このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

キリリク

  やあ、お帰りなさい。今日も1日お疲れ様。そうそう、今日は彼に荷運びを手伝ってもらってね、助かったよ、あんたからも御礼を伝えといてもらえるかな?

  お、お帰りー。ちょっと聞いてよ、あたしの新発明!これ試してもらってたんだけど途中で逃げちゃって。そんな怯えなくてもいいと思わない?明日にはこっちを試させてもらおうかな、なんて!楽しみにしてるよ!

  あぁお疲れ様です。戻られてたんですね。今丁度別れたところでして。先程まで手合わせをしてくださっていたんですが、いやあ、本当にあの御方は凄い人ですね。リハビリ中であってもあの気迫、手を抜くなと、負けず嫌いなところもお可愛らしい……げほっ!いえ、何でもありません!

  あらテランス様、丁度いいところに。元気なお顔が見れて嬉しいですわ。我が君ったら、作業の間に預かったこちらを忘れていかれて。ええ、今日もお手伝いをして頂いたのです。優しくて、美しくて、我々と同じ目線でお話してくださる。あの戦いがなければ、こんな風に話せるようになるなんて夢にも思いませんでしたわ。実際に言葉を交わしてみて、やっとわかる事ってあるものなのですね。

  兵長、どうしたんです?……今日?はい、朝打ち合わせた通りなんですが、石の剣の方々と合同で訓練をしましたね。あ、バレました?そうそう見学だけのつもりだったんすけど、団長ってばオレ達の新技とか新しい連携に目をキラキラさせちゃって。や、ちょっとだけ。ね?無理はさせてないですよ!

  ──ああ、我が君よ、貴方様は本日も麗しくあ……ひえっ、へ、兵長、いいえなんでもございません聞かなかった事に──



「──で、どうしてこうなっている……?」
「………………」
夕刻。部屋に戻るなり、のし、と全体重をかけて抱き着いてきた熊一頭に、おぉ、とディオンは蹌踉めきながらも両手を広げて、伸し掛かってくる身体を受け止めた。中途半端に椅子から立ち上がりかけた姿勢から、彼を抱えたまま腰を伸ばして背中を支え直し、見下ろした視界いっぱいに入る後頭部の刈り上げをさりさりと撫でて手触りを楽しんでいると、熊はむずがるように首を振り、ぐりぐりと肩口に額を押しつけた。
何があったんだ、と問えば、熊……どうやら珍しく御機嫌が斜めになっているらしい、愛しの恋人──テランス親衛兵長殿は、暫しの沈黙の後に「……貴方の話を、」と不服そうに呟いた。
「私の話を?」
「…………」
続きを促したが特に言葉を発することもなく、テランスはむっすりと黙り込んでぎゅううと抱き締める腕の力を強くしただけだった。
  ……私の話、とは。
ぎゅうぎゅうと抱き着いたままの姿勢で首筋に顔を埋めるテランスに、何かしただろうか、とディオンは首を捻る。
療養生活も既に半年が経ち、気力が余り始めてきたディオンはいつもの手伝いの他にこっそりと訓練に混ざっているのだが、まさかそれがバレたわけではあるまい。
 今日は朝からハルポクラテス先生の助手をして、勉強熱心なヨシュトと古書について話し込み、ミドアドル嬢の実験に付き合い──逃げたが──、植物研究者シャルルの説明を受けながら枯れた葉を摘み取り、いつも通りに隠れ家として開かれている遺跡内をぐるりと一周してから、隠れ家に待機中であっても真面目に鍛錬に励んでいる団員達の様子を窺った。そしてこっそりと、本当にこっそりと訓練中の輪に入り──ぎょっと目を見開く団員にしぃ、と人差し指を唇に当てて口を噤ませ、何食わぬ顔で模擬戦に参加し、満足したところで引き上げて、それからテランスが帰る前に汗を拭って待っていたのだ。石の剣の者は皆口が硬いし、優秀な我が子(のようなものだと思っているが、彼らとしてはどうなのだろう)がテランスに告げ口などするはずがない。
はて、となると、この熊は何に対して拗ねているのだろうか。
──ああ、そうだ。これはわかりやすく拗ねている。……この状態は、前にも少しなった事があるのだ。なんせ出会ってから25年。まだ互いに声変わりもせず、身長が1mにも満たなかった頃からの付き合いだ。初めて喧嘩をした相手も、初めて手を繋いだのも、初めて遊んだのも、初めての友達も、初めての従者も、初めての恋人も、初めてキスをしたのもテランスであるのだから、今のような姿も初めて見るわけではないのは当然だ。しかし、さっぱり拗ねさせた原因がわからない。前に不貞腐れた時はなんだったか。たしか、私がテランスから私へのサプライズプレゼントを当ててしまった時か。それとも、聖竜騎士団本部での手合いでテランスが完膚無きまでに叩きのめした団員の動きを褒めた(そういうところが鬼の兵長だと呼ばれるのだぞ、と釘も刺しておいた)時だったか。どちらにしても、偶に大人気なくなるテランスは、こうして頑なに口を利かなくなるのだ。
「何かあったか?」
「…………」
直接聞いても答えるわけがないと思うが、一応。
意識せずとも柔らかくなる自分の声に愉快な気持ちになりながら、さらさらと頭を撫でる。触り心地の良い刈り上げは私の為だ。少し伸びた前髪を後ろに流して、指で髪を梳いた先の、手のひらを擽る感触が楽しい。昔、この手触りが好きだと言ってからずっと同じ髪型にしてしまうくらいには、私の言葉はテランスを喜ばせたようだ。言葉だけではなく、全身で私を好きだと伝えられているのもわかっている。
いつまでむくれているのかは知らんが、こういうテランスも可愛らしいので気が済むまでしたいようにさせてやる。二人きりの時だけ、更にはいつも穏和なテランスの、滅多に見れない貴重な我儘だ。
「よしよし」
あやすように背中を撫でる。完全に仔竜に対するそれだが、それでもテランスは満足しているらしい。大人しく撫で摩る手を享受しているが、しかしそろそろ足が疲れてきた。甘えたなのはいいが、自分のでかさを考えてほしい。もう一度椅子に座るつもりでいたが、熊を身体に張り付けたままでは碌に日記も書けやしない。机の上に開きっぱなしの本とインクを諦め、ベッドの縁に腰掛けると、顔を上げないままにこの男は重心をこちらにかけて文字通り押し倒してきた。視界に天井が映り、次いで太い腕と重い頭が胸にぼすんと乗せられると、思わずぐえ、と潰れた蛙のような声が出てしまった。おい、私は抱き枕か。
「テランスー……」
御丁寧にがっつりと足を絡めて抱き込まれ、完全に寝る体勢の男に呆れた声を漏らしてしまう。動けない。数年前までは私がこれをやると「いけません」と窘めていた側の男が、国から離れ、自由の身となった今は逆になっているのが面白い。暴走して自国を滅ぼした叛逆者は行方不明であるし、自由といえども叛逆者わたしは姿を隠す他無いのだが。
「っう、」
考え込む最中、もぞもぞと動いたと思ったらぺちんと額を叩かれて、じとりとテランスの顔を睨みつける。何をする、と聞いても、胸の辺りに頬をくっつけた彼は素知らぬ顔で目を閉じて、寝たフリを決め込んでいるようだった。まるで子供の頃に戻ったようだ。修道院附属学校の時分、体内でバハムートが暴れ、不安で眠れなくて過ごした夜に、テランスは傍に来てくれた。手を握り、二人で一つの毛布に包まって、その暖かさが睡魔を呼んでくれたのだったか。ああ、また意識が逸れる。それを察したのか、もそ、と熊が動いた。
「…………俺だけを見て」
「ん、もう良いのか?」
「…………うん」
「良くないではないか」
可愛らしく拗ねた男が顔を上げて、頬を膨らませてはまた胸に埋まる。これは長くかかりそうだ。甘えん坊め。そう囁いて柔らかく耳を抓んでやると、大きな熊はふふふ、と楽しげに肩を震わせた。
全く、手のかかる。
2/2ページ
スキ