ああ!恋とはどんなものかしら
7歳の時、修道院附属学校に通っていた頃には、既にディオン様への恋心は抱いていたように思う。長いあいだ片思いをしていた。
幼い頃から従者としてディオン様に仕え、学校に通い始めれば文武両道の神童と称される彼の背を追いかけ、彼を支えられるような人間になりたいと願い、勉学に励み、剣の腕を磨いた。
初めて会った時から、ディオン様には既に今と変わらぬ気品があった。高潔で美しい御方だった。繊細そうなブロンドの髪はサラサラと風に靡き、琥珀色の目は輝いて、きめ細やかな肌は透明感があり、金糸雀のような綺麗な音色を奏でる声は、変声期を迎えた後も、よく通る中低音の、凛とした響きを持った声となり、そのどれもが自分を魅了する、我が主君の一部であった。
言葉を交わしたその日から、ずっと彼を慕っていた。恐らく、一目惚れだったのだろう。
自分は従者で、側近で、主君を護る立場にあった。邪な気持ちは墓にまで持っていく筈だった。
結ばれるつもりは本当になかったのだが、秘めた想いというのは日に日に大きくなり、燻って夢に現れるものだ。
思春期とは恐ろしいものだ。思い出すだけで震えてしまう。
我が君の傍にいて支えたいと願っているのに、我が君の柔肌を蹂躙する夢の中の自分はなんて愚かな獣なのだと、目覚める度に自己嫌悪していた。そうだ、白状しよう。
元々、人より性欲が強いという自覚はあった。
想いを通わせるまでに何度夢に見たことか。いや、恋仲になってからは見なくなった…というわけではないが、夢で励んだ分だけ、現実で理性が揺らぐような事は無いようにと自分を律することができていた。夢や、眠りにつく前の妄想。それらのお陰で現実のディオン様を穏やかな気持ちで見守る事ができた。
ディオン様が戦に赴き、顕現されて帰ってきた後の無防備な姿や、自分にだけ見せる素の部分。心の内を曝け出されることに幸福を覚えど、自分の愛を伝える事など以ての外だった。
18の頃に従軍した戦。ディオン様に庇われたのは重大な己の過失で、自分のせいで重症を負わせてしまったことが許せなくて、彼を失ってしまうかもしれない恐怖と戦い続けた。痛みと戦い続けているのは彼自身なのに、甘えるな、と自分を罵倒した。
献身的だ、と周りは言ったが、それは当然自分がやるべきことだったので、献身でもなんでも無い、当たり前の、自分がしたくてやっていることを何故言われるのか意味がわからなかった。
苦痛に魘される我が君の傷付いた姿がつらくて、苦しくて、つい積年の想いを吐露してしまった。
こぼれる涙と同じようにこぼれ落ちる、長い片思いの言葉を。
「本当か」
そう言ったディオン様の声と表情を、一生忘れることはない。
ディオン様はきっと想いを受け入れるだろう。幼い頃からの長い付き合いで、その素の表情を見つめ続けた自分は、彼がどう思うかをわかってしまっていた。だからこそ我慢を。なのに。
もう一度言うと、自分は人より性欲が強い方である。なのでディオン様と会うまでの合間に色々と、色々と処理をして、ディオン様は夢にまで出てくださるのだからそれも有効活用させて頂いて、自らの想いを知らぬ振りをしてディオン様の側近に従事していた。
それが、今この時から新たな関係が増える、ということは。
「これからは恋仲になるのだな」
自分の告白の言葉に、ベッドから起き上がったディオン様にそう押されるまま頷いたのは仕方がない。だって嬉しそうに言うのだから。
恋仲、恋人か。なんて夢心地のように呟くディオン様は大変に可愛らしく、傷さえ治っていればその場で抱き締めていたかもしれない。
これまでの我慢を思い出せ。忍耐力を。
その一心でこの時の場は凌げた。傷の治療、任務、やるべき事は沢山あるし、暫くは何も変わらない、大丈夫だ。と思っていた。
「どうして手を出さぬのだ」
人が耐えているのになんて事を言い出すんですかこの人は。
あの告白から数ヶ月。手は握った。キスもした。ディオン様が甘えてこられる事が増え、忍耐力を試される日々が続いていたが、まさかこんな事になろうとは。
夜更け、私の部屋に前触れもなく来て、ベッドの縁に腰掛けていたディオン様に驚いて、心配より先に「早くお戻りを」と言ったのが不味かったか。ディオン様が私と遊びたいと部屋に忍び込む事は小さな頃からあったものだから、またそういう事を久方ぶりに思いついたのかと思った。不機嫌を露わにしたディオン様が私を押し倒したのは、全く進展させなかった自分に不満を持っていたからだったようだ。馬乗りになったディオン様が私の胸倉を掴む。
「もしや、性欲が無いのか」
そんなわけがあるか。そう伝えるより先に、機嫌を損ねた顔から一転して自分の放った言葉で傷付いた表情をしたディオン様が力無く私の胸に顔を埋めた。油断していた。待ってくれ、と言えるはずがない。
「私に魅力がない、とか」
「まさか」
「ならば何故」
テランス、そう私を呼ぶ声に淋しさが滲んでいる。自分の腹の内を、素直に話すしか無かった。
身体を起こしながらディオン様の頬を両手で包み、視線を合わせる。普段よりも遥かに近く、ぴったりと隙間無くくっついた距離で、ディオンは何か違和感に気付いたようだったが、こんな事で今更慌てても仕方がない、と私はもう達観していた。
「……あの。正直に申しますと──」
「あはははははは!」
壊れた玩具のように爆笑するミドを横目で見て、これで満足ですか、とテランスは開き直ったように腕を組んだ。
先日の話はしっかりと聞いた。ミド含む女性3人組がディオンに恋バナを仕掛け、テランスはテランスでハルポクラテスから当時の出来事を思い出すことになり、お互いに報告した際にハッキリとわかってしまったのだ。
テランスが積年の想いを告白してすぐ、ディオンが私も好きだそなたと一緒にいたい、と応えた後。
テランスとの初めての体験の連続に、自分の心がよくわからなくなったディオンがハルポクラテスに零してしまった心境。
「恋とはどんなものなのでしょうか」なんて可愛いことを聞いて、恋に恋するような気持ちをどう解釈したのか、中々に進展しない関係に焦れったくなったのか。ディオンの夜這い計画はそのせいだったのかな、と今となって思うところだ。
勃っているのが完全にバレているのに堂々とした態度のテランスに、ぴたりと硬直したあと困った顔になったまま赤面したディオンはどう思っていたのだろうか。何にせよ、初めてというのは本当に自分の思い通りにはいかないものだ。
がっつきたくはなかった。が、仕方がない。なんせ自分は人より性欲が強いのだから。
「もう駄目お腹痛い!なんだよぉ、最初っからテランスに聞いときゃよかった!」
「これっきりにして下さいね。全く、ディオン様になんて事を聞いてるんです…」
「でもディオンがテランスのどこが良い、ってしっかり聞けなかったからまた聞くけどさ」
「ミド?」
「ごめんなさい」
笑顔で威圧すると直ぐに降参のポーズを取ったミドに、よろしい。と返す。しかし恋とは、なんて、女性はいつだってそういう話が好きなんだな、と思う。
「でもディオンの返事も何となくわかったけどな」
「……何だと思います?」
好きなところ。恋かどうかもわからなかったのに、告白を聞いて、離れたくないから恋なのかもしれないと思ったらしいディオン。触れてほしいと願って、求め合った11年間。
「全部だろ」
あんたとお揃いでしょ。とミドがにやりと笑う。そう見えたのならやぶさかではない。