キリリク

どうしたら良いものか。


孤高の魔女、ディオン・ルサージュは悩んでいた。
自身の眷属である狼男テランスと恋仲になってから、テランスは以前にも増してディオンへのスキンシップが激しくなり、肌に触れ合うことが多くなっていた。
ただの親友だった頃のそれとは違う、所謂恋人同士という関係性ならではの触れ合いが増えたのだが、そんなテランスの行動には多少戸惑いを覚えつつも決して嫌だということはなく、それが自分への愛ゆえだと思うと、むしろ喜びさえ感じていた。

念願だったんだ、と夢現の中でテランスは教えてくれた。
配下契約をすれば、寿命がぐんと延びる。何度も断っていたのに、どうしてそこまで。そう聞いたディオンに、テランスは少し悩んだ素振りをみせて、今にも眠りに落ちそうなディオンの頬を撫で、ぎゅう、と体温を分け与えるようにディオンを抱き寄せて、俺はね、と囁いた。
内緒話のように低く呟かれた声はとびきり優しくて、じんわりとディオンの胸を温かくした。

 ──ディオンを独りにしたくないから。ずっと傍にいたいから。ディオンに寂しい思いをさせたくないから。愛しているから隣にいたいのだと、いつか契約する日を夢見ていたんだ。

 と。本音を曝け出したテランスが愛らしくはにかんで、一緒に眠って目覚める朝が楽しいのだと言い切られれば、熱く茹だった頭は睡魔を追い出してしまったわけで。
言って満足したのか、先に眠りについたテランスの寝顔を眺めながら『今まで我慢させた分、テランスの望みはなるべく叶えてやろう』と思っていたのはつい最近だった、はず。なのだが。

就寝前はともかく。
休憩中も、新たな魔法の実験中でも、食事中であっても、適切な距離とは言い難い近さ──端的に言ってしまえば常に背後から抱きつかれていて、本音を言うとだいぶ邪魔なんだが、頬擦りをされたり、ざらざらとした舌でぺろりと舐められたり、ふいに口付けられたりするとドキドキと胸が高鳴って、自分だけを真っ直ぐに射抜く凛々しいテランスの表情に何ともいえない心地になってしまうのが、ディオンの専らの悩みの種であった。



狼の性欲とは如何たるものか。
深く息を吐いてしまいそうになるのをぐっと堪える。
繰り返し言うが、嫌というわけではない。だが頻度が多い。触れ合いの回数……伸し掛かられているのはこの際いい。街に出ている時は(一応)自制しているようだし、知り合いの前ではテランスを背負ったままだが、皆気にしていないようなので私もいつもの事だと流して──後日ジョシュアに「気にしてないんじゃなくてディオンも大変だな……って引いてるの!」と怒られるのだが、今はまだ知らずにいる──そのままにしている。そうではなくて、その、触れられて、戯れたあとの。

「毎回“そういう”気分になってしまうのだが、それがテランスにはすぐにバレてしまってだな……そのまま雰囲気に流されてばかりで……、あれの、その、回数というのはこんなものなのか?人間はいつもこんなことを?」
「惚気?」
「違う!」
旧友ジョシュアの白けたような目に慌てて否定をする。あまり干渉しない魔女同士の中でも、比較的親しくしているジョシュアの隠れ家に押しかけて、どうにも独りでは解決できない悩みの相談をしに来たのだが、先程からジョシュアは不貞腐れたように革張りのアンティークチェアに深く腰掛けて、肘掛けに体重を乗せて頬杖をついている。そんなに疑わないでもらいたい。頼れる者はお前しかいないのだ。縋るような気持ちでじっと見つめると、ジョシュアははぁ、と溜め息をついて「それで?」と続きを促した。話が通じて助かる。
ちなみにテランスは家に置いてきた。あれはジョシュアに対して何故か威嚇をするし、普段なら連れて来ても良かったのだが今回の相談事ばかりはテランスに聞かせられるわけがなかった。
こんな話をしてみろ、あのぶんぶんと振っている尻尾がしゅんとしてしまうのがわかりきっている。ぱたり……と力無く床に落ちた尻尾と、ぺったりと伏せた耳が漂わせる哀愁は、見ていて胸が痛い。
回数が多いのなら、なんとか心を鬼にしてテランスには少し我慢するように言える。アレが平均だというのなら、私も腹を括ってなんとか時間を作る。これが少ないと言われれば、人間とはなんと恐ろしい事をやってのけるのだと尊敬してしまう。
「はっきり言って、このままで仕事にならない。毎日朝か昼と、夜。夜は就寝前にあぁいうコトをする時間だとはわかっているが、朝昼まで何時間と潰れてしまうと私も余裕がなくなる……というか、新規魔導書の納期が遅れてしまうというか」
「ちょっと待って、毎日?」
「ああ」
「多いよ!!」
そりゃあ草臥れた顔してるわけだ。とジョシュアは額に手を当てて天を仰いだ。
「いい?いくらディオンがスタミナあるからってそれはやり過ぎ。人間だって普通は毎日やらないし、ましてや一日に二回も?」
「厳密にいえば一回のうちに二回の射精を」
「そんなこと聞いてないってば!」
背凭れに挟んでいたクッションを掴んだジョシュアがこちらの顔面目掛けてそれをぶん投げてくる。顔に当たる寸前に難なくキャッチして、何をする、と眉間に皺を寄せてみせると、ジョシュアは内容が生々しいんだよ、と何故か疲れ切った表情をしてみせた。
「朝と晩に二回ずつで、四回……一週間だと二十八回…………キミたちバカなの?」
「兄君の目を騙す為だけに人参滅失魔法など編み出した者には言われたくないな」
「ごめんそれは忘れて」
ぐったりと項垂れたジョシュアにうむ、と頷く。魔女など長い時を生きる故に中々変化が起きづらいものだからな。苦手を克服するより手っ取り早く消してしまった方が楽だ。まあ、それも直ぐにジョシュアの兄君にはバレてしっかり怒られた挙げ句、未だに人参克服チャレンジは続いているようだが。

テランスについての悩み相談から思考が逸れつつある頃、テーブルに置かれた茶菓子を摘んだディオンの耳に、チリン、と鈴の音が届いた。
「ヨーテか」
「ディオン様、いらっしゃっていたのですね。ジョシュア様、只今戻りました」
トッ、と森の見える出窓から部屋の中に降り立った黒猫が二人に声を掛ける。チョーカーに付いた鈴をチリ、チリンと鳴らしながら歩いて人の言葉を発した彼女は、大きく伸びをしてから人の形へと変貌した。黒い毛並みはショートヘアの黒髪となり、魔女の配下らしく闇に紛れやすい黒基調の旅装束を纏った女性──ブラックキャットであるヨーテは、ジョシュアの元へ向かうと恭しく頭を下げた。
「お帰り。何か変わったことは?」
「現状維持というところですね。取引を持ち掛けるには時期尚早かと」
「ふぅん……資金繰りに難航してるのかな」
「……相変わらず魔女らしくない稼ぎ方だな」
ヨーテが差し出した紙の束を受け取ったジョシュアがつまらなさそうにそれを眺めた。向かいに座るディオンの位置からでも街の様々な店の名前と細かい情報が書かれているのが見えてしまっているのだが、本来自分達は知ってはいけないことだろう、と何となく察しているので気まずく思う。魔女はだいたい、自身の魔力を籠めた薬を調合したり、新たな魔法を開発したり、魔法の使えない人間の為に誰でも魔法を発動できる魔導書を認めたりして日銭を稼ぐのが一般的だ。しかし、ジョシュアは他の魔女よりも特に人間社会に興味を持っているようで、こうやってよくわからない人間達の決まり事に首を突っ込んでは楽しそうに収入を得ていた。
人間の真似事をするなど物好きだな、とジョシュアに言ったのは大昔の事だったが、今まさにテランスとの性愛事情を人間社会から学ぼうとしているのはブーメランというやつなのだろうか。

 ……テランス。大人しく留守番をしているだろうか。ここに行くと告げた時、どうしても着いていくと駄々を捏ねていたから、きっと今は拗ねているに違いない。
来るな、と強く言ってしまった。魔女同士の大切な用事だから、と説き伏せて、渋々頷かせた代わりに、首筋に強く吸い付かれて──

 鎖骨から首元を舌でべろりと舐め上げられた感触を思い出す。
テランスの唇が首筋に触れて、舌を這わせて濡れた肌を軽く噛まれ、皮膚を吸われたことでビクンと身体が跳ねたのは快楽を享受することに慣れたせいだ。流されるなよ、と叱る理性とは別に、肉体がテランスを欲しがって、きゅう、と切なく疼いてしまう腹を誤魔化すのに必死になっていた私の耳朶を、テランスが戯れるように舌でつついて優しく噛んだ。
はあ、とテランスの唇から零れた熱い吐息を耳から直に感じることで、ぞくりと快感を拾って腰が抜けそうなところをなんとか堪え切った私を褒めてほしい。
ジョシュアに相談をしに行くのだと決めていたから、何がなんでも快楽に流されないようにと耐えてテランスの誘惑から逃げる様にここまで来たのだ。今後のためにも、テランスとの(下半身の)付き合い方を決めて向き合わねば、何の情報も得ずにすごすごと帰るわけにはいかぬ──と。

ディオンが内心決意を固めていると、ジョシュアと話していたヨーテがディオンに向き直り、「お伝えしに行く手間が省けて丁度良かったですね」と話しかけた。
「…………ん?何がだ?」
「ちょっと?今の話聞いてなかったの?」
ジョシュアが呆れてディオンを見る。
「魔女集会。月一とか言っときながら長く延期してたけど、また始まるんだって」
「今月の開催は明日の夜更けです。努々お忘れなきようにと」
「…………は!?」
なんだってそんな面倒なことを。
降って湧いた無駄な会議に、ディオンは初めて訪れるテランスとの共寝の無い夜に、そんなつもりではなかったのだ、と誰と言わずに言い訳をした。



魔女集会。魔女会議とも呼ばれるそれは、世界に数少なく存在する魔女を一堂に会して、現在どういう生活をしているか、人間達の国の情勢がどうなっているか、不穏な動きがあれば、最悪戦争を起こしてしまう前に審判を下そうと決議する会議の場である。
  力を持つ者が力に溺れてはならない。
魔女の恐ろしさは一人で国を滅ぼせる能力を秘めていることであるから、人間達への抑制にという意味合いで各地に散らばって生活をしているのは遥か昔の大魔女が取り決めたことだ。
現在それを引き継いで魔女達を統括している大魔女アルテマを含め、現時点で生きている魔女は十名。その殆どが人々の治世の管理の為に離れている、というよりも、互いに興味が無いので離れて暮らしたままでいる、という方が主な理由になりつつあった。
魔女だからといって必ずしも離れなければならないというものでもなく、魔女クライヴと魔女ジル夫妻は共に暮らしているし、治安さえ良ければどこで暮らしてたって良い。ディオンやジョシュアのように人里から離れた場所でひっそりと暮らしても、魔女フーゴのように目立つ豪邸を建てても良い。同じ魔女だからこそ、干渉しないという気持ちもある。
ただ、一部の魔女は互いに関心がないよりもたちが悪い仲の悪さで、顔を合わせれば喧嘩になってしまうのだが──喧嘩だと思っているのはディオンだけで、実際は魔女ベネディクタの恋心が捻くれた結果である──それを思うと余計に気が乗らない上に、協調性のない魔女達と顔を合わせなければならない。それがディオンの胃にストレスを与えているのだった。

一応の助言「普通の人間はもっと少ない。回数多すぎ。自重するべき」というジョシュアからのアドバイスを胸に、ディオンはテランスにどう説明しようか考えつつ、箒に跨りふらふらと飛びながら帰宅したところ、部屋の隅には見事な湿地帯が出来上がっていた。
  拗ねている。
あまりにも落ち込んでいたのか、狼型に変化したテランスは自身の尻尾を身体に巻きつけて、なるべく小さく見えるように丸くなって不貞寝をしていた。
まずい。これでは回数を減らす話を切り出す前に、明日の会議の事ですら伝えてしまえば泣いてしまうのではないか、と、ディオンは家に独り残される事になったテランスの寂しそうな姿を想像して、ちょっぴり悲しい気持ちになった。
「テランス、遅くなってすまない」
「……でぃおん?」
丸まったテランスの隣に腰を下ろして、ふわふわの毛並みを撫でる。長い付き合いの中でこの姿をよく見たのはテランスがまだ仔狼だった頃だが、大人になってからの変化がめっきり減ったのは、『ディオンの隣に並んで格好良い姿を見せたかったから』だと聞いた時は思わず笑ってしまった。狼の姿でも格好良いぞ、と伝えた時のテランスの喜びようといえば、なんともまぁ可愛らしいことで。
それを言い出すときっと拗ねるだろうし黙っていよう。そんなやり取りを思い出しながらテランスを撫でていると、少し泣いたらしいほんのり腫れた目がゆっくりと開かれて、ディオンを映した瞬間ぱちりと覚醒したようだった。
「ディオン……!!お帰り!」
「ただいま。良い子で留守番できたか?」
「できた!……っけど……子供扱いしないで」
「っわ、と、突然戻るな……っ!」
頭を撫でるディオンの手のひらを押し返して人型になったテランスがディオンに飛びつく。身体を押されて後ろ向きに倒れかけたディオンが床に後頭部をぶつける前に手を添えたテランスが、覆い被さった勢いでディオンの唇に噛みついた。ふぁ、と無防備に開いた隙間に舌をねじ込ませて、怯んだディオンの小さな舌を絡めとる。濡れた舌をぢゅう、と吸って、蜜のように甘いディオンの唾液をこくんと飲み込むと、テランスの胸を叩いていたディオンがとろりと瞳を潤ませて、頬を紅潮させてテランスを見上げた。
「っぷはっ……ん、んぅ……っン、ふぁ……っ!」
鼻にかかった甘い声を漏らすディオンに、テランスは夢中になって何度も口付けた。ディオンが可愛くてたまらない。全身を押し付けるように隙間なくくっついて、口腔内を余す事なく堪能しながら、昂った半身をぐりぐりと擦りつける。
「はぁっ、ン、ぁっ……、て、テランス、や……」
「なぁに?もっと?」
ディオンの目尻に浮かんだ涙を舌で掬い、ちゅ、と額に口付ける。身を捩ったディオンのそれも兆し始めているのに満足したテランスは、慣れた手付きで黒のケープコートを外してインナーの裾を捲り手を忍ばせた。「ってらんす、らめ、」と舌足らずに名前を呼ぶディオンも可愛くて、機嫌良く腹を撫で、薄っすらと割れた腹筋を確かめながら指先が胸元を滑ったところで、
「〜〜っ駄目だと言っているだろうが!!」
「ッイ゛っだぁ!?」
ゴン、と上半身を力一杯跳ね起こしたディオンの頭突きがテランスの額に直撃した。剥き出しの額はヒリヒリと痛み、ううう、と若干赤くなった患部を押さえながら、どうして、とテランスは涙目になった。
「どうしてもこうしてもない!そうやって同意を得ずにしようとするなと言っている!」
「なんで!」
「嫌だと言ったら嫌なのだ!」
「嫌なの?」
「嫌……いや、という意味の嫌ではなくてだな……」
「交尾きらい……?」
「きっ……嫌いという意味でもなく……!」
言葉に詰まったディオンに、テランスがずい、と身を乗り出して、鼻先の触れ合う距離でもう一度、どうして、と瞳を潤ませて言った。あざとい。わざとなのか?と揺らいだディオンがぐううと唸ってきつく目を閉じた。
「ディオン……じゃあなんで駄目なの……?」
「そ、それはその……こうしてすぐに盛るのが良くないというか……」
「………………床だから?」
たしかに。顔を逸らしてちらりと横を見れば、本棚に入りきらずに乱雑に積んだ本の山が視界に入った。
「確かに……はっ!?」
「じゃあベッドなら良いよね?」
「待て待て待て!そういう話でもな……っ!」
「朝からずっと待ってたご褒美も!」
「待っ……て、テランス……!」
言うが早いかさっと背中から脇の下と膝裏に腕を回したテランスが嬉々として立ち上がり、颯爽と寝室に足を運んでディオンを柔らかなシーツの上に降ろし、服を脱ぎ捨てながら覆い被さられたところで、ディオンは今度こそ止める言葉を見つけられなかった。


「で?駄目だったわけ?」
「可愛くてつい」
「で、なんでいるの?」
「可哀想でつい」
「はあぁぁぁ…………」
魔女会議当日。円卓に着席したディオンの背後に立つテランスを見て、ジョシュアは大袈裟に呆れてみせた。眷属を連れてはならないという決まりは無いものの、一応は魔女だけの集会である。良いのか?という意味を含めた視線をアルテマにやると、うむ、と神妙に頷いただけで意思の疎通はできそうになかった。やる気あるのか。
周りを見れば、いつもの通りに魔女シドに吠える魔女ベネディクタ、ベネディクタの気を引こうとする魔女フーゴ、夫婦仲睦まじく朝食の話をする兄と義姉、そんな兄に熱い眼差しを向け続ける魔女バルナバス。両肘をテーブルについて手を組んだバルナバスの姿は、どこかで見た最高司令官のようだった。
ぐるりと見渡した後にまたディオンを見る。テランスに顔を寄せられ、何かを囁かれた瞬間にほわ、と頬が色づいた。帰ってからやれ。思わず眉間に皺を寄せて見ていると、むすっと機嫌を損ねたような表情になったテランスがこちらを睨みつけてディオンを抱き寄せた。
「ディオンにあまり近づかないで頂きたい」
「テランス……♡」
「帰れ!!」
立ち上がって吼えたジョシュアに、アルテマはうんうんと頷いたが頷いただけでわかってないようだったのでジョシュアの怒りはおさまらなかった。
何も始まらないまま、会議は踊る。
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