の値段という、微妙なお得加減だ。
すでに見慣れているコースを進む。じろりじろりと小魚が私を見る。またこの人間やってきたぞ、なんて思っているかもしれない。
一番のメインと言うべき大きな水槽の前にとりあえず、と置かれたような破れた合皮のベンチがある。
肩にかけていたトートバッグをとす、と置いて、重い腰を下ろした。
ぼんやりと淡い水を眺めながら、ベンチの上にカゴが見えた。中身を一枚取ると、パワーポイントで作ったお粗末なチラシだ。
〝NEW 新しいお友達が入ったよ〟
写真に写っていたのは狂気的な顔のウツボだった。
「これ、子供は怖がらないのかなあ」
小さい子が見たら泣き出しそうなほど牙が鋭く、目がぎょろりとしている。
「でも、綺麗。尾びれがすごい鮮やか。こんな綺麗なウツボもいるんだ」
「あれみたいだな、えっと…映画の、」
「一人で来てんのに、よく喋る人間」
「……綺麗な上に喋りもするんだね」
「は?聞こえんの?スゲ〜、初めてここの人間と言葉通じた」
くるりと写真のウツボがそう言って、目の前のメインの水槽で長い尾びれを翻した。写真よりも、ひどく大きい。海で出会ったらその大きさに恐怖しそうだ。
「で、何と似てるって?」
「映画で見た人魚の輝きに似てる」
「え〜なあんか、ビミョー。当たり前って感じ。もっと違ったものが良かった」
「ただのおとぎ話の綺麗な人魚じゃないんだよ。すごい綺麗で恐ろしいから、魅力的なんだ」
「ふーん、その映画面白いの?」
「うん、すごく」
泡も出さないのに、鼓膜にその声は届く。まるで動物番組のアテレコ音だ。やる気のない声がつづけられる。
「あのさ〜、聞こえるならここから出してくれない?オレ帰りたいんだよね」
「……海に?」
「ううん、海っていうか〜、元の世界。魚になるし、捕まえられるし、魔法も使えないし、もうサイアク」
女子高生みたいな愚痴だ、男の子の声なのに。
「ウツボくんは違うとこからきたんだ」
「そうそう、ここの眺めつまんなすぎ。ほとんど人来ないし、魚はエサ食ってばっかだし、働いてる人間もみんな死んだ目してるし」
やってらんね、と最後にまた、独り言をついた。
まるで、自分が魚でも人間でもないような言い口だった。薄いガラスを挟んでウツボは、私を試すように見つめている。
「いいよ、出してあげようか」
「…へえ、人間にしては物分かりいいじゃん」
鋭い牙が、ぱくりと開いた口からチラリと見える。そういえば、ウツボって海のギャングって言われてるんだっけ。凶暴そうな顔は確かに、マフィアやギャングのような凶悪さだ。
「まあ人生そういうこともあるかなと思って。でもここ、もうすぐ閉まるんだよね」
水槽の中からさびれ切った様子は感じているのか、ウツボは何も驚かなかった。
「あとどれくらい?」
「一ヶ月くらい。それまでに回数券使い切りたいから、何回か来るけどね」
蛇腹に折り込んだうち、穴の開いていない券は、あと五回分残っていた。
「今出してくれないの?」
「すぐは難しいよ。盗むことになるんだし、ウツボくんが協力してくれないと無理だよ」
「ふーん、じゃあ人がいない時間調べればいい?」
「そうだね。勤務体系とか、あとどこから入れるかとか?」
「…めんどいけど、調べとく。出れないと困るし。あーあ、帰ったらアズールとジェイドがうるさそう」
「誰?」
「アズールはアズールだし、ジェイドはジェイドだよ」
「へえ、ウツボくんには名前付いてる仲間がいるんだ」
「ジェイドはオレと同じだけどー、アズールはタコだよ」
「意外と海も賑わってるんだねえ」
しかも、海外の名前だ。海でも、名前の流行り廃りはあるのだろうか。
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