ああ!恋とはどんなものかしら


庇った、などとそんな大層なことではない。ただお前を護りたかった。それだけのことだ。
考える前に身体が動く、というのは咄嗟の判断を求められる戦火の中では大切なことで、一つ間違えれば仲間は死に、有利な状況でさえ逆転する可能性だってある。我々が負ければ国は弱り、民は飢え、平穏な暮らしを奪ってしまうことになるのだ。
仲間を、付言するならば自身の従者であり、年端もいかぬ頃からの幼馴染の危機を、ともすれば死を見過ごすなんて真っ平御免だった。
重症を負ったのは己の力を過信していたところもある。
全ては余の鍛錬不足であり、反撃の精度を欠いたのは、その従者の無事な姿を目に収めて安心してしまったから、というところだろうか。見開かれた青灰色の目、戦場で少し乱れた黒茶色の髪。
テランス、お前が無事で良かった。
意識が途切れる前、それだけが頭に残った。


ぽたり。と濡れた感覚に引き上げられるように目を覚ます。シーツの上に乗った手は包み込むように両手を重ねられ、ずっと握り締められていたのか酷く温かかった。
ベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けた従者は、祈るように手を握り、深く項垂れている。熱い雫が腕を濡らす感覚と、ぐす、と鼻を啜る音に、自分まで悲しい気持ちに襲われてしまう。テランス、泣かないでくれ。そう言いたいのに、未だはっきりとした覚醒に至っていない意識が、虚ろな視界でテランスを映すことだけしか許してはくれなかった。
こちらが目覚めたことに気付いていないのか、テランスは小さな声で懺悔を口にする。
早く目覚めてくれ。お願いだ。生きて。私のせいで。私が変われればよかったのに。ごめん。貴方を守ると誓ったのに。ずっと貴方を支えたいと思っているのに。
テランスの口から次々と溢れる言葉に質量が増す。返事がしたいと思うのに、目覚めたばかりの身体はちっとも言うことを聞いてくれない。全身に巻かれた包帯がきつい事もあってか、翼を奪われた竜のようだった。
せめて声を。乾いた喉に唾液を送り込んで、唇と口内を濡らす。唇を開いて、名を呼びかけようとした時、握られた手が一層強く握り締められた。
「──貴方を、これ程にもお慕いしているのに」
「…………それは、本当か?」
びくり、と全身を震わせて、弾かれたようにテランスが顔を上げる。狼狽えた目が口ほどに物を言い、強く掴まれた手は痛い位に握り込まれて、思わず笑みを零してしまった。
「テランス、今は……っぐ、ぅ……!」
「っディオン様!」
身体を起こそうとして痛みに顔をしかめると、慌てたテランスに支えられる。「お身体に障ります、どうか安静に……!」そんな言葉は今はどうだっていい。先の言葉の続きを。頼む、と視線で促すと、テランスは観念したように、一つ、また一つと、これまでの想いを告げていった。
長らくの片思いだとは全く気付かなかった。積年の想いとは、これほどまでに嬉しいものなのか。
「初めての感覚だ」
心が踊る。頭に浮かんだままそう告げると、テランスは両手で顔を押さえ、女神グエリゴールよ、と天を仰いだ。それは流石に意味がわからない。

果たして、テランスの気持ちは充分に伝わったが、正直なところ自分の心はどうかと問われると、さっぱりとわからないのである。
想いは嬉しい。素直に感じたのはそれだけだ。それ以外の何物でもないし、テランスが言う「引かないのですか」というのも全く無かった。どう嬉しいのか、そう聞かれると、気分が高揚して、テランスの事ばかり考えてしまって、視線が交わるだけで心が暖かくなるようだった。嬉しいとはこういう事だ。
傍にいると安心する。それは7歳の頃からそうだったから、あれから11年経った今、テランスの想いを知って、安心する他に付け加えられた初めての高揚感に、自分はなんと思っているのか、全く見当もつけられなかった。
わからない事はどうしようもないし、未熟な自分は早くこの傷を癒して様々な軍事や政を学び、勉学に励まなければならない。
そうしてやっと動けるようになった頃。サロンに行き、師と仰ぐハルポクラテス先生ならば何でも知っているのだろうと、この踊る心と、テランスの言う想う気持ちとやらを考えて、私はこう言ったのだ。

「先生、恋とはどんなものなのでしょうか」



   【恋を知り愛を覚える】



結局のところ、博識な先生にしては珍しくのらりくらりと言葉を躱し、恋というものの詳細についてはよくわからないままとなった。
余に恋い慕い、長く想い続けている、と言った。どうしても聞きたいとねだって観念させたその口から、たくさんの暖かな言葉を、胸の奥をチリチリと焼くような、熱い火を灯すような言葉を貰った。
しっかりと交わった視線に、何故だか鼓動が速くなったのはテランスの心を知れて歓喜に打ち震えたからだろうか。
身を引く、そう言い出したテランスを留めて、素直になれ、と強く言い放った余の言葉は、テランスだけではなく自分にも言い聞かせているようなものだった。
その手に触れたい。献身的に余の看病をしたあの時のように、強く握り締められて、そなたの体温を感じたい。

そう思う私はきっと、今まさに恋を知ろうとしているのだ。

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