ああ!恋とはどんなものかしら


本日のミドアドル嬢は恋というものに関心を抱いているらしい。

憩いの広場を歩いている途中、階段下から顔を出した彼女と偶々目が合ったディオンは、丁度良いところにと言わんばかりのミドに工房の中まで引きずり込まれた。
部屋の真ん中に置かれた長方形のテーブルの周りには、普段置かれていない椅子が4脚。その内の1脚に背中を押されるまま座らされて、余に何か用が、と聞く前に、ミドは自身も椅子に座って「それでさぁ!」と脈絡無く話し出した。
「ディオンはテランスのどこが好きなんだ?」
「……突然何事かと思えば、それか……」
実験台にでもされるのかと思った。とは口が裂けても言うまい。
あの最後の戦いの後、意識が戻らず瀕死状態だったディオンを石の剣が発見し、隠れ家に保護され、奇跡的に目覚めてからリハビリを始めて、自由に歩ける程に回復するまでに1年かかった。
1年と半分ほど経った今、隠れ家の中の様々な仕事を手伝う中で、何度かミドに頼まれる事もあったが、そのどれもがよくわからない物だったので、今回もか、と思わず身構えてしまった。
彼女は目を爛々と輝かせて、どうなんだ?と身を乗り出して聞いてくる。
「テランスはどうせ“全部”って言うだろ?無し無し。あたしはもっと具体的な話が聞きたいんだ。どこ?顔?態度?性格〜…は確かにモテそうだもんな。わんこ系爽やか男子はどの国でもモテる」
「ちょっと待て。テランスにも聞いたのか?」
「いやいやそうじゃなくて。普通にわかるじゃん、ここに初めて来た時から、今までの姿見てたらさ!」
テランスが初めて来た時、というのは私が目覚める前か。と、ディオンが思い出す。ディオンより先に見つかり、既に医務室の住人となっていたクライヴとジョシュアの隣へ運ばれた後、遠い地で避難していたテランスは誰からかその話を聞いて、キエルを連れて直ぐさま隠れ家へ訪れたらしい。

生きている事が奇跡、意識が戻るかはわからない。そんな状態のディオンの前に膝をついたテランスは、顔を青褪めさせたままディオンの手を握り、そのままここに住むことを決めたのだという話は聞いていた。
テランスは毎日ディオンの様子を見に来てはできる限りの世話をして、放っておけば永遠にディオンの隣に居座りそうな勢いだったらしく、タルヤの手伝いを始めていたキエルが「テランス、いい加減にして」と声をかけたことで、漸く精神的な落ち着きを取り戻したそうだ。
それからディオンの世話に加えて、隠れ家での生活の手伝いと、バラバラになっていた聖竜騎士団と連絡を取って、外での活動を把握し、指示を仰ぐ団員に仕事を割り振っていたらしい。首の賢人の話もまた、ディオンが目覚めた後、何もかもが変わってしまった世界の、様々な話をテランスに教えてもらっているその時に教えてもらった。
『……私は、あの者に対して“まるで当てにできぬ”と…』
父上に強く出られず言いなりにしかならないと思っていた男が、誰よりも早くザンブレクの再建を考えて行動した。その事実に衝撃を受けた。民の事を考え、暮らしをよくする為に尽力している。それに引き替え、私は。
そう落ち込みかけたところを、テランスは『貴方は貴方の為すべきことを成した』と強く言い放った。
また背中を押されたような。死の淵から戻り、ここで生活を始めてから、何度テランスに救われたことか。
意識を取り戻してからがそうなのだから、それまではどうなのだろうか。できる限りの世話とは、と聞けば、身体を拭く以外に動かない手足や指が固まらないように軽く解すことと、床ずれを起こさないように体の向きを変えたりだとか、薬を飲ませたりだとか。
全身を丹念に拭きました、と真顔で言われれば、邪な考えは引っ込めた方が良いな。と咳で誤魔化したのは記憶に新しい。 
そこまで思い出したところで、ミドが「こっちに移住してから毎日毎日ディオンのところに行ってさ、一人でいる時だってディオン様がディオン様でディオン様のって。あ、昏睡状態から復活して起きたばっかのディオンがテランスにぎゅうぎゅう抱き締められて気絶した時のあれだってあたしは見てたんだぞ!」と言った事に、なんてことだ、と顔を覆ってしまった。
「そんなわけだからテランスには聞くだけ無駄なんだって。で?ディオンの思うテランスの好きなところは?」
「好きなところ…」
実際テランスが言ったわけではないが、ミドが思う彼の言葉と同じように「全部」と答えたら駄目なんだろうか。顔を覆った手をずらして彼女を見ると、輝いた目が期待に満ちてディオンを見つめている。困った、と返答に悩んでいると、階段を降りてくる足音が聞こえて、ミドの視線がそちらを向いた。
「あら、遅くなってしまったかしら」
「……本当に捕まえられたのですね。まさか有言実行するとは…」
「おう!丁度そこにいたから運が良かったよ!」
現れた二人──ジルとヨーテに、ミドが快活に応える。助かった、と思うと同時に、捕まえたとは?という疑問が浮かんだ。
「それはもしかして、余のことか」
「そう!」
「まさか、何も伝えずにここへ連れ込んだの?」
ジルが呆れたような目でミドを見る。空席だった2脚に二人が腰掛けて、なるほど、来客予定は彼女等だったか、と納得した。
「だって偶々歩いてたから」
「だからといって説明もないのはどうなんです…」
「ディオンも暇ではないでしょう?もう、ミドったら…」
「あーあー二人して怒るなよぉ!」
両手で耳をふさいでしまったミドに、全く、と二人が苦笑する。こうして見ていると姉妹のようで、良い家族になっているのだな、とディオンは微笑んだ。
「それで、結局この集まりは何なのだ?」
その一言でぱぁ、と輝いた三人の目に、聞かなければよかったと後悔したのは、質問攻めにされた後のことである。
「女子会その……5?6?何回目だっけ?」
「前回の議題では『次回・恋について』と話があがりました。それについてはこの隠れ家の中で1番の理解者といえば殿下であると意見も一致しまして」
「私達もそういうのには疎いから。ねえ、話を伺っても良いかしら」
ね?と小首を傾げ、可愛らしく両手を合わせてお願いをされてしまうと、逃げる道を塞がれたと思うしかなかった。



「そういえば」
ぽつりと零れ落ちた呟きに、テランスははっ、と読み耽っていた本から顔を離して、声のした方に視線を向けた。
ただの独り言なのかと思えば、書庫の主であるハルポクラテスはいつもの穏やかな顔でこちらを見ていて、先の一言は自分に向けられた言葉なのだと理解した。
「どうかなさりましたか、先生」
「いやあ。久しぶりに君を見ていたら、一つ思い出したことがあってね」
懐かしげに目を細めて、昔の事──おそらく彼がザンブレクにいた頃の話を、ハルポクラテスはゆったりとした口調で話し始めた。その内容に、テランスはうっかり持っていた本を落としそうになってしまった。
「テランス。あの時はもしや、と思っていただけだったんだが、こちらに来てからの殿下のご様子と君の姿を見ていて確信したよ。11年前、殿下は私にこんな事を聞いてこられたのだ」

それはそれは殿下には珍しく、ぼんやりとしたご様子で、心ここにあらず、といった御姿だった。体調が悪いのでは、と思ったが、それは直ぐに違うと思い直した。一度だけ見たその姿は、まさしく恋煩いというもの。聞かれた事への返答に困ったのは、あの時くらいのものだよ。

ハルポクラテスの話に頬が熱くなる。それは完全に私のせいです。とは、言えるわけがないし、言うつもりもない。だって既にバレている。というか、私が、俺が勢いあまって想いを伝えてしまった後、あれほど我が君はぐいぐい迫って来ていたというのに、まったくなんて事を隠していたんだ。
17の頃にハルポクラテスと出会ったディオンは、彼を師と仰ぐようになった。それから1年後には聖竜騎士の称号を与えられ、自分のせいで重症を負い、極端にハルポクラテスと会うことが減ってしまっていった中で、彼が2年後にザンブレクを去るまでの、短い間の中に交わした会話の内の一つが自分についてだなんて、思いつくはずがない。

ディオンは質問した。無意識だったようで、それは直ぐに取り繕われたが、確かに蕩けるような声色だったとハルポクラテスは記憶している。
『先生、恋とはどんなものなのでしょうか』
今の君を表す言葉だよ。自覚がないとは困ったものだね、と、11年経った今、やっとまともな答えができそうだとハルポクラテスは笑った。



「えっ、11年?!」
素っ頓狂な声をあげたミドの隣で、目を丸くして口を開けたままのミドと同じような顔をしたジルが長く続いてるのね、と素直な感想を口にした。
「11年……11年前か!あたし6歳だ!」
「年齢の話はやめましょう。死人が出るわ」
「お、おお……」
一瞬で真顔になったジルにミドが壊れた人形のようにこくこくと頷く。今は無いはずの氷の化身が見える。何となく冷気を感じた気がして、ディオンは腕を擦った。
「何年経ってもジル様は変わらず美しいままですよ」
「本当?ありがとう」
ヨーテのフォローにジルが微笑む。実際に見た目が変わっても変わらなくとも、普段のクライヴを見るに、ジルへの気持ちは揺らがないだろう、とディオンは思った。
「同じように想っているとは思うのだけれど、やっぱり言葉で伝えてほしいと思う時もあるのよね。彼はそういうの苦手だろうし、あまり強制したくはないのよ。けど…」
「言葉なぁ。たしかに。あたしは想像でしかないけど、態度で示すってだけより言葉もあった方がより嬉しくはなるよな」
「そうですね。その辺りは本当に殿下が良き見本だと思います」
「待ってくれ。余が見本とは……」
止めようとしたディオンの言葉を遮るように「え」「ご存知ない…?」とジルとヨーテの驚いた声が続き、更にミドが「覚えてないのか!」と答えを教えてくれた。
「いっつも飲むと何でも話すとは思ってたけど、そういうことかー!そりゃあ随分饒舌になるわけだな!ごめんごめん、テランスも毎回焦るわけだわ!」

テランスのどこが好き、ってハッキリ言わないけどさ、飲んでる時いつも「可愛い」「愛しい」「抱き締められると安心する」なんて惚気けられるから、今回良い機会だししっかり聞こうと思ってさ!

禁酒しよう。
ディオンは初めて聞く自分の痴態にそう強く決意した。



どっと疲れた。根掘り葉掘り聞いてくる女子三人からやっとの思いで解放されて、自室に戻ったディオンはふらふらとベッドに近付きばたりと倒れ込んだ。衝撃を吸収して音の少ない、柔らかくも弾力のあるベッドは自分が望んだままの性能で、精神的にも肉体的にも疲れや凝りが解されていくようだ。
ここにテランスがいれば、と浮かんだ瞬間、都合良く部屋の扉が開いて、望んだ彼が「ただいま」と声をかけたことに浮かれて跳ねるように上体を起こしてしまった。
「おかえり」
嬉しい気持ちを隠さずに微笑みかけると、何故だかテランスは頬を朱に染めて「…うん」と子供のような返事をした。
もしやミドから何か聞いたか、と身構えたが、解散の後すぐに作りたい物があると奥に引っ込んだ為に今日はもう会うことはないはずだと首を振った。
ならば何が。疑問符を浮かべるディオンに対し、テランスは「本当にもう」と言いながら、ベッドに座るディオンに遠慮なく抱き着いた。そのテランスの背中に腕を回して口付けをねだれば柔らかい感触が唇に降ってきて、「本当に、」と先程と同じ言葉を繰り返された。
「貴方はずっと可愛くて困る」
「テランス……やはりミドアドル嬢から何か?」
「ミドから?いえ、何も……?」
抱き締められたまま訝しそうに言われて、やぶ蛇だったかと口を噤む。気にするなという意味を込めて背中を撫でれば、後で聞きますからね、と返されて、せめてもの抵抗に耳朶に噛みついた。
「誤魔化そうとしないでください…。ディオン、私が聞きたいのはそれだけじゃなくて」
「……なんだ?」
ミドじゃないなら何だというのだ。酒以外の失敗を、今のところはしていないはず。
聞くのも面倒になってテランスの頬やこめかみ、夜になって少し乱れたが、変わらずしっかりと分けられた髪の生え際に口付けていると、仕返しだと言うように大きな口で息を奪われてしまった。絡みつく舌は分厚くて、その熱さと甘さにくらくらと目眩がした。唇が離れて、はぁ、と吐息が漏れる。鼻先が触れ合う距離で、テランスは聞いたんだけど、と話の続きを言い出した。
「……ディオン、先生になんて事を質問してるの」
「………んん?」
何がだ、そう首を傾げたディオンに、テランスが優しく丁寧に説明する。徐々に顔を赤らめていく彼に、わかるよその気持ち、と頭や頬を撫でながら、今日の会話を伝え終えると完全に茹だったディオンの身体を押し倒した。
赤裸々に話したというわけではないが、結ばれたあの日の後日談を、11年経った今知ることになるとは。
そして、それを言ってしまった事を忘れていたディオンが羞恥に悶え、先生に合わせる顔がない、等と今更な事を言ってテランスとハルポクラテスを困らせてしまったのは、翌日から数日間の事であった。

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