短編
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「あれ、曜子さんだったの」
そんな声がして、ふと顔を上げた。
がらんとした事務所に入ってきたのは、事務員の先輩でもある大神さんだった。
社長と紡さんはだいぶ前に帰ったばかりだから、事務所には私一人だった。二人は私一人で残ることを心配していたが、さすがに久しぶりの親子水入らずの食事を邪魔できない、と言ってなんとか帰ってもらった。
夜のオフィスでは、カーペットを踏んで近づく革靴の音すらもよく聴こえる。
「あ、お疲れ様です!大神さん」
「お疲れ様です。電気点いてたから、消し忘れかと思ったよ」
「すみません〜、私が責任持って消して帰りますので!」
大神さんは今日は午前だけで、その後は直帰だったはずだった。
それなのにこんな夜に来るなんて、忘れ物かな?とちらりと大神さんを見る。大神さんがデスクに向かったのを見て曜子はパソコンの画面に目を戻した。キーボードを叩く音は続く。
「もう遅いよー?早く帰ったほうがいいよ」
「はい!もうちょっとで終わるので、キリのいいところで帰ります」
パソコンから目を上げずに答えると、大神さんの靴が近づく音が聞こえた。
社長たちにも「すぐ終わるので!」と言って帰ってもらったが、見直すと手直ししたくなってしまい、あれからだいぶ時間が経っていた。でも、本当にここだけ直したら私も帰ろう。
気がつくと、後ろに大神さんが立っている。
「それ、次のライブの資料?」
「はい!……みんなすごく頑張ってますから、なんとかいいものにしたくて私も頑張ってます!」
「わかるなあ。でも、無理はダメだよ」
「あはは、大丈夫ですよ。本当にあとちょっとなので」
あ、ここの文なんか変だ。書き直そう。流石にこの書き方はまずいような……なに考えて打ったんだ、このときの私。
眉をひそませながら画面を睨む曜子にはもう周りが見えていなかった。
「あとちょっと…ね」
一文を叩き終わった後も、大神さんが離れる気配がなかったので、流石に曜子は声をかけた。
「えーっと、大神さんは忘れ物ですか?」
「うん、帰ってから資料持ってないの気がついてさ。でももうひとつ忘れ物ができたかな」
「忘れ物ができた?」
「何でしょう」
疑問に疑問で返してきた大神さんからの視線を感じる。すごく見られている。
というか、いつもよりちょっと語気が鋭いような気がする。まあ、一回帰ってまた会社来るのって疲れるよね。
「見つけたら、早く帰って休んだほうがいいですよ!もう夜も遅いですし」
「…それはこっちのセリフです」
「?何がですか、あっ!」
「はい、もうおしまい」
「あー!!大神さん、ちょっ!」
大神さんが素早く私のマウスを奪って鮮やかな手付きで、上書き保存とシャットダウンを押した。
「あっ、あー!!」
すでにボタンは押されていて、「シャットダウンします」の画面を私は掴んでいた。
「もう今日は終わり」
「そんなあ……」
「曜子さん「もうちょっと」って言って何分経ってると思う?頑張るのもいいけど、日付超えちゃうよ」
「えっ!」
時計を見ると本当だった。
「うそ……」
「本当。女の子なんだから、危ないよ。今日はたまたま俺が来たけど、もしかしていつもこんな遅いの?」
「やだなあ、そんなに無いですよ〜」
「……ということは何回かあるんだ」
「うっ……。で、でもここまで遅いのは本当にあんまりなくて……」
「はいはい、今日は帰ろうね。送ってくから」
「大丈夫ですよ、いざとなったらタクシーで帰るので!心配には及びません」
とす、と胸を叩く。
「曜子さんの大丈夫は大丈夫じゃないです。本当にいざとならないと、歩いて帰る気でしょう」
ひえ、バレてる……。でも大神さんに流石に悪いし、だからといってタクシー代をかけるのはもったいないし。
歩くと運動になるから、と言い聞かして私は何度か夜の帰り道、音楽を聴きながら帰っていた。
「でも、今まで別に危ない目に会ってないですし……」
「……まさか遅い時間でもずっと一人で歩いて帰ってたの!?」
あー!!!!墓穴を掘った!!!!
こんな事言ったら優しい大神さんは心配するじゃないか。
「嘘です!言葉のアヤです!」
「……決めました」
「えっ、あの、なにを……」
「曜子さん、残業禁止。どうしても残る場合は俺に相談すること!」
「えっ!?な、なんで相談!?」
「遅くなる場合は俺が送ります」
「そこまでしてもらわなくても大丈夫です!ちゃんと遅くなる前に帰りますので!」
「今日帰ってないのが証拠です」
「そんなあ……」
曜子はうなだれた。頑張るみんなを陰ながら支えられるこの仕事が、私は好きだった。
だからこそ頑張れるし、ついつい時間を忘れてしまうのだが。
それが、こうやって怒られてしまうとは。しかも大神さんに心配までさせてしまって、申し訳ない。ますます曜子は縮こまった。
「そんなに俺と帰るの嫌?傷つくなあ」
「いや!大神さんが嫌とかではなくて!純粋に申し訳ないだけです!嫌ではないです、むしろ、」
悲しい顔になった大神さんに、慌てて曜子は考えずに口を回した。何を言っているのか、口に出した後で気がついた。
むしろってなんだ!?何を言おうとしたの、私!?
ほら、大神さんめちゃくちゃキョトンとしてるじゃん!あほか!
「いや、あの、とにかく!別に嫌ではないです!」
「へえ、そっか。そっかあ」
二回も言った!噛み締めないでください!忘れてくれ〜〜!と念じつつむず痒い気持ちを抑えた。
なんだろう、生暖かい視線を感じるのは気のせいじゃない。めちゃくちゃに恥ずかしい。
「曜子さん」
「はい!?」
「俺も曜子さんと帰るの嫌じゃないよ。むしろ、」
「むしろ…?」
続きが気になって聞き返す。
沈黙が流れる。見つめ合うような形になった。今更ながら、大神さんってめちゃくちゃイケメンだ。
なんでだろう、今まで頼れるお兄さんって感じの方が強くてそんなに気にしてなかったように感じる。
今、二人きりなんだ、と何故だか思ってしまい、どくどくと脈打つのを感じる。あれ、いや今更では?ずっと二人だったじゃないか、なんで今こんなこと感じるんだろう。ぐるぐると答えのない感情が回る。
「今はまだ内緒」
はにかんだように、いたずらっ子のように大神さんが笑う。
答えがないことにほっとしたような、残念なような、よく分からない感情で肩の力が抜ける。
「帰ろうか」
大神さんが背を向ける。
自分の顔がすごく熱くなっていることに気がつく。
むしろ、の続きを私が言っていたら大神さんも教えてくれたんだろうか?
なんとなくそんな気持ちが生まれたけれど、むしろの先をどう言えばいいのか、まだ私には分からなかった。
ただ、前よりも大神さんのことが知りたい自分がいることに気がついた。
「あっ!?そういえば大神さん、もう一個の忘れ物って」
「もう解決したから大丈夫」
「?、ならよかったです!」
火照った顔を夜の空気に冷やされながら、二人があたたかな闇に駆けていく。
そんな声がして、ふと顔を上げた。
がらんとした事務所に入ってきたのは、事務員の先輩でもある大神さんだった。
社長と紡さんはだいぶ前に帰ったばかりだから、事務所には私一人だった。二人は私一人で残ることを心配していたが、さすがに久しぶりの親子水入らずの食事を邪魔できない、と言ってなんとか帰ってもらった。
夜のオフィスでは、カーペットを踏んで近づく革靴の音すらもよく聴こえる。
「あ、お疲れ様です!大神さん」
「お疲れ様です。電気点いてたから、消し忘れかと思ったよ」
「すみません〜、私が責任持って消して帰りますので!」
大神さんは今日は午前だけで、その後は直帰だったはずだった。
それなのにこんな夜に来るなんて、忘れ物かな?とちらりと大神さんを見る。大神さんがデスクに向かったのを見て曜子はパソコンの画面に目を戻した。キーボードを叩く音は続く。
「もう遅いよー?早く帰ったほうがいいよ」
「はい!もうちょっとで終わるので、キリのいいところで帰ります」
パソコンから目を上げずに答えると、大神さんの靴が近づく音が聞こえた。
社長たちにも「すぐ終わるので!」と言って帰ってもらったが、見直すと手直ししたくなってしまい、あれからだいぶ時間が経っていた。でも、本当にここだけ直したら私も帰ろう。
気がつくと、後ろに大神さんが立っている。
「それ、次のライブの資料?」
「はい!……みんなすごく頑張ってますから、なんとかいいものにしたくて私も頑張ってます!」
「わかるなあ。でも、無理はダメだよ」
「あはは、大丈夫ですよ。本当にあとちょっとなので」
あ、ここの文なんか変だ。書き直そう。流石にこの書き方はまずいような……なに考えて打ったんだ、このときの私。
眉をひそませながら画面を睨む曜子にはもう周りが見えていなかった。
「あとちょっと…ね」
一文を叩き終わった後も、大神さんが離れる気配がなかったので、流石に曜子は声をかけた。
「えーっと、大神さんは忘れ物ですか?」
「うん、帰ってから資料持ってないの気がついてさ。でももうひとつ忘れ物ができたかな」
「忘れ物ができた?」
「何でしょう」
疑問に疑問で返してきた大神さんからの視線を感じる。すごく見られている。
というか、いつもよりちょっと語気が鋭いような気がする。まあ、一回帰ってまた会社来るのって疲れるよね。
「見つけたら、早く帰って休んだほうがいいですよ!もう夜も遅いですし」
「…それはこっちのセリフです」
「?何がですか、あっ!」
「はい、もうおしまい」
「あー!!大神さん、ちょっ!」
大神さんが素早く私のマウスを奪って鮮やかな手付きで、上書き保存とシャットダウンを押した。
「あっ、あー!!」
すでにボタンは押されていて、「シャットダウンします」の画面を私は掴んでいた。
「もう今日は終わり」
「そんなあ……」
「曜子さん「もうちょっと」って言って何分経ってると思う?頑張るのもいいけど、日付超えちゃうよ」
「えっ!」
時計を見ると本当だった。
「うそ……」
「本当。女の子なんだから、危ないよ。今日はたまたま俺が来たけど、もしかしていつもこんな遅いの?」
「やだなあ、そんなに無いですよ〜」
「……ということは何回かあるんだ」
「うっ……。で、でもここまで遅いのは本当にあんまりなくて……」
「はいはい、今日は帰ろうね。送ってくから」
「大丈夫ですよ、いざとなったらタクシーで帰るので!心配には及びません」
とす、と胸を叩く。
「曜子さんの大丈夫は大丈夫じゃないです。本当にいざとならないと、歩いて帰る気でしょう」
ひえ、バレてる……。でも大神さんに流石に悪いし、だからといってタクシー代をかけるのはもったいないし。
歩くと運動になるから、と言い聞かして私は何度か夜の帰り道、音楽を聴きながら帰っていた。
「でも、今まで別に危ない目に会ってないですし……」
「……まさか遅い時間でもずっと一人で歩いて帰ってたの!?」
あー!!!!墓穴を掘った!!!!
こんな事言ったら優しい大神さんは心配するじゃないか。
「嘘です!言葉のアヤです!」
「……決めました」
「えっ、あの、なにを……」
「曜子さん、残業禁止。どうしても残る場合は俺に相談すること!」
「えっ!?な、なんで相談!?」
「遅くなる場合は俺が送ります」
「そこまでしてもらわなくても大丈夫です!ちゃんと遅くなる前に帰りますので!」
「今日帰ってないのが証拠です」
「そんなあ……」
曜子はうなだれた。頑張るみんなを陰ながら支えられるこの仕事が、私は好きだった。
だからこそ頑張れるし、ついつい時間を忘れてしまうのだが。
それが、こうやって怒られてしまうとは。しかも大神さんに心配までさせてしまって、申し訳ない。ますます曜子は縮こまった。
「そんなに俺と帰るの嫌?傷つくなあ」
「いや!大神さんが嫌とかではなくて!純粋に申し訳ないだけです!嫌ではないです、むしろ、」
悲しい顔になった大神さんに、慌てて曜子は考えずに口を回した。何を言っているのか、口に出した後で気がついた。
むしろってなんだ!?何を言おうとしたの、私!?
ほら、大神さんめちゃくちゃキョトンとしてるじゃん!あほか!
「いや、あの、とにかく!別に嫌ではないです!」
「へえ、そっか。そっかあ」
二回も言った!噛み締めないでください!忘れてくれ〜〜!と念じつつむず痒い気持ちを抑えた。
なんだろう、生暖かい視線を感じるのは気のせいじゃない。めちゃくちゃに恥ずかしい。
「曜子さん」
「はい!?」
「俺も曜子さんと帰るの嫌じゃないよ。むしろ、」
「むしろ…?」
続きが気になって聞き返す。
沈黙が流れる。見つめ合うような形になった。今更ながら、大神さんってめちゃくちゃイケメンだ。
なんでだろう、今まで頼れるお兄さんって感じの方が強くてそんなに気にしてなかったように感じる。
今、二人きりなんだ、と何故だか思ってしまい、どくどくと脈打つのを感じる。あれ、いや今更では?ずっと二人だったじゃないか、なんで今こんなこと感じるんだろう。ぐるぐると答えのない感情が回る。
「今はまだ内緒」
はにかんだように、いたずらっ子のように大神さんが笑う。
答えがないことにほっとしたような、残念なような、よく分からない感情で肩の力が抜ける。
「帰ろうか」
大神さんが背を向ける。
自分の顔がすごく熱くなっていることに気がつく。
むしろ、の続きを私が言っていたら大神さんも教えてくれたんだろうか?
なんとなくそんな気持ちが生まれたけれど、むしろの先をどう言えばいいのか、まだ私には分からなかった。
ただ、前よりも大神さんのことが知りたい自分がいることに気がついた。
「あっ!?そういえば大神さん、もう一個の忘れ物って」
「もう解決したから大丈夫」
「?、ならよかったです!」
火照った顔を夜の空気に冷やされながら、二人があたたかな闇に駆けていく。
1/3ページ