ああ!恋とはどんなものかしら


『8 letters, 3 words, 1 meaning』

8文字、3単語、1つの意味。
8月も遂に最終日を迎えて、ディオンは頭を悩ませていた。毎年恒例のあの日だ。日付に関する、3つの数字に意味を持つ日。メモの端に小さく書かれた“831”に微笑んだり、盛大にアピールをして愛を掲げたり。
テランスはいつものように隠れ家に滞在させている数名の聖竜騎士団員と石の剣の面々と共に船を漕ぎ外へ出ている。そしてクライヴもガブと、彫金がどうとか言っていたグツを連れて各地へと。植物園の草花や樹木は改良を続け、解読された書物や発掘物から歴史は解明され、新たな食材を発見すれば調理、研究しては料理の種類を増やし、工房は様々な道具から大型の装置まで開発から発明が進められている。
ここの者達はいつも忙しそうで、しかし活き活きと日々を暮らしている。私も一宿一飯どころではない恩に報いて、彼らの手助けをしたいと思ってはいるのだが、それはまぁさておき。
今年はどうしようか。と、目下の問題はそればかりが頭に浮かぶことだった。
考えながら厨房に行き、昼食のパンとスープを受け取り、自室に戻って机に向かう。羽根ペンを握った手は暫く宙に意味を成さない文字を書いて、やっと紙にペン先を置いた時にはとうに乾いて掠れた字しか書けなかった。気を取り直してインクをつけ、もう一度文字を綴る。

『I』──1文字。私。
『LOVE』──4文字。愛。
『YOU』──3文字。貴方。

自身の走り書きを見て、ディオンははぁ、と溜め息をついた。
彼を喜ばせる翼は失った。背に乗せて飛ぶことも、共に駆けることも今の自分はままならない。
最初に言葉を贈ったのはいつだったか。親友だと思っていたテランスから告白を受けて、自分の気持ちを自覚して、逃げようとした彼を追いかけて問い詰めた18歳の頃。言ってしまった、と動揺した顔を見せるから。私への気持ちを誤魔化して、無かったことにしようとするから。
大怪我をしていたのを忘れかけるほどの激情をぶつけたディオンに観念したテランスからの、真っ直ぐな愛を告げる言葉が嬉しくて、初めてのことに数日は浮かれていた。
そして恋人という関係性が追加されてから初めて迎えた8月31日。ちょっとしたことからその数字の並びの意味を知り、想いが爆発して皆が寝静まった頃にテランスの部屋に忍び込んだんだったか。結果は成功したが後で叱られたことには未だに納得していない。
2度目のその日は堂々と。部屋に行くと伝えれば「私が行きます」と食い下がられ、次の年は演習との日程が重なったのでテランスを背中に乗せ、派手な技のついでに大きく羽ばたいた。更に翌年は街に繰り出して、そして別の年にはいつかの敗戦のおかげで何も出来なかった年もあり、また別の年には忙しすぎて山のように重なった書類の上にメモを挟んで渡すことぐらいしか出来そうになく、文字にせずとも言葉で伝えた時のような、淋しくもあり充分に嬉しくもあった年も越えて。
ちなみに、休みをどうにか合わせてほぼ1日睦み合った年は1度だけあったが、それはまた別の機会に狙うとして。
長い戦の合間、兵器から人に戻れるこの日に、色々な愛の伝え方をしてきたが、自分を形成していたほぼ全てを失った今。
本当のただの人となった今年はどうしたものか。
もう一度息をつく。本当の誕生日を知らないディオンは、表向きに決められた誕生日よりも、普段より強く愛を意識するこの日が何よりも幸せな日だと、自覚もなくそう思っていた。


派手な事はできない。資源は有限である。自身の持ち金もとうになく、今はテランスがディオンの財布を握りしめている。
顕現ができれば、と一瞬でも考えてしまったが今の世界を否定するわけではなく、体内のバハムートの残滓も綺麗さっぱり消え失せている。竜達との意思疎通は問題なくできるだろうが、大きな身体の彼女らを隠れ家に呼び込むわけには行くまい。
10数回目ともなると同じ手が被ってしまうのが悩みどころだ。レパートリーの少ない自分に辟易しながら、助言でも貰えないかとディオンは隠れ家の中を彷徨う。
「じゃあそんなディオン殿下にはこの花をあげましょう。ああ、勿論私からではなく、殿下からテランス様への贈り物として」
花の世話をしていたヴェスナが花がら摘みのついでに、と1輪の花を手渡してくる。鮮烈な緋色の花弁が弾けて盛り上がるように開いた花は、爽やかな香りを漂わせていた。
「モナルダ、という名前なんです。この子は恋の花で」
「恋の……」
呟くようにそう言うと、ヴェスナは背中を押すようににこりと微笑んだ。

これもどうぞ、とマーテルの果実を1つ投げ寄越したのをキャッチして、ディオンはコルマックにありがとう、と声をかけた。ここで目覚めてから1番に打ち解けた相手であるから、友のように接してくれるのは嬉しい。
思わぬ戦利品に頬を緩めながら裏デッキに上がると休憩に立ち上がったらしいブラックソーンと目があった。貴方は愛の日を知っているか、等と聞ける間柄ではないが、人生経験の豊富そうな彼なら何か良いアイデアを知っているかもしれない。少し悩んで、口を開こうとして、何かを察したらしいブラックソーンが待て待てと静止をかけた。
「ろくでもねえ甘酸っぱい話をしようとしてやがるな?待て、俺にゃそんな話は向いてねえ。そういうのはオットーの分野だろうが。これでも持っていけ」
突き出された拳に首を傾げると、もう一度ぐ、と拳を見せられる。どうやら手を出せということらしい。手のひらを差し出すと、そこにぽん、と置かれたのは、白い絹で織られた帯だった。
「シルクサッシュ?」
「ああ。……加工したのは良いんだがな、“そいつ”がお前んとこに行きたがっている気がして……な」
「……そうか」
愛する仔の骨か。また私の元に。
じわりと胸に湧いた温かさに、ディオンは震えた唇を噛んで不器用に笑ってみせた。
「ありがとう。また会えて良かった」
今日という日に、愛を伝えられたのは私だったか。と、言外に含んで、片手を上げて踵を返したブラックソーンと別れて、ぼんやりと歩く。
先生の顔も見に行こうか、ミドアドル嬢、いや、エディータやシャーリーに聞いてみるのも良いかもしれない。アスタ嬢は……恋が多すぎて情報過多になるような予感がする。
考えながら散歩をしていたら、いつの間にか自室の前まで戻ってきていたらしい。手に持った燃えるような赤を部屋の真ん中のテーブルに飾り、サッシュもそこへ。聖竜の加護がありますように、と花瓶に巻いて、果実はナイフで切って皿へ。余談だが、果実の皮を薄く切れるようになったのは最近のことである。
結局なにをするか思いつかなかった、と、ディオンは軽く椅子に腰掛け、テーブルに頬杖をついて目を閉じた。


仔の夢を見た。大きく育ったホワイトドラゴン。
強く逞しい姿はテランスに似ていると思った。大事な聖竜と、大切な人。主の命をしっかりと聞いて、騎士団と共に護ってくれていたのに、最期には何もしてやれなかった。
もう二度と会えないのだと思っていたのに、こういう形で再会できるとは。鍛冶職人とは不可能を可能にしてくれるのか。
それともあの子が強かったから。力ではなく、心が。全ては憶測の域を出ないが、そうだったら良いと思う。 
愛を伝えに来てくれたのだと。


頬に感じた温かな感触に意識が浮上した。仔が私に擦り寄って甘えたのか、と寝ぼけたが、その温かさは聖竜のものでは無く、帰ってきたばかりらしいテランスの厚い手だった。優しく撫でる手に気持ちがほどけてしまう。ただの幼馴染だった時から、テランスだけには何もかも許してしまっていた。あの時、告白されてから芽生えた恋だと思っていたが、もしかして、今になって思うと幼少の頃から恋をしていたのかもしれない。
「……テランス」
「起こしちゃった?ごめんね……ベッドに運ぼうと思っていたんだけど」
「すきだ」
撫でる手が止まった。心地良い微睡みから急に突き放された気がして、薄く目を開ける。許せん、と視線を向けると、その顔はほんのりと朱に染まっていて、つい笑みを零してしまった。
「笑わないで」
「何年経つんだ」
「何年経っても慣れないんです」
「開き直るのか」
「貴方だって不意打ちに弱いくせに」
確かに不意打ちに弱いのはお互い様だが、こうも初心な反応を毎回されると楽しくもなる。愛されて、愛している。純粋な心は変わらない。
「大好きだ、テランス。お前を愛している」
ストレートな愛の言葉にテランスが動揺する。狼狽える姿を見るに、今日という日を覚えていて、そして先制攻撃が成功したということだ。そう、毎年この日は勝負を仕掛けている。どちらの愛が勝つのかと、子供がするような小さなゲームを。
「私の傍にいてほしい。隣にいて、手を離さないでくれ」
「……勿論」
見つめた眼が水の膜を張っている。喜びを隠せない様子のテランスに、紅い恋の花を飾る絹帯を見るように促して、仔も帰ってきてくれたのだと伝える。竜はみな、我が騎士団にとっての子供達なのだ。
瞬くテランスに次いで果実を一切れ掴み、唇に押し当てる。
「知っているか、テランス」
大人しく食べさせられているテランスにもう1つ、今度は咥えさせた果実の反対側に齧りついて、ちゅうと軽く口付けた。
「この果実を食べさせ合うと互いが魅力的に感じるらしい」
「エデンの果実だったの?これ」
くすくすと笑うテランスに手を伸ばして、それに応じて抱き締めてくれたことに機嫌を良くして御礼とばかりに唇を寄せる。仔が思い出させてくれた愛を、そのままテランスに伝えなければいけないと感じていたから。
「ずっとだいすきだ」
そうして、彼はまた泣き虫に戻るのだった。
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